村長の家の片付けがようやく終わると、ミトのいつもの日常が戻ってきた。
 ずっと家で閉じこもっていたミトは、ようやく家の外に出られると開放感にほっとする。
 あまりいい思い出のない村長の家だが、家にいるとテレビかゲームをするぐらいしかやることがないのだ。
 そこに勉強が含まれないのはご愛嬌。
 別にミトは勉強が好きなわけではない。
 勉強するという名目で外のことを知ることが好きなだけなのだ。
 けれど、ミトの家にネットとつながる道具がないので、仕方なく勉強させてくれる村長の家に行っているだけ。
 家でもネットが使えるなら、ひたすらミトは家の中に引きこもっているだろう。
 誰が好き好んで自分を嫌っている人たちばかりがいる場所に好んで行くものか。
 切実に家にネット環境が欲しいと思う今日この頃だった。
 今のところ真由子と鉢合わせすることはなく平和に過ごせている。
 村長宅のクロによると、お気に入りの靴をボロボロにされて未だに不機嫌なのだとか。
 それを思い出すたびに顔がにんまりしてしまうのぐらいは許してもらいたい。
 ミトの方は真由子のせいで怪我をしてしまったのだから。
 このまま平穏が続くことを祈っていたが、ある日の夜遅くに部屋の呼び鈴が鳴った。
 リビングでくつろいでいたミトを両親は顔を見合わせる。
「あら、こんな時間に誰かしら」
 志乃が玄関に向かおうとしたのを、昌宏が止める。
「待った。俺が出るよ」
 志乃では不用心だと思ったのだろう。
 代わりに玄関に向かった昌宏を、ミトと志乃はリビングからのぞいた。
「お母さんそれなに?」
 志乃の手にはフライパンが。
「だって、いざという時のために必要になるかと思って」
 しかし、志乃の心配は杞憂に終わる。
 玄関を開けて立っていたのは村長と村の年配の男性たち。彼らはぞろぞろと玄関の中に入って来た。
 不穏な気配を漂わせる村長たちに、危機感を抱いた昌宏は反射的にミトに告げる。
「ミト、部屋に行っていなさい」
「でも……」
「いいから行きなさい」
 志乃にもそう言われて肩を押されては、ミトは従うしかなかった。
「う、うん」
 しかし、なにを言いに来たのか気になったミトは、階段に隠れながら玄関で交わされる会話にそっと聞き耳を立てることにした。
「どうしたんですか、村長。こんな遅くに、そろいもそろって」
「お前たちに言っておくことができたのでな」
 この家には電話がない。
 それ故に直接話に来たのだろうが、玄関に入りきらないほどの人数をそろえて来る必要はないだろうに。
「こんなに引き連れてですか?」
「きちんと忠告するためだ」
「なにをです?」
 村長たちに対峙する昌宏は、村の重鎮たちを前にしても堂々としていた。
 その一方で昌宏の一歩後ろに控える志乃は不安そうな顔をしていた。
 隠れているミトもまた、村長たちが両親になにか無理難題を投げてこないかと心配だった。
「そう警戒するな。難しいことではない。明日から二、三日はあの忌み子を外に出さないようにしてくれと言いに来ただけだ」
「村長、忌み子じゃない。ミトです! 何度もそう言っているでしょう!? あなたがそんなだから村の人たちはミトのことを忌み子だと蔑むんです」
 昌宏の怒りの声が家の中に響く。
 昌宏はこれまでに何度となく村長にもの申してきた。
 ミトのことを忌み子と呼ばないでくれと。
 それでも、村長がミトの呼び方を変えることはなかった。
 村の権力者である村長がそうなのだ。他の村民たちが、右にならえのごとくミトを同じ人として扱わないのも無理もないことだった。
 昌宏は懸命に村の考え方を変えようとしていたが、昌宏ひとりが叫んだところで、その他大勢の声にかき消されてしまう。
 それでもせめて村長が、味方とまではいかなくとも中立でいてくれたなら、ミトはこれほどに肩身の狭い思いはしなくてすんだだろうに。
 けれど、今回も昌宏の声は村長には届かなかった。
「事実を口にしてなにが悪い。それよりも、絶対に外に出さんでくれ。誰が訪ねてきてもだ」
 その言い方は村の者ではない誰かが来るような言い方だった。
「誰が来るんです?」
 昌宏が表情を険しくしながら問う。
「お前たちには関係のない者だ。しかし、外部の者に花印の子がいると知られるわけにもいかないから、わしがいいと言うまで明日からあの子を外に出すな。分かったな」
「急に来てなんなんだ! どうしてそんな命令を聞かなきゃならない!」
 そう昌宏が怒鳴れば、村長が連れてきた男性たちが諭すように口を開いた。
「一族のためだ」
「忌み子の存在を外に知られるわけにはいかない」
「子供ではないのだから駄々をこねるな」
「これが最善なのだ」
 口々に勝手なことを言う男性たちに、こっそり聞いていたミトも怒りが湧いてくる。
 しかし、ここでミトが飛び出していっても、余計にこじれるだけだと、ぐっと我慢する。
 昌宏も憤りを隠せないようだ。その表情には怒りが見える。
「よいか、絶対に忌み子を外に出すんじゃないぞ! そんなことをすれば、お前たちにも責任を取ってもらうからな」
「村長の言葉に従うんだ」
「念のためカーテンも閉めきっておけ」
「娘の存在を完全に隠すんだ」
 村長たちは言いたいことだけを言い捨てて、ようやく出ていった。
 そのタイミングで姿を見せるミト。
「お父さん、お母さん……」
 なにが普段とは違うことが起ころうとしているのを肌で感じる。
 これまでミトを迫害するようなことはあっても、外に出てくるなとまで言ってきたことはなかった。それなのに……。
「大丈夫だ、ミト。お父さんたちがついてる」
 不安がるミトを励ますように肩を抱く昌宏。
「村長たちはどうしてあんなこと言ってきたのかな?」
「それは分からない。これまでにも外から人が来ることはたまにあっても、あんな言い方したことはなかったんだがな」
「誰が来るのかしら。あなた、どこかで見聞きしていないの?」
「いいや。志乃は?」 
 志乃も覚えがないようで、首を横に振っている。
 リビングに戻ると、目の前をなにかがさっと通りすぎたので、志乃が悲鳴をあげる。
「きゃあ!」
 ずっと持っていたフライパンを一生懸命振り回すが、ミトと昌宏にも当たりそうになっていて、かなり危険だ。
 素早く昌宏がフライパンを取りあげた。
「わー、志乃。当たる、当たる!」
「あっ、ごめんなさい。びっくりしちゃって。今のはなんだったの?」
 その正体はミトが発見した。
 観葉植物にしがみつく、モモンガ。
 リビングの窓が開いていたので、恐らくそこから中に入ってきたのだろう。
 ミトは怯えさせないようにゆっくりと近付いた。
「こんんばんは、どうしたの? 間違って入ってきちゃった?」
『ミト~。さっきムカつく野郎共が来たでしょ。クロからシロに、シロからフクロウに、フクロウから狸の親父に、えっと次は誰だっけ?』
「なにが言いたいの?」
 小首をかしげるモモンガはかわいいが、なにをしに来たのかさっぱり伝わらない。
『うーんとね、とりあえずクロから伝言。チャンス到来。今こそ村の奴らをざまあする時が来た! だって』
「どういう意味?」
『なんかねぇ、今度村に人が来るんだって』
「そうみたいね。私に外に出てほしくないみたいだけど。誰が来るのか知ってるの?」
『クロによると、神薙だって。龍花の町から神薙が来るらしいんだ』
 ミトは驚きのあまり大きな声で「えっ!!」と驚いた。
「どうしたんだ、ミト?」
 心配そうに問いかけてくる昌宏に、ミトはモモンガから聞いたことを教える。
「なんか龍花の町から、神薙が来るんだって」
「それは本当か!?」
「うん。村長のところのクロから伝言だって。チャンス到来って」
「それが本当なら、その通りだ」
 昌宏は落ち着きなくリビングを行ったり来たりし始める。
 志乃もどこかそわそわしていた。
「あなた、じゃあさっき村長たちがミトを外へ出すなと言ってきたのは……」
「ああ。ミトの存在を神薙に知られないためだろう。ミトはいつもアザに包帯を巻いて隠しているが、どんなきっかけで知られるか分からないから。だが、どうして神薙がこんな辺鄙な村に来るんだ?」
 昌宏がミトに視線を向ける。動物たちなら、なにか知っているのではないかと思ったのだろう。
 ミトは昌宏の意図を察してモモンガに聞いてみた。
「どうして神薙がこの村に来るのか、理由が分かる?」
『分かんない』
「そっか」
 がっくりと肩を落としたミトは、昌宏に向かって首を横に振る。
 昌宏も残念そうな顔をしたが、それは一瞬だけ。
「もし、もしも、神薙にミトの存在を教えることができたら……」
 昌宏の目には期待と希望が映っていた。
「志乃、これはチャンスだ。ミトをこの村から出すことができる!」
 昌宏は嬉しそうに志乃の手を取った。
「でも、そんなにうまくいくかしら。きっと村長たちも私たちの行動を警戒するわ」
「確かにな。けど、こんな機会はもう巡ってこないかもしれない。なんとしても、その神薙と話をしないと」
「私たちには常に誰かが付き添ってる。その監視の中じゃ難しいわ。どうしたらいいかしら」
 昌宏と志乃が考え込む中、ミトは少し置いてけぼりにされていた。
 昌宏の言うように神薙にミトの存在を教えたら、花印の子を申告しなかったとして、村長を始めとした人たちはお叱りを受けるだろう。
 それはミトとして喜ばしいことだが、村長たちはミトを素直に引き渡すだろうか。
 村長たちはミトを虐げている自覚があるので、発覚を当然恐れている。
 神薙がやって来ることを知ったら、ミト家族はなんとしても知らせようと動くだろうと村長は警戒したに違いない。
 だから神薙が来ることを頑として教えなかった。
 まさかミトが動物たちから神薙が来るという情報を仕入れているとは思うまい。
 この村から出ていけるのはミトが長年願ったことだが、果たしてそううまく行くのか。
 もし失敗したら……。
 自分はいい。けれど自分のために昌宏と志乃が今以上に村からひどい扱いを受けるのではないかと、ミトはそれが心配でならなかった。
「お父さん、お母さん。私のことは大丈夫だから、無理しないで。私のせいでふたりが村長たちからひどいことされたら……。それぐらいなら今のままでいい」
 この閉鎖された町で、なにより大事なのは両親なのだ。
「ミト、そんな弱気でどうする。お父さんたちのことは心配するな。ちゃんとうまくやってみせる」
「そうよ、ミト」
「でも……」
 どんなにふたりが力強く答えても、不安は拭えない。
「なら、うまくいけるように、ミトの力を貸してくれないか?」
「どうやって?」
「動物たちに協力を頼んでほしいんだ」
 昌宏から計画を聞いたミトは、モモンガに伝言を託して、山の動物たちに協力を頼んだ。
 これが成功するかは神のみぞ知る。