三章
真由子からの嫌がらせを受けた次の日、ミトは風邪を引いたことにして家でゴロゴロとしていた。
父親である昌宏は仕事に、母である志乃も同じく仕事のために村長の家へと行ってしまった。
だから家にはミトだけ。
風邪ということにしているが、むしろ元気いっぱい、朝からご飯をもりもり食べた。
昨日あれだけ雨に濡れたというのに、随分と頑丈な体である。
けれど、昨日の真由子との諍いに気を遣った両親が、今日は風邪を引いたことにした休んだらいいと提案してくれたのだ。
村長の家に行って、周りからの嫌悪の視線に耐えられそうになかったミトはそれを受け入れた。
なので存分にだらだらしていたら、まだ午前中にもかかわらず、「ただいまー」と、声が聞こえてきたのである。
「ん? 今のお母さん? 忘れ物でもあったのかな?」
仕事はどうしたのかと疑問に思いながら階下へ降りていくと、志乃がリビングのソファーでひと息ついていた。
その様子は忘れ物を取りに戻ったようにはとても見えない。
「お母さん、どうしたの? 仕事は?」
「それが、数日休みになっちゃったのよ。村長さんのお宅がとても作業をできる状態じゃなくてね」
「どういうこと?」
ミトが首をかしげていると、村長の家の猫が、掃き出し窓の硝子をカリカリと掻いているのに気付いた。
「クロじゃない」
黒猫だからクロ。
ちなみに、同じく村長の家で飼われている白い犬の名前はシロである。
安直ではあるが、覚えやすい。
ミトが窓を開けてやると、するりと中に入ってきた。
すると、計ったようにスズメも入ってきて、部屋の中にあった観葉植物の枝に止まる。
なにか用事でもあるのだろうと、ミトは動物と話しているところを聞かれないように窓をしっかりと閉めてから、カーテンで覆った。
「どうしたの、クロ?」
『仇は討ってやったわよ、ミト』
「仇?」
ミトにはクロの言っている意味が理解できずに疑問符が浮かぶ。
『昨日のことよ。真由子に虐められたんでしょう? 狸の親父が現場を見てたんだから隠しても駄目よ』
「あー、あれか。見られてたの?」
ミトはちょっと恥ずかしくなった。
いじめを受けている姿など、見られて嬉しいものではない。
すると、スズメが興奮したように翼をバサバサと動かした。
『あそこの馬鹿娘はほんとにどうしようもない!』
『狸の親父から話を聞いたそこのスズメが仲間に話したことで、この辺りの動物たちに噂が一気に拡散したのよ』
『あの子、本当にムカつくわね。私たちのミトになんてことしてくれたのかしら。その膝の傷もあの子にやられたんでしょう? ミトも黙ってないでやっつけちゃえばいいのに』
「そんなことしたらお父さんにもお母さんにも迷惑かけちゃうもん」
端から見たら、「にゃんにゃん」「チュンチュン」と鳴いている猫とスズメに話しかける頭のおかしな子だが、その場にいた志乃は、静かに見守っていた。
『そう言うと思ったから、私たちで仕返ししておいたからね』
「仕返しってどういうこと?」
クロが得意げにミトの足に体を擦りつけた。
『ふふん。まずは朝に私が真由子のベッドで粗相してやったわ』
「えっ、それは……。臭いが取れなさそうね」
『悲鳴がうるさかったわ』
「でしょうね」
ミトでも同じように叫ぶだろう。真由子の慌てっぷりが目に浮かぶようだ。
『それでもって、シロが真由子のお気に入りの靴を噛みついてボロボロにしてたわ』
それは以前ミトに自慢してきた靴ではなかろうか。
誰でも知っているブランドの、べらぼうにお高い靴だと、わざわざ聞いてもいないことまでベラベラしゃべっていた覚えがある。
こんな辺鄙な村では、ブランド品を持っているだけで有名人のように羨望の眼差しで見られるのだ。
己の自尊心を満たしてくれるその靴を、真由子はそれはもう大切にしていたと聞く。
そんな靴をボロボロにされたら、ミトならショックでしばらく立ち直れないかもしれない。
『それだけじゃ気がすまないから、今日はスズメと休戦協定を結ぶことにしたの』
猫と鳥。普段なら狩る側と狩られる側である。
珍しい組み合わせだと思っていたが、ミトのため手を組んでいたのか。
『猫がそれとなく開けた玄関から、仲間たちを連れて家の中に突撃したのよ~』
チュンチュンと枝の上で軽快にジャンプするスズメはなんとも楽しげだ。
『ついでに烏と猿にも協力要請したら、喜んで参戦してくれたわ』
チュチュチュチュと、まるで笑うように鳴いた。
「つまり、スズメと烏と猿たちで、村長の家の中をめちゃくちゃにしちゃったわけ?」
『そういうこと~』
『楽しかったわね。二次会する?』
『するする~』
そんな、ほろ酔いのサラリーマンのようなノリで言うことではない。
助けを求めるようなミトは母の志乃を見た。
「お母さ~ん」
「どうしたの? クロとスズメさんはなんだって?」
「昨日私が真由子に虐められた仕返しを、動物たちが代わりにしてくれたみたい」
「あら、そうだったの。村長さんの家の中、嵐が過ぎ去ったみたいなひどい有様だったわよ。あれは片付けるの大変でしょうね。動物のフンもあちこちに散らばっていて悲惨だったわぁ。あれはしばらく臭いわね」
志乃はニコニコとしていて、どことなく楽しそうである。
「ミト、動物さんたちにグッジョブって言っておいてくれる?」
志乃はクロとスズメに向かって、満面の笑顔で親指を立てた。
「そこは嘘でも叱ってほしいんだけど」
「あら、ミトはざまぁみろとか思わないの?」
「……思う」
痛いところを突かれてしまう。
特に真由子に対しては、雨の中で突き飛ばされたことで傷まで作ってしまったのだ。
むしろよくやったと、動物たちにお礼を言いたい。
「でしょう。昌宏も私と同じこと言うわよ。お酒のいいつまみができたわね。夜のためにビールを冷やしておかなくちゃ」
志乃は今にもスキップをしそうなぐらいに上機嫌でキッチンの方へと向かっていった。
『ミトもこれで少しは気が晴れたでしょ?』
『それとも足りない? やっぱり熊にも参加してもらうべきだったかしら? 彼女もやる気満々だったんだけど、他の子たちが怖がったから遠慮してもらったのよね』
「熊にも声かけたの? 熊はやめておいた方がいいかも。人里に下りてきたら熊狩りが始まっちゃうから」
脅すだけだとしてもリスクが高すぎる。
それでもし熊の身になにかあったら、ミトは自分を責めることになるだろう。
後悔してもしきれない。
「ありがとうね。私はもう大丈夫だから、皆にもお礼を伝えておいてくれる?」
『分かったわ』
『シロに伝えておくわね』
用事はそれですんだのか、窓を開けるとそれぞれ帰っていった。
それを見送ってから、やれやれと窓を閉める。
「動物たちはミトのことが好きなのね」
微笑ましげな顔をしている志乃の言葉に、ミトも穏やかに小さく笑む。
「いいお友達ね」
「うん。人間の友達はいないけど、友達はたくさんいるから気にはならないの」
いろいろと人には言えない特殊な力だが、そのおかげで救われている部分があるのは確かだ。
「そう言えば、昨日言ってた夢の中のミトが好きな人も、ミトの不思議な力と関係があるのかしら?」
「さあ、分かんない。そんなこと考えてもいなかった。動物以外の不思議な力があるかもしれないってこと?」
そうすればあの不思議な夢の理由も解決できそうだが、どんな力だ。
「お母さんが分かるはずないじゃない。ミトに心当たりはないの?」
「まったく」
「それじゃあ、なんとも言えないわね。お母さんもイケメンな波琉君を見たいのに」
「それが目的か」
昌宏が知ったら、またやきもちを焼きそうである。
まあ、夫婦仲が良好なのはいいことだ。
真由子からの嫌がらせを受けた次の日、ミトは風邪を引いたことにして家でゴロゴロとしていた。
父親である昌宏は仕事に、母である志乃も同じく仕事のために村長の家へと行ってしまった。
だから家にはミトだけ。
風邪ということにしているが、むしろ元気いっぱい、朝からご飯をもりもり食べた。
昨日あれだけ雨に濡れたというのに、随分と頑丈な体である。
けれど、昨日の真由子との諍いに気を遣った両親が、今日は風邪を引いたことにした休んだらいいと提案してくれたのだ。
村長の家に行って、周りからの嫌悪の視線に耐えられそうになかったミトはそれを受け入れた。
なので存分にだらだらしていたら、まだ午前中にもかかわらず、「ただいまー」と、声が聞こえてきたのである。
「ん? 今のお母さん? 忘れ物でもあったのかな?」
仕事はどうしたのかと疑問に思いながら階下へ降りていくと、志乃がリビングのソファーでひと息ついていた。
その様子は忘れ物を取りに戻ったようにはとても見えない。
「お母さん、どうしたの? 仕事は?」
「それが、数日休みになっちゃったのよ。村長さんのお宅がとても作業をできる状態じゃなくてね」
「どういうこと?」
ミトが首をかしげていると、村長の家の猫が、掃き出し窓の硝子をカリカリと掻いているのに気付いた。
「クロじゃない」
黒猫だからクロ。
ちなみに、同じく村長の家で飼われている白い犬の名前はシロである。
安直ではあるが、覚えやすい。
ミトが窓を開けてやると、するりと中に入ってきた。
すると、計ったようにスズメも入ってきて、部屋の中にあった観葉植物の枝に止まる。
なにか用事でもあるのだろうと、ミトは動物と話しているところを聞かれないように窓をしっかりと閉めてから、カーテンで覆った。
「どうしたの、クロ?」
『仇は討ってやったわよ、ミト』
「仇?」
ミトにはクロの言っている意味が理解できずに疑問符が浮かぶ。
『昨日のことよ。真由子に虐められたんでしょう? 狸の親父が現場を見てたんだから隠しても駄目よ』
「あー、あれか。見られてたの?」
ミトはちょっと恥ずかしくなった。
いじめを受けている姿など、見られて嬉しいものではない。
すると、スズメが興奮したように翼をバサバサと動かした。
『あそこの馬鹿娘はほんとにどうしようもない!』
『狸の親父から話を聞いたそこのスズメが仲間に話したことで、この辺りの動物たちに噂が一気に拡散したのよ』
『あの子、本当にムカつくわね。私たちのミトになんてことしてくれたのかしら。その膝の傷もあの子にやられたんでしょう? ミトも黙ってないでやっつけちゃえばいいのに』
「そんなことしたらお父さんにもお母さんにも迷惑かけちゃうもん」
端から見たら、「にゃんにゃん」「チュンチュン」と鳴いている猫とスズメに話しかける頭のおかしな子だが、その場にいた志乃は、静かに見守っていた。
『そう言うと思ったから、私たちで仕返ししておいたからね』
「仕返しってどういうこと?」
クロが得意げにミトの足に体を擦りつけた。
『ふふん。まずは朝に私が真由子のベッドで粗相してやったわ』
「えっ、それは……。臭いが取れなさそうね」
『悲鳴がうるさかったわ』
「でしょうね」
ミトでも同じように叫ぶだろう。真由子の慌てっぷりが目に浮かぶようだ。
『それでもって、シロが真由子のお気に入りの靴を噛みついてボロボロにしてたわ』
それは以前ミトに自慢してきた靴ではなかろうか。
誰でも知っているブランドの、べらぼうにお高い靴だと、わざわざ聞いてもいないことまでベラベラしゃべっていた覚えがある。
こんな辺鄙な村では、ブランド品を持っているだけで有名人のように羨望の眼差しで見られるのだ。
己の自尊心を満たしてくれるその靴を、真由子はそれはもう大切にしていたと聞く。
そんな靴をボロボロにされたら、ミトならショックでしばらく立ち直れないかもしれない。
『それだけじゃ気がすまないから、今日はスズメと休戦協定を結ぶことにしたの』
猫と鳥。普段なら狩る側と狩られる側である。
珍しい組み合わせだと思っていたが、ミトのため手を組んでいたのか。
『猫がそれとなく開けた玄関から、仲間たちを連れて家の中に突撃したのよ~』
チュンチュンと枝の上で軽快にジャンプするスズメはなんとも楽しげだ。
『ついでに烏と猿にも協力要請したら、喜んで参戦してくれたわ』
チュチュチュチュと、まるで笑うように鳴いた。
「つまり、スズメと烏と猿たちで、村長の家の中をめちゃくちゃにしちゃったわけ?」
『そういうこと~』
『楽しかったわね。二次会する?』
『するする~』
そんな、ほろ酔いのサラリーマンのようなノリで言うことではない。
助けを求めるようなミトは母の志乃を見た。
「お母さ~ん」
「どうしたの? クロとスズメさんはなんだって?」
「昨日私が真由子に虐められた仕返しを、動物たちが代わりにしてくれたみたい」
「あら、そうだったの。村長さんの家の中、嵐が過ぎ去ったみたいなひどい有様だったわよ。あれは片付けるの大変でしょうね。動物のフンもあちこちに散らばっていて悲惨だったわぁ。あれはしばらく臭いわね」
志乃はニコニコとしていて、どことなく楽しそうである。
「ミト、動物さんたちにグッジョブって言っておいてくれる?」
志乃はクロとスズメに向かって、満面の笑顔で親指を立てた。
「そこは嘘でも叱ってほしいんだけど」
「あら、ミトはざまぁみろとか思わないの?」
「……思う」
痛いところを突かれてしまう。
特に真由子に対しては、雨の中で突き飛ばされたことで傷まで作ってしまったのだ。
むしろよくやったと、動物たちにお礼を言いたい。
「でしょう。昌宏も私と同じこと言うわよ。お酒のいいつまみができたわね。夜のためにビールを冷やしておかなくちゃ」
志乃は今にもスキップをしそうなぐらいに上機嫌でキッチンの方へと向かっていった。
『ミトもこれで少しは気が晴れたでしょ?』
『それとも足りない? やっぱり熊にも参加してもらうべきだったかしら? 彼女もやる気満々だったんだけど、他の子たちが怖がったから遠慮してもらったのよね』
「熊にも声かけたの? 熊はやめておいた方がいいかも。人里に下りてきたら熊狩りが始まっちゃうから」
脅すだけだとしてもリスクが高すぎる。
それでもし熊の身になにかあったら、ミトは自分を責めることになるだろう。
後悔してもしきれない。
「ありがとうね。私はもう大丈夫だから、皆にもお礼を伝えておいてくれる?」
『分かったわ』
『シロに伝えておくわね』
用事はそれですんだのか、窓を開けるとそれぞれ帰っていった。
それを見送ってから、やれやれと窓を閉める。
「動物たちはミトのことが好きなのね」
微笑ましげな顔をしている志乃の言葉に、ミトも穏やかに小さく笑む。
「いいお友達ね」
「うん。人間の友達はいないけど、友達はたくさんいるから気にはならないの」
いろいろと人には言えない特殊な力だが、そのおかげで救われている部分があるのは確かだ。
「そう言えば、昨日言ってた夢の中のミトが好きな人も、ミトの不思議な力と関係があるのかしら?」
「さあ、分かんない。そんなこと考えてもいなかった。動物以外の不思議な力があるかもしれないってこと?」
そうすればあの不思議な夢の理由も解決できそうだが、どんな力だ。
「お母さんが分かるはずないじゃない。ミトに心当たりはないの?」
「まったく」
「それじゃあ、なんとも言えないわね。お母さんもイケメンな波琉君を見たいのに」
「それが目的か」
昌宏が知ったら、またやきもちを焼きそうである。
まあ、夫婦仲が良好なのはいいことだ。