<The rapid train is arriving shortly on track 1. For your safety, please stand behind the yellow line.>

 ホームドアから手を離してお待ちください、という駅員のしゃがれた声のアナウンスが続いた。
 同時にカメラを構えていた鉄道マニアっぽい男が数人、黄色い点字ブロックに沿って並んでいるドアから飛びのくように離れていく。大人になってもなお、誰かから「あぶないよ」と注意してくれるこの世界は、幸せな場所なのかもしれない。
 吹き抜ける冷たい風には、ほのかに春のにおいが混ざっていた。別れと旅立ちのにおい。今の時点でそれが好きか嫌いかと問われたら、即答ができない。清々するわ、と言いたくもなるし、名残惜しい、ということもできそうだからだ。
 ただ、長い人生で何度となくある出会いと別れに関するイベントの中で「卒業式」と名のつくイベントに自分が出るのは、多くても今日を含めてあと二回だろうから、そういう意味では後者になるのかもしれない。これが終われば次は大学の卒業式だ。もっとも、それは途中で退学しなければの話だ。
 そう考えると、この駅から学校へ行く電車に乗るのも、今日が最後になる。ああ、そう思ったらなんか名残惜しいかも。あそこにカメラ持ってる連中がちょろちょろしてるし、一枚くらいあたしを撮ってくんないかな。

「怜ちゃん」

 ばかみたいなことを考えていたら、後ろから葵に声をかけられた。心なしか、葵も今日はいつもより愉快そうな顔をして笑っていた。葵の目は笑うとき、まるで三日月みたいな形になる。あたしは葵のその顔が好きだった。
 何かひとつタイミングがズレただけで、この子のこんな表情を二度と見られなかったかもしれない。仲直りをしてからしばらく、あたしは葵がニコニコ笑うたびにそう思って、胸の真ん中を針でチクリとやられるような痛みを感じていた。
 葵と彼は、つつがなく付き合いを続けていた。もともと二人とも成績や志望大学が似ていたから、同じ大学を目指すのも特に不思議なことではなかったし、既に二人ともあたしより先に合格を決めている。もしもあたしが二人の仲を引っ掻き回し続けていたら、どちらかが本意でない進路に進んだのかもしれないが、どうやらその心配はもうしなくてよくなったらしい。

 ひょいと片手をあげて、あたしも葵に笑いかける。コンプレックスの塊であるのっぺり(・・・・)顔が葵の目にどう映っているかはわからない。それでも向けられた笑顔には仏頂面でなく、笑顔で応えるべきだ。

「葵、おはよ」
「おはよう。なんか、今日で高校生活終わりって感じがしないね」
「終わっちゃったな、って実感するのはもっと先かも。今はその真っ只中にいるからわかんないだけだと思う」

 喜びや楽しさはすぐにやってくるけれど、痛みや寂しさは後からゆっくりと顔を出す。それがどうしてなのかなんて、まだ子供のあたしたちにはわからない。
 一つだけ言うとするなら、そのどっちかしかやってこない毎日というのは、味気なくてつまらない。あたしはそのことを、高校生活最後の一年で犯した過ちから学んだと思う。

「怜ちゃん」

 快速電車がホームに滑り込んできたとき、葵が囁いてきた。

「なに」
「大学で彼氏ができたら、ちゃんと報告してよ?」

 三日月目をしながら、親友がにこにこと笑顔であたしを見つめている。
 線の内側に下がれ、という放送はもう聞こえてこなかった。


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