あたしはわざと、ふーん、と気だるそうに相槌を打った。

「なんか不満なのかよ、おれと葵が順調だと」
「不満」
「なんでだ。笠島だろ、あいつ泣かしたら許さないとか言ってたのは」
「へえ、覚えてくれてたんだ」
「そこまで記憶力が悪いつもりはない」
「でも、それとこれとは話が別」

 すとん、と机から降りて彼のほうに歩み寄ると、ぐっと顔を近づける。きれいに整えられた眉がぴくりと上がった。言うまでもなく、ここまで至近距離で彼を見つめるのは初めてだった。なのに不思議と、いつも通りのペースで刻まれる心音以外、胸に響いてくるものがない。
 ふふ、と少しあざとさを見せながら微笑んだ。

「あたし、きみのことが好きだよ。昔から、今もずっと」

 彼が驚いた瞬間、唇が細く開かれて、そこから白い歯がのぞいた。

「……って、親友の葵には言えないのに、きみには言えちゃうんだもん。不思議だね」
「葵は知らないのか」
「言えると思う? あんたの彼氏のことが好き、しかもあんたが彼に告られるよりもずっと前から……なんて」

 いつもと同じ、彼の香水のかおりが鼻をくすぐる。それがいつもよりも強く香っているのは、急激に上がり続ける彼の体温で揮発しているからだろう。たとえその手をとらなくても、きっと彼の掌はぐっしょりと汗ばんでいるはずだ。

「別に、葵と別れてあたしを彼女にしろ、なんて言うつもりないの。ただ、どうしても伝えたかったから伝えただけ」
「……」
「でも、もう少し欲張ってもいいかな」
「え?」

 彼の返答を待たず、自分の唇を彼の顔の同じ部分に重ねた。マリンノートで隠しきれない彼自身の持つにおいが、あたしの中に入ってくる。最後まで残そうと思っていた理性が少しずつ、波に(さら)われるように消えていくのを感じた。
 あたしは彼の二の腕の辺りをつかむと、反撃とばかりに唇の隙間から舌を差し入れる。その瞬間にびくっと強張った身体は高校生といえどやはり男らしかった。この腕が葵の身体をやさしく抱きしめながら、二人で唇を重ねる手助けをしているのだと思うと、いっそこのままへし折ってやりたくなった。
 ひとしきり彼の口の中を探って、唇を離す。彼の頬は上気していた。あたしは身体の芯を走るものを必死に抑える。ここでソフトクリームみたいにどろどろに溶けてしまってはいけない。コーンをぶよぶよにして滲み出る前に、まだ必要なことがある。

「ごめん。……これから学校で会っても、普段通りにしてね」

 踵を返したあたしは教室のドアを力任せに開けると、一目散に廊下を駆けた。彼が追いかけてくることなんてないと分かっていた。むしろ追いかけてくれない方が都合が良い。思春期の男子高校生に火をつけるなんて、サラダ油に火をつけるよりも、よほど簡単なことだ。
 彼がこのまま、黙っていられるはずがない。根拠はなかったけれど、あたしにはその確信があった。答え合わせはきっと、学校祭の振替休日が終わったあとにできるだろう。
 走るのをやめたあたしは、適当な鼻歌をうたいながら玄関に向かい、靴を履き替えた。