今日はいつもより少し早く起きて学校に行く準備をする。
準備といっても、ただバッグに筆記用具とノート、財布を入れるだけだが。
リビングに降りていくと、両親が朝食を食べていた。

「あら、かい今日は早いね」
「うん、まぁ」

顔を洗い、歯を磨いたらまた自室に戻る。
改めてバッグの中身を確認し、必要なものが入っているかを確認する。

家を出ると、久しぶりの時間帯ということもあり違和感を感じた。
周りには、登校中の高校生や出勤中の会社員が多くみられる。
すごく新鮮で久しぶりな感じがした。

電車に乗り、大学の最寄り駅へと向かう。
駅に着くと、同じ学生であろう人たちが多くみられる。
人の流れに任せて道を進んでいくと、大学の大きな建物が見えてくる。
人波が大学の入り口に飲まれていくかのに中に入っていく。
ぼくもその流れで中に入っていった。

自分の受ける授業の教室に入ると、やはり大勢の学生がすでに席についていた。
後部から中間部の席はもう空いておらず、前の方の席に座るしかなかった。
周囲の人は友達と話すのに夢中で、だれもぼくのことなんかは気にしてない。

時間が経つと教授が入ってきてまもなく授業が始まった。
授業中はずっとくうと海や、最近のことばかり考えていた。
昨日の、くうの父親についての会話や水平線の話。
くうとの会話中、突然頭に流れ込んできた『大事なものは写真たてに入れておくの』という言葉の意味。
夢に出てくるどこかで聞いたような「そら」という名前。
"思い出の海"という題名の本のこと。

最近は、色々なことが自分に起きている。
そんなことを考えてた時だった。

「水平線というのは」

という言葉が耳に入った。
その言葉に反応するかのようにぼくは顔を教授の方へ向ける。
受講している科目的に、水平線という単語は無縁のため、なにかの余談だろうと思った。

「水平線というのは、水面と空の境界線を言うんですよね。そしてですね、観測者から約五キロほどの位置に見えるらしいですよ。意外と近いような気がしますよねぇ」

寝ていたり、携帯を隠れていじっている人が多くいる中でぼくはこの話だけをしっかりと聞いていた。

しばらくして、授業が終わった。
教授の、おつかれさまですという声と同時に話し声がだんだんと聞こえ始め次の授業の教室に移動を始める。
ぼくもあまり目立たぬように、早めに移動しようと席を立ち人波に混ざって教室を移動した。

次の授業でも前の方に座った。
なんとなくノートを広げ、教授がアピールした単語をとりあえずメモしておく。
今すぐに図書館にいって本を読みたいなと思っていた。
別に、今のところ嫌なことが起きたわけでもなく普通に授業を受けているだけなのだが、授業内容が頭に入っていない以上は授業を受ける意味はほとんどない。

こんなにも無駄な時間を過ごすくらいなら、好きなことをしたいと思うのは当然のことだろう。

ほどなくして授業は終わった。
この日は二コマしか授業が入っていないため、周りの人は荷物をまとめ始め、出口へと向かっていった。
ぼくも帰ろうと荷物をまとめているときだった。

「ねぇねぇ」

と声をかけられた。
ぼくには大学には友達はおらず、同じ高校だった人も特に仲が良かったわけではなかったため声をかけてきたのが誰なのか見当がつかなかった。
顔を見るとやはり知らない人で、おとなしめな雰囲気の男子だった。

「え…」

あまりの突然のことにまともな反応ができなかった。

「あ、急にごめんね、君学校来るの久しぶりだよね?」

この時は本当に驚いた。
ぼくは確かに入学してからはじめの頃は学校に来ていたが、誰かと会話したわけではなく、授業内でグループワークなどがあったわけでもないため、ぼくが久しぶりに学校に来たと認識している人がいるとは思っていなかった。

「あ、はいそうですけど…なんで知ってるんですか…」
「あぁ、初めの授業の休み時間の時に君、本読んでたよね」

ぼくは学校が始まってすぐのころは、空き時間に本を読んでいた。しかし、彼がなんの本のことを言っているかは分からなかった。

「ま、まぁ…一応読んでましたけど…」
「だよねだよね、自分君の読んでた本の作者の大ファンでさ」
「あのミステリー小説のこと…?」
「そうそう、あの作者さんの本は伏線とか繊細で好きなんだよね」

三冊候補があったが、恐らくミステリー小説のことを言っているんだろうと思い聞いてみるとやはりそうだった。
彼はその本の作者の大ファンと言っているが、ぼくは特にそんなことはなく、タイトルで読むことを決めただけなのだ。
しかし、ここでわざわざそれを伝えることもないと思いなんとなく話を合わせることにした。

「そうだね…あの本の内容自体も面白かったし」
「そうだよね、だから君とは趣味が合いそうと思って友達になりたかったんだよね」

彼は、すごく淡々としていた。
だけどもぼくとしてはそれがすごくありがたかった。

「な、なるほどね」
「あ、引き留めちゃってごめんね、もう帰るよね」
「あ、うん、まぁ」

特に急いで帰る理由はなかったが、この後にいつもの図書館にいこうと考えていたためそう答えた。

「そうだよね、今頃で悪いけど自分、中村陽太」
「ようた…、自分は大野海」
「かいくんね、よろしく、今後も話しかけるようにするね」
「あ、うんわかった」

そういうと陽太は出口の方へ向かっていった。
一連の流れがスムーズに進みすぎて、しばらくはあっけにとられていた。

「これって、友達ができたってことでいいのか…?」

大学でのはじめての友達ができた。



大学をでてからもしばらくはぼうっとしていた。
もしかしたらくうの言っていた、ぼくを必要としている人がいるかもしれないというのは、このようなことなのではないのか。
図書館に行ってすぐにくうに伝えようと思った。

来た道を戻り、駅について電車に乗った。

最寄り駅についたら、自分の家ではなく図書館の方へ歩いていく。


図書館の中にくうがいるのが見えた。
中に入ると、いつもの司書の女性が挨拶をした。

「こんにちは」

とても柔らかい笑顔でいつも出迎えてくれる。
ぼくは軽い会釈を返し、くうのいる席へと向かった。

くうは海の写真集を眺めていた。
今日は誰にも借りられてないようだ。

「くう」

近づいて声をかける。

「あ、かいくんっ!」

くうはいつもの満面の笑みを向けてくれる。
隣の席に荷物を置き、座った。

「今日は、大学行ってきたよ」

くうは一瞬驚いたような顔をしてから、すぐに笑顔に戻った。

「そっかそっかっ!どうだった!?」
「うん、思った以上に普通だった。別に変な目で見られるとかもなかったし」
「そうでしょっ!一瞬怖いと思うものでも、勇気だしてやってみると簡単だったりするんだよっ」

くうの言っていることは一理あるなと素直に思った。
ぼくが、大学という場所を安直な理由で敬遠していただけだった。

「別に怖いとは思ってなかったけどね」
「いいのいいのぉ」
「それでね、もう一つ報告があって」
「お、なになに?」

くうが身を乗り出してくる。

「一人友達ができたんだ」

くうは一瞬固まってから、満面の笑みを浮かべた。

「ほんとにっ!すごいじゃんっ!」
「まぁ、ぼくから話しかけたわけじゃないけどね」

ぼくの言ったことに、くうはぶんぶんと首を振っている。

「うんうん、それでもいいんだよっ」
「それならいいんだけどね」

そのとき、くうがぼくの頭のほうに手を伸ばしてきた。
なにをするかと思うと、ぼくの頭を優しくなでた。

こんなことをされるのは最近ではなかったため、すごくびっくりしたが、すごく優しく、温かい手だった。
くうの顔をみると、いつものくうではなく、子を見つめる母のような優しい表情をしていた。

「え…どうしたの…」

くうは微笑んでいて、しばらくしてから手を戻した。

「いやいや、ほんとに偉いよっ」
「う、うん、ありがとう」

くうは笑顔でずっとぼくをみていた。

しばらくしてくうが言った。

「そうだかいくん、明日も海探しに行くよねっ」

いつものぼくだったらすぐにこの誘いを承諾していただろう。
だけども、この日のぼくは明日も学校に行こうと考えていた。

「くう、ごめんぼくさ」
「ん?」
「明日も学校行ってみようと思うんだよね」

くうは少し悲しむのかと思ったが、そんなことは一切なかった。

「そかそかっ!じゃあ、明日以降の晴れた日だねっ」
「うん、ありがとう、次の晴れた日だね」
「次に海に行くときには期待してくれていいんですよぉ」

くうの表情をみるに、探している海の有力候補が見つかったのだろう。

「なかなか自信ありそうだね」
「まあね!」
「それじゃあ、かいくん学校から直接来たってことはまだご飯食べてないだろうから、帰ってご飯食べてきなっ」

そういえば朝食を食べず、大学に行って直接ここにきているため、今日はいまだに何も食べていなかった。

「ぼくはあんまりお腹すいてないけどね」
「ほらぁ、またそんなこと言ってぇ。体持たないんだから駄目ですっ」
「わかったよ」

正直対して空腹でもなかったが、くうに心配をかける必要もないと思い、いったん帰ることにした。

「じゃあ、帰るね」
「うん、明日以降の晴れた日っ、忘れないでねっ」
「わすれないよ」
「大学、がんばってっ」
「うん、ありがとう」

ぼくはくうと約束を交わし、図書館をあとにした。

くうと会うのはまた次の晴れた日に。

翌日のぼくも、昨日と同じ道を歩き、学校に向かっていた。
陽太の存在がぼくにはとてもありがたく、昨日よりかは学校に行くことに対しての嫌悪感は大幅に軽減されていた。

教室に入ったら、陽太がいち早く話しかけてくるのかと、心のどこかで期待していた。
教室に向かっているだけなのに、不思議なくらい心臓がどくどくとしていた。

教室に到着し、中を少し除くとやはり人がたくさんいた。
パッと見では陽太の姿を見つけることはできなかった。

教室内にはいり、あたりを見渡してみると、前の席の方でぼくに向かって手招きしている人がいた。
よく見てみると陽太だった。
陽太のもとに早歩きで向かっていき、横の席に座った。

「おはよう」

ぼくが先に言った。
陽太は本を読んでいたみたいだ。
作者名をみると、昨日話していた作家の名前だった。
やはりよっぽど好きなのだろう。

「おはよ、すごいよねここに来たの遅いわけでもないのに、後ろの席なんかすぐ埋まってたよ」

やはり、相当早い時間にこないと最後列はおろか、後部の席にさえ座れないようだ。

しばらくして授業が始まった。
授業中はもちろん陽太と話すことはなく、淡々と進んでいった。
九十分ほどして授業が終了した。九十分座りっぱなしで話を聞くというのはなかなか酷だなと授業が終わると感じる。

次の授業までは長時間空くため、陽太と食堂に向かった。
昨日久しぶりに学校に来たばかりなのに、新しくできた友達と並んで昼食を食べているのは、とても違和感のある状況だった。

先にぼくがご飯を食べ終え、スマホで海の写真をぼうっと眺めていた。

「ん、それ海の写真見てるの?」
「あ、うんちょっと事情があって」
「事情があって海の写真見てるって、どんな事情がすごい気になるな」

はじめは、わざわざ海を探しているということを伝える必要はないと考えたが、隠す必要も特にないと思い、大まかな事情を伝えた。

「なんか不思議なものを感じた海の写真を見つけて、その海がどこにあるのか探してるんだよね」

陽太はどんな反応をするのか想像できなかったが、想像以上にすんなりと理解してくれたようだった。

「おぉ、なるほど。なんか不思議な話だね」
「うん、口で説明するのはなかなか難しいんだけど、なんか感じたんだよね」
「その、海探しっていうのはひとりでやってるの?」
「いや、ひとりではなくて、年下の女子と」

今更思ったことだが、年下の女子と二人で一日中海をめぐっているというのはなかなかに珍しい状況なのだ。

「その子とは、なんか幼馴染とか?」
「あ、いや、それが最近図書館で知り合ったばかりで」
「ふーん、なかなか不思議な関係だね」

陽太は軽く笑いながら言ってきた。
くうとは、最近出会ったはずなのだ。
ぼくにひとつ年下の女子の友達はいないし、そもそもくうに出会ったときに来ていた制服が、ぼくの知らない学校の制服だったから。

「で、その探している海は見つかりそう?」
「うーん、いくつかそれらしいところはあったけど、まだ遠くなりそうかな。でも彼女が次行くところは期待ができるって言ってたから、もしかしたらって感じかな」
「そこだといいね」
「そうだと助かるんだけどね」
「そこの海の写真とかは無いの?実際の」

そう聞かれて、たしかになと思った。もし陽太が偶然でもその海のことを知っていれば、陽太に写真を見せればすぐに見つけることが出来る。

「いまは無いかな。写真も撮ってなくて」
「なるほどね、もしその写真あったらおれが見れば分かるかもしれないね」
「そうだよね、出来たら今度見せれるようにする」
「おっけい、ありがとう」

海についての話をしていると、陽太が時計を見ていった。

「もうそろ授業の時間になるからいこうか」
「あ、うん」


この後の授業も、とくにかわり映えせず、淡々と過ぎていった。

「じゃあかい、帰ろうか」
「そうだね」



高校を卒業してから、だれかと大学から帰るというのも初めての経験だった。

「あ、かいさ」
「ん?」

昨日知り合ったばかりだけど、陽太とはもうすでに自然体で話せるようになっていた。

「おれね、実は写真の趣味があってさ」
「写真の趣味?」
「そう、まあ、いろんなところにいって綺麗な写真撮ったりしてるんだけど」
「え、すごい」

自分には、カメラなどの知識が全くなかったから、素直にカメラなどを扱える人は凄いと思えた。

「まぁ、べつに、そんなプロでもないし、上手く撮れるってわけじゃないんだけどね」
「いやいや、それでも十分すごいとおもうよ。それで、どんな写真撮ってるの?」
「まぁ、もちろんいろんなところの写真撮ってるんだけど、海の写真も今までに何枚か撮ってるんだよね。おれのお姉ちゃんが海好きでさ」

陽太が撮った写真の中に、ぼくの探している海があるのはありえないと思っていた。
だけども、少し期待をしてしまった。
もしかしたら。

「え、そのなかにもしかしたら!」
「うん、まぁその可能性はすごく低いと思うけど、もしかしたらかいの探している海の写真がぼくのアルバムにあるかもしれない」

可能性がどれだけ低くても、ぼくにはとてもありがたい朗報だった。

「え、その写真って見せてもらうことできる!?」
「うん、もちろん。だけど、明日明後日は土日だから、次の月曜日に海の写真を何枚か持ってくるよ」
「ほんとにありがと!」
「全然いいよ」

この時、陽太とぼくを巡り合わせたのはこのためだったのではないかと薄々感じていた。

「ていうか、陽太お姉ちゃんいるんだね」

さっきの話の中で出てきた、陽太のお姉ちゃんについては知ったところでなにもないと思うが、兄弟がいるというのが少し意外で聞いてみることにした。

「ん、あぁ、いるよ結構年の差あるけどね」
「何歳差?」
「んと、おれが十九で、お姉ちゃんが二十六だから七歳差か」
「ほえぇ、結構な年の差じゃない?それ」
「まぁね、でも年の差ある方が変に喧嘩とかしないから楽だよ」

自分には兄弟がいないからあまり分からないが、もし兄弟がいたらたぶんそうなんだろなと勝手に納得していた。

「名前はなんて言うの?」

駅までもう少し距離があるため、なんとなく名前も聞いてみる。

「月菜だね。結構珍しくて同じ名前の人見たことないけど」
「たしかに、聞いたことないかも。陽太と月菜で太陽と月なんだね」

そういうと、陽太が少し笑った。

「まぁ、名前の由来聞いたことないけどちょっと意識してるだろうね」

ぼくもそれに合わせて軽く笑う。

「そのお姉ちゃんが海好きだったんだ?」
「あ、うん。なんかおれは小さい頃だから分からないけど、お姉ちゃんが高校生の時はその時の友達とよく海遊び行ってたらしくて。今でもよく1人で色んな海に行ってはぼうっとしてるらしいよ」
「へぇ、そうなんだね」

こんな会話しているとあっという間に駅に到着していた。

「じゃあ、自分あっちだから」
「あ、うん、じゃあまた」
「うん、また月曜ね」

陽太とは、違う路線のため駅内で別れた。


最寄り駅についてから、図書館に寄ってみたが、くうの姿はなかった。

「くう…今日いないんだ…」

くうはいなかったが、明日晴れれば会えるため、この時は特に気にしていなかった。