砂浜で、見覚えのない黒髪の少女が髪をなびかせている。
ぼくの少し前で海を見ていて、顔は見えない。
「きみと水平線をあるけたらな」
前を向いたまま彼女がぼくに言う。
沈黙が続いたあと、彼女は海へ向かって歩いていった。
風が一層強くなる。
目の前に、見慣れた天井が広がる。
「夢か…」
セットしていたアラームを解除して、力なく起き上がり、首をすこしさする。
最近は、アラームが鳴る前に起きることがほとんどだ。
溜息をつきながらカーテンを開けると、強い日差しが窓を貫通する。
リビングへと降りてゆき、洗面台へ向かう。
歯を磨き終えたらまた自分の部屋に戻る。
最後に朝食を食べたのはいつだったのかなんて覚えていない。
両親はすでに出勤しているため、家には自分ひとり。
学校には行っておらず、ずっと無意識に生きている。そんな日々ばかり過ごしていた。
そんなぼくにも、唯一の趣味はある。
趣味というか生きがいなのだが、図書館で本を読むことだ。
図書館では、周りのことや自分の事情など考えることなく、静かに本の物語に沈み込むことができる。
なによりも、誰にも邪魔されることが無い。
今日も、もちろん図書館へ行く。
着替えを済ませ、コップに注いだ水を一杯飲みほした。
スマホだけポケットにしまい込み、家をでてカギをかける。
「ふぅ…」
蝉が夏であることを主張するかのように鳴いており、夏の強い日差しが肌を刺す。
額ににじんだ汗をぬぐいながらいつもの道を歩く。
周りには、遅刻しそうなのか走っているサラリーマンや、自転車の後ろに小さな子供を乗せた女性などが通り、自分が学校に行っていないということを再確認させられる。
ぼくは惨めだ。
図書館にはぼくのお気に入りの席がある。
その席は窓際にあり、夏なら陽光がさし、雨天時には雨がうちつける。
そんな物事の流れを眺めながら本を読むのは本当に幸せだ。
図書館に到着してから、いつもの窓際の席に向かった。
平日のはやめの時間の為、いつもなら人がいることはほとんどない。
しかし、今日は違ったみたいだ。
いつもの席に、制服を着た黒髪の同い年ぐらいの女子が、なにか大きな図鑑のようなものを広げている。
「まじか…」
仕方ないと思いながらも、すこし不機嫌になりながら女子の三つ隣の席に腰をかけた。
一度スマホの画面を確認する。通知などが来ることはほとんど無いが。
スマホをポケットにしまい、本棚からよさそうな本を探す。
この本棚の本はほとんど読んだため、見慣れた本ばかり続く。
目線を一番下の段に移したとき、一冊の本に目を奪われた。
“思い出の海”
「こんなの、あったか…?」
手に取ると、以外にも大きく、ずっしりと重かった。
自分の席に戻り、表紙をじっくりと眺める。表紙には大きく、光り輝くどこかの海の写真がある。
美しい海の写真をまとめた写真集のようだった。
ゆっくりと表紙をめくる。
そこには美しいどこかの海の姿があった。
思わず見入ってしまう。
昔から海は好きだった。
毎年夏休みになれば、家族と旅行で海に行くのが楽しみで、仲の良かった年上の女の子と行ったことだってあった。
その子の名前も顔もあまり覚えていないけれども。
もちろん泳ぐのも好きなのだが、砂浜から眺めているのが不思議と好きなのだ。
いまでは海に行くことなど無くなってしまったが。
写真に目を奪われながらも、ゆっくりとページをめくっていく。
海が、日に照らされて美しくキラキラと輝いている。
あるページを開いたとき、ページをめくる手を止めた。
一枚、ぼくの意識をひく写真がそこにはあった。
なにか特別なものが写っていたからではない。
言葉では表せない感情を抱いたのだが、ほかの海と見比べてもさほど違いはない。
しかし、どこか既視感がある。
なぜだろうか、その写真から目を離すことができない。
どこかで見たことがあるような、ないような、それすらも分からない。
そのときだった、誰かがぼくの肩をぽんっと叩いた。
「えっ!」
驚いて思わず声を出してしまう。
「あっ、ごめんねっ、驚かせちゃったかなっ」
声の主は、ぼくのいつもの席に座っていた女子だった。
顔を見ると、品があり、かわいらしい、そんな雰囲気だった。
「な、なんですか…」
突然のことに理解が追い付かないが、おそるおそる聞いた。
「あっ、きみの読んでるこの本!」
彼女は本を指さしながら、笑顔になり答える。
「あ…これがどうかしましたか…?」
「海!好きなのっ?」
彼女は食い気味に聞いてくる。
「あ、い、いやぁ、まぁ…」
「そうなんだっ、私も海大好きなのっ」
彼女は満面の笑みでそう言った。
「ほらっ、あれっ」
そういって彼女が、自分のいた席を指さす。
指の方向に目を向けると、さっきまで彼女が見ていた本が広げられている。
その本をよく見ると、キラキラと光る海がそこにはあった。
そして、その写真は今自分が意識を奪われていた写真と同じものだった。
「え、あれって…」
「うんっ、そうだよっ」
彼女は、ぼくと同じ本を見ていた。
「あっ、急に話しかけてごめんねっ、きみが同じ本見てたから、つい」
「あ、いや、別に…」
「突然なんだけど、きみ、名前はっ?」
彼女は顔を近づけて聞いてくる。
少しドキッとし、赤面した顔を隠すように目をそらしながら答える。
「大野…海です…」
「かい君かっ、かいって漢字でどう書くの?」
「海…です」
写真集の海を指さしながらそう答えた。
「おおっ、海って書いてかい君かっ!素敵な名前だっ」
「ど…どうも…」
「ふふっ、わたしは…くうって呼んでっ」
彼女は一瞬考えたような素振りを見せながら言った。
「くう…さん…」
「呼び捨てでいいよっ」
彼女は笑いながらそう言った。
「あ、そういえばかい君さっ、なんでこの海の写真ばかり眺めてたの?」
ぼくが写真を眺めていたところは彼女に見られていたようだ。
「あ…いや、深い理由はないんですけど、なんか惹かれたというか」
「ほぉ、そかそかっ、なんか不思議だねっ」
彼女がそう言ったと同時に、ポケットの中のスマホが振動した。
「ん?ちょっとごめんなさい…」
ポケットからスマホを取り出し、内容を確認する。
メールは母親からだった。
[言い忘れていたけど、今日夕方頃に宅急便が届くから受け取っておいて]
時間を確認すると14時だった。
「ごめんなさい、ぼく家に帰らなきゃ」
「そっかっ、じゃあ今日はお別れだねっ」
「突然ごめんなさい」
「うんうんっ」
彼女に謝りながら、本を本棚に戻し、荷物をまとめた。
「じゃあ、また」
「うんっ、またねっ」
彼女に別れを告げ、出口に向かっていたとき背後から彼女の声がした。
「かい君っ」
声のほうに振り返ると、彼女が満面の笑みで手を軽く振っている。
「またねっ」
彼女の声に、ぼくは軽く頭を下げた。
図書館をでて、家に向かって歩みを進める。
出口を通り抜けた時窓のほうを見たが、彼女の姿は見えなかった。
家に着いてからは、くうのことはもう既に頭にはなかった。
ただ、もしかしたら明日も図書館で会ってしまうかもしれないとは考えていた。
もし会ってしまったら、そのときはなんとかやり過ごそう。
そう考えながらぼくはベッドへ潜り込んだ。
翌日も、いつもの様に家を出て図書館へ向かっていった。
この日は雨が降っており、すこし図書館の人数はふえるために、くうもいるのではないかと考えていた。
図書館に入る前に、窓へ目を向けたが、昨日くうが座っていた席にはだれもいなかった。
中に入るが、くうの姿はどこにもない。
「今日はいないんだな」
独り言を言って、お気に入りの席へ向かっていった。
昨日の本棚に目を向け、下の段へ視線をずらす。
昨日の海の写真集はどこにも無かったが、この時はあまり気にならなかった。
いつもの様に、気になる本を手に取り、雨の雫がつく窓をぼんやりと見つめながら本を読み進めた。
本を読んでいると、時間の流れなんて気にしないため、あっという間に閉館時間になってしまう。
司書の女性に閉館時間になったことを告げられ、ぼんやりと窓の外を見ながら出口に向かう。
帰り道は、イヤホンを耳につけ好きな曲を流しながら無心で帰る。
家に着いてからも、やることは変わらない。
こんな風にして、ぼくはいつもと変わらない日常を過ごした。
この日も、ふっと目が覚め、準備を整えたら図書館へと向かう。
今日は昨日と違って、雨なんてことを考えさせないくらいに太陽が照りつけていた。
図書館に着くと、冷房の風が体を冷やし、リラックスさせてくれる。
ハンカチですこし額の汗を拭いながら昨日の席に向かうと、海の写真集を広げるくうがいた。
「あ、かいくんっ」
くうのぼくを呼ぶ声にぎこちない会釈で返した。
「昨日は、ここにいなかったですね」
「あ、そうだねぇ、昨日は来てないかなっ」
そういいながら、くうはこっちにおいでと言わんばかりに手招きしてる。
「よこ、座りなっ」
「あ、はい」
断る理由もなかったため。くうの座るよこの椅子に荷物をおき、腰をかける。
「そうだ、かいくんさっ」
くうが広げていた写真集をぼくに見せるようにずらしてからいった。
「この写真、前に気になるっていってたよね?」
指を指す先には、ぼくが不思議と意識を引かれた海の写真がある。
「あ、はい。気になるというか、なんというか…」
「そかそかっ、なんかそれ気になるよねっ」
「え、気になるって?」
いまいち、くうの言ってることが理解できてなかった。
「いや、だってここの海がどこかわからないんでしょ?」
ぼくは、海の写真に不思議と惹かれたが、それがどこの海なのかさっぱり検討はついておらず、行ったことあるかすらも分からないのだ。
「はい…」
「それで、もはや行ったことがあるかすら分からないんだよね?」
「そう…ですね」
「それなのに、意識を引かれるって、なんか不思議だよっ、ここの海になにかあるんじゃない?」
「そう…なんですかね…」
「絶対にそうだと思うねっ」
くうはそう言うが、ぼくにはそんな心当たりなど全くないのだ。
もし行ったことがあるとしても、忘れてしまっている。
「すいません、なんか海が気になるって変ですよね」
今更になって、ただの写真に惹かれてる自分が恥ずかしくなってきた。
しかし、くうはずっと真剣な顔をしている。
最近であったばかりの女子にぼくの悩みのようなものを聞いてもらっている状況に違和感を覚え、今日は家に帰ることにした。
「あ、くうさんすいません」
「くうでいいよっ」
「あ、すみません…、この後自分予定あるので今日は帰ることにします。」
そういいながら、ぼくは荷物をまとめる。
「お、そっかっ、今日もちょっとしか話せなかったねっ」
くうは少しも嫌な顔をしていなかった。
「すみません、じゃあぼくはこれで」
「うんっ、またねっ」
軽く頭を下げ出口へと向かった。
急に帰ったりして、今更申し訳ない気がしたが、また明日行けば会えるだろうと思い、家へと向かった。
家についてからは、図書館でのことしか考えていなかった。
明日も、図書館に行こうと決めた。
くうに会いたいというのも少しはあったかもしれない。
くうに出会ってから、気持ちの面ではいつもとは違う。
でもやはり、ぼくの生活はいつもとは変わらない。
ご飯だって味は感じないし、大学は入学して一カ月ほどで通うのをやめたため、友達からメールがくるなんてことはまずない。
本を読んでいるとき以外のぼくは、ロボットのように決まったことを繰り返しているだけの人間なんだ。
この日だって、いつもとほとんど同じ時間にベットに潜り込んだ。
眠りにつくまで、頭の中ではずっとあの写真の海のことを考えていた。
「明日、くうにもう一度相談してみよう」
そう決めて眠りについた。
「もう学校来るなって言ったよね?」
ぼんやりとした景色の中、制服を着た数人に囲まれている。視界は胸元までで、顔は見えない。
「ほらほら、死ねよぉ」
「ねぇ、なんで生きてるのぉ?」
「ほらほらぁ」
目の前の女子が腕を振り上げ、自分の顔面めがけて振り下ろす。
目の前にはいつも通りの天井が広がる。
「夢…か…。誰だあれ…」
自分は学校に通ってはいないが、いじめられたわけではなく、いじめられていたという経験もない。
そのため、夢で見た場面は自分の思い出ではない。
しかしただの夢だと考え、すぐにリビングに降りてゆき、歯を磨いた後に着替えを済ませる。
歯磨きをする際洗面台の鏡を見たときに、自分の髪がだいぶ伸びていることに気づいた。
家を出ると、照り付けるような暑さに嫌気がさした。
海は好きだが、夏は嫌いだ。
Tシャツをパタパタと扇ぎながら、図書館へと歩いていく。
コンビニを横切ろうとしたときに、誰かに声をかけられた。
「おっ!かいじゃんっ!」
声のほうへ顔を向けると、高校の同級生である、中井くんがぼくに手を振っていた。
「あ、久しぶり」
学校にも行かず、図書館に通っている身としてはあまり高校の同級生とは関わりたくなかったが、どうにか自然にふるまう。
「今日は、大学はないの?」
極力自分のことは聞かれないように、先に相手に質問をした。
「あぁ、今日は休みなんだよな」
「あ、そうなんだ」
「かいは?最近大学生活はどうよ?」
自分の聞かれたくなかったことはあっさりと聞かれてしまった。
「あ、ま、まぁ、ぼちぼちかなぁ」
深掘りはされないよう、曖昧に返答をする。
「あ、引き留めてわりぃな、これからどこか行くとこだった?」
その質問もしてくるのか、と心の中で勝手に不機嫌になりながらも
「あぁ、ちょっと知り合いの家に用があって。」
と何となくこたえた。
友人は納得したような様子だった。
「あ、そかそか、じゃあおれも帰るわ。じゃあな」
「うん、じゃあね」
中井くんは、ぼくとは反対の方向へと歩いて行った。
図書館についてから入る前に、窓のほうへ目を向ける。
窓越しには、大きな本を広げる黒髪のくうの姿が見えた。
図書館に入ると、冷房の効いた涼しい空間がぼくを迎える。
迷うことなく、くうの待つ席へ向かう。
「あ、かいくんっ」
くうは、すぐぼくに気づいた。
彼女は昨日と同じ本の、同じページを開いていた。
「またその本みてるんだね」
「まぁ、この本のためにここに来てるようなものですからっ」
彼女の笑顔から、本当に海が好きなのだと伝わった。
ぼくは、くうの隣の席に荷物を置き、後ろの本棚からくうと同じ本を取り出した。
昨日と同じページを開く。
そしてふと思い出し、くうに声をかける。
「くう…さん」
「だからぁ、さん付けなんてしないでよぉ」
くうは笑いながら言ってくる。
「ごめん、くう、でいいかな」
「もちろんっ」
くうは大きく頷いた。
「この写真なんだけど。」
気になっている写真を指さす。
「この写真。あぁ、前に気になってるって言ってた写真ねっ」
くうは、うんうんと頷いている。
「そう。変かもしれないけど、やっぱりなんかすっごく気になって。」
「でも、これが、どこの海か分からないんだよねぇ」
くうは少し怪訝そうな顔をした。
「うん…でもなんか既視感というか。」
「なるほどぉぉ…」
くうはあごを撫でる仕草をしながら何かを考えていた。
「そうだ!」
くうが、なにかを思いついたのか手を叩いた。
「じゃあ、かいくんさ!私と色んな海に行って、この写真の海探そうよ!」
あまりの突然の提案にぼくは反応が遅れてしまった。
「え、それはどーゆー…」
「だから!私と明日からでも海に行って、その写真の海が見つかるまで色んなとこに行くの!」
くうの言ってることは、理解はできたが納得ができない。
そもそも最近知り合ったばかりの女子と二人で海に行くなんて考えられない。
「いや、海に行くって…。ぼくたち前に知り合ったばかりだよ…?」
「そんなの関係ない!もう私は決めた!」
くうは迷うことなく即答してきた。
「えぇ…」
さすがに断ろうかと思ったが、くうの勢いに押されてしまった。
「明日行く海は私が決める!だから準備してね!明日、この図書館に九時に集合ね!じゃあ私は準備のために帰る!」
「え、ちょ、ちょっと!」
「なに!」
くうが出口に向かう足を止め、顔を向けたと同時に、司書の女性が近づいてきた。
女性は僕に対して言った。
「申し訳ありません、すこし声のボリュームをさげてもらえますか?」
自分が大きな声を出していたことに初めて気づいた。
「す…すいません…」
女性はにっこりとした笑顔で頭を下げ、戻っていった。
ぼくは、くうの方へ向き直した。
「いや、そんなに急に言われても、明日って…」
「明日なにか予定でもあった?」
「いや…別にないけど…」
このとき、予定があると断っておけばと後悔した。
「じゃあ、大丈夫だねっ」
彼女はニッと口角を上げた。
「それに、その海に行ったとしても、感じ取れるか分からないし…」
ぼくはすこしでも考え直して欲しいから、とっさの言い訳をした。
しかし、くうにはそんなことは気にならないようだった。
「そんなの行ってみないと分からないでしょっ」
ぼくはこれ以上はあがいても無駄なのだと悟った。
「ふっ、もうあきらめはついたかね」
くうは悪い顔をしている。
なにか他に言い訳を考えたが、なにも思い浮かばなかった。
「じゃあ、明日、待ってるからねっ」
くうは、ぼくの事など気にもとめずさっさと行ってしまった。
困ったことになった。ぼくは図書館に行く時以外、外に出ることなんてほとんど無いのだ。それ以外では外に出たくはないし。
だからと言って、何も言わずに約束を破るのは気が引けてしまう。
「はぁ…」
人気のない図書館で、ぼくはひとりため息をついていた。
家についてからは、明日の準備を始めた。
「なにをもっていけばいいんだ…」
今までで彼女はできたことはなく、同い年の女子と二人で出かけるというのは初めてのことだったので、持ち物の準備にはひどく困った。
迷いに迷ったあげく、小さいサイズの肩掛けバックに財布だけいれて持っていくことにした。
四十代くらいの女性が仏壇の目の前で、泣き崩れている。
「そら…そら…ごめんね…ほんとにごめんね…。お母さん…そらになにも…」
「お母さんやめてよ…お母さんが悪いわけじゃないよ…」
嗚咽交じりに涙を流している女性を、娘と思われる女性が背中をさすっている。
目を覚ました。
いつものようにアラームが鳴る前に起きる。
「あの女性…どこかでみたことあるような…。そらって…だれだっけ…」
夢で見た女性には、どこか見覚えがあった。
そして、そらという名前にもどこか聞き覚えがある。
しかし、その女性がだれなのか。そらというのは誰なのか思い出すことはできない。
だけども、なにかぼくにとってとても大事なことのような気がしてならない。
なにか、忘れてはいけないことを忘れているような。
最近はそんなことばかりだった。
ここでふと思い出し、時計をみると八時だった。
ベットからでて、リビングへと降りてゆく。
ちょうど母親が父親を見送っていた。母親ももうじき家を出るだろう。
顔を洗い、歯を磨き、着替えを済ませる。
改めてバックの中身を確認し、財布の中身までも確認をする。
家を出ようとすると、ちょうど母親も家を出るところだったみたいだ。
「かい、今日は外行くの早いね。」
「うん。まあ、なんとなく。」
別に女子と出かけるということは言う必要はないだろう。
「じゃあ、行ってきます。」
「いってらっしゃい」
今日も相変わらず太陽が活発だった。
海に行くのはいつぶりだろうか。
それ以前に、ぼくはどこの海に連れていかれるのか。
そんなことを考えているうちに図書館に到着した。
図書館の入り口あたりにくうは立っていた。
麦わら帽子をかぶって、準備は万端のようだ。
くうは自分に気づき、笑顔で手を振ってきた。
ぼくはそれに、なるべく笑顔にしながらの会釈で返した。
「おはようっ!!」
「おはようございます」
「いやぁ、ちゃんと来てくれて安心したよっ!」
くうは少しにやついている。
「ぼくが来ないと思ってたの?」
「だって、昨日すごいびっくりしてたからぁ」
くうは腕を組みながら、口をとがらせていう。
「あんまり、無視するのも良くないって思ってね」
「なるほどねぇ。だけど、どうせ私みたいな魅力的な女の子とお出かけするの楽しみだったんでしょぉ」
くうは少しだけ馬鹿にするように言ってくる。
これだとキリがないと思い、話をそらす。
「もう、そんなこといいから。今日はどこの海に行くの?」
「お、聞いちゃいますか」
くうは、そういって少し考え始めた。
「聞いちゃいますかって…」
「んー、行ってからのお楽しみだね!」
笑顔でそう言われた。
「えぇ…」
「もぉ、いいからいいから!早く行くよ!!」
くうはもう駅に向けて歩き出していた。
小走りでくうを追いかける。
あれよあれよというまに彼女につられて電車に揺られていた。
電車の中ではくうと話すことがなく、お互い窓の外をみたりしていた。
時間が経っていくにつれ、車窓からみえるビルがだんだんと木々に変わっていく。大学に通う電車よりかは間違いないなく長く乗っていた。
「おりるよっ」
突然くうが言ってきた。
どうやら、海の最寄り駅に到着したみたいだ。
周りの看板を見てみると、千葉県だということが分かる。
周囲を何度か見渡してみたが、恐らく自分はここには来たことがないと思っていた。
地名から、景色から、なにまで見覚えがなかったのだ。
駅を出てからは、本当に海があるのか怪しんでいたが、歩いていくうちに建物が減っていき、海が近づいてる気がした。
「あそこだよ!」
くうがそう言って指さした先には、海のような青色が見え、わずかな潮の香りがしてきていることに気が付いた。
だんだんと波の音も近づいてくる。
くうが突然走り出し、歓声を上げている。
そして、ぼくの方へ振り向いて叫んだ。
「ついたよっ!!」
くうに追いつくと道がひらけ、海の全貌が目に飛び込んだ時にはあまりの美しさに息をのんだ。
目の前には、太陽の光を反射して、キラキラと輝く海が広がっていた。
「わぁぁぁぁぁ!きれい!!」
くうはぼくのよこで目を輝かせている。
しかし、ぼくも冷静だったわけでなく、美しい海に目を奪われていた。
「すごい…」
感動しているぼくの顔をみてくうが口を開いた。
「かいくん、どう!?」
「え、すごく綺麗なところだと思うよ」
「ちがくてちがくて!」
あまりにも突然にきかれたため、何を聞かれたのか一瞬理解ができなかった。
「いやいや!かいくん、なんのために海に来てるのかわすれたのぉ?」
ここで、何を聞かれたのかやっと理解した。
「あ、ごめんごめん。すごく綺麗なところだけど、ぼくが探してるのはたぶんここじゃないと思う」
「ここじゃなかったかぁ」
くうは分かりやすく落ち込んだが、すぐにスイッチを切り変えたのか砂浜に向かって走りだした。
「かいくん!ここじゃないとしても、せっかく来たんだから楽しまなきゃっ!!」
「え、ちょ、ちょっと!!」
「はやくはやく!」
くうは砂浜に立ち、空気を独り占めするかのように両手を大きく広げる。
「ふわあぁぁぁぁっ!きもちい!ほんとに海は最高だね!」
ぼくは、くうの少し後ろの砂浜に座り込んだ。
「魚捕まられるかな!」
くうがぼくの方を見ながら冗談交じりに言ってくる。
「さあね、試しに海に入ってみたら?」
ぼくも小ばかにするように返す。
「もぉ、かいくんつまんないのぉ」
くうは期待していた答えと違ったのか、つまらなそうな顔してぼくの横に座った。
それからは、話すことはなくお互い海をぼんやりと眺めていた。
ぼくはひとつ、くうに聞きそびれていたことを思い出した。
「あ、くう。今更なんだけどさ」
「うん?」
くうは海の方へ向いたまま聞き返す。
「くうって、いま何歳なの?」
くうはなぜか少し驚いたような顔してすぐに頭を抱え始めた。
「ほんとうに今更だね…。それにかいくん…」
「え、なんかまずいこと聞いた?」
少しまずいことを聞いてしまったかとヒヤリとした。
くうの顔色を伺うと、くうはあきれた顔をしている。
「かいくん…女性に年齢を聞くだなんて…」
まったく、心配して損をしたと後悔した。
「いや、別に嫌だったら言わなくてもいいんだけど」
「え!いや!じゃ、じゃあ何歳に見える!?」
くうは年齢を聞いてほしいのか焦ったように言ってきた。
「十八歳にみえます」
はじめて会った時、制服を着ていたし、どうせ同い年くらいだろうと思った。
正解なのかくうはつまらなそうな表情を浮かべる。
「え、つまんないの」
「あたってた?」
「もぉ、そうですよぉ十八で一個下ですよ!」
くうはすこしほっぺを膨らませている。
「私は永遠の十八歳なのっ」
くうはフンっと言わんばかりに笑う。
「それじゃあ成人できないから一生お酒飲めないね」
ぼくの何気ない一言だったが、くうになにか刺さる所があったらしく、すこし悲しげな顔をした。
「お酒かぁ、飲んでみたかったなぁ」
彼女の言い方にはすこし違和感を感じた。
「飲んでみたかったって、いずれは成人するんだからいつかは飲めるでしょ」
「ふふっ、そうだねっ」
くうはそれとなく返答してきたが、彼女の言っていることはぼくはいまいち理解ができていなかった。
少し困っていると、くうが突然立ち上がる。
「じゃあ、次の海に行きましょうかっ!」
「え、一日で二か所いくの?」
てっきり一日一箇所だと思っていたために驚いてしまった。
「ふふっ、いまさら文句いわないのっ」
彼女は一度決めたら考えは変わることはない。
くうと出会って時間は短いが、少しずつくうのことがわかってきたようなそんな気がした。
「わかったよ」
ぼくはあきらめて、くうについていくことにした。
次の海も同県にあったため、移動にはさほど時間はかからなかった。
「かいくんかいくんっ!すごいよっ!!」
くうは相変わらずきゃっきゃとはしゃいでいる。
ぼくは、一日に二回も海に行く経験なんて初めてだったからうまくリアクションできるか心配だったけれども、海を見たとたんにそんな心配は無用だったと気づいた。
すこし太陽の位置が落ちてきており、さっきの海よりも輝きを増している。
まわりには人はあまりおらず、特別な空間のようなそんな気さえした。
くうは相変わらず海を見た途端に砂浜へ走り出した。
「もぉ、そこまでいそがなくても」
「何言ってんの!早くしないと海が逃げちゃうよ!」
「なにいってんだか…」
彼女は冗談を言うのが好き。
ぼくの頭の中に新しい彼女の情報が追加された。
砂浜の貝殻を拾ったり、波打ち際まで行ったりして遊んでいるくうを、ぼくは座って眺めていた。
「もうかいくんもこっち来なよぉ!」
「いや、ぼくは見てるだけでいいよ」
「もぉ、つまんないのぉ」
くうはつまらなそうな顔をしていたが、ふと悪い顔に変わった。
「ふふふ、嫌だというのなら、無理やりにでも来させるものだ!」
そういうとくうは、ぼくのもとへ走り寄ってきてぼくの手をつかんだ。
「え、ちょ、ちょっと!」
「ほらほら!もうあきらめな!」
ぼくは彼女に引っ張られて立ち上がった。
彼女につられて波打ち際まで来ると、くうが靴を脱ぎ始める。
「え、もしかして海入る気?」
「ふふふ」
くうは悪い顔をしながらためらいなく海へと入っていく。
「じゃあかいくん避けないでね!」
「え?え?」
そのときくうはぼくに向かって足で水をかけてきた。
「ちょっと!タンマタンマ!」
「タンマとかありませんー!」
このときすごくびっくりしたが、自然とぼくは笑顔になっていたそんな気がする。
「いやぁ、結構濡れちゃったねぇ」
「だれのせいだと思ってるんですか」
「さぁねぇ」
「さぁねぇって…」
「あ、かいくんそういえば、探してるのはここの海?」
またぼくは本来の目的を忘れていた。
「あ、いや、ここも良いところだとは思うけど、ここでも無さそうだね」
そういうと、くうはわかりやすく落ち込んだ。
「そっかぁぁぁ。かいくんの探している海はどこにあるんだぁぁ」
「なかなか見つけるまでに時間かかりそうだね」
「そうだねぇ」
いつのまにか時間が経っていて、夕日が海に近づいて海が赤く染まりかけていた。
ぼくもくうも並んで砂浜に座り、海を眺めている。
「夕日…きれい…」
何気なくぼくは呟いた。
くうはまだ海を眺めている。
「空が海に太陽を返したんだね」
少し優しげな顔をしてくうがそう言った。面白い表現をするものだなと素直に感じた。
「不思議な表現だね」
「空と海で一日ずつ太陽を交換してるんだよ」
「なんで太陽を交換するの?」
「太陽が、すべての物にとって大事なものだからだよ。みんなを照らすために、みんなを温めるためにね」
くうは、柔らかい包容感のある表情をしている。その顔は、ぼくに言葉では形容しがたい安心感を与えてくれる。
「なるほどね」
くうはたまに、不思議なことをいう。
その発言は、どこか魅力があり違和感がある。
そして彼女の心情を表しているようなそんな気もする。
「ほんとに綺麗だねぇ」
くうは海のほうをむきながら、優しく微笑みながら言った。
「うん、本当に綺麗だ」
ぼくも、海の方へ顔を向けながら返す。
それからはお互いぼんやりと海を眺めていた。
少し経つと、くうが海の方へ指さしながらぼくへ話しかけた。
「かいくん、あれみて」
くうの声は、先ほどとは打って変わってすこし落ち着いていた。
指のさした方向に目を向けると、中型の船が見える。
あまり変わった様子はなく、ぼくには普通の船に見えた。
「あれって、船のこと?」
そう聞きながらくうの顔を見たときに、彼女が悲しげな雰囲気を纏っていることに気が付いた。
「うんうん、船じゃない」
「え、じゃあ」
聞き返すと、くうは一瞬黙ってからいった。
「水平線だよ」
そういわれてからもう一度指のさす方を見ると、たしかに水平線を指していた。
「あ、あぁ、水平線か。綺麗だよね」
くうはすこしだけ微笑んだが、やはりどこか悲しげな雰囲気を含んでいた。
「うん、ほんとうに綺麗」
この間にも日は沈み続け、波の音が絶え間なく聞こえている。
少し間を開けて、くうが続けた。
「私ね、こう思うの。水平線を歩けば、空に行けるのかなって」
突然の発言にぼくは驚いたが、またさっきのようなくうの冗談だろうと思い笑いながら返答した。
「いやいや、水平線を歩くって」
しかし、くうの顔は至って真剣だった。
少しの沈黙が続いた。
くうがにっこりしながら口を開いた。
「そうだよね…変だよねっ、ごめんねっ」
笑ってはいるが、ぼくにはくうが無理に笑ってるようにしか見えなかった。
くうはなにか、ぼくに大事なことを伝えようとしているのではないか。
「いや…ごめん…」
「ううん、いいんだよっ。変なこと言ってるのは自分でも分かってるから」
「でも…」
「ほらほら!そんなことより!もう帰る時間ですよっ!」
さっきの悲しげな顔が嘘だったかのように彼女は笑顔だった。
「わかったよ」
さっきの発言はとても気になるが、あまりくうに気を遣わせたら悪いと思い、わかりやすく笑って見せた。
帰りの電車の中では、疲れていたのか気づいたら眠ってしまっていたから、最寄り駅まではすぐについた。
「かいくん、明日も海についてきてくれるよね?」
前を歩いているくうが聞いてきた。
「どうせぼくには拒否権なんてものはないからね」
彼女は一度決めたらその考えを曲げることはない。
目標の海が見つかるまでぼくを解放することはないだろう。
彼女と海に行くのは嫌ではないけれども。
「ふふっ、よくわかってらっしゃるっ!あ、でもねかいくん」
「ん?」
「もし、明日雨が降ったら」
「雨が降ったら?」
「雨が降ったら、そのときは次晴れた日に図書館に来てほしいの」
たしかに、雨が降ったら海で遊ぶことは難しいし、移動もなにかと大変だが、海を確認する分には雨でも問題はないのではと思った。
「なんで?雨がそんなに嫌だ?」
前を歩くくうに問いかける。
すぐにくうからは返答はなかった。
「んー…なんでだろうね。いまだに雨は嫌なんだ」
「今だに…」
くうの声のトーンは少し落ちている。
「そ、そっか。わかったよ、次の晴れた日ね」
「うん、ありがとう」
ここからはなにも話すことなく歩いていた。
「かいくん、じゃあ私こっちだからっ!かいくんの家は向こうだよねっ」
くうは振り返ってぼくに言う」
「あ、うん」
「じゃあ、今日はここでお別れだねっ」
「そうだね」
「ありがとうっ、楽しかったよっ」
「ぼくも楽しかったよ」
「ふふふっ、じゃあまたねっ。次の晴れた日にっ」
「うん、また」
そういって、彼女はぼくの家とは反対の方へ歩いて行った。
しばらくくうの背中を見送ってから、ぼくも自分の家に向けて歩き出した。
「くう…なんでぼくの家の場所知ってるんだ…?」
くうのことがだんだんと分かっていくうちに、くうについて分からないことが少しづつ増えていくような、不思議な気分だった。
家につき、自分の部屋に入ってからはすぐにPCを開いた。
海について検索をかけるとたくさんの画像が出てきた。
全体的に流すように目を通してみたが、似ているところは多いだけで自分が探している海は見つけられなかった。
ふと窓の外に目を向ける。
「明日…晴れるかな…」
無意識に明日晴れることをぼくは望んでいた。
顔に掛かる日差しで目を覚ました。
「良かった…晴れた」
体を起こし、時計を確認すると八時だった。
テレビのリモコンを手に取り、電源ボタンを押すとちょうどニュース番組の天気予報のコーナーが放送されていた。
『今日は、一日中快晴で気温も高くなるでしょう。しかし、明日はほとんどの確率で雨天になると予測されます』
「明日…雨なんだ…」
今日晴れたことには安心したが、明日雨になるというのはすこし気分が下がってしまう。
この時、ふとくうの言葉が頭に浮かんだ。
『次の晴れた日にっ』
もしかしたら明日はくうに会えないかもしれないと、心のどこかで心配していた。
部屋をでて、下へ降りてゆく。
いつものように歯を磨き着替えを済ませる。
家の扉を開くと強い日差しが肌を刺したが、気温はさほど高く感じなかった。
家をでて、図書館に向けて歩みを進める。
途中でイヤホンをつけ、好きな曲を流す。
好きな時間を聞いているときは、周りの音を遮断することができる。
三曲目を聞き終わるころに、あっという間に図書館には到着した。
昨日のように、くうは入り口の少し前で待っていた。
黒髪の頭には麦わら帽子がかぶされている。
くうがぼくに気づき、走り寄ってくる。
「かいくん、昨日ぶりですねっ」
「うん、久しぶりだね」
「お。うんっ、久しぶりですねっ」
くうはぼくが少しでも冗談にノッてくれたのがうれしかったのか、満面の笑みを浮かべている。
「それで、今日はどこの海に…いや、やっぱ聞くのやめておくよ」
どこの海に行くのかを聞こうと思ったが、寸前のところでやめておいた。
「ふふっ、賢明な判断だと思うよっ」
聞いても教えてくれないことは、今までの経験で分かっているのだ。
「それじゃあ、さっそく行きましょうかっ」
「そうだね」
ぼくは、昨日と同じように行く先も知らずにくうの後についていった。
電車とバスを乗り継ぎ、昨日よりも少し時間をかけて目的の海にはたどり着いた。
相変わらず電車の中では特に話すことが無く、窓の外を眺めていた。
「かいくん!あそこあそこっ!」
「おぉぉぉ」
今回の海もとても綺麗だった。
だんだんと海が目に入ってくると、くうだけでなくぼくもテンションが上がるようになっていた。
しかし、一目でわかる。
ここの海ではない。
「すごく綺麗だけど、やっぱりここの海じゃなさそうだね」
「やっぱそうだよねぇ、そんな簡単にはいかないよねぇ」
くうは、簡単に見つからないことを理解したのかあまり落ち込んでいる様子はなかった。
「で、ここでも遊んでく?」
「あたりまえでしょうっ!」
この海でも、くうはぼくにかまわずに遊んでいた。
ぼくは、くうの遊ぶ姿をぼうっと眺めながら、よくもひとりでここまで遊べるのだと変に感心していた。
しばらくするとくうは満足したのか、ぼくのもとへ戻ってくる。
「ふうっ、まんぞくまんぞくっ!」
「もういいの?」
「うんっ、もう十分ですよっ!」
くうが早い段階で満足したために、すぐに次の海に移動するのだろうと思っていたが今日は違ったみたいだ。
「あ、かいくんさっ」
「ん、なに?」
「今日はね、色々かいくんに聞きたいことがありまして」
突然のことに驚いたが、冷静になればぼくとくうはまだお互い知らないことばかりだ。
「聞きたいことってなんですか?」
「そうだねぇ、年齢はもう聞いたからぁ…通ってる大学とか!」
「それほんとに興味ある?」
「いや、まぁ、なんとなく」
大学名を聞かれて、自分がいまは通うのをやめている事を伝えようか迷ったが、くうには特に隠す必要もないだろうと思った。
「まぁ、いいけどさ。ぼく、最近は大学行ってないんだよ」
「え?行ってないって?」
「そのままだよ。退学はしてないけど、行ってない。退学も考えてるけどね」
「え、なにかあったの…?」
くうは少し心配そうに聞いてきた。
「いや、なにか特別な事情があるわけではないんだけど、あんまり周りに馴染めなくて」
「そうだったんだ…」
くうはどんどん暗い顔になっていく。
すこしくうが黙り込み、波の音がよく聞こえる。
「いやいや!そんな重い話じゃないからね!別にいじめられた訳じゃないし」
そのとき、くうの体が一瞬こわばったようにも見えた。
しかし、すぐに笑顔に変わったため自分の気のせいだと思うことにした。
「そうだよねっ、考えすぎだよねっ」
「聞きたいことって、それだけ?」
少し重くなってしまった空気を良くしようと、くうに次の質問を急かした。
「ほ、他にもある!そーだなぁ、好きな食べ物とか!」
「え、また変な質問だね。聞いてどうするの」
なにかもっと重要な質問をされると思って身構えていたが、どれも普通の質問だった。
「いやいや!いいからいいから!」
「好きな食べ物か…。そばとかかな」
「そば!おいしいよねっ!!」
「逆に聞くけど、くうは何が好きなの?」
ぼくの質問にくうは間髪入れずに答えた。
「私はお母さんの作る煮物かなっ」
チョコとかケーキとか、若い女の子らしい答えが返ってくると思ったが、思いがけない答えだった。
「なんか、意外だね」
「え、そぉ!?私お母さんも大好きだし、お母さんの作る料理も全部大好き!」
「それはすごい素敵な事だと思うよ」
「ふふっ、そうでしょっ」
彼女は誇らしげな顔で言った。
くうは家族思いの優しい女の子。
新たにくうの情報がぼくのなかに追加された。
「じゃあ、かいくん!私からの最後の質問!」
「うん、なに?」
「かいくんは、なにか大事なことを忘れてない?」
「え…?」
この時、一瞬頭が真っ白になって、なんだか体の力が抜けたようなそんな気がした。
身体、意識、すべてがふわっとするような。
ぼくはなにか大事なことを忘れてる?
なにか、忘れてはいけないことを。
このとき、くうの声が頭に流れ込んできた。
『大事なものは写真たてに入れておくの』
何のことかは一切分からなかった。だけども、どこか懐かしさを感じる言葉だった。
「大事なものは…写真たてのなか…」
「え、かいくん?写真たてがどうしたの?」
「え?」
「かいくん今、写真たてのなかって」
「え、あ、うんうん、ごめんなんでもない」
「そ、そっか」
くうが不思議がるような顔をしているからと、慌てて話を戻す。
「だ、大事なものでしょ!んー…」
このとき気づいた、最近は大事なものなんて考えたことなかった。
考えたことないというよりも、そんなことどうだってよかったから。
「大事なもの…」
「無理に言おうとしなくても大丈夫だよ」
くうは優しく言ってくれる。
「ぼくには大事なものが…ないかもしれない…」
この言葉にひっかかるところがあったのか、くうは一瞬すごく悲しげな雰囲気をかもした。
「そっか…じゃ、じゃあこれから大事なもの見つけていかなくちゃねっ」
「うん、ごめんね、ありがとう」
「うんっ」
「それで、くうは?」
「ん?」
「くうの、大事なものは?」
くうはぼくに聞かれた途端、海へ目を向けて、少し間を開けてから言った。
「私の大事なものは、思い出かな」
「思い出?」
くうの言っていることはすぐにはピンとこなかった。
「うん、思い出。嫌だったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも、幸せだったことも。全部私の大事な思い出」
くうは優しく微笑んでいる。
「そっか…思い出…か…」
ぼくがそう言っている間に、くうはサッと立ち上がった。
「私、悪い思い出も、良い思い出と同じくらい大事だと思うんだ」
「悪い思い出も大事にするの?」
「うん。私は…そうしたい」
この時にかけるべき言葉はぼくは分からなかった。
二人で少しの間沈黙を続けてからくうが言う。
「かいくん、今日は帰るのも時間がかかるし、そろそろ帰ろうかっ」
「うん、そうだね」
いつもの駅に帰ってきたころには、夕方になっていた。
昨日別れたところと同じ場所で、くうと話す。
「かいくん、今日もありがとうっ」
「うん、こちらこそありがとう」
「今日も海は見つからなかったけど、もうすぐ見つかる気がするんだっ」
「そうだね、みつけられたらいいね」
「じゃあ、また、次の晴れた日にっ」
「うん、次の晴れた日に」
そうだ、雨の日はくうには会えない。
くうに会えるのは、晴れている日。
家についてから、もう一度PCで海について少し調べたが、やはりそれらしきものを見つけることはできなかった。
眠気がきたところでベットに入りアラームをかけた。
明日も晴れるといいな。
「かいくんっ!ほらっ!こっこっち!」
くうが海にむかって走りながらぼくの名前を呼んでいる。
「ちょっとまっ…」
くうを追いかけようとしたとき、ぼくは足を止めた。
ぼくの横をすり抜けて小さな男の子が走ってくうの後を追っている。
「まって!まって!まって!!」
しかし、男の子はくうには追い付かず、くうはどんどん走って言ってしまう。
「まって!まって!まってよ!」
男の子の声がどんどんと大きくなる。
「まって!まって!」
脳に声が響いてくる。
「まって!まって!まって!まって!!」
「はっ!…はぁ…はぁ…」
目が覚めた。
ひどく汗をかいていて、呼吸も荒くなっていた。
「あれは…」
夢の内容はさっぱり理解できなかった。
そのときふと思い出し、カーテンをあけ窓に目を向ける。
窓のはたくさんの雨粒が付いていた。
くうの言葉を思い出す。
『次の晴れた日にっ』
雨は降っているが、図書館に行けばくうはいるかもしれないとぼくは思っていた。
図書館の前に待っていなくても、初めて出会ったあの席に座って、海の本を開き、探している海の写真を眺めているんだろうと。
いつも通り、歯を磨き着替えを済ませ、玄関へと降りてゆく。
傘立ての中から、ビニール傘を一本取り出す。
家のドアをあけると、冷たい風が吹いてきた。
すぐに傘をさし、図書館に向け歩き始める。
雨は少しずつ強くなっているのか、傘に雨が当たる音が増えている。
靴に水がしみてきたのか、足がとても冷たい。
図書館の看板がみえてきて、図書館に近づくとくうがほんとうにいるのか心配になってきて、心が落ち着かない。
すぐそこの角を曲がれば、図書館の入り口が見える。
くうがいることを願いながら角を曲がり、目を先に向ける。
くうの姿はなかった。
雨の日は会えないといわれたから当然かもしれないが、不思議とくうに会いたいと思った。
もしかしたら、もう中に入っててあの本を開いているのではと思い窓に目を向けたが雨粒が邪魔して中が見えなかった。
入り口に向かい、傘を閉じる。
中に入ると、前に注意された司書さんと目が合った。
「こんにちは」
司書さんの笑顔の挨拶に、ぼくは会釈で返した。
雨の影響なのか、ちらほら人がいるのがわかった。
自分のお気に入りの席に向かう。
席にもくうは座っていなかった。
すこし席を眺めてから、机に荷物を置いた。
椅子の後ろの本棚に目を通し"思い出の海"の題名を探す。
前にくうとぼくで一冊ずつ読んでいたから、二冊あるはずだ。
どこにも"思い出の海"の題名は見つからなかった。
「おかしいな…ここら辺に…」
結局見つけることはできなかった。
もしかしたら誰かに二冊とも借りられてしまったのだろうと思うことする。
諦めて、興味のわくミステリー小説を読むことにした。
本を読んでいる途中にも、ぼくの名前を呼びながらくうがくるのではないかと少し期待していたが、もちろんそんなことは起きずただ時間だけが過ぎていき、読んでいた本も読み終えてしまった。
「本日、もうじき閉館になりますのでよろしくお願いします。」
司書の女性の声で、長時間が経過していたことに気が付いた。
「あ、はい、わかりました」
「ありがとうございます」
司書の女性はにっこりと微笑んで戻っていた。
ぼくは、読んでいた本を閉じ本棚へと戻す。
荷物をまとめ、席を立つ。窓に目を向けるとまだ雨は降っていた。
周りにはもう人はほとんどおらず、静かな図書館がより一層静かに感じる。
出口の自動ドアが開くと同時に、すこし雨が顔にかかる。
傘をさし、家へと歩みを進めた。
歩くたびに、水が靴下にじんわりと染みてくる。
くうはなぜ雨の日には会えないのか。なにか特別な事情があるのか。
いくら考えても仕方がないことは分かっていたが、無意識にそんなことばかり考えてしまう。
家に到着した時には、靴下はぐっちょりと濡れていた。
すぐにお風呂や晩飯などをすませ、自室のPCに向かい合う。
検索サイトに『思い出の海 写真集』と検索をかける。
同じ題名の本が多数存在し、多くの検索候補が挙げられたが、ぼくの知る表紙はその中には見つけられなかった。
「なんで、こんなにもみつけられないんだ…」
ここまで見つけることができないと、ほんとうにその写真集が存在するのかすら疑ってしまう。
しかしあのとき、ぼくは自分の手に取り、写真にひかれ、くうと海を探しにいった。
この事実がある以上、ぼくは写真集の存在を信じるしかない。
結局見つけることはできず、今日は寝ることにする。
目を覚ました時から雨音は聞こえていた。体を起こし、窓の外をぼうっと眺めながら、図書館に行くことを考えるが、少し倦怠感を感じ、頭痛すらもある気がする。
しかし、くうがいるかもしれないという考えが頭を離れず、結局行くことにした。
家から傘をさし、すこし早歩きで図書館にすぐ到着したがくうの姿はもちろんなかった。それに加え、今日が図書館が休館日ということを忘れていた。
「休館日」と書かれた看板を確認したぼくは、足早に家へと帰宅した。
帰宅してからすぐに自室に戻り、ベットに寝転んだ。雨で冷えた体を布団が温めてくれる。
寝転んでいたぼくは、気づかぬうちに眠ってしまっていた。
「おまえほんと気持ち悪いんだよ!」
「ほんとだよね!気持ち悪すぎ!」
顔はよく見えないが、長い黒髪を垂らした女子がトイレのような場所で金髪の女子を含めた三人に囲まれている。
誰かが悪口をいうと、周りがケタケタと嘲笑っている。
「ねぇ、お前がこんなに気持ち悪いってことは、お前を生んだ母親も父親も相当気持ち悪いんだろうね!!」
金髪の少女が、黒髪の女子の顔をのぞきこみながらそう叫んだ時だった。
今まで下を向いてうつむいてた女子が、顔をふっと上げ叫んだ。
「お母さんとお父さんの悪口は言わないでよ!!!」
そういって金髪の少女に詰め寄ったが、金髪の少女もひるむことはなく言い返した。
「うるせえな!口答えすんじゃねぇよ!!」
金髪の少女はそう言いながら、黒髪の少女を突き飛ばした。
黒髪の少女は、壁にぶつかり膝から崩れ落ち倒れた。
「もういこ!」
金髪の少女を含めた三人は、黒髪の少女を蹴りつけてからその場を去っていった。
倒れたままの少女は、少しうつむいて動いたかと思えば、涙をぬぐいながら号泣していた。
「あぁ…お母さん…お母さんごめんね…私…もうだめかもしれない…もう耐えられないよ…」
「はっ…」
ここで目を覚ました。
「前にもこんな夢みたような…」
前にみた夢と似ているところが多かったが、やはり夢に出てきたのが誰なのかはいまだに分からないままでいる。
複雑な感情のまま寝転んでいると、扉の外から母親の声がした。
「かい、起きてるのー?ごはんはー?」
「いや、今日はいいや」
「あら、そう」
どうしてもその気にはなれなかった。
窓に打ち付ける雨音を聞きながらまた目を閉じた。
顔に掛かるまぶしい光で目を覚ました。
「晴れてる…」
ふとくうとの約束を思い出し時計を確認する。
八時四十五分だった。
ハッとして、ベットから飛び起き急いで支度をする。
家を出ると、昨日までの雨が嘘のように太陽が顔を出していた。
図書館に向けて、小走りで急ぐ。少しでも早くくうに会いたかった。
図書館に到着した時には九時五分だった。
「かいくんっ!五分遅刻ですっ!」
くうは手を後ろに組んでニコニコしながら言った。
「ごめんごめん、昨日寝落ちしちゃって」
「ふふっ、寝落ちか、可愛いじゃないかっ」
「可愛くはないと思うんだけどな…」
「いいよいいよっ、じゃあ早速行きましょうかっ」
「うん、いこうか」
ぼくがすんなりと受け入れたのが予想外だったのか、くうは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「うんっ!」
今回の行先は、ぼくが過去に行った覚えのある所だった。駅名も、周りの景色も、しっかりと記憶に残っている。
だからこそ、探しているのはここの海ではないと早い段階で分かった。
しかし、くうには落ち込ませたくなかったために言わないでおいた。
「ついたよっ!」
くうが笑顔で指差した先に見えた海にはやはり見覚えがあった。
だけども、とても、とても綺麗な海だったことは間違いない。
「おぉ、すごく綺麗だね」
そう言った時、突然くうがぼくの顔を覗き込んできた。
「え、なに」
「いやぁ、ここの海ではない。て言いたげな顔してますねぇ」
「え」
突然のことにとても驚いた、ぼくはもしかしたら顔に出るタイプの人間なのかもしれない。
「図星でしょ!」
くうが、どうだ!と言わんばかりにニヤリと笑う。
「うん。まぁ。合ってるよ。ここには来たことはあるけど、探してるのはここじゃない」
「そうだよねぇぇ。まぁ、簡単にすぐ見つかっちゃうのも、それはそれでつまらないからね!」
くうは自分を励ましてるのか、それらしいことをいっている。
「そーゆーものなのかな」
「そうだよ!そうに決まってる!」
「じゃあ、次のところ行く?」
ぼくは切り替えて次に行こうと提案した。
「え、せっかく来たのにすぐに次行くの?」
「なにかしたいことでもあった?」
ぼくの問いかけに、くうはすこし顔をひきつりながら考えいた。
「ん、そ、そうだなぁ…。貝殻探しとか!」
「よし、次行こうか」
「うそうそ!まってぇ!」
彼女は笑いながらぼくの腕を掴んできた。
「貝殻探しするの?」
「それはうそぉ、本当のこと言うとかいくんに少し話したいことあったのぉ」
「え、なに話したいことって」
「まぁまぁ、座ってゆっくり話そうよ」
くうに言われるがまま、ぼくとくうは並んで腰掛けた。
「で、話したいことって?」
くうは言葉を発する前に、少しだけ眉をひそめた。
「えっとね、前にかいくんが学校行ってないって話したよね?」
「うん、したね」
くうは、少し遠慮がちに聞いてきたが、ぼくはもうくうになら全部話してもいいと思っていたため、なんとも思わなかった。
「そのことなんだけど、かいくんが学校行けてない理由とか、詳しく聞けたらなぁって…」
「なるほどね。でも、別にそんな面白い話じゃないよ」
ぼくは別に特別な事情があるわけでもないので、本当にありふれたことしか言えない。
「うんうんっ、そんなのは気にしないから、ただかいくんの話が聞きたいなって」
くうは心配そうにぼくを見ていた。
「うん、いいよ」
「ありがとうっ」
「まぁ、前も言った通り、周りに馴染めなかったんだ。べつに、誰かに悪くされたとか、いじめを受けたわけでもない」
ぼくは、誰かに何かをされたわけではない。
だけども、なぜか嫌だった。
「ただ、嫌だったんだ」
「嫌だった?」
「うん。ありがちかもしれないけれど、自分がなにしたいかわからなかった。なんのために学校に行くのか、なんのために生きてるのか。自分の進む先がまったく見えなかった」
くうは、ぼくの話を静かに、うんうんと相槌を打ちながら聞いている。
「そうだったんだね…」
「だから、図書館で本を読むことだけが生きる意味だったんだ、その時だけは何も考えなくて大丈夫だから」
ずっとぼくは、あの空間と本に救われてきた。
「だから、ぼくはその生きがいを失っていたら、いまこの世にはいないかもね」
笑いながら冗談めかして言った。
くうもいつものように笑って反応してくれると思ったが、違った。
「かいくん、ダメだよ…そんなことはいっちゃだめだよ…」
「え?」
「生きてる人はみんな分からないんだよ…。今も生きてる事の価値が、尊さが…分かってないんだよ…」
いまにも泣きそうな、すごくすごく悲しげな顔をしていた。
「生きてるって言うのは、自分だけの問題じゃない…だからかいくん…簡単にこの世に居ないかもなんて言わないで…」
ぼくはいつもの様に反論しようなんて考えは出るわけがなかった。
くうの考えが、なにひとつ間違っていなかった。
「ご、ごめん…もう言わないよ…」
「うん…ありがとう…」
くうは目を拭っている。
「んもぉ…女の子泣かせたぁ…」
くうがそう言った時に、とても申し訳ない気持ちと、いつものくうに戻った気がして笑顔になれた。
「うん、ごめんね、もう泣かせないようにするから」
「つぎはないからなぁ…」
「うん、ごめんよ」
それからは、くうがまたいつもの調子に完全に戻るまでくうの背中をさすっていた。
「もう、大丈夫っ」
「ならよかったよ」
「まったくぅ、女の子を泣かせたことをいつか後悔させてやるからな!」
「うん、わかったよ」
「ならよし」
くうは横でサッと立ち上がって、ぼくを見下ろしながら言った。
「かいくんに言いたいのはね、自分を必要としてる人は必ずしも自分の気づく範囲にいるとは限らないってこと」
「それは、どーゆーこと?」
「人間て、誰からも必要とされなくなったとき、本当にダメになっちゃうんだよ」
「誰からも?」
「そう、だけど、誰からも必要とされない人なんてほとんどいないよ」
くうは自分でうんっと頭を頷かせる。
「どんな人も、絶対にだれかからは必要とされてるの。それが家族じゃなくても、友達じゃなくても」
ぼくは本当にだれかに必要とされているのか。もしかしたら、過去にはいたかもしれない。だけど、今ぼくの気づく範囲では、両親くらいしかいない気がする。
「なるほどね」
「だから、かいくんにもたくさんの人を必要としてあげてほしいの」
「ぼくが、誰かを必要とするの?」
ぼくは誰かを必要とすることの詳細があまりわからなかった。
「そう、誰かを必要としてあげて。」
「でも、ぼくあんまり友達とか多いわけじゃないよ」
「うんうん、そんなことは関係ないの。別に、仲が深くなくたって良い。ただ、あの人と話したいなとか、それだけで良いの」
「それだけでいいの?」
「うん、それだけでいいんだよ。もしかしたらそれだけで救われる人がいるかもしれない」
「そっか…」
「だからかいくん、無理する必要はないけど、もう一度大学にいってみたら?」
くうの唐突の発言に、ぼくは反応するのが少し遅れてしまった。
「え、大学に??」
「そう、だって、もしかしたら大学の中にかいくんを必要としてる人がいるかもよぉ?」
「それはないと思うけどね」
ぼくは、これには確信があった。大学は高校みたいにクラスがある訳じゃないから、親しい友達なんていないし、顔が知らない人ばかりいる。
「まぁ、でも一度行ってみるのもアリだとは思うっ」
「そうかな…」
そこからはくうは何も言わずにいた。
「じゃあ、時間もあるから、次の海へ行こうかっ」
あっという間に時間は過ぎていた。
ぼくも立ち上がり、頷く。
「そうだね、いこうか」
ぼく達は次の海に向けて駅へ向かった。
次に到着した海も、探している海ではなかった。
「ここでもないかぁ」
くうはさすがに疲れてきたのかへなぁとなった。
「うん、やっぱりここでもないね」
「ねえぇ、かいくん」
くうが体を脱力させながら呼んできた。
「どうしたの?」
「私お腹すいたよぉ」
くうに言われて気が付いたが、ぼくとくうは海を探しているときはほとんど食事をしていなかった。
しかし、ぼくは普段から基本小食で、朝ご飯も食べることの方が少ないくらいなので、そんなことは微塵も考えていなかった。
「ぼくはあんまりお腹すいてないけどね」
そういうとくうは、ほっぺをぷくっと膨らませた。
「女の子がお願いしてるんだぞ!」
くうはなにかと女の子という言葉を悪用してくる。
「いや、そんなこと言われても…。分かったよ…」
くうに対抗しても無駄だとわかっているため、ぼくが早めに折れることにした。
ぼくたちは、海が見える日陰のベンチを見つけそこに並んで腰かけた。
くうに、なにを食べるのかと問いかけると、自分で持ってきていたみたいだ。
「え、まさかと思うけど、それってスープ…?」
くうはバッグから保温ができるケースを取り出したのだ。
「え、なにか悪いですかー?」
「いや、悪いとかではないけど、こんな真夏によく…」
くうがケースの蓋をあけると、中から湯気がもくもくと出ていた。
「まったく、かいくんはなにも分かっていませんねぇ」
「なにがですか…」
「こんな暑い日に熱いものを食べると、より一層おいしく感じるんだよ!」
「なにを言っているのか全く理解ができないです」
こんな会話をしながら、ぼくはコンビニで買ってきたおにぎりをひとつ食べながら海を眺めていた。
「あ、かいくんに朗報がありますよっ」
くうがにっこりと笑いながら言った。
「本当に朗報ですか?」
あまり信用ができなかった。
どうせ、今日はこれからもう一箇所行くとかそんなところだろう。
「今日は、これからもう一箇所海にいきますっ!」
やっぱりそうだ。
「そういうとおもったよ」
「え!嘘つけ!」
くうは図星をつかれたのが悔しかったのか、詰め寄ってくる。
「はいはい、じゃあすぐに行こうか」
ぼくはサッと立ち上がって歩いていく。
「ちょ、ちょっとまってよぉ!」
「ほらほら早く行くよぉ」
電車の中で、くうがぼくに次に行く海の写真を見せてくれた。
「ほら、こんな感じのところだよっ、綺麗でしょうっ」
その海は、かすかにぼくの記憶に残っており、少し懐かしさを感じた。
過去に来たかもしれないという要素も相まって、探している海はここじゃないかと期待が高まった。
目の前に広がった海を見たときにぼくの期待は砕かれた。
たしかに、とても綺麗で、わずかな懐かしさはかんじるがやはり違う。
「ここじゃ…ないな…」
「残念だぁぁぁ、私はもうつかれたよぉ」
くうはへなぁっと砂浜に座り込んだ。
ぼくはその横に座る。
このとき、ちょうど夕日が綺麗な時間で海や砂浜がすこし赤く染まっていた。
「夕日…すごいね…」
「うん、やっぱり何回見ても飽きないくらい綺麗だね」
本当にこの日の夕日は、一日に何度見ても飽きないくらいに綺麗だった。
「かいくんの探してる海はどこにあるんだろうねぇ」
「そうだね、長い道のりになりそうだね」
夕日はじわじわと水平線に沈んでいく。
この光景をみてぼくはあることを思い出す。
「ねえ、くう」
「んー」
くうは夕日を眺めて脱力したまま適当に返事をする。
「前に、ぼくに水平線を歩きたいって言ってたよね」
ぼくの言葉に、くうの体が少し反応した気がした。
「そんな変なこといったっけ…」
くうは少し聞かれたくなかったのかどこかとぼけているようだ。
「うん、いってたよ。水平線を歩けば空を歩いてることにもなるって」
くうは何も答えず夕日を眺めている。
ぼくはくうにもう一度声をかける。
「ぼくは、くうならいいかなって思って、大学に行っていない理由を言ったんだよ。
だから、ぼくにだってくうのことを少しでも教えてほしいんだ。」
くうはすこしぼんやりとした顔を続けてから口を開いた。
「私ね」
「うん」
「私、お父さんいないんだ」
「えっ…」
このとき初めて聞いたから、思わず声を出してしまった。
くうの顔ははじめて見るほど悲しげな顔をしていた。
「お父さん、私が小さい頃に病気で死んじゃったんだって」
「そ…そっか…」
相槌以外に適切な反応がぼくにはできなかった。
「だから、お父さんの顔は覚えてなくて、写真でしか見たことがないの」
ぼくは余計なことは言わずに、くうの話を聞くことに徹底した。
「お父さんは空にいるんだって」
くうは震える声で悲しげな顔のまま続ける。
「お父さんはいなくなったんじゃなくて、空に行っているだけなんだよってお母さんに言われてた」
くうが腕をふっと上げ、水平線を指さした。
「水平線は、空と海が繋がって見えるよね。だから水平線まで行けば…空を歩ければ…お父さんに会えるのかなって…」
気づけば、くうの目からは大粒の涙がこぼれていた。
ここからぼくとくうが話すことはなく、ただただ沈んでいく夕日を眺めていた。
「今日は帰ろうか」
くうの目は赤くはれていた。くうはぼくの呼び掛けに涙を拭いながら小さく頷いた。
「かいくん、今日もありがとう」
ぼくたちは図書館の目の前で向かい合っている。
「ううん、こちらこそ」
「かいくん、もし明日学校にいってみるんだったら、私のことは気にしなくて大丈夫だからね」
「うん、ありがとう」
「だけど、もしそれが嫌だったらここにきてくれれば、私かいくんのこと待ってるから」
くうはぼくを勇気づけてくれるだけじゃなく、逃げ場も用意してくれていた。
「うん」
「じゃあまたね、また晴れた日に」
「うん、晴れた日に」
そう別れを告げてぼくたちは逆の方向へと歩いて行った。
家についてから、母親に声をかけられたがろくな返答もしなかった。
今日はくうのことを新しく知ることができたが、いつも明るいくうからは正直想像できないことばかりだった。
しかし、くうに言われた言葉のおかげで、ぼくは明日は大学にいって一つでも授業を受けてこようと思えた。
くうの『誰かから必要とされているかもしれない』という言葉を信じて。
今日はいつもより少し早く起きて学校に行く準備をする。
準備といっても、ただバッグに筆記用具とノート、財布を入れるだけだが。
リビングに降りていくと、両親が朝食を食べていた。
「あら、かい今日は早いね」
「うん、まぁ」
顔を洗い、歯を磨いたらまた自室に戻る。
改めてバッグの中身を確認し、必要なものが入っているかを確認する。
家を出ると、久しぶりの時間帯ということもあり違和感を感じた。
周りには、登校中の高校生や出勤中の会社員が多くみられる。
すごく新鮮で久しぶりな感じがした。
電車に乗り、大学の最寄り駅へと向かう。
駅に着くと、同じ学生であろう人たちが多くみられる。
人の流れに任せて道を進んでいくと、大学の大きな建物が見えてくる。
人波が大学の入り口に飲まれていくかのに中に入っていく。
ぼくもその流れで中に入っていった。
自分の受ける授業の教室に入ると、やはり大勢の学生がすでに席についていた。
後部から中間部の席はもう空いておらず、前の方の席に座るしかなかった。
周囲の人は友達と話すのに夢中で、だれもぼくのことなんかは気にしてない。
時間が経つと教授が入ってきてまもなく授業が始まった。
授業中はずっとくうと海や、最近のことばかり考えていた。
昨日の、くうの父親についての会話や水平線の話。
くうとの会話中、突然頭に流れ込んできた『大事なものは写真たてに入れておくの』という言葉の意味。
夢に出てくるどこかで聞いたような「そら」という名前。
"思い出の海"という題名の本のこと。
最近は、色々なことが自分に起きている。
そんなことを考えてた時だった。
「水平線というのは」
という言葉が耳に入った。
その言葉に反応するかのようにぼくは顔を教授の方へ向ける。
受講している科目的に、水平線という単語は無縁のため、なにかの余談だろうと思った。
「水平線というのは、水面と空の境界線を言うんですよね。そしてですね、観測者から約五キロほどの位置に見えるらしいですよ。意外と近いような気がしますよねぇ」
寝ていたり、携帯を隠れていじっている人が多くいる中でぼくはこの話だけをしっかりと聞いていた。
しばらくして、授業が終わった。
教授の、おつかれさまですという声と同時に話し声がだんだんと聞こえ始め次の授業の教室に移動を始める。
ぼくもあまり目立たぬように、早めに移動しようと席を立ち人波に混ざって教室を移動した。
次の授業でも前の方に座った。
なんとなくノートを広げ、教授がアピールした単語をとりあえずメモしておく。
今すぐに図書館にいって本を読みたいなと思っていた。
別に、今のところ嫌なことが起きたわけでもなく普通に授業を受けているだけなのだが、授業内容が頭に入っていない以上は授業を受ける意味はほとんどない。
こんなにも無駄な時間を過ごすくらいなら、好きなことをしたいと思うのは当然のことだろう。
ほどなくして授業は終わった。
この日は二コマしか授業が入っていないため、周りの人は荷物をまとめ始め、出口へと向かっていった。
ぼくも帰ろうと荷物をまとめているときだった。
「ねぇねぇ」
と声をかけられた。
ぼくには大学には友達はおらず、同じ高校だった人も特に仲が良かったわけではなかったため声をかけてきたのが誰なのか見当がつかなかった。
顔を見るとやはり知らない人で、おとなしめな雰囲気の男子だった。
「え…」
あまりの突然のことにまともな反応ができなかった。
「あ、急にごめんね、君学校来るの久しぶりだよね?」
この時は本当に驚いた。
ぼくは確かに入学してからはじめの頃は学校に来ていたが、誰かと会話したわけではなく、授業内でグループワークなどがあったわけでもないため、ぼくが久しぶりに学校に来たと認識している人がいるとは思っていなかった。
「あ、はいそうですけど…なんで知ってるんですか…」
「あぁ、初めの授業の休み時間の時に君、本読んでたよね」
ぼくは学校が始まってすぐのころは、空き時間に本を読んでいた。しかし、彼がなんの本のことを言っているかは分からなかった。
「ま、まぁ…一応読んでましたけど…」
「だよねだよね、自分君の読んでた本の作者の大ファンでさ」
「あのミステリー小説のこと…?」
「そうそう、あの作者さんの本は伏線とか繊細で好きなんだよね」
三冊候補があったが、恐らくミステリー小説のことを言っているんだろうと思い聞いてみるとやはりそうだった。
彼はその本の作者の大ファンと言っているが、ぼくは特にそんなことはなく、タイトルで読むことを決めただけなのだ。
しかし、ここでわざわざそれを伝えることもないと思いなんとなく話を合わせることにした。
「そうだね…あの本の内容自体も面白かったし」
「そうだよね、だから君とは趣味が合いそうと思って友達になりたかったんだよね」
彼は、すごく淡々としていた。
だけどもぼくとしてはそれがすごくありがたかった。
「な、なるほどね」
「あ、引き留めちゃってごめんね、もう帰るよね」
「あ、うん、まぁ」
特に急いで帰る理由はなかったが、この後にいつもの図書館にいこうと考えていたためそう答えた。
「そうだよね、今頃で悪いけど自分、中村陽太」
「ようた…、自分は大野海」
「かいくんね、よろしく、今後も話しかけるようにするね」
「あ、うんわかった」
そういうと陽太は出口の方へ向かっていった。
一連の流れがスムーズに進みすぎて、しばらくはあっけにとられていた。
「これって、友達ができたってことでいいのか…?」
大学でのはじめての友達ができた。
大学をでてからもしばらくはぼうっとしていた。
もしかしたらくうの言っていた、ぼくを必要としている人がいるかもしれないというのは、このようなことなのではないのか。
図書館に行ってすぐにくうに伝えようと思った。
来た道を戻り、駅について電車に乗った。
最寄り駅についたら、自分の家ではなく図書館の方へ歩いていく。
図書館の中にくうがいるのが見えた。
中に入ると、いつもの司書の女性が挨拶をした。
「こんにちは」
とても柔らかい笑顔でいつも出迎えてくれる。
ぼくは軽い会釈を返し、くうのいる席へと向かった。
くうは海の写真集を眺めていた。
今日は誰にも借りられてないようだ。
「くう」
近づいて声をかける。
「あ、かいくんっ!」
くうはいつもの満面の笑みを向けてくれる。
隣の席に荷物を置き、座った。
「今日は、大学行ってきたよ」
くうは一瞬驚いたような顔をしてから、すぐに笑顔に戻った。
「そっかそっかっ!どうだった!?」
「うん、思った以上に普通だった。別に変な目で見られるとかもなかったし」
「そうでしょっ!一瞬怖いと思うものでも、勇気だしてやってみると簡単だったりするんだよっ」
くうの言っていることは一理あるなと素直に思った。
ぼくが、大学という場所を安直な理由で敬遠していただけだった。
「別に怖いとは思ってなかったけどね」
「いいのいいのぉ」
「それでね、もう一つ報告があって」
「お、なになに?」
くうが身を乗り出してくる。
「一人友達ができたんだ」
くうは一瞬固まってから、満面の笑みを浮かべた。
「ほんとにっ!すごいじゃんっ!」
「まぁ、ぼくから話しかけたわけじゃないけどね」
ぼくの言ったことに、くうはぶんぶんと首を振っている。
「うんうん、それでもいいんだよっ」
「それならいいんだけどね」
そのとき、くうがぼくの頭のほうに手を伸ばしてきた。
なにをするかと思うと、ぼくの頭を優しくなでた。
こんなことをされるのは最近ではなかったため、すごくびっくりしたが、すごく優しく、温かい手だった。
くうの顔をみると、いつものくうではなく、子を見つめる母のような優しい表情をしていた。
「え…どうしたの…」
くうは微笑んでいて、しばらくしてから手を戻した。
「いやいや、ほんとに偉いよっ」
「う、うん、ありがとう」
くうは笑顔でずっとぼくをみていた。
しばらくしてくうが言った。
「そうだかいくん、明日も海探しに行くよねっ」
いつものぼくだったらすぐにこの誘いを承諾していただろう。
だけども、この日のぼくは明日も学校に行こうと考えていた。
「くう、ごめんぼくさ」
「ん?」
「明日も学校行ってみようと思うんだよね」
くうは少し悲しむのかと思ったが、そんなことは一切なかった。
「そかそかっ!じゃあ、明日以降の晴れた日だねっ」
「うん、ありがとう、次の晴れた日だね」
「次に海に行くときには期待してくれていいんですよぉ」
くうの表情をみるに、探している海の有力候補が見つかったのだろう。
「なかなか自信ありそうだね」
「まあね!」
「それじゃあ、かいくん学校から直接来たってことはまだご飯食べてないだろうから、帰ってご飯食べてきなっ」
そういえば朝食を食べず、大学に行って直接ここにきているため、今日はいまだに何も食べていなかった。
「ぼくはあんまりお腹すいてないけどね」
「ほらぁ、またそんなこと言ってぇ。体持たないんだから駄目ですっ」
「わかったよ」
正直対して空腹でもなかったが、くうに心配をかける必要もないと思い、いったん帰ることにした。
「じゃあ、帰るね」
「うん、明日以降の晴れた日っ、忘れないでねっ」
「わすれないよ」
「大学、がんばってっ」
「うん、ありがとう」
ぼくはくうと約束を交わし、図書館をあとにした。
くうと会うのはまた次の晴れた日に。
翌日のぼくも、昨日と同じ道を歩き、学校に向かっていた。
陽太の存在がぼくにはとてもありがたく、昨日よりかは学校に行くことに対しての嫌悪感は大幅に軽減されていた。
教室に入ったら、陽太がいち早く話しかけてくるのかと、心のどこかで期待していた。
教室に向かっているだけなのに、不思議なくらい心臓がどくどくとしていた。
教室に到着し、中を少し除くとやはり人がたくさんいた。
パッと見では陽太の姿を見つけることはできなかった。
教室内にはいり、あたりを見渡してみると、前の席の方でぼくに向かって手招きしている人がいた。
よく見てみると陽太だった。
陽太のもとに早歩きで向かっていき、横の席に座った。
「おはよう」
ぼくが先に言った。
陽太は本を読んでいたみたいだ。
作者名をみると、昨日話していた作家の名前だった。
やはりよっぽど好きなのだろう。
「おはよ、すごいよねここに来たの遅いわけでもないのに、後ろの席なんかすぐ埋まってたよ」
やはり、相当早い時間にこないと最後列はおろか、後部の席にさえ座れないようだ。
しばらくして授業が始まった。
授業中はもちろん陽太と話すことはなく、淡々と進んでいった。
九十分ほどして授業が終了した。九十分座りっぱなしで話を聞くというのはなかなか酷だなと授業が終わると感じる。
次の授業までは長時間空くため、陽太と食堂に向かった。
昨日久しぶりに学校に来たばかりなのに、新しくできた友達と並んで昼食を食べているのは、とても違和感のある状況だった。
先にぼくがご飯を食べ終え、スマホで海の写真をぼうっと眺めていた。
「ん、それ海の写真見てるの?」
「あ、うんちょっと事情があって」
「事情があって海の写真見てるって、どんな事情がすごい気になるな」
はじめは、わざわざ海を探しているということを伝える必要はないと考えたが、隠す必要も特にないと思い、大まかな事情を伝えた。
「なんか不思議なものを感じた海の写真を見つけて、その海がどこにあるのか探してるんだよね」
陽太はどんな反応をするのか想像できなかったが、想像以上にすんなりと理解してくれたようだった。
「おぉ、なるほど。なんか不思議な話だね」
「うん、口で説明するのはなかなか難しいんだけど、なんか感じたんだよね」
「その、海探しっていうのはひとりでやってるの?」
「いや、ひとりではなくて、年下の女子と」
今更思ったことだが、年下の女子と二人で一日中海をめぐっているというのはなかなかに珍しい状況なのだ。
「その子とは、なんか幼馴染とか?」
「あ、いや、それが最近図書館で知り合ったばかりで」
「ふーん、なかなか不思議な関係だね」
陽太は軽く笑いながら言ってきた。
くうとは、最近出会ったはずなのだ。
ぼくにひとつ年下の女子の友達はいないし、そもそもくうに出会ったときに来ていた制服が、ぼくの知らない学校の制服だったから。
「で、その探している海は見つかりそう?」
「うーん、いくつかそれらしいところはあったけど、まだ遠くなりそうかな。でも彼女が次行くところは期待ができるって言ってたから、もしかしたらって感じかな」
「そこだといいね」
「そうだと助かるんだけどね」
「そこの海の写真とかは無いの?実際の」
そう聞かれて、たしかになと思った。もし陽太が偶然でもその海のことを知っていれば、陽太に写真を見せればすぐに見つけることが出来る。
「いまは無いかな。写真も撮ってなくて」
「なるほどね、もしその写真あったらおれが見れば分かるかもしれないね」
「そうだよね、出来たら今度見せれるようにする」
「おっけい、ありがとう」
海についての話をしていると、陽太が時計を見ていった。
「もうそろ授業の時間になるからいこうか」
「あ、うん」
この後の授業も、とくにかわり映えせず、淡々と過ぎていった。
「じゃあかい、帰ろうか」
「そうだね」
高校を卒業してから、だれかと大学から帰るというのも初めての経験だった。
「あ、かいさ」
「ん?」
昨日知り合ったばかりだけど、陽太とはもうすでに自然体で話せるようになっていた。
「おれね、実は写真の趣味があってさ」
「写真の趣味?」
「そう、まあ、いろんなところにいって綺麗な写真撮ったりしてるんだけど」
「え、すごい」
自分には、カメラなどの知識が全くなかったから、素直にカメラなどを扱える人は凄いと思えた。
「まぁ、べつに、そんなプロでもないし、上手く撮れるってわけじゃないんだけどね」
「いやいや、それでも十分すごいとおもうよ。それで、どんな写真撮ってるの?」
「まぁ、もちろんいろんなところの写真撮ってるんだけど、海の写真も今までに何枚か撮ってるんだよね。おれのお姉ちゃんが海好きでさ」
陽太が撮った写真の中に、ぼくの探している海があるのはありえないと思っていた。
だけども、少し期待をしてしまった。
もしかしたら。
「え、そのなかにもしかしたら!」
「うん、まぁその可能性はすごく低いと思うけど、もしかしたらかいの探している海の写真がぼくのアルバムにあるかもしれない」
可能性がどれだけ低くても、ぼくにはとてもありがたい朗報だった。
「え、その写真って見せてもらうことできる!?」
「うん、もちろん。だけど、明日明後日は土日だから、次の月曜日に海の写真を何枚か持ってくるよ」
「ほんとにありがと!」
「全然いいよ」
この時、陽太とぼくを巡り合わせたのはこのためだったのではないかと薄々感じていた。
「ていうか、陽太お姉ちゃんいるんだね」
さっきの話の中で出てきた、陽太のお姉ちゃんについては知ったところでなにもないと思うが、兄弟がいるというのが少し意外で聞いてみることにした。
「ん、あぁ、いるよ結構年の差あるけどね」
「何歳差?」
「んと、おれが十九で、お姉ちゃんが二十六だから七歳差か」
「ほえぇ、結構な年の差じゃない?それ」
「まぁね、でも年の差ある方が変に喧嘩とかしないから楽だよ」
自分には兄弟がいないからあまり分からないが、もし兄弟がいたらたぶんそうなんだろなと勝手に納得していた。
「名前はなんて言うの?」
駅までもう少し距離があるため、なんとなく名前も聞いてみる。
「月菜だね。結構珍しくて同じ名前の人見たことないけど」
「たしかに、聞いたことないかも。陽太と月菜で太陽と月なんだね」
そういうと、陽太が少し笑った。
「まぁ、名前の由来聞いたことないけどちょっと意識してるだろうね」
ぼくもそれに合わせて軽く笑う。
「そのお姉ちゃんが海好きだったんだ?」
「あ、うん。なんかおれは小さい頃だから分からないけど、お姉ちゃんが高校生の時はその時の友達とよく海遊び行ってたらしくて。今でもよく1人で色んな海に行ってはぼうっとしてるらしいよ」
「へぇ、そうなんだね」
こんな会話しているとあっという間に駅に到着していた。
「じゃあ、自分あっちだから」
「あ、うん、じゃあまた」
「うん、また月曜ね」
陽太とは、違う路線のため駅内で別れた。
最寄り駅についてから、図書館に寄ってみたが、くうの姿はなかった。
「くう…今日いないんだ…」
くうはいなかったが、明日晴れれば会えるため、この時は特に気にしていなかった。