まだ僕が産まれる前の話です。
 1970年代、兄が味噌村家に長男として誕生しました。

 たぶん新生児ぐらいで、動いたりすることもない寝てばかりの赤ちゃんです。
 当時、奈良に住んでいて、あの有名な法隆寺の近くに住んでいたそうです。

 畑に囲まれたアパートで、まだ現代のように街灯なども少なかったとききます。

 僕のお袋が、夜、ベランダで洗濯物を干していたそうな。

 先ほども言った通り、辺りは一面、畑のみです。
 とても静かで、車も中々通らず、ひともあまり歩いていません。

 そんな中、お袋が服を竿にかけていると、畑の向こう側で二つの光りに気がついたそうです。
 目を凝らして、よく見ると、その小さな光は徐々に、こちらへと近づいてきます。

 一定の間をおいて、スッ、スッ、スッ、と動きます。

 どうしても気になったお袋は、しばらくその光が何か確かめようとしました。

「……ッ!」

 やっと『それ』がなにかわかったそうです。

 正体は人間でした。
 つなぎ服をきた無精ひげの男がじーっと、こちらを見ていたそうです。
 目と目が合うと、お袋は怖くなり、すぐにベランダから家の中に逃げ込み、窓の鍵を閉めました。

 親父は仕事が忙しく、まだ帰宅していませんでした。
 危険を感じたお袋は、自宅のドアの鍵もしめたそうです。

 もう一度、窓から外をのぞくと、男の姿がありませんでした。

 ホッとしたのも束の間……。

 ガタガタガタッ!

 何やら玄関が騒がしい。

 恐る恐る近づくと、ドアノブが激しく回っていたそうです。

 これはもう危ないと感じたお袋は、警察に電話を入れました。
 ですが、田舎ですし、当時は携帯電話もなかったので、中々パトカーは着ません。

 その間もずっと、ドアノブはガチャガチャいっていたそうです。

 男は開かない扉に諦めたのか、静かになりました。
 お袋が男が去ったかと玄関に向かおうとした瞬間、ドア下に備え付けられていたポスト口が、バンッ! と開きました。

 ドア越しに目があったそうです。
 男は笑うわけでも怒るわけでもなく、無表情でお袋を見つめていたそうです。
 お袋は怖くて腰を抜かしたそうな。
 しばらく家の中を見ていた男でしたが、飽きたようで、黙って去っていきました。


 僕はこの話を聞いて思いました。
 もし、お袋が窓とドアのカギを閉めなかったら、僕という命は生まれなかったのかもしれない……と。