目も見えないのに、ショーを観たいなんて言ったからこんなことになった。
見えていたらあの人を避けれたかもしれないし、奏多に怪我をさせることなんてなかった。
そんな考えがぐるぐると渦巻いて、わたしは結局ショーを観ることが出来なかった。
もう一度観ようかと言ってくれた奏多に、素直に頷けなかったのだ。
落ち込んで食欲もなくなってしまったわたしに、奏多は付き合ってくれた。
奏多はお腹空いているよね?
甘いの飲めば落ち着くからと言って、自販機でココアを買ってくれた。
人気の無いスペースで、手を繋いでベンチに座った。
「奏多、どこ怪我したの?」
「怪我なんてないよ」
「うそ。ほんとは怪我してるよね? 教えてよ。ちゃんと教えてくれないと、わたしはわかってあげられないんだよ」
八つ当たりのように泣くと、奏多はクスリと笑って捲った腕を差し出した。
「触ってみて、血なんて出てないから」
「う、腕だけじゃわかんないもん。……それに痣かもしれないじゃない」
「ははっ、じゃあ全身確かめてみる?」
そんなの無理に決まってる。
抗議の意味を込めて胸を叩くと、奏多が涙を拭いてくれた。
「奏多が反論してくれて嬉しかった……ありがと」
「なんもわかってないのに、分かったような口きいちゃったよな」
「そんなことないよ!
ほんとにごめんね……わたしじゃなかったら、こんな目にあわなかったのに」
嫌味を言われるのは慣れている。
でも、奏多の前で罵られたのは、恥ずかしくて、申し訳なくなって、消えてしまいたかった。
人から疎まれる自分なんて、見られたくなかった。
ーーーーああやっぱり奏多には、わたしなんかよりもっと似合う子がいるんじゃないか。
そんな気にさせられた。
「コラ」
むぎゅっと鼻を摘ままれる。
「“わたしじゃなかったら”とか、そんなこと言うなって。俺は凜がいいの。凜と一緒にいたくて、凜とここに遊びに来たかった。
それは、他の誰にも代わりは出来ないんだからさ」
「だって、わたしこんなだよ。
奏多はわたしを楽しませてくれるけど、わたしは奏多に何もしてあげれないんだよ」
いつまでもこんなマイナスな気持ちをぶつけていたら、それこそ飽きられちゃうかも。
他の人の方がいいんじゃないのと言いながら、嫌われたくないだなんて、なんて矛盾しているんだろう。
「あーあ。ほんと残念」
奏多は大きなため息をついた。
わたしはビクッと体を揺らす。
(ああ、言い過ぎた。フラれちゃう……ーーー)
さらに深い哀しみの中へ潜り込もうとしたとき、
「凜が隣で笑ってくれるだけで、俺がどれだけよろこんでるかわからないんだな」
奏多はわたしの頬を両手で挟むと、瞳にキスをした。
ちゅっと小さなリップ音が、たくさん降ってきた。
おでこ、まぶた、頬に二回、そして唇を啄む。
「え、か、かな……た…」
焦って胸を押すと、奏多はその手を退かして唇を塞いだ。
「ーーあ、ねぇ。だめ。見られちゃうよ……」
キスの合間に訴える。
「凜には誰か見えるの?」
軽く唇を合わせたまま、奏多は言った。
ちょっといつもより口調が冷たい。
怒っちゃったのかな。
「見……え、ない。けど……ひゃ……!」
喋ってる途中に耳朶をかじられる。
かーっと顔が熱くなった。
「でしょ? 俺も誰も見えない」
「かなた……」
「凜しか見えないよ」
「ーーーーわ……」
噛みつくようなキスに押されて、壁にコツンと頭がぶつかった。
(幸せだな)
腕の中でそんな風に思った。
さっきまであんなに悲しかったのに、今は温かさを感じる。
奏多が、好きだよ大丈夫だよってたくさん安心させてくれるからだ。
奏多に包まれながら告白する。
「……奏多の顔がみたいなぁ。
目がみえなくなって色々絶望したりしたけど、こんなにも見たいと願ったのは、奏多が初めてだよ」
「俺の顔? 俺はねぇ。目が二つに。鼻が一つに口がひとつあってね」
「それはみんな一緒じゃない?」
「みんなと違うのはね、俺は、凜をずーっと見てるってことだよ」
「なにそれ」
わたしは破顔する。
目が熱くなって、涙があふれた。
微かに感じられる光は、乱反射するように弱くなった。
水族館デートから4日後。
またわたしはいそいそとデートの準備をしていた。
今日は奏多の大学を案内してもらう予定だ。
大学に行くのは初めてで、学生生活の憧れもあり、楽しみにしていた。
案内してもらうと言っても、ちょっと講堂を見せて貰って、学食を食べるだけなのだけど。
水族館の帰り道、電車の中で給食の話で盛り上がり、その時、大学の学食を食べてみたいとわたしが言ったことがきっかけだった。
まったく関係ないわたしが、大学に行っても大丈夫なのかと心配になったが、一般開放もしていて、学生以外も食べに来るような場所なのだそうだ。
今日はお迎えはなく、待ち合わせ場所は大学となる。
駅からバスの乗り方は分かるし、バス停までは奏多が迎えに来てくれると言うから、なんとか一人で行けると思う。
奏多は講義中だろうから、今から出発すると、メッセージを入れておこう。
そういえば、毎日ある連絡も昨日は無かった。
レポートが忙しいと言っていたからそのせいかもしれない。
まだ少し時間はあるが、余裕をもって出発しておこうと白杖を持った。
靴を履き、玄関を出ようとしたところで家の電話がなる。
「はいはーい」と独り言の返事をしながら、パタパタとスリッパを鳴らすお母さんに、「行ってきます」と声をかけた。
「はい、高垣です」
お母さんが電話に出る。
夕方には帰ると伝え忘れたが、後でメールでもしておこうと玄関を閉めようとした。
その時。
「ーーーーえ?!」
随分と驚いた声が届く。
「本当ですか? ええ、はい! ーーあ、ちょっと待ってください……凜! 凜!!」
お母さんがバタバタと追いかけてきた。
「凜! ちょっと出掛けるの待って、角膜の提供者が見つかったって!!」
「ーーえっ」
「今から病院行きましょう!!」
「え、でも、わたし奏多と遊びに……」
「何言ってるの、目が治れば好きなだけ遊べるじゃない!」
急いで、と腕を引かれ家に戻る。
お母さんは慌ただしく電話に戻り必要事項を聞き取ると、入院の準備をするように言った。
お父さんとお姉ちゃんにも連絡をして、急いで病院へ行かなくてはならい。
ずっとずっと待ち望んでいたことなのに、急に不安になった。
だって、相手は命を費やそうとしているのだから。
わたしが貰っていいのか。
わたしにその資格があるのか。
「ーーあ、奏多に連絡しなくちゃ……」
スマホを持つ手が震えた。
音声入力で、『今日は遊べなくなりました』と送る。
移植が決まったとか、そのために入院するから暫く会えなくなるかもとか、たくさん伝えることはあるのに、頭が上手く働かなくて、声も震えて音声入力も何度も失敗した。
そこからは慌ただしく時間はすぎた。
お父さんもお姉ちゃんも会社を早退して、病院に駆けつけてくれた。
わたしは地に足がついていないような感じで、ふわふわした気分で過ごした。
病状の説明や検査を何度も済まして、点滴したり目薬したり、忙しい。
角膜は臓器と違って比較的簡単な手術ではあるが、わたしは特殊な病気で、移植を終えても治らないかもしれないという不安があった。
角膜移植をしても、治らないと言われ続けていた病気なわけで、技術が進歩し新しい治療法が見つかったと聞いても、前例が殆どないから術後の経過も分からないし、成功例も数件しかないのでは、自分が実験台のような気にもなった。
(奏多が励ましてくれたら、もっと勇気がでるのにな)
奏多には何度かメールをしたが、既読にならない。
どうしたのかな。
あんな簡単なメールでドタキャンしたから、怒ったのかも。
手術終わったら、ちゃんと謝ろう。
どんな顔して会おうか。
奏多はきっとびっくりするだろう。
そして、喜んでくれるはず。
まだ手術が成功すると決まっていないのに、会えることを想像したら、それだけで胸が締め付けられた。
奏多はどんな顔かな。
お父さんとお母さん、お姉ちゃんも会えたら10年ぶりだ。
(ーーーー成功しますように)
提供者や家族、病院の人。
全ての人に感謝を込めて、祈った。
****
手術は成功し、結論からいうとわたしの目は見えるようになった。
でもまだ視界はクリアではないし、視力調整が上手くいかず良く見えない。
それでも、わずかな光しか感じられなかったわたしには、とてつもなく大きな変化だった。
目のけがに気をつけなくちゃだし、目薬は欠かせないし、抜糸や定期検査で病院通いは無くせない。
これから数ヶ月かけて、徐々に見えるようになると言われた。
「ねえお姉ちゃん、奏多から連絡あった?」
手術から3日経ったが、まだ上手くスマホ画面を見れない。光の調節がうまくいかなくて、目を守る薄いカーテンのような眼帯のをしていた。
「来てたよ。えっとね、レポートで慌ただしかったのと、スマホ家に忘れてきちゃって、すぐに連絡できなかったって」
「そっか……よかった」
「お見舞いに来て貰えばいいのに」
「やだよ。お風呂も入れないのに…」
「ふふ、やっと奏多君に会えるんだねぇ。もうちょっとだ」
「うん」
うっすらと見えた自分の顔は、当然だが見えなくなる以前の自分とはかけ離れていた。
誰だかわからなくて、初めまして、と言いそうになったほど。
「凜は美人だよ。いつかくるこの日のために、美容部員であるわたしが、お手入れを惜しみなく注いだんだからね」
自信満々に言われ、破顔する。
「お姉ちゃん、ありがとう。お姉ちゃんのおかげで少し自分に自信がついたよ」
お姉ちゃんは想像通り、溌剌とした女性になっていて、今まで声しか知らなかった婚約者の陽生《はるき》さんも、はっきりとした目鼻立ちの好青年だった。
(ああ、お姉ちゃんはこんな素敵な人と結婚するんだ)
結婚前に、わたしの目が生まれ変われたのは良いタイミングだったかもしれない。
わたしが塞ぎ込んだ時も、自棄になっていた時期も、怒ったり見捨てたりせず、ずっとずっと優しく愛情を注いでくれた。
そんなお姉ちゃんに、恩返しをできるように、神様がこのタイミングを選んでくれたのかも。
ありがとうございます。
この目を一生大事にします。
これからは、わたしと一緒に生きて、世界を観てもらえますか。
空へと語りかける。
それは、どこの誰かもわからない提供者への想いだった。
退院までは、穏やかに過ごした。
徐々に自分で出来ることが増え、奏多ともメールも出来るようになり、これからの未来は明るいのだと、そう思った。
「なんか、自分の家じゃないみたい……ねぇお母さん、カーテン変えたの?」
退院し、家に帰ると思い描いていた家と違った。
ソファを買い換えたのは知っていたが、テレビや棚など新調された家具もあって、本当に今まで住んでいた家なのか疑ったほどだ。
玄関からリビングまでの歩数も、手摺りの位置も、床の感触も全てが一緒なのに。
「10年も経てば買い換えるわよ。凜はいきなり10年後にタイムスリップしたような感じかな」
たしかにそうだ。
未来へ来てしまったように、全てが珍しくて、全てが新しい。
車の形も、街の景色も違った。
テレビの映像技術も驚くことばかりで、わたしが役者でもし浦島太郎の役をやったら、誰よりも上手く表現できるだろうと思った。
クローゼットを開けると、わたしの着ていた服やバッグは、百貨店のブランド物が半分を占めていた。
「高い物ばっかり……」
「従業員割引使えたし、型落ちで安くなってたのばかりだよ」
「でも……。
もう! わたしが見えないからわからないと思って……」
言葉がつまる。
怒ったわけではなくて、お姉ちゃんの気遣いがわかったから、泣きそうになった。
こんなにも愛されているんだって、実感したからだ。