未来へ向かって
「陽ちゃんは、卒業後の進路はどうする? 」
新谷先生が聞いてきた。
特別支援学校の生徒たちは、高等部を卒業したら障害者枠で一般企業に就職を目指す。
障害が重い生徒は作業所で働くことになる。
陽介は、左足が動かない以外は問題ないし、頭は良い方だ。
「大学に行こうと思っています」
「何を勉強したい? 」
「医療系がいいと思っています。理学療法士になって、運動の指導をするとか、薬学や医療事務も良いと思ってます」
「良く調べてるようだね。そろそろ、普通科の高校に復帰することだって考えても良い頃だと思うよ。日常生活にはほとんど支援はいらなくなったし」
「僕は、高等学校卒業程度認定試験を受けるつもりです。陸上をここで続けたいので、転学はしません」
陽介は、普通教科の入学試験対策を自力でやっている。今度、予備校の夏期講習を受けてみるつもりである。
「そうか。陽ちゃんならきっと自力で未来を切り拓けるだろうな」
新谷先生は、いつも優しい言葉をかけてくれた。
正直、自力で普通科の勉強をするのは、とても困難なことである。だが、陸上を続けてダッシュができるようになることも、自分にとって重要な夢だった。
「陽ちゃんは、いつも勉強しているね。凄いなぁ」
アッキーが、最近相手をしてもらえなくて寂しいのか、陽介の傍で一緒に宿題をやるようになった。
「ああ。勉強すれば、将来なりたい自分になれるんだ。きっとこの足のことも、勉強すれば道が開けると思う」
医学は日進月歩だ。
治療が困難な難病の治療薬が、次々に開発されるようになった。
そして、身体の組織を培養して作り出す研究も進んでいる。
そんな最先端の研究のことを、もっと知りたくなった。
「俺は、新薬の研究をしてみたいなぁ。自分みたいに身体が麻痺した人の脳の一部を再生できれば、元通りに走ることができるようになると思うんだ」
「なんだか凄いね。俺も頑張れば、お利口さんになれるのかなぁ」
「アッキー。できると思えばできる。自分を甘やかさないことだ。俺は入院していた時、左手だって動かなかった。毎日筋トレをして、機能訓練をしてやっと違和感ないくらいに動かせるようになったんだ。脳みそだって、毎日一生懸命使っていれば、賢くなるはずだよ」
「えっ。そうなの? 俺、脳がないから頭が空っぽなのかと思ってた。考えると頭が良くなるのかなぁ」
「はは…… 世の中には、諦めずに難病に立ち向かう研究者がたくさんいるんだ。俺たちが簡単に諦めていいわけないだろ」
「でも、俺バカだからな」
「まずは、自分を『バカ』だというのをよしなよ…… 」
放課後、外に出るといつもの足を蹴り上げる訓練をした。アッキーが左足を持って動かしてくれる。
「よし。今度は左に捻ってみてくれ」
「はいよ」
言われるがままに、足を動かしていく。
「ふう…… じゃあ、外周を走ろう。アッキー、競争だ! 」
ジョギング程度なら、あまり遅れずについていけるようになってきた。
左足を引きずるようにして、バランスを取りながら何とか走っている。
アッキーは陽介に合わせていつも伴走してくれていた。
「へへっ。俺さ、もう少し賢くなれる気がして来たよ…… 」
走りながら、自分の行く末を考えていた。
「なぁ。アッキー。俺さ。左半身麻痺なんて、自分がなるまで全然想像したことなかったんだ」
「へえ。俺は足が動かなくなったことないから、良くわからないよ…… 」
「身体が半分動かないと、精神的にきついぜ。死んだような気分だったよ。始めは…… 」
「陽ちゃんを見ていると、死にそうもないけどね。ははは」
「寝返りも打てないし、起き上がるのも一苦労だし、茶碗も持てないし、いつも左側に倒れそうになるし…… あれもこれも出来なくて、しんどかったんだよ。ホントは…… 」
「じゃあ、俺もしんどいけど、物覚えが良くなるのかなぁ。いつも自分が何か忘れるんじゃないかって、心配で。誰かに『ウソつき! 』って言われるんじゃないかって思うと、笑っちゃうんだよね…… 」
「俺さ。こうして走っていても、気を抜くと左に倒れそうになるんだ。一瞬でも気を抜いたらアウトだよ。なんでこんな目に遭うんだって、いつも思ってるぜ」
「やっぱり、陽ちゃんは凄いよ…… 」
外周を5周した2人は、トラックに立った。
「また、やるんでしょ」
「おう! 」
「ヨーイ! ドン! 」
陽介は転ばなかった。ジョギングくらいのスピードで、静かにスタートして自分のペースで走った。
「よし。まずは50m走ったぞ」
「今日はダッシュしないんだね」
「アッキーが、宿題やってるところを見て思ったんだ。まずは、自分の身の丈に合ったことをすればいいんじゃないかって。転ぶほどダッシュしても、得るものがないってアッキーが言ってる気がしたんだ…… 」
「俺は何も言ってないよ」
「そうだな。ははは」
「何だか、陽ちゃんはどんどん賢くなっていく気がするなぁ…… 」
しばらく2人はグランドにしゃがみこんで、空を見ていた。
「なあ。アッキー。俺はさ、自転車に乗っていてスマホをいじろうとしたから、天罰を受けたんだ」
「ええっ。そうなの? 天罰って怖いなぁ」
「でもさ。自転車に乗って、スマホいじってる人なんてたくさんいるじゃないか」
「ああ。ちょっとムカつくね」
「なんで、俺なんだろうってさ。罰を受けない奴がたくさんいるのに、何でかって考えたんだ」
「…… 」
明夫は黙り込んでしまった……
「なんでだろう…… 」
「俺にもわかんないよ」
「何でかなぁ…… 」
陽介の無念な気持ちは深く心に影を落としていた。
体が動かない、ということは生活のすべてを制限する。
明るく前向きな陽介の心の底には、いつも自分を責め、運命に怯える弱い自分がいたのだ。
将来の進路も、夢も、すべてが障害を克服することに収斂されている。
それだけ心の闇も深いということが言える。
「俺も、勉強するよ。陽ちゃんのようにはできないけど、自分に負けたくないからね」
「…… 」
今度は陽介が黙り込んでしまった。
考えてみれば、知的障害だってつらいはずだ。
ものを忘れたると、想像を絶するストレスがかかると、聞いたことがある。
「アッキーは、いつも怒られていたんだろう」
「うん。良くいじめられたし、兄ちゃんには殴られるよ」
「知らなかった…… それでよく…… いや。何でもない」
「また、走ろうよ」
「ああ。もう一本いくか! 」
またスタートラインに立った。
「なあ。走っていれば、何とかなる気がしないか? 」
「よくわかんないよ。俺はバ…… へへへ。何でもない」
「ヨーイ! ドン! 」
2人はゆっくりと走った。
自分に無理のないペースで走っていれば、きっと未来へ通じると思った。
努力は、1%の奇跡をもたらす。
きっと明日も2人は、努力を続けるだろう。
了
この物語は、事実を元に創作したフィクションです。
「陽ちゃんは、卒業後の進路はどうする? 」
新谷先生が聞いてきた。
特別支援学校の生徒たちは、高等部を卒業したら障害者枠で一般企業に就職を目指す。
障害が重い生徒は作業所で働くことになる。
陽介は、左足が動かない以外は問題ないし、頭は良い方だ。
「大学に行こうと思っています」
「何を勉強したい? 」
「医療系がいいと思っています。理学療法士になって、運動の指導をするとか、薬学や医療事務も良いと思ってます」
「良く調べてるようだね。そろそろ、普通科の高校に復帰することだって考えても良い頃だと思うよ。日常生活にはほとんど支援はいらなくなったし」
「僕は、高等学校卒業程度認定試験を受けるつもりです。陸上をここで続けたいので、転学はしません」
陽介は、普通教科の入学試験対策を自力でやっている。今度、予備校の夏期講習を受けてみるつもりである。
「そうか。陽ちゃんならきっと自力で未来を切り拓けるだろうな」
新谷先生は、いつも優しい言葉をかけてくれた。
正直、自力で普通科の勉強をするのは、とても困難なことである。だが、陸上を続けてダッシュができるようになることも、自分にとって重要な夢だった。
「陽ちゃんは、いつも勉強しているね。凄いなぁ」
アッキーが、最近相手をしてもらえなくて寂しいのか、陽介の傍で一緒に宿題をやるようになった。
「ああ。勉強すれば、将来なりたい自分になれるんだ。きっとこの足のことも、勉強すれば道が開けると思う」
医学は日進月歩だ。
治療が困難な難病の治療薬が、次々に開発されるようになった。
そして、身体の組織を培養して作り出す研究も進んでいる。
そんな最先端の研究のことを、もっと知りたくなった。
「俺は、新薬の研究をしてみたいなぁ。自分みたいに身体が麻痺した人の脳の一部を再生できれば、元通りに走ることができるようになると思うんだ」
「なんだか凄いね。俺も頑張れば、お利口さんになれるのかなぁ」
「アッキー。できると思えばできる。自分を甘やかさないことだ。俺は入院していた時、左手だって動かなかった。毎日筋トレをして、機能訓練をしてやっと違和感ないくらいに動かせるようになったんだ。脳みそだって、毎日一生懸命使っていれば、賢くなるはずだよ」
「えっ。そうなの? 俺、脳がないから頭が空っぽなのかと思ってた。考えると頭が良くなるのかなぁ」
「はは…… 世の中には、諦めずに難病に立ち向かう研究者がたくさんいるんだ。俺たちが簡単に諦めていいわけないだろ」
「でも、俺バカだからな」
「まずは、自分を『バカ』だというのをよしなよ…… 」
放課後、外に出るといつもの足を蹴り上げる訓練をした。アッキーが左足を持って動かしてくれる。
「よし。今度は左に捻ってみてくれ」
「はいよ」
言われるがままに、足を動かしていく。
「ふう…… じゃあ、外周を走ろう。アッキー、競争だ! 」
ジョギング程度なら、あまり遅れずについていけるようになってきた。
左足を引きずるようにして、バランスを取りながら何とか走っている。
アッキーは陽介に合わせていつも伴走してくれていた。
「へへっ。俺さ、もう少し賢くなれる気がして来たよ…… 」
走りながら、自分の行く末を考えていた。
「なぁ。アッキー。俺さ。左半身麻痺なんて、自分がなるまで全然想像したことなかったんだ」
「へえ。俺は足が動かなくなったことないから、良くわからないよ…… 」
「身体が半分動かないと、精神的にきついぜ。死んだような気分だったよ。始めは…… 」
「陽ちゃんを見ていると、死にそうもないけどね。ははは」
「寝返りも打てないし、起き上がるのも一苦労だし、茶碗も持てないし、いつも左側に倒れそうになるし…… あれもこれも出来なくて、しんどかったんだよ。ホントは…… 」
「じゃあ、俺もしんどいけど、物覚えが良くなるのかなぁ。いつも自分が何か忘れるんじゃないかって、心配で。誰かに『ウソつき! 』って言われるんじゃないかって思うと、笑っちゃうんだよね…… 」
「俺さ。こうして走っていても、気を抜くと左に倒れそうになるんだ。一瞬でも気を抜いたらアウトだよ。なんでこんな目に遭うんだって、いつも思ってるぜ」
「やっぱり、陽ちゃんは凄いよ…… 」
外周を5周した2人は、トラックに立った。
「また、やるんでしょ」
「おう! 」
「ヨーイ! ドン! 」
陽介は転ばなかった。ジョギングくらいのスピードで、静かにスタートして自分のペースで走った。
「よし。まずは50m走ったぞ」
「今日はダッシュしないんだね」
「アッキーが、宿題やってるところを見て思ったんだ。まずは、自分の身の丈に合ったことをすればいいんじゃないかって。転ぶほどダッシュしても、得るものがないってアッキーが言ってる気がしたんだ…… 」
「俺は何も言ってないよ」
「そうだな。ははは」
「何だか、陽ちゃんはどんどん賢くなっていく気がするなぁ…… 」
しばらく2人はグランドにしゃがみこんで、空を見ていた。
「なあ。アッキー。俺はさ、自転車に乗っていてスマホをいじろうとしたから、天罰を受けたんだ」
「ええっ。そうなの? 天罰って怖いなぁ」
「でもさ。自転車に乗って、スマホいじってる人なんてたくさんいるじゃないか」
「ああ。ちょっとムカつくね」
「なんで、俺なんだろうってさ。罰を受けない奴がたくさんいるのに、何でかって考えたんだ」
「…… 」
明夫は黙り込んでしまった……
「なんでだろう…… 」
「俺にもわかんないよ」
「何でかなぁ…… 」
陽介の無念な気持ちは深く心に影を落としていた。
体が動かない、ということは生活のすべてを制限する。
明るく前向きな陽介の心の底には、いつも自分を責め、運命に怯える弱い自分がいたのだ。
将来の進路も、夢も、すべてが障害を克服することに収斂されている。
それだけ心の闇も深いということが言える。
「俺も、勉強するよ。陽ちゃんのようにはできないけど、自分に負けたくないからね」
「…… 」
今度は陽介が黙り込んでしまった。
考えてみれば、知的障害だってつらいはずだ。
ものを忘れたると、想像を絶するストレスがかかると、聞いたことがある。
「アッキーは、いつも怒られていたんだろう」
「うん。良くいじめられたし、兄ちゃんには殴られるよ」
「知らなかった…… それでよく…… いや。何でもない」
「また、走ろうよ」
「ああ。もう一本いくか! 」
またスタートラインに立った。
「なあ。走っていれば、何とかなる気がしないか? 」
「よくわかんないよ。俺はバ…… へへへ。何でもない」
「ヨーイ! ドン! 」
2人はゆっくりと走った。
自分に無理のないペースで走っていれば、きっと未来へ通じると思った。
努力は、1%の奇跡をもたらす。
きっと明日も2人は、努力を続けるだろう。
了
この物語は、事実を元に創作したフィクションです。