朝からの雪が、ずいぶんとひどい降りになってきた。
この調子ではおそらく電車も止まるだろう。雪自体は珍しくないけれど、ここまで大降りになるのはこの辺りでもそうそうない。
「おばあちゃんも今日は、帰ってこられないかな」
娘をあやしながら、みづほは一人ごちた。
2月の上旬。一番寒い季節だ。だが娘の凛は、今までのところ風邪を一度も引いておらず、元気そのものだった。その他、乳児が悩まされがちな湿疹などとも、娘は無縁である。その点ではたいへん育てやすい子供だった。
9月9日、まさに出産予定日の朝から始まった陣痛。半日以上の格闘の末に、3000グラム弱で生まれた娘。平均的な所要時間だと助産師さんには言われたが、何度も気が遠くなりかけたし、繰り返して経験したくはないと思うようなレベルの痛みだった。産んだ瞬間はものすごくほっとして、娘の顔を見たとたんに涙があふれ、多少は痛みの記憶が薄らぎはしたけど。
生まれたての赤ちゃんは猿みたいだと言うけれど、本当にそうなのだなと、最初に見た時は思った。お腹から出たばかりの状態だと本当に顔がしわしわで、昔の映画に出てくる宇宙人みたいだとも感じた。1日2日経つうちにしわはだいぶ消えて、人間らしい、かつ可愛らしい顔に変わったのだが。
さて、落ち着いたら決めなければいけないのが、名前である。いくつか候補は出していたのだが、どれが一番良いか、生まれてからもみづほは決めかねていた。
そんな時、産んだ翌日に、母が「昨日思いついた」と新しい名前を提案してきた。それが「凛」。夜の生まれだし、昨日は三日月が綺麗な夜だったし、生きる姿勢の言葉としても似合うのではないかと。
良いかもしれない、と思った。凛ちゃん、と呼ぶ響きも可愛らしいし、背筋を伸ばして凛として生きる女性は、綺麗で格好良いに違いない。これからは男女ともに、そんなふうに生きていかねばならない世の中だろうし。
母に頼んで、その名前で出生届を出してもらった。その日から娘は「須田凛」になった。
さて、その娘も今月で生後5ヶ月を迎えた。
首が座ってきたので横抱きだけでなく縦抱きができるようになって、日々の育児が少し楽だ。そろそろ寝返りをうちそうな仕草も見せている。
母乳育児メインだからか、夜中はまだ起きなければいけない時もあるが、新生児の頃に比べると回数はかなり減った。毎日がめまぐるしく、まだまだ目を離せなくて大変なことも多いけど、娘が成長していく過程を日々見ているのは嬉しいし楽しい。
……そう考えて、ふと思い出してしまうのが、尚隆のことだ。
仮にも、ではなく正真正銘、父親は彼である。今の状況、彼に父親の役目を果たさせていないことについて、胸がまったく痛まないわけではなかった。
それはとりもなおさず、凛から、父親を取り上げていることでもある。産んだのも育てているのもみづほであるとはいえ、そんな権利が、果たして自分にあるのか。
妊娠を知られてから、およそ7ヶ月。その間、彼は毎月、実家を訪ねてきていた。応対するのはいつも母だから、様子を直接に見てはいないが、元気であるらしい。まあ、住んでいる市から電車を乗り継いで2時間半はかかる、この町までわざわざやって来るのだから、健康には違いないだろう。
そして毎回、みづほと凛の様子を尋ねた後、お金の入った封筒を母に渡して、帰っていく。不在でなかった時は「会えないか」と必ず問われたが、一度も顔は出していなかった。
……尚隆が置いていくのは、決まって8万円。それ以外にも、出産直後には10万円を持って来たと聞いている。営業職の給与内容については知らないし、クロウヂングプロダクトはそれなりに金払いの良い会社ではあるけど、8万円をぽんと出して懐が痛まないほど高給ではさすがにない、と思う。