地区代表って、神様は私のことを甘やかしているんじゃないかと思った。そして、意地悪だなぁとも思った。
実は地区大会で、部活は一区切りつけようかなぁと、内心思っていた。9月に定期演奏会はあるけど、9月といえば就活一色の時期。成績がたいしていい方でもない私は、必死に頑張らないと内定はいただけないことくらい、わかっているつもりだった。
「そうか、進路も大事だもんね。」
顧問の小寺先生に、相談すると、まずは理解を得られた。
「でも、いまの部活にとって、祐美は抜けちゃいけない存在だと思うんだよね。」
先生が言うことも、一理ある。明希の停学でバラバラになった部活を立て直したのは、自分で言うのもなんだけど、私だ。チームとして成長していくには、求心力となり、メンバーシップを発揮する原動力としての私の存在が重要度を増してくる。
「せっかく支部大会出れるのに、ここでやめちゃう?」
先生の発言にドキッとした。
支部大会は誰でも出れるものじゃない。歴代の先輩方も目指しては散っていった。出るか出ないかの選択肢があること自体、恵まれているのだろう。できるのにやらないのは、逃げなんじゃないか、とも思う。
「正直、困っています。部活も頑張りたいけど、私の人生にも、自分で責任もたないといけないなぁって思います。」
3時間に及ぶ面談の末、出した答えは「支部大会まで部活に参加する」だった。
私が出した条件は1つ。支部大会までの部活は進路活動を最優先として、合奏など、時間を取られる活動には欠席させてもらうこと。
先生が出した条件は2つ。1つ目は支部大会までは合奏に出れなくても毎日顔を出してほしいこと。2つ目は支部大会後の定期演奏会で私が吹いているパートを誰が吹くか指名すること。
私は先生の条件をのんで、ギリギリまで部活に出ることを選択した。
「じゃあ、祐美。話して。」
支部大会の後、2つ目の条件、「私が吹いているパートを誰が吹くか」を先生に伝えると、すぐに2人まとめて呼ばれた。
「明希、申し訳ないけど、私、ここで部活を引退しようと思うんだ。」
「…。」
「コンクールで私が吹いていたところ、代わりに吹いてもらえる?」
明希は涙をためて、うなづいた。先生には「指名しろ」と言われたけど、楽器的に、メンバー的に、任せられるのは明希しかいなかった。楽器的に任せられるのは、バスクラリネットかバリトンサックス。バスクラリネットは明希と1年生の経験者がいるけど、バリトンサックスは初心者の1年生。今からパート変更ができるのは明希しかいなかった。
「祐美さん、ごめんなさい。私、まだまだ祐美さんと一緒にやりたかったです。金賞、とりたかったです。」
「私もとりたかった、のかな? 私は、部活を中途半端にして、本当に申し訳なかった。銀がとれたのは、明希たちのおかげだよ!」
明希はなきじゃくりながら、現実を受け止めようとしていた。
「金賞は、明希がとるんだよ! 私は内定とりにいく!」
これが明希と話した最後の機会になった。
9月の末に引退式があったが、就職試験と重なり、直前になって「欠席」と連絡した。
後期に入り、教室には「内定おめでとう」の掲示がちらほら貼られるようになった。残念ながら、私はまだだ。もう2社も落ちている。「通常」であれば、1社目で内定が出る。万が一落ちても2社も受ければ引っかかるのが、南風館の「通常」だった。
やばいのは私自身が痛いほど知っている。3社目に受けることにしたのは、地元の食品加工会社だった。1社目も2社目も、札幌や東京の大企業を受けて落ちたのだから、両親から「まだ受けるなら地元にいてほしい」と言われ、ここを受けることに決めたのだった。
「で、お前は何がやりたいんだ?」
面接指導にあたったのは英語の河野先生だった。授業は受けているけど、そんなに話す機会もなく、しゃべったことがない先生だった。
「地元に貢献したいと…」
「本当に地元に貢献したいやつは『こういう事業をとおして、この層の地元の方に、こういうことができるようになってほしい』ってくらい、具体的なんだよな。」
先生の助言は的確だった。私には具体性が欠けていた。そもそも、地元に貢献したいというのは、担任に言われてつけた理由だ。
「面接うんぬんは置いておいて、お前が本当にやりたいことは、なんなんだ? それを見つけられないと、面接練習を通すわけにはいかない。」
今日のところは練習中止となり、「もっと自分と向き合いなさい」と言われてしまった。
私が本当にやりたいこと。ぶっちゃけ言ってしまえば部活だ。もっとファゴットが上手くなりたいし、仲間と上を上を目指して強いチームを作りたい。
1社目に受けたのは東京のイベント企画会社。仲間ともっと楽しいイベントを企画運営していくところが、部活的な楽しさにつながるかな、と思って、勇気を出して応募した。ちょっと高望みしていたけど、やはり落ちてしまった。
2社目は札幌の楽器店。楽器に触れていられるのは幸せかな、と思って受けたけど、やはり落ちてしまった。
今受けている食品加工会社は、正直、私がやりたいことは何もカスっていない。地元に残ってほしいという両親を説得できなかった私が悪い。「もうここしか残っていない」という状況になるまで、就活を長引かせた私が悪い。残念ながら消去法的な選択だった。
「札幌と東京と、受けるときにお家の方はなんと言っていたんだ?」
翌日の練習は、練習の前に「志望動機の確認」と称した面談から入った。たしか、地元には残ってほしいけど、祐美が決めたことなら応援する…とかだったかな?
「私は大反対されていたけど、大肯定されるようになったよ。」
河野先生は自分の進路を語ってくれた。
どうやら、先生は先生になれればどこでもいいと思って北海道と地元仙台とどちらも受けていたけどなかなか受からなかったらしい。やっと臨時教員のクチが見つかったのが北海道で、その時はご両親から反対されていたらしい。「どうせ臨時なら仙台でなんでもやれ!」と。
臨時教員が影響したのか、北海道で正規教員が決まったときには「北海道の人に恩返ししてこい!」と、北海道で働くことを肯定してくれたようだ。
「つまり、お前には私でいう『とにかく先生になりたい』のような強い思いが欠けている。だから2社も落ちて、行く気になれない企業を受けるハメになっている。」
そうなんだ。その通りだ。
私って実は何をやっても中途半端なんだ。他人のためなら頑張れるけど、自分自身のこととなると、どうも頑張りが効かない。自分のために頑張らなきゃと思って部活を辞めたけど、それで本当によかったのだろうか?
「私の意見を言わせてもらうと、お前はこの会社に、是が非でも受かるべきだ。そして、やりたいことを見つけて、辞めるべきだ。」
え? 会社って一度入ったら辞めないものなのでは? やりたいことはたしかにこの会社にはなさそうだけど、だからって辞めるべきって…。
「『辞めたい』なんて、面接で言う必要はない。地元の食材で地元の人向けに商品を作って売って、そうやって自分を育ててくれた地元を知っていきたい。って言えばいいんじゃないか?」
辞めるつもりで受ければ少しは気楽に、面接を受けられるかもしれない。先生は先生が答えを言っちゃうと、そのまま練習記録にサインをして合格にしてくれた。
まだ内定が出ていなければ、試験も受けていないのだけど、これから見つける「私がやりたいこと」を見つけるのが、楽しみになってきた。
私に面接練習が回ってくるのは、ある意味緊急事態だった。通常は学年の先生で終わらせるので、どの学年でもない私に回ってくることなど、ほぼほぼないのである。
原田祐美。たしか吹奏楽部でファゴットという珍しい楽器を吹いている副部長だ。学業もすごく良くはないが、悪くもない。そんな彼女がなぜ2社も落とされたのか。それはまさに緊急事態だった。
「地元に貢献したい」
彼女がこの食品加工会社にむけ、用意してきた志望動機がこれだ。たぶん担任に言わされているのだろう。まったく整合性がない。いままで受けたのが、札幌と東京の企業で、たぶん部活の延長的な活動がしたかったのだろう。受からないからといっても、ここまで落とすか?
今日のところは自分ともっと向き合うよう言って、切り上げることにした。
「佐田先生、3Cの原田はどうして南食品を受けさせたんですか?」
担任の佐田先生にことの経緯を確認した。どうやら佐田も原田がここまで「残って」いることは想定外だったらしい。
「いやー、本当は推薦で大学に入れてもいいくらいの生徒なんですが、就職って譲らなくて。」
どうやら「就職」というのは本人の意志というよりは、保護者の方の意志らしい。かといって本人になにか意志があるのかといっても、微妙らしい。
最初の2社は、本人の意志で決めた企業だろう。だが、我が校の生徒にはハードルが高すぎる。2社目の時点で堅実なところを紹介できていれば、もっと選択肢はあっただろうに。
「彼女にはもったいないですが、原田は南食品で一生頑張ってもらうしかありませんね。」
ああ、また私はカチンときてしまった。
しかし私も成長する。もう無駄な無意味な波風は立てないよう、秘密裏にことを運ぶことにした。
たぶん、原田がやりたいことは南食品にはない。ただ、これだけ親や教員の言いなりとなってしまっているなら、将来「違う」と思っても辞められないのではないか。
だとしたら、いまの、最終面接練習者としてできることは、辞めるということについたネガティブなイメージを取り除くことではないか。
だから、練習で「受かって、辞めるべきだ」と断言した。そう言ってくれた大人が1人でも居たなら、この先彼女は自分の意志を得たときにその通り行動できるのではないかと考えた。
面接練習を終えた、というか終わらせた原田はなんとなく清々しい表情だった。
「河野先生!」
約2週間後、原田が私を訪ねてきた。
「やっと内定いただけました! 先生のおかげです。ありがとうございました。」
ご丁寧に菓子を持って礼にきてくれた。
「原田、いいか?」
原田は気をつけをして、話をじっくり聞く体勢をとった。
「最後の練習で言ったとおり、お前の勝負はここからだ。これからの学校生活で、働く中で、本当にやりたいことを見つけてほしい。」
原田はとびきりの笑顔で「はい」と元気よく返事をした。
「やりたいこと見つけたら、先生にご報告にきますね!」
私は見かけ上笑顔を作って送り出した。そして心には、じんわりと後ろめたさが染みた。
きっと原田がやりたいことを見つけたときに、私は南風館にも北海道にも居ない。夢を応援しておいて、見届けられないのは無念である。
虫の知らせか、少し早めに帰宅すると、小さな茶封筒が入っていた。
「仙台市教育委員会」
帰郷に向けて受け直していた仙台市の教員採用試験の結果だ。残念なことに、この大きさには見覚えがあった。
「誠に申し訳ありませんが、厳正なる審査の結果…。…皆様のご多幸をお祈り申し上げます。」
何度も見た不合格通知だった。原田の進路が決着したかと思えば、私の進路が危うくなってしまった。危うく、というか白紙だ。学校には何も言ってないから、このまま南風館で働くこともできるが、なぜか、そうはしない気がした。
「本当にやりたいことは、なんなんだ?」
原田と同じことを自分に問いかける。
たぶん、北海道でできることはもうやり尽くしている。いずれは仙台に戻ること、あわよくば両親を孫に会わせることが私のささやかな夢だった。いや、今も私の夢だ。
仕事がなければ仙台に帰ってはいけないのか? いや、まだ見つからなくても、今ならたとえ教員にはなれなくても、仕事は選ばなければあるはずだ。
見慣れた不合格通知を見つめながら、取り得る手段を5つも8つも考えていた。
ブルルル、ブルルル。
突然携帯が鳴った。こんな時間に誰だろうか? 画面には090から始まる携帯番号。しかし登録はしていない人らしい。とりあえず、出てみると、懐かしい声がした。
「タカちゃん、元気? めぐみだよ! 大学のゼミで一緒だっためぐですよー!」
そうか。何年か前に携帯を買い替えた際、連絡先を入力し忘れたのが何件かあったらしい。
めぐみは言っているとおり、大学のゼミで同期だった。仙台の私立高校の講師を何校か経験して、たしか、何年か前にそのうちの1校に正式に採用されていた。
「やー、いきなりなんだけどね、結婚することになったんだよね。」
そうか、もう我々も35歳。結婚式はもう何年も出ていないが、ついにこれで最後の結婚式かもしれない。
「おめでとさん。」
「いや、私じゃないし。独身ですが、何か?」
いや違うのかい!
話をまとめると、結婚するのはめぐみの同僚で、英語の教員らしい。年は我々より少し若いくらいの男性で、国際結婚らしく、結婚後の4月からはフィアンセの国、イギリスで新生活にのぞむらしい。つまり、彼のぶん、英語の教員に空きが出るから、代わりの教員を探しているというわけだ。
「誰かいい人いない? って聞かれたんだけど、できれば男性教員がいいんだって。まあ、男女バランス的に。男の人なら男の子に聞くのが1番かなぁと思って。どう?」
「うん。」
「え、まじ? ありがとう。助かるわ〜。」
反射的に返事をした。虫の知らせはいい知らせも運んでくれたらしい。
「その子の連絡先、学校に教えていい?」
「『その子』って俺じゃダメ?」
「え!! タカちゃんは北海道でしょ!」
そうだ。私が仙台に帰るつもりだとは、言っていなかった。事情を説明し、連絡をもらえるよう頼んだ。
10年も働いていながら採用試験に落ちたのは残念だが、働き口がツテで見つかった私は幸せ者だ。めぐみが電話をくれたのも、大学時代、それなりに仲良くしていたからだろう。
仙台の採用試験を受け続けるか、私立で勤め続けるか。それは働きながら考えればいい。きっと原田と同じで、働きながら私の生きたい道は見つかるものなのだろう。
それにしても、春からはめぐみと同僚か。かつての同級生と一緒に働くのも初めてだ。嬉しいような恥ずかしいような。あの頃から成長していなかったら、バカにされてしまうな。ははは。
新天地が決まったも同然で、未来の自分に、頑張ろうとする自分に、エールを送った夜だった。
私がこの夏、採用試験を受けたのは合計3つ。1つ目は大学があった東北、2つ目は採用数の多い東京、3つ目は地元北海道。すでに東北と東京の結果は出ていて、どちらも不採用だった。やはり実力不十分なのか? と自分を疑いながら、北海道の結果を待っていた。
実力不十分なのか? と不安になることもある。生徒にとって難しい文法を扱うときは特にそうだ。
「先生が不安だと、みんなで沈没しちゃうよ。」
いつか花菜さんがノートの端に書いていたメッセージだ。たしかにそうだ。この青空高校の英語教育は私にかかっている。
実は昨年度の後期、英語の授業は理科免許の教頭が一手に引き受けていたらしい。どれだけ探しても青空まで来てくれる英語の先生はいなかったらしい。
私が来てから「やっと英語の先生が来た」という空気を感じていた。代わりの先生が来ないとは、さすがに高校生でも変だとわかる。
教頭は英語が苦手ながらも、そんな不安は奥にしまって授業に向かっていたのだろう。生徒たちはなんとなく、英語を楽しんでいる。英語という教科は、苦手意識を持たれていても不思議ではないのに。教頭の授業を受けていた2、3年生は少し文法や単語力に「?」がつくところもあるが、きっと、そんなことより大事なことを教えてもらっていたのだろう。
「いやー、佐藤先生。明日だね。」
北海道の採用試験結果が出る前日に、教頭が声をかけてきた。人が普通気まずくて聞けないことをズケズケ言ってしまうのが教頭の「チャームポイント」だ。
「先生、不安なんでしょ。」
さらにデリカシーなく、聞いてくる。
もうここまで来たら止まらない。なんとなくあいづちを打って、時が流れるのを待つだけである。
「ぼくね、5回さ。」
「?」
よくわからない。5回って何が5回なのか。
「あ、わからないって顔に書いてるね。落ちた回数だよ。」
「教頭、まだまだですね。僕は8回ですよ。」
今野先生が乗ってきた。やはり、よくわからないが、採用試験ってそんなに落ちるものなのか?
「結果はわからないけどさ、僕ね、佐藤先生の力は本物だと思うよ。だってうちの生徒、みんな英語楽しそうだもん。」
教頭の発言に、他の先生方もうんうんとうなづく。「いやいや、生徒が英語を楽しんでいるのは教頭のおかげで」そんなことを言っても先生方の意見は変わらなかった。
「あのねー、前任者のおかげってせいぜい1か月だよ。半年も生徒が楽しんでいるんだから、先生の力だよ。」
今野先生が言うのなら、そうなのかもしれない。でも私には相当に自信がなかった。私は去年、教育委員会から烙印を押されているのだ。向いていない認定がおりているのだ。
「ま、教育委員会が先生の力を見抜けていなかった、ってことっすよ! 生徒はちゃんと見てるじゃないですか。」
飯田先生までのってきた。飯田先生が出てくると、やや信憑性に劣るが、そういうものなのだろうか? 考えるほどによくわからなくなる。ますます明日の結果が不安になってきた。
パン!
教頭が手を叩いて、空気をかえた。
「ってことで、佐藤先生はもう大丈夫だ! 大丈夫! 大丈夫! 大丈夫!!」
翌日。恐る恐る、教育委員会のホームページをのぞいた。
「E3002」
軽く10回は確認した。たしかに私の受験番号が載っていた。声にならなかった。やっと先生として認められた。
「ほら言ったでしょ。」
教頭の予言があたった。
嬉しかった。でも、嬉しさの向こうに、青空の生徒はいない。まだどこにいるかもわからない、未来の生徒たちだ。
『先生が不安だと、みんなで沈没しちゃうよ』
ふと、花菜さんのメッセージが脳裏に浮かんだ。この合格によって、私の「次」がないことが決定づけられた。「次」がないのなら、悔いは残せない。
私は決意のワインをあけた。
初雪の便りが聞こえてもおかしくない、12月。南風館高校の2年生は関西地方に向けて、修学旅行に出かけた。1日目は飛行機を乗り継いでの移動。2日目は学級別の文化研修と自主研修。3日目は全体研修と遊園地。4日目に新幹線と飛行機で帰ってくるという行程を予定していた。
ところが、である。1日目、学校集合早々に、出発延期が決まった。飛行機が飛ばないそうだ。最寄り空港から羽田便は日に2往復しかなく、南風館は2便に分けて搭乗する予定だった。後発便は飛ぶようだが、全員は移動できない。「みんなで」というところを第一と考えると「出発延期」という答えにたどり着いたのだった。
「減るのヤダ!」
「自主研修なくすな!」
生徒たちからは相当なご意見が出たようだ。1日目のうちに結論として出されたのが「2日目日程の中止」。つまり、学級別の文化研修と自主研修の中止だ。
文化研修も自主研修も生徒たちが計画を立てた。自分たちが「できると思っていたこと」ができなくなると、それは思うところもあるだろう。修学旅行は高校生活で一番の行事なので、生徒たちの思いも強い。それは先生方も同じである。
先生方も「なんとか一つでも多くの日程を実現したい」と協議を重ねていた。もちろん、生徒たちが考えた、文化研修も自主研修もやらせてあげたい。しかし、現実問題、変更が効くのは2日目のみ。先生方としても苦渋の決断だった。
翌日、修学旅行2日目。南風館高校の2年生は1日遅れで、関西地方へ飛び立つことができた。本当なら文化研修、自主研修をしている時間。山崎をはじめ、2年生はしおりを眺めては、叶わなかった文化研修、自主研修に思いを馳せた。
全員の移動が完了し、ホテルにて先生方の会議がもたれた。「なんとか自主研修ができないか」という議題だ。生徒たちの計画では、京都観光、大阪観光が主の研修だったが、なんとか一つでも実現できないか。考えに考え抜いた結果、全体研修の縮小が提案された。
朝の集合を30分早め、全体研修予定の春日大社見学時間を30分短縮する。遊園地にバスで向かう予定を変更し、大阪駅で1時間の自主研修をしてから、各自電車で向かうようにする。
もっと長く、もっと範囲を広げて研修させてあげたいが、これが限界だった。
生徒たちに伝えると賛否両論あった。「やはり京都を観光したい」「春日大社でゆっくりしたい」「学級別の文化研修をやらせてほしい」。多くの人で動くとき、全員の意見は採用できない。何を選択することで多くの人を満足させられるか。その考えでいくと、これが答えだった。
「先生たちは『少しでも自主研修をさせてあげたい』と考えた。今の状況では大阪駅1時間が限界だ。なんとか、楽しんできてくれ!」
意見言いあう生徒たちへ、団長の校長先生が一喝した。生徒たちの意見はやんだ。
結果として、大阪駅に放されたあと、電車で京都観光に出かける班があったり、先に遊園地へ向かう班があったりと、「いうことをきかない」生徒たちもいた。先生方との約束は「大阪駅解散の後、遊園地に入場し、時間までにホテルに帰ること」だった。遊園地にもホテルにも先生方が待っている。遊園地に入場しなかった班は3班、ホテル集合に遅れたのは5班。例年に比べると倍近いらしい。
今年の修学旅行は、充分に研修できなかったり、いつも以上に叱られたりと、後味悪い思い出となった生徒、先生が多かったようだ。
青空高校職員室では原則全員参加の飲み会が年に3回行われる。歓迎会、忘年会、送別会だ。師走、すなわち12月は忘年会の季節である。
「じゃ、幹事は佐藤先生で!」
教頭の鶴の一声で、佐藤が忘年会幹事に指名された。忘年会など、イベントごとの幹事は若者の仕事らしい。たしかに大学でもこういうイベントを仕切っていたのは下級生だったような。などと思いながら、佐藤は引き受けた。
幹事の仕事は実に多い。店の選択、店との交渉、日程設定、出欠のとりまとめ、出欠変更の連絡、二次会の設定、精算などなど。佐藤は酒が好きだが、このような、調整が必要となる業務は不得手だった。
「佐藤先生、店、ここどうだい?」
「佐藤先生、店に連絡したから〜」
「佐藤先生、日程、ここにしない?」
「佐藤先生、村田先生が欠席に変更だって」
結局、幹事を指名しておきながら、ほとんどの仕事を教頭がしてくれた。きっと教頭はこういうことが好きなんだろう。佐藤のできなさ具合を心配したのもあるだろうが。
佐藤が酒好きだとバレてから、教頭は飯田や今野も誘ってよく焼肉や居酒屋に連れて行ってくれた。いつも料金は割り勘だった。「昔は上司が出してくれたのにな!」と、今野はいつも文句を言っていた。歓迎会以来の全員で集まる飲み会に、教頭は(イタイくらい)張り切っていた。
あっという間に忘年会当日となった。教頭が「今日は定時退勤と、定時乾杯にご協力ください」とアナウンスした。飯田は「こういう時は、若者が1番に着かないと!」と佐藤を連れて40分前から店で待っていた。おしぼりで手を温めて、1番入り口で先輩方が到着するのを待つ。
料理は温かいもの以外、次々と運ばれてくる。前菜、刺身、鍋、お寿司。そして、盃とグラスも並んでいる。
会計は飯田の役目だった。ひとりひとり、「気がたしかなうちに」料金をもらう。乾杯は校長にお願いした。席次にも気を配る。サラダなど、大皿料理は若者が取り分けるから、若い者が固まらないように取り決めた。
宴が始まり、若手の飯田、佐藤はビール片手に先輩方の席を回る。先輩の飲み物が切れないか、常に気を配る。正直、食べたり飲んだりを楽しんではいられない。こうやって会話を重ねることが楽しく、宴会の目的なのだと教頭は言う。校長が帰った二次会のカラオケになって、ようやく酔いが回ってきた。
冬休みになって、出勤する先生がまばらになった。夏休みも冬休みも、先生方にとっても「お休み気分」なのだ。もともと人が少ないが、今日の出勤者は教頭、村田、佐藤だけだった。村田は部活指導で体育館に詰めているから、自然と教頭、佐藤の2人きりになる。
「いやー、佐藤先生。忘年会、サイコーだね!」
教頭は佐藤を褒めるが、佐藤は「褒められるようなことはしていない」と思っている。結局、予約を取ったのも、出欠確認や連絡をしたのも教頭。当日の会計や盛り上げも全部飯田がやってくれた。私ができたことは何もない、と思っている。
「あのね、飲み会は、どう楽しませるか、なんだよ。」
教頭は腑に落ちていない佐藤を見て、言った。どうやら、佐藤には「その場にいるだけで楽しくなってしまう」素質があるようだ。
そういえば、佐藤が幹事に指名されてから、色々な人が協力してくれた。細かい仕事も出席するということも、色々なカタチで関わってくれた。
「いやー。こんだけ楽しい忘年会にしてくれたから、送別会は誰にお願いしようかね。」
次に予定されている大きな飲み会は、3月の送別会だ。離任する先生へ感謝を伝え、今年度の終了と、来年度への景気付けを行う。
「先生ね、ここだけの話、『歓迎会』って誰でも歓迎されるのさ。とにかく来てくれてありがとう、って。でも、送別会は別さ。誰でも『ありがとう』って思われて、出て行くわけじゃない。実際『早く出てけ!』って思われる人もいるのさ。先生は『ありがとう』のほうだね。授業も仕事も、飲み会も。本当によくやってくれてるよ。」
佐藤は照れ隠しに髪をかきはじめる。「まだ12月ですよ」と、まだ別れには早いのではないかという思いを伝える。
「先生、1月になったらもう新年度準備だよ。めっちゃ早いからね。ははは。あっという間にお別れになっちゃうさ。」
4月から佐藤はどこか違う学校に勤めることが決まっている。先生方はみんな知っている。だけど、生徒たちには言ってはいけない。でも、悔いなく授業を終わらせなければならない。それが一番です。と、教頭が佐藤に教えた。
「ねえ、先生。今日はもう帰らないかい? 仕事納めちゃうよ! 良いお年をお迎えください。」
若干強引に仕事を終わらせて、年内最後の職員室が閉まった。さあ、これから年越し準備だよ! と教頭がはしゃいでスーパーに出かけた。
なんでもないけど、特別だった1年が終わり、なんでもないけど、特別になる1年が始まろうとしていた。
1月に入ると、一気に学校の雰囲気が変わった気がする。常に「どう年度を終えるか」「来年はどうなるか」ということが、頭をよぎる。まあ、後者のほうは私には関係なくなってしまったけど。
教頭が言っていたとおり、あっという間にお別れになっちゃいそうだ。青空高校は3年生の登校が1月末で終了だ。少なくとも3年生とのお別れはあっという間にやってくるようだ。
3年生の英語は週に5時間入っている。3時間が3年生全員22人での授業で2時間が5人の選択授業だ。授業というと、全部きっちり教科書を使ってやらなきゃいけないのかな、と思っていたけど、最後くらい楽しんでやりたいなと冬休みから思っていた。
そこで用意したのが、映画を見ることだった。私が英語好きになったきっかけの映画を見てもらおうと、うまく編集した。物語の筋は損なわず、今年やった単語や文法が出てくるところを漏らさぬように。そして、2回に分けて見れるように編集し、プリントを作った。
「最後2回は、映画見るよ!」
3年生は反応が薄い生徒が多く、最初は大して盛り上がらなかった。「映画って何の映画ですか?」と男子が聞いてきたから、「ハリーポッターです。」と言うと、熱烈なファンが数名いるようで、あちこちでどの話が面白い怖いなどと、盛り上がりはじめた。
「今回は英語版を英語字幕で見ます。難しいところは私が解説するけど、みなさんでもわかる英語で話しているから、楽しんで見てほしいなぁ。」
「英語で見る」と言うと、少し空気が重くなったが、もう決めてしまったのだから、引き下がれない。編集とプリントで英語の楽しさが伝わるようにしなくては。
最終授業日は1月31日。あと2週間ある。テスト作りもあるが、2科目ならそこまで辛くない。最後の2時間にかけるため、私は全てを3年生に注ぐことにした。
「先生、来年の準備はしてるかい?」
私は3年生の授業準備がしたいのだが、教頭は私にどうしても声をかけたいらしい。採用される準備はできているのかと、毎日必ず聞いてくるようになっていた。
「まずは『あっという間にお別れになっちゃう』3年生の授業準備を頑張っています。」
今は、それ以外のことに手が回らない。正直に言ってしまった。すると「まあ、そうなんだけどね。」と、どこか腑に落ちないような曖昧な返事をしていた。
「青空高校のためには、まず3年生を卒業させて欲しいさ。今年頑張ってきた佐藤先生のためにもね。」
教頭が言っていることは、私がしようとしていることと何も違わないようだった。じゃあ、このまま、青空高校のために頑張っていればいいのかな? と心に浮かんだ。
もう、ここまで来ると、青空高校のために頑張ることが幸せで、そうしている自分が好きになっていた。
「でもね、先生。佐藤先生は4月から別の学校に行くのさ。これから正式な先生になって、どんどん素敵になっていくことを考えたら、やっぱり準備は必要なのさ。うちの学校は素晴らしいよ、生徒も先生方も。だけど、ここだけが学校じゃない。むしろうちは特殊なことの方が多いくらいさ。長い目で『先生』になっていくには、青空からは離れて、気持ちの整理をつけて、一般的なことも勉強しないとね。そう思うのさ。」
教頭は今日明日、来年度とか目先のことではなく、もっと果てしない未来を見つめてアドバイスしてくれている。たしかに青空は特殊なことの方が多い。ここだけで勤める訳じゃない。離れる心の整理も必要だ。
「やー、ぼくね、先生が青空で頑張ってるのがすごく楽しそうだから、ほかの学校嫌だ! ってなったらどうしようって不安なのさ。『来年度の準備してるかい?』って、自分を安心させるためにも聞いてるんだわ。しつこくてごめんね。」
「頑張ってるのが楽しそう」というところにドキッとした。きっと教頭には私の気持ちは全て見え見えなのだろう。さすが教員を続けてきて、教頭にまでなっただけある。人を見る目がある。
未来の自分のため、今何ができるだろう? と思いを馳せつつ、やはり今を一生懸命に生きるのが基本だと、3年生の授業準備にとりかかった。
この日から、寝る前、ベッドの中で、私が作りたいクラスを思い描くことにした。
みんなでお弁当を食べるクラス。
3年生のように真面目にコツコツ頑張るクラス。
花菜さんのように熱い思いがあるクラス。
学校祭の後、達成感に満ちた花菜さんの笑顔が思い出される。青空に来るために採用試験に落ちたのだ、とさえ思った。先生になろうと頑張った学生時代、青空での数ヶ月。全てが報われた瞬間だった。教員として1番迎えたかった瞬間だった。
やはり、来年もやりたいな。でも、無理だな。
私にとって、未来を考えることは、今が続かないことを受け入れることのようだった。
学校に来るのもあと2週間か。
1月に学校があるのって、正直よくわからない。もう成績がついたところで、進路が変わるわけでもなく、就職と推薦での進学がほとんどの南風館では、まだ進路未定の3年生はほとんどいない。私も一時期進路が決まらず、冷や汗をかいていたが、決まってしまった今となっては、部活もないこの期間に「学校に来る」という意味を見出せずにいた。
私の高校生活って何だったんだろう、などと考えてみる。部活に全力だった。それは言えてる。たしかに、朝から晩まで部活のことばっかり考えて、副部長までやった。でも、「やり遂げたか」と考えると「?」がつく。
最終的に支部大会で銀賞を受賞したけど、全力で練習した結果ではない。気持ちは地区大会で完全に切れていた。先生方も後輩たちも「最後まで頑張った」って言ってくれるけど、自分ではそんな気など全くない。
勉強はどうだったんだろう? すごく悪いわけではない。特別良いわけでもない。普通に授業を受けて、それなりに課題をこなして、点数は、そこそこにとる。というか、勉強で「頑張る」ってどういうことなんだろう?
高校入試のときは、確実に受かる学校を選んだ。もう一つあげてもよかったけど、「落ちる」という経験をしないために、充分合格圏内だった南風館を受けた。たぶん、入試の成績はトップクラスだったと思う。
トップなんだから、ちょっと落ちても大丈夫という安心感が成績を下げ、良くも悪くもない、中途半端な私ができあがった。
頑張ってない訳じゃないけど、やり切った訳じゃない。私の高校生活に足りないのは達成感だった。
英語の時間にテスト範囲が配られた。最後のテストは1月28日から4日間。実質もう1週間前だった。
「え?」
私は思わず、声を漏らした。
テスト範囲:1〜3年で学んだこと全て。
テスト課題:「高校生活で成し遂げたこと」
テスト内容:上記課題を200語程度の英作文で書く
どこかの入試のような、はっきり言うと難しい課題だった。でも、事前に英作文を書いて持ち込むことができるらしい。つまり、テスト時間ではなく、事前準備のほうにエネルギーが必要なテストということだ。
「いいかー。英作文は事前に書いてきて構わないぞー。ぶっつけ本番で書けそうなやつ…今年はいなさそうだな。卒業したかったら、最後まで頑張ってくるように。」
河野先生はそこから授業をしなくなった。世の中には「教えない」という指導法もあるのだろうか? 残り4時間に迫った授業時間はこの英作文を書くことに使われることとなった。先生は教室をぐるぐる回り、気になる生徒に声をかけている。
「君の場合は、部活だろう。」
「え、ぼく、全然成績悪かったですよ。」
「私が書いてほしいのは、他人に認められたことじゃない。自分が認めたことだ。」
私の原稿用紙に目を落としていると、そんな会話が聞こえた。どうやら河野先生にとっては「成績」というのは誰かが認めたことなのだそうだ。誰かが認めて順位が上がる。誰かが認めていい点数がつく。そういう「成績」ではなく、自分が「成し遂げた!」と思うもの。つまり、自分が認めたことを書いてほしいそうなのだ。
私にそんなことあるだろうか?
部活の成績は良かったけど、達成感はない。正直後悔だらけだった。勉強もそう。進路だって、就職先は見つけたけど、まだ夢は見つかっていない。
時間切れ、だ。
「『成し遂げたこと』がまだない人は、これから作ってもいい。私はみなさんの卒業を『認める』つもりだ。しかし、自分が認められない高校生活なら、後味悪いぞ。何か成し遂げて、卒業してくれ。」
私は、私の卒業を認められるのかな?
実は部活をやめてしまった。
4月に停学をくらってから、部活に居場所がなかったけど、なんとか祐美さんが仲間にしてくれた。祐美さんが引退して、いやコンクールでやめてしまって、そこからはやる気が出せずにいた。
私は何のために部活をやっていたのかな?
うまくなりたかったんじゃないのかな?
もっともっと、上を目指したくなかったのかな?
…。
いろいろと思うところあったけど、祐美さんがいなくなって、託された演奏会も終わったとき、もう私を引き留めるものはなくなっていた。「先生、部活やめます」と軽い感じで退部届をもらい、何も引き留められず、やめた。
私ってその程度だったんだなぁと思った。同級生も先生も引き留めないって、そして自分も。誰からも必要とされたないんだなぁって思った。私自身すら、必要だと思っていないのかもしれない。
「あ」
何気なく、職員室前を通ると、祐美さんがいた。背筋がすっと伸びる。あいさつをしようかと思ったけど、河野先生とお話し中だったから、静かにしていることにした。
「先生、私が成し遂げたことって何ですか?」
「いやいや、それは自分で『認めた』ことでしょ。」
「私、認めてあげられるようなこと、思い当たらないんですよね。」
何か、深刻な、ただならぬ雰囲気を感じた。でも、ここまで聞いてしまって、このまま逃げるのもヘンな気がした。
「おまえは、いっぱいあるじゃないか。部活も、勉強も、進路も。」
「成績は悪くないし、むしろ良かったと思います。でも、『頑張った〜』って達成感がないんですよ。」
聞いてはいけないことを聞いてしまった気がする。
祐美さんが頑張っていない訳ない。私がここまで部活ができたのは、間違いなく祐美さんのおかげだ。現に、祐美さんがいない部活を、私は頑張れなかった。あんなに暗い顔して話すようなことじゃない。私はすごく感謝しているのに。
「あ」
また声を出してしまった。
感謝。
そういえば、私は祐美さんに感謝の気持ちを伝えただろうか? コンクールは祐美さんに感謝されっぱなし。祐美さんがやめるときは何も言えなかった。引退式は会えなかった。
もう祐美さんは卒業してしまう。今はテストに向かって一生懸命で、先生に聞きに行ってもいる。そんな祐美さんを邪魔できない。このまま、胸にしまったほうがいいのかな?
「おまえは自分に厳しいな。おまえに救われたやつは、確実にいるぞ。」
一瞬、河野先生と目があった気がした。「まずい」と思い、通りがかりを装って先生と祐美さんに背中を向けた。
「いいか。おまえが大事だと思う人を救えたなら、サイコーじゃないか? それは『やり遂げた』とは言えないか? それでも思い当たらないなら、あと1週間、全力で思い出せ。この3年間何をしたか。周りの人をどう変えたか。自分はどう感じたか。私はいい英作文を書いてほしい訳じゃない。そうやって高校生活を振り返ってほしい。あとな…。」
先生は少しギアを上げて、付け加えた。
「あとな、思った時に気持ちを伝えられないのが、人間、一番辛いんだ。『ありがとう』『ごめんね』『さようなら』。言える時に言っておかないとな。」
私はその場を去った。
もしかしたら、まさに今。生まれて初めて「言えない」という経験をしているかもしれない。「ありがとう」と祐美さんに伝える機会を逸してしまった。でも、言わないと、河野先生が言うとおり、ずっと後悔が残る。
私はこの日から手紙を書き進めた。渡すのは卒業式。本当は部活で集まって3年生のお祝いをするけど、やめた私は集まれない。祐美さんに会える時間は少しかもしれない。
だから、思いを確実に伝えられるように、渡せば伝わるように、少しずつ書き進めた。
もうすぐ3年生になって、部活もやめた私が何を頑張れるかわからない。でも、私が高校生活を振り返るとき、一番頑張ったといえるのは2年生の部活だろう。そんな輝きをくれたのは祐美さんだ。
ちゃんと伝えて、前に進まなきゃ。
3年生の最後のテストは、毎年英作文を書かせることにしている。テーマは毎年「高校生活で成し遂げたこと」について。このテーマとしている理由は2つある。
まずは難しいからだ。最後のテストが簡単では、達成感を与えられないと考えている。難しい課題を課し、達成感を得てほしい。
あとは生徒に、自身の頑張りを認めてほしいからだ。最近の、というか私が勤めてきたここ10年の高校生は、自己肯定感という自分を認める力が非常に弱い。たしかに頑張った結果はある程度「成績」という部分で反映される。しかし、そうではなくても頑張っている生徒がたくさんいる。そうした生徒たちに自信をつけさせるのがこの英作文のねらいだ。
例年、頑張っているけど成績はいまいち、という生徒たちが、「自分の高校生活って何だったんだろう?」という悩みを抱えるのが通例だ。
今年の例外は、原田だった。
「『頑張った』っていう達成感がないんですよ。」
原田は忖度ぬきで、3年生で頑張っているやつトップ5に入る。学業はトップではないが、大学の推薦を出せるくらい、良い。部活は副部長。しかも創部以来初の支部大会出場。就職先もそれなりなところで、きっちり決めた。
その原田が「達成感がない」と言っている。事件だ。全員に達成感を得させるのは難しいかもしれないが、原田に得させられなければ、私はそれこそ一生後悔するような気がしてならなかった。
私はこの3月で北海道での教員生活に終止符をうつ。今年の3年生は最後の卒業生だ。もちろん、卒業生は、生徒は、例外なく全員大事だ。その中でも、もう北海道で出す卒業生が最後かと思うと、やはりこの学年には思い入れが深くなってしまっている。
特に原田は私が就職面接練習を担当した最後の生徒である。頑張っていた原田に達成感を得させるのが、3年生卒業までの大仕事となりそうだ。
授業では特別扱いはしないと決めていた。教室をまわって、個別にアドバイスする中で「意外と身近に『頑張ったこと』がある」ということを伝えようとした。
「君の場合は、部活だな。」
あるサッカー部だった生徒にはそのようなアドバイスをした。我が校のサッカー部はそれほど強くない。地区大会で1勝すればいい方だ。
私が求めているのは成績じゃない。1番理解しやすいのは部活動だ。努力をしたところで、結果に結びつくのはごく限られた人だけだ。努力したという経験は意外と身近にある。
「『頑張った〜』っていう達成感がないんですよ。」
ついに原田が職員室へ質問に来た。これでやっと、個別にアドバイスができる。周りを見ると、後ろで山崎が様子をうかがっている。たしか2人は吹奏楽部の先輩後輩だ。
「いいか。おまえが大事だと思う人を救えたなら、サイコーじゃないか?」
伝え聞いた話では、部活に行きづらくなった山崎をなんとか部活に引っ張り出したのが、原田だったそうだ。原田は山崎を懇意にしている。そこから「成し遂げたこと」を認めさせようと思った。
「あと1週間、全力で思い出せ。この3年間何をしたか。周りの人をどう変えたか。自分はどう感じたか。」
そうやって「振り返る」ということを私はしてほしかった。何をしたかという「成績」は残る。しかしその、それによって周りの人がどう変わったか、自分はどう感じていたかというのは、記憶の中でしか残らない。そして、一度言葉にしておかないと、記憶というものはなくなってしまうのだ。
だから、いい英作文を書いてほしい訳じゃない、高校生活を振り返ってほしいということを伝えたいのだ。
「思った時に気持ちを伝えられないのが、人間、一番辛いんだ。」
これは、英語の課題とは違うが、きっと今の我々にとって、とても大事なことだと思って、口から出てきた言葉だった。廊下の少し先にいる山崎、目の前の原田、そして私。それぞれにとって、「思った時に気持ちを伝える」というのが大事なのではないかと、直感的に感じたのだった。
原田は結局、「山崎を部活に来させた」ということを成し遂げた英作文を書いてきた。やってきたことと共に、山崎への感謝があふれる英作文だった。
「|I played the bassoon for Aki.《私は明希のためにファゴット(bassoon)を演奏しました》」
「|I love the music Aki’s plays.《私は明希の演奏する音楽が大好きです》」
山崎の演奏が好きで、山崎と音楽をするために頑張ったと書いていた。
そして、原田を頑張らせてくれた山崎、そこに気づかせてくれた私への感謝もあふれていた。
「|Thank you for your mission.《先生、課題をくれてありがとう》」
やはり、原田は3年生で頑張るやつトップ5に入る。この課題に対して何か書いてきたのは原田が最初で最後だった。これだけ頑張らせたのだから、今度は私が気持ちを伝える番、だな。
北海道で教える最後の卒業生の授業終わり。私は今までで一番の達成感にあふれていた。