◇
京介とは喧嘩をした日以来一切連絡をしていなかった。どうしているのか気になって放課後にさりげなく京介のいる隣のクラスを覗いてみたけれど、京介の姿はなかった。
休んでいるのかと心配になったけど、窓から体育の授業をしているところや、お昼休みに購買で友達とパンを買いに行く姿を見ているから、どうやら学校には来ているみたい。
どこにいるんだろう。って、わたし京介のことめっちゃ見てるじゃん。
「話があるから放課待ってて」ってメッセージを送れば済む話なんだろうけど、時間が経てば経つほど送信ボタンが押せなくなってしまう病にかかったわたしはもう末期の状態だったから、この方法は使えない。何か別の方法を考えよう。
後をつけてみる?さすがにこれはストーカーになるのでは。でもどうせ時間を巻き戻してなかったことになるからまあいいか。うーん……松葉杖をついているわたしが京介を追いかけるのは大変そう。却下。
「いらっしゃ……あら、彩叶ちゃん。しばらくお休みするんじゃなかったの?」
「えへへ……今日はお客さんとして来ちゃいました」
学校は居心地が良い場所ではないし、家に帰る気分でもなかったから、わたしは結局いつものバイト先のカフェに行って作戦を立てることにした。
わたしはバイト先の先である安藤さんのお仕事の邪魔にならないように、一番端のカウンター席に座る。
「はい、いつもの秋風ブレンドね」
安藤さんは注文を聞く前にわたしのお気に入りメニューの秋風ブレンドを置いてくれた。
うちのお店はオリジナルのブレンドコーヒーに春風、夏空、秋風、冬空とそれぞれ名前が付けられていて、わたしがほんのり甘みがある秋風ブレンドがお気に入りだと言うことを知っているみたい。
「ありがとうございます」
「彩叶ちゃんの元気そうな顔が見られてよかったわ。ゆっくりしていってね」
足のことを聞かず、いつものように接してくれるのが嬉しい。
「そう言えば、最近京介くんがよくうちに来てくれるわよ」
「え?京介が?」
まあ、幼馴染の京介のことを逐一報告してくれるのもまた安藤さんらしいところでもある。
「最近の彼、たくさんノートを広げたり、熱心にパソコンで資料を作っていたりして忙しそう。学校の宿題かなにかかしら」
宿題?そんなのあったっけ?
「いらっしゃいませー。あら、京介くん」
「こんにちは」
噂をするとその人が現れるというのは本当らしい。お客さんが入ってきたと思ったら京介だった。気まず……
「京介くん!彩叶ちゃんが来てるわよ!」
わざわざ呼んでくれなくても……いや、安藤さんは悪くない。悪くない。
唇をひくつかせながら京介に「よ……よっ」って、なぜか男子みたいな挨拶をしたわたしを見た安藤さんは、数秒間目をしばたつかせてから、すぐに何か閃いたような顔をする。
「あれ、彩叶?……もうバイト再開してるのか?」
どんな反応をすればいいのかわからないわたしと対称的に、京介はいつもと変わらない反応をしてくれた。わたしを覆っている薄い膜のようなものが一枚剥がれたような気がした。
「あ、えっと、ただ単純にお客さんとして来ただけ」
「そっか」
とはいえ、ぎこちない空気はまだしっかり残っている。短い会話を終えると、京介は奥のテーブル席の方に行ってしまった。
あれほど一緒に過ごしてきたのに、一回の喧嘩でこんなにもぎこちなくなってしまうんだ。
せっかく京介を見つけたのだから、これは仲直りするチャンスなのではと思ったけれど、ここから先の攻略方法はわからない。
「ねえ彩叶ちゃん。これを1番卓に持って行ってくれる?」
「良いですけど……え?え?」
ちびちびと秋風ブレンドを啜っていると、安藤さんが香りでわかる。安藤さんの顔を見たら大きな瞳をパチンとして、「あたしが手が離せなくてお願いしたことにして良いから」と言って、お盆に置かれたコーヒーを渡してくれた。
高一の頃から働き始めているから、どのコーヒーなのかは香りでわかる。これは京介が好きな冬空ブレンドだ。
安藤さんにはわたし達の関係がお見通しのようだ。が、頑張ります。
「お、お待たせしました」
「あれ?彩叶、今日はお客さんじゃなかったのか」
「だって……安藤さんにお願いされたから……しょうがないじゃん」
「なんだそれ」
京介も気にしているのか、いつもに増して口数が少ない。けれど、「なんだそれ」が少し笑っていたように思う。
だから胸の内からじんわりと温かいものが湧いてきて、再びわたしを覆っている膜のようなものが一枚剥がれた。
机の上に無造作に散りばめられたノートやパソコンを隅に追いやって作ってくれたスペースに置く。京介はわたしの目を見て「ありがと」と言ってくれた。
「さ、最近は忙しいんだね」
「ああ、やることはたくさんあるからな」
「宿題が溜まってるの?」
「いや、宿題じゃない」
いつものわたしならじゃあなに?と問いただすのだけれど、これ以上を聞くのは違うなと思ったから、やめた。
「そっか……大変だね……じゃあ、また」
「ん。サンキューな」
会話が、終わってしまった。安藤さんが作ってくれたきっかけが無に帰してしまった。
「どうだった?」
「上手くいきませんでした……」
なんでか知らないけれどちょっと楽しそうな安藤さんに報告をする。
「そーお?京介くん、喜んでたと思うけどな」
しばらくして京介は電話が鳴ってきたらしく、安藤さんに「ちょっと電話で席を外します」と言って出て行ってしまった。
と思ったら、慌ててノートとパソコンをカバンに詰め込んで、すぐにお会計に向かってしまった。
「ごちそうさまでした。お会計お願いしまーす」
「はーい!」
「450円になります。いつもありがとね」
「こちらこそ」
「最近随分と忙しそうね」
安藤さんが京介に盗み聞きはいけないとわかっているのだけど、どうしても会話が耳に入ってきてしまう。
「来年のために色々準備をしているんです」
「来年?何かあるの?」
「はい。大事な大会がーー」
大会?京介って、何か大会に出ていたっけ?まさか、そんなわけ……
「そう、出られると良いわね!頑張って!」
安藤さんがわざとらしくわたしに聞こえるようにも言った。
「きっと大丈夫です」
淀みない京介の返事を聞いたら、わたしの心臓の鼓動が大きくなった。
ーー京介は待っている。
嬉しいのか、照れくさいのか、怖いのかわからない。
結局のところわたしはどうしたいのか、わからない。
「彩叶!コーヒーありがとな。じゃ!」
「ど、どういたしまして」
扉に取り付けられた鈴が鳴る。扉がばたりと閉まったら、安藤さんがニコリとしながら「ほらね」と言った。
「早くケガを治さなくちゃね。京介くん、待ってるわよ」
「安藤さん……わたし……」
突然声がつまって、言葉が出てこなくなった。
言葉の出てきたものが頬のあたりをすーっと流れて道ができた。やがてその一本の道を次々と流れ、やがて机の上にポタポタと滴り落ちる。
「彩叶ちゃん……」
勤務時間を終えた安藤さんは、私服に着替えてわたしが座っている隣の席に座る。
「……安藤さんも応援してくれてたのに、本当にすみません」
「いやね!彩叶ちゃんが謝ることないじゃない!」
「うう……わたし、なんかもう全部嫌になって、京介にスケートやめるって言っちゃったんです。それから全然話さなくなって……」
「そうだったの……」
「きっと京介くんは、あなたが今苦しんでいることはわかってるんじゃないかな。その上で、もし彩叶ちゃんがスケートを続けたいって行った時に、もう一度挑戦できるように準備してくれているんだと思う」
「最終的にどうするのかを決めるのは彩叶ちゃん自身。でも、彩叶ちゃんの周りには、敵じゃなくて、味方になってくれる人がたくさんいることを忘れないで」
「はい……」
「もし彩叶ちゃんがスケートを続けるなら、私は今よりもっと応援しちゃうかも!じゃあね!」
「安藤さん、聞いてくれてありがとうございます」
京介とは喧嘩をした日以来一切連絡をしていなかった。どうしているのか気になって放課後にさりげなく京介のいる隣のクラスを覗いてみたけれど、京介の姿はなかった。
休んでいるのかと心配になったけど、窓から体育の授業をしているところや、お昼休みに購買で友達とパンを買いに行く姿を見ているから、どうやら学校には来ているみたい。
どこにいるんだろう。って、わたし京介のことめっちゃ見てるじゃん。
「話があるから放課待ってて」ってメッセージを送れば済む話なんだろうけど、時間が経てば経つほど送信ボタンが押せなくなってしまう病にかかったわたしはもう末期の状態だったから、この方法は使えない。何か別の方法を考えよう。
後をつけてみる?さすがにこれはストーカーになるのでは。でもどうせ時間を巻き戻してなかったことになるからまあいいか。うーん……松葉杖をついているわたしが京介を追いかけるのは大変そう。却下。
「いらっしゃ……あら、彩叶ちゃん。しばらくお休みするんじゃなかったの?」
「えへへ……今日はお客さんとして来ちゃいました」
学校は居心地が良い場所ではないし、家に帰る気分でもなかったから、わたしは結局いつものバイト先のカフェに行って作戦を立てることにした。
わたしはバイト先の先である安藤さんのお仕事の邪魔にならないように、一番端のカウンター席に座る。
「はい、いつもの秋風ブレンドね」
安藤さんは注文を聞く前にわたしのお気に入りメニューの秋風ブレンドを置いてくれた。
うちのお店はオリジナルのブレンドコーヒーに春風、夏空、秋風、冬空とそれぞれ名前が付けられていて、わたしがほんのり甘みがある秋風ブレンドがお気に入りだと言うことを知っているみたい。
「ありがとうございます」
「彩叶ちゃんの元気そうな顔が見られてよかったわ。ゆっくりしていってね」
足のことを聞かず、いつものように接してくれるのが嬉しい。
「そう言えば、最近京介くんがよくうちに来てくれるわよ」
「え?京介が?」
まあ、幼馴染の京介のことを逐一報告してくれるのもまた安藤さんらしいところでもある。
「最近の彼、たくさんノートを広げたり、熱心にパソコンで資料を作っていたりして忙しそう。学校の宿題かなにかかしら」
宿題?そんなのあったっけ?
「いらっしゃいませー。あら、京介くん」
「こんにちは」
噂をするとその人が現れるというのは本当らしい。お客さんが入ってきたと思ったら京介だった。気まず……
「京介くん!彩叶ちゃんが来てるわよ!」
わざわざ呼んでくれなくても……いや、安藤さんは悪くない。悪くない。
唇をひくつかせながら京介に「よ……よっ」って、なぜか男子みたいな挨拶をしたわたしを見た安藤さんは、数秒間目をしばたつかせてから、すぐに何か閃いたような顔をする。
「あれ、彩叶?……もうバイト再開してるのか?」
どんな反応をすればいいのかわからないわたしと対称的に、京介はいつもと変わらない反応をしてくれた。わたしを覆っている薄い膜のようなものが一枚剥がれたような気がした。
「あ、えっと、ただ単純にお客さんとして来ただけ」
「そっか」
とはいえ、ぎこちない空気はまだしっかり残っている。短い会話を終えると、京介は奥のテーブル席の方に行ってしまった。
あれほど一緒に過ごしてきたのに、一回の喧嘩でこんなにもぎこちなくなってしまうんだ。
せっかく京介を見つけたのだから、これは仲直りするチャンスなのではと思ったけれど、ここから先の攻略方法はわからない。
「ねえ彩叶ちゃん。これを1番卓に持って行ってくれる?」
「良いですけど……え?え?」
ちびちびと秋風ブレンドを啜っていると、安藤さんが香りでわかる。安藤さんの顔を見たら大きな瞳をパチンとして、「あたしが手が離せなくてお願いしたことにして良いから」と言って、お盆に置かれたコーヒーを渡してくれた。
高一の頃から働き始めているから、どのコーヒーなのかは香りでわかる。これは京介が好きな冬空ブレンドだ。
安藤さんにはわたし達の関係がお見通しのようだ。が、頑張ります。
「お、お待たせしました」
「あれ?彩叶、今日はお客さんじゃなかったのか」
「だって……安藤さんにお願いされたから……しょうがないじゃん」
「なんだそれ」
京介も気にしているのか、いつもに増して口数が少ない。けれど、「なんだそれ」が少し笑っていたように思う。
だから胸の内からじんわりと温かいものが湧いてきて、再びわたしを覆っている膜のようなものが一枚剥がれた。
机の上に無造作に散りばめられたノートやパソコンを隅に追いやって作ってくれたスペースに置く。京介はわたしの目を見て「ありがと」と言ってくれた。
「さ、最近は忙しいんだね」
「ああ、やることはたくさんあるからな」
「宿題が溜まってるの?」
「いや、宿題じゃない」
いつものわたしならじゃあなに?と問いただすのだけれど、これ以上を聞くのは違うなと思ったから、やめた。
「そっか……大変だね……じゃあ、また」
「ん。サンキューな」
会話が、終わってしまった。安藤さんが作ってくれたきっかけが無に帰してしまった。
「どうだった?」
「上手くいきませんでした……」
なんでか知らないけれどちょっと楽しそうな安藤さんに報告をする。
「そーお?京介くん、喜んでたと思うけどな」
しばらくして京介は電話が鳴ってきたらしく、安藤さんに「ちょっと電話で席を外します」と言って出て行ってしまった。
と思ったら、慌ててノートとパソコンをカバンに詰め込んで、すぐにお会計に向かってしまった。
「ごちそうさまでした。お会計お願いしまーす」
「はーい!」
「450円になります。いつもありがとね」
「こちらこそ」
「最近随分と忙しそうね」
安藤さんが京介に盗み聞きはいけないとわかっているのだけど、どうしても会話が耳に入ってきてしまう。
「来年のために色々準備をしているんです」
「来年?何かあるの?」
「はい。大事な大会がーー」
大会?京介って、何か大会に出ていたっけ?まさか、そんなわけ……
「そう、出られると良いわね!頑張って!」
安藤さんがわざとらしくわたしに聞こえるようにも言った。
「きっと大丈夫です」
淀みない京介の返事を聞いたら、わたしの心臓の鼓動が大きくなった。
ーー京介は待っている。
嬉しいのか、照れくさいのか、怖いのかわからない。
結局のところわたしはどうしたいのか、わからない。
「彩叶!コーヒーありがとな。じゃ!」
「ど、どういたしまして」
扉に取り付けられた鈴が鳴る。扉がばたりと閉まったら、安藤さんがニコリとしながら「ほらね」と言った。
「早くケガを治さなくちゃね。京介くん、待ってるわよ」
「安藤さん……わたし……」
突然声がつまって、言葉が出てこなくなった。
言葉の出てきたものが頬のあたりをすーっと流れて道ができた。やがてその一本の道を次々と流れ、やがて机の上にポタポタと滴り落ちる。
「彩叶ちゃん……」
勤務時間を終えた安藤さんは、私服に着替えてわたしが座っている隣の席に座る。
「……安藤さんも応援してくれてたのに、本当にすみません」
「いやね!彩叶ちゃんが謝ることないじゃない!」
「うう……わたし、なんかもう全部嫌になって、京介にスケートやめるって言っちゃったんです。それから全然話さなくなって……」
「そうだったの……」
「きっと京介くんは、あなたが今苦しんでいることはわかってるんじゃないかな。その上で、もし彩叶ちゃんがスケートを続けたいって行った時に、もう一度挑戦できるように準備してくれているんだと思う」
「最終的にどうするのかを決めるのは彩叶ちゃん自身。でも、彩叶ちゃんの周りには、敵じゃなくて、味方になってくれる人がたくさんいることを忘れないで」
「はい……」
「もし彩叶ちゃんがスケートを続けるなら、私は今よりもっと応援しちゃうかも!じゃあね!」
「安藤さん、聞いてくれてありがとうございます」