書くことに目覚めたとき

「いつかは自分の心に残っていることを書き留めたい」
 これはずっと思い続けてきたことである。何度か書き始めようとして、メールで書いてみたり、執筆用のパソコンを用意したりしてみたが続かなかった。
 なぜらろうか。
 書きたい欲求が足りなかったからではないだろうか。
「自分の仕事を後世に残したい」
 という気持がないではないが、それほど強くはない。
「死後価値がでる」
 こういう仕事をしても、自分は死んでいるから価値を感じる主体がない。
 芸術家だと、こういうことを言ってサマになるが、自分は凡人だ。
 負け惜しみに聞こえる。
「どうやって書けば書き続けられるか」
 これが問題である。やはり書き続けたい、と内発的な欲求がないと続かない。
 つい最近、長年温めていた構想を形にして、本一冊にまとめることができた。
 やってみると、ごく簡単なことだった。
「考え過ぎていた」
 のである。
 勢いで、不完全な文章を書き上げてしまえばよかったのである。
 推敲を3回して、最近の文章を研究して読みやすく置換え処理などを、後からすれば完成した。
 形式的なことに、こだわっていたことが分かった。
「勢いで書ききる」
 これが重要だったのだ。
 物語を考えるときには、数人の登場人物を考えて登場させる。
 それらの人物の、年齢、性別、服装、見た目の印象、性格、ライフスタイル、住居、資産、家族、生い立ち、好きな色、話し方の癖などを細かく設定する。
 すると人物がストーリーを紡ぎ出すのである。
 続かないときは、その設定が甘いからである。
 こんなことを最近学んだ。