途切れた川の絵から思うこと
「川の絵を描くと、途中で途切れた川を描く子が増えた」
こんな話を聞いたことがある。
理科の授業で、学習するはずだ。
川の働きを、浸食、運搬、堆積に分けて。
上流、中流、下流の流れの違いや地形とのかかわりで、社会と関連していた気がする。
今はどう教えているのだろうか。
自分が小中学校で教わったときよりも時間数が少ないと思う。
あと実験など、体験的な学習が減ったと聞いた。
中学校の技術家庭科などは、1年通してやらなくなっている。
技術の先生のなかには、のこぎりが引けない先生もいるらしい。
途切れた川の絵は、子どもの実体験不足を象徴していると思う。
だが、実体験だけが人間の豊かさだろうか。
これからの時代、もしかすると川が途中で途切れていても良くなるのかも知れない。
自分は昭和の人間だから、危機感を感じてしまうのだろうか。
子どもたちに実体験をしてほしいと思うが、だからといって自然に触れさせれば解決するのだろうか。
私は身近なところにあって、毎日目に触れるところにある些細な自然を感じ取ればよいと思う。
決して山奥とか離れ小島のような自然がたくさんあるところが良いとは思わない。
心の豊かさとは、どこにいても発見できる観察眼と、自分なりの考えを持つことだと思っている。