フィジビリティスタディ

 一般的に公共事業は赤字になることが多い。かりに赤字になったとしても、電車を利用する人々が、心理的に運賃以上の価値評価を電車に与えていれば、社会全体のプロジェクト評価は運賃収入を上回る可能性がある。たとえば、乗客が心理的に運賃の二倍半を支払ってもいいと考えるのであれば、プロジェクト収入の評価は、運賃収入の現在価値の三百六十七億円を2・5倍して、九百十八億円となり、費用合計の九百四十八億円との差額をとれば赤字は三十億円程度となり、財政負担は単純平均で年間1億円程度となる。そうであれば最初から運賃を2・5倍に設定すれば話は分りやすくなるのだが、この2・5倍というのは乗客全体の平均値を意味している。一般的に、どうしても鉄道を必要としている乗客や金持ちの乗客はより高い運賃でも乗車する。逆に、それほど乗る必要のない乗客や貧乏な乗客は運賃次第で乗車するのをやめる。したがって、全車両を等級制にして、一等から十等位に分けて、金持ちからはより多くの運賃をとって、乗客が心理的に評価する運賃を徴収すれば、運賃収入は飛躍的に増加する。しかし、長距離の旅客を対象とする場合ならばともかく、首都近郊の通勤客を対象とする電車では、こうした差別料金を設定するのは困難となる。全ての乗客に一律の運賃を設定した場合、殆どの乗客は心理的には運賃よりも高い金額で乗車を評価していると考えられる。なぜならば、心理的な評価額よりも運賃の方が高ければ、そういう人は乗車しないからだ。しかし、乗客となるのはさまざまな乗車の必要度と様々な所得階層の人々だから、心理的な評価額は人それぞれ異なる。その差額を厳密に計算することは不可能に近いが、かなりの金額になることは間違いない。
 こうした考え方が土岐が学んだ開発プロジェクトの評価である。先進国においても公共事業はこのような考え方で執行されることが多い。赤字部分は財政負担となるので、税収が十分でなければ、基本的に中央政府も地方自治体も赤字体質に陥る。しかし、発展途上国であるこの国が三十五年間で六百億円にも及ぶ財政負担に耐えられるとは土岐には考えられない。成功報酬の九十万円もさることながら、このプロジェクトをつぶすことが、この国のためになるという思いが、土岐を勇気づけた。