「経済成長は人々が抱く身の丈にあったバブルで実現する。いまよりもよりよい生活を求めて人々が描くつつましやかなバブルが経済成長に繋がる。いま中国の人々は、山間や西部の農村から沿海部に出てきて、液晶テレビや冷蔵庫や洗濯機やエアコンに囲まれた新築の家に住み、自動車を乗り回したいというバブルを夢見て働いているに違いない。それが、社会主義的市場経済に長期にわたる高度成長を可能ならしめた。インドやブラジルやロシアの人々もそうだろう。そうした、アメリカ人や日本人の平均的な生活をバブルとして抱くのであれば、そのバブルが原動力になって、資本と技術さえあれば、バブルからいずれ現実となる。だがこの国の人々は物質的なバブルを抱かないという国民性を持っている。自然そのものが自分の家だ。これほど広大な美しい家はない。季節風がエアコンだ。スイッチも電気もいらない。食料だって、道端にバナナもあれば、ドリアンもある。海に入れば魚もある。採取に多少の労働を要するから、必要以上には摂取はしない。だから、先進国のように肥満が国民病とはならないし、天然資源が枯渇することもない」
そこで、丸山が満を持して、話したいという欲求を解き放った。
「でも、先進国のように経済成長をしなければ、乳児死亡率は低下しないし、平均寿命も延びないでしょう。病気の治療もままならないんじゃないですか」
シュトゥーバはうれしそうにほほえんだ。そういう批判を予想していたようだった。
「ミスター・マルヤマ、その通りです。でも人は一回しか死なない。だから、その人の死が悲しいのは誰でも一回かぎりです。病気は本人もつらいし、家族もつらいものです。先進国のように医学が進歩していなければ、寿命も短いでしょう。でも人は誰でもいずれ死んで、生まれる前に戻るのです。誰だって、生まれる前は影も形もなかったんだから、元に戻るだけのことです。誰だって、自らの意志で生まれてきた人はいない。自分という個体に執着する限り、自分という存在が唯一無二で絶対であると信じる限り、生きていることは苦しみの連続です。この国には、我に執着しないという文化があるんです。生にも富にも執着しない。だから、たとえそれが身の丈にあったものであったとしても、いまの生活よりもいい生活をしたいというバブルを抱かないのです」
「ということは、経済成長はしたくないということですか」
そこで、丸山が満を持して、話したいという欲求を解き放った。
「でも、先進国のように経済成長をしなければ、乳児死亡率は低下しないし、平均寿命も延びないでしょう。病気の治療もままならないんじゃないですか」
シュトゥーバはうれしそうにほほえんだ。そういう批判を予想していたようだった。
「ミスター・マルヤマ、その通りです。でも人は一回しか死なない。だから、その人の死が悲しいのは誰でも一回かぎりです。病気は本人もつらいし、家族もつらいものです。先進国のように医学が進歩していなければ、寿命も短いでしょう。でも人は誰でもいずれ死んで、生まれる前に戻るのです。誰だって、生まれる前は影も形もなかったんだから、元に戻るだけのことです。誰だって、自らの意志で生まれてきた人はいない。自分という個体に執着する限り、自分という存在が唯一無二で絶対であると信じる限り、生きていることは苦しみの連続です。この国には、我に執着しないという文化があるんです。生にも富にも執着しない。だから、たとえそれが身の丈にあったものであったとしても、いまの生活よりもいい生活をしたいというバブルを抱かないのです」
「ということは、経済成長はしたくないということですか」


