フィジビリティスタディ

「まあ、そういうことです。わたくしの国の人々が最大の喜びとすることはひとから感謝されるということなんです。・・・それから、アメリカに留学していたとき、スーパーマーケットの入り口のコルク・ボードに貼り付けてあったチラシを見て、そこから電話番号をちぎりとって、他の学生から中古車を買ったことがある。ボディ中が赤錆びだらけで、雨が降ると雨漏りがした。あるときドミトリィの自室の中古のデスクトップ・パソコンが壊れたので、修理に出そうとその車のトランクに入れといた。修理代次第では新品を買ってもいいと思っていた。夕方だったので、とりあえず翌日修理店に持ち込もうと考えていた。翌朝、車をみるとトランクの鍵が壊されていて、デスクトップ・パソコンが盗まれていた。犯人はたぶん、ドミトリィの駐車場でパソコンをトランクに入れているところを見ていたのだろう。夜中に盗み出して、どこかで売ったのかもしれないが、故障していたから10ドルにもならなかったかもしれない。それによって犯人は何を得たのだろうか。・・・そういうアメリカ社会には哀れみしか感じない。わたくしの国では、逆のことが起きる。もし、学生のパソコンが壊れていたとしたら、無料で修理することを他の人々は考える。自分に修理できなければ、修理できそうな人を探してくれる。アメリカで起きたようなことは、わたくしの国では絶対に起こらない。・・・たしかに、貨幣経済は便利なものではあるが、自分の心の空隙を貨幣イコール商品で埋めることを人々になれさせるものだ。自分の心の隙間はひとの心でなければ絶対に埋めることはできない。自給自足経済から貨幣経済に移行すれば、たしかに自分が生産していたものを他人から購入し、購入するための資金を得るために他人にものを売るのだから、所得水準は上昇する。しかし、そのことは同時に貨幣の絶対性を人々に錯覚させる。つまり、貨幣を得るために生産するという苦痛のリンクよりも、貨幣でものを得てこころを満たすというリンクのみが太くなってゆく。それが所得水準の高い経済の特徴だと思う」