フィジビリティスタディ

「わたしの仕事はおまえを一人前にすることだった。わたしの仕事は大体終わった。あとはいつ死んでもかまわない」
「お母さんがいつまでもいると思うなよ。いずれ死ぬ。おまえだって、そのうちいつかは死ぬんだから・・・」
「わたしが死んでも葬式はしなくていいよ。無駄なカネは使うんじゃないよ」
「戒名なんかいらないよ。仏教なんか信じちゃいないんだから・・・」
(結局、母の人生は何だったのか。父のように晩年になってやりたかったボランティア活動をして、自分がため込んだ私財を使い切ったわけでもない。父は夫婦で築き上げた財産を殆ど使い果たして死んでいった。母にはわずかばかりの預金しか残らなかった。その預金も糖尿病の治療と白内障の診療で吸い取られ、自分がやりたかったことにつぎ込んだわけではなかった。ぼくが大学院に進学したために、金銭的に余計な負担を母にかけてしまった。学部卒で企業に勤めていればいくらかでも母に楽な生活をしてもらうことができたはずだ。ぼくを育てることが一生の仕事であったとしても、その息子がいまだに定職を得ていない。来年の四月から無職になる。そうであるとすれば、母の人生はなんのためにあったのか)
 土岐は自分の罪深さに身動きができなくなっていた。土岐の周りの空気が凍り付いているように感じられた。考えることができなくなっていた。どれほどの時間がすぎたのかわからない。腕時計を見ようという気にすらならなかった。ベッドの脇に折りたたみの椅子を置き、ただ座り続けた。自責の念だけが、椅子から転げ落ちそうな土岐を支えているような気がした。
 母の傍らの小さなテーブルの上の一番上に前掛けが折りたたまれていた。幼女のままごと用のエプロンのようにひどく小さく感じられた。上にそっと手を乗せると、冷たいポケットのあたりにごわごわとした感触があった。ポケットから取り出すと大判の絵葉書が二つ折りになっていた。宛先は扶桑総合研究所になっていたが、そこから転送されてきていた。絵葉書の写真はS国の海岸だった。波打ち際に地元漁師の小さな漁船があり、どこまでも続く真っ白い砂浜と清冽な青い海が写真の下半分におさまり、上半分には暑く蒼い空が広がり、その空にしみいるような白い綿雲が浮かんでいた。裏側の文面を見ると、文章は手書きの英文で、細かい字で書かれていた。差出人はシュトゥーバだった。