フィジビリティスタディ

とすこし大きな声で呼びかけている。母は答えない。担当医は、
「ご家族のかたですか?」
と聞いた。土岐に聞いてきていることにすぐには気づかなかった。すこし間をおいて、
「息子です」
とその担当医の背中越しに答えた。
「どうされたんですか?」
と何事も起こってないかのような落ち着いた声で土岐に聞き続ける。
「帰宅したら、台所で倒れていました」
「以前にもこういうことありましたか?」
と相変わらず、母を手当てしたまま、土岐を見ずに聞いてくる。
「いいえ、今回が初めてです」
「持病はありますか?」
と聞く担当医の胸のあたりに下がったネームカードが揺れている。
「糖尿があります。二百ぐらいだと思いますが・・・」
「このお年なら、多少血糖値が高くても、病気というほどではありません。痛がっていましたか?」
「いえ、さほど。帰宅したときは、もう意識がはっきりしていなかったようで・・・ふた言み言、口をききましたが・・・」
「気分が悪いというようなことは言ってませんでしたか?」
「・・・言ってなかったと思います」
「吐いた様子はなかったですか?」
「・・・倒れていたその場にはなかったと思います」
「・・・ちょっと、意識が遠いようなので、精密検査をしないと分からないですね」
と言いながら、キャスターのストッパーをはずし、母が横たわるベッドをカーテンの外に移動し始めた。付いて行こうとする土岐に看護師が、
「そこの椅子でお待ちいただけますか?」
とベッドを押しながら、廊下の薄茶色の長椅子を顎で示した。キャスターのきしみ音が廊下に寒々と響いた。看護師と若い担当医は廊下の右奥の集中治療室に足早に消えた。
 腕時計をみると八時を過ぎていた。土岐は廊下の固く冷たい長椅子に腰掛け、自宅から持参した買い物袋を脇に置き、背広の胸ポケットから携帯電話を取り出し、岩槻に電話した。左耳に呼び出し音が十回近く鳴ってから、やんだ。
「夜分恐れ入ります。土岐と申しますが、岩槻先生のお宅でいらっしゃいますか?」
「はい、そうです」
と女性の声だった。たぶん、奥さんだと思う。
「岩槻先生はご在宅でしょうか?」
「はい、少々お待ちください」
と土岐を認知したような応答だった。正月に岩槻の自宅に新年の挨拶にうかがったときの奥さんのこぼれるような笑顔が思い出された。