都内に住んでいる叔母に連絡しようかとも思ったが、もうすこし様子を見てから電話することにした。母は叔母とはあまり折り合いが良くなく、普段からも没交渉だった。
台所に倒れた母は動かないままだった。毛玉だらけの緑のソックスをはいた足の裏が、小学生のように小さく見えた。台所の石油ストーブに火をつけようとしたが、灯油がはいっていなかった。薄ら寒い台所で救急車が到着するまで母の傍らにいることにした。
微かだが、呼吸している様子は窺えた。口元が動いたようなので、耳を近づけた。
「お、ま、え、・・・駄目、だった、よう、だね」
「何が?」
「・・・大、学」
「知ってたの?」
「さっき、岩槻、先生、から、電話・・・」
その電話が母が倒れた原因という確証はなかったが、岩槻には言わなくても言いことを平然と言う性癖があった。それで場が白けることがよくあった。岩槻に土岐が大学への就職に応募していることについて口止めをしていなかったので、一概に岩槻を責めることはできない。しかし、どういう言い方をしたのか、土岐は気になった。岩槻は人の気分を害さないようにうまく話しのできる人間ではなかった。あることをあるがままに何の脚色も修飾もしないで語る人だった。大学の研究者というのは、えてしてそうした者なのかもしれない。
「もう、話さなくていいよ」
母は息も絶え絶えに、苦しそうだったので、土岐は話しかけることをやめた。しかし、 母は話すことをやめなかった。
「たぶん、もう、・・・だめだと、思う。・・・あたしの、仕事は、・・・おまえを、きちんと、・・・育てる、ことだった。・・・おまえも、もう、三十すぎ・・・どうでも、いいような、生き方は、するなよ」
それは母の口癖だった。
「いい加減な生き方をするな」
とか、
「意味のない生き方をするな」
とか、
「正しいと信じる生き方をしろ」
とか、土岐がもの心のつく子どもの頃からそう言っていた。土岐が大学卒業と同時に就職することをやめ、大学院に進学したことに大きな影響を与えていたように思える。
台所に倒れた母は動かないままだった。毛玉だらけの緑のソックスをはいた足の裏が、小学生のように小さく見えた。台所の石油ストーブに火をつけようとしたが、灯油がはいっていなかった。薄ら寒い台所で救急車が到着するまで母の傍らにいることにした。
微かだが、呼吸している様子は窺えた。口元が動いたようなので、耳を近づけた。
「お、ま、え、・・・駄目、だった、よう、だね」
「何が?」
「・・・大、学」
「知ってたの?」
「さっき、岩槻、先生、から、電話・・・」
その電話が母が倒れた原因という確証はなかったが、岩槻には言わなくても言いことを平然と言う性癖があった。それで場が白けることがよくあった。岩槻に土岐が大学への就職に応募していることについて口止めをしていなかったので、一概に岩槻を責めることはできない。しかし、どういう言い方をしたのか、土岐は気になった。岩槻は人の気分を害さないようにうまく話しのできる人間ではなかった。あることをあるがままに何の脚色も修飾もしないで語る人だった。大学の研究者というのは、えてしてそうした者なのかもしれない。
「もう、話さなくていいよ」
母は息も絶え絶えに、苦しそうだったので、土岐は話しかけることをやめた。しかし、 母は話すことをやめなかった。
「たぶん、もう、・・・だめだと、思う。・・・あたしの、仕事は、・・・おまえを、きちんと、・・・育てる、ことだった。・・・おまえも、もう、三十すぎ・・・どうでも、いいような、生き方は、するなよ」
それは母の口癖だった。
「いい加減な生き方をするな」
とか、
「意味のない生き方をするな」
とか、
「正しいと信じる生き方をしろ」
とか、土岐がもの心のつく子どもの頃からそう言っていた。土岐が大学卒業と同時に就職することをやめ、大学院に進学したことに大きな影響を与えていたように思える。


