フィジビリティスタディ

〈本日は同窓のよしみで、萩本専務理事と金井事務局長に講演を依頼されました。萩本さんは大先輩で、金井さんとはキャンパスで接近遭遇したかもしれませんが、三歳ばかり違うので、同窓だと知ったのは、萩本専務理事の口利きです。しかし、これだけのコネクションでは講演のお声がかからなかったかと思います。多分、講演を依頼されることになった理由は、私自身が来年度からアジアの小国の大使として赴任することが内定したからであろうと思います。そういうことで、今夜のお話は、私の置き土産のような感じです。私自身は、国際政治そのものよりもODAに非常に興味がありまして、東亜クラブの会員企業さんにとって、多少ためになるようなお話ができるのではないかと思います。実際もう少し若い頃、ODAを扱う政府系金融機関に出向で行っていたこともあります。さてそろそろ本論にはいりますが、日本は第二次大戦後、戦時中にご迷惑をおかけした東南アジア諸国に対して、莫大な戦後賠償を行いました。まだ日本が高度経済成長を始める前の話です。以来、日本の経常移転収支はずっと赤字です。日本の歴史上、敗戦で賠償を支払うのは初めてのことでした。米ソの東西冷戦構造の影響もありましたが、アメリカが日本に対して終戦直後行った食糧援助が日本人のパン食を習慣づけ、その後の対米小麦輸入依存を定着させたのと同じように、日本政府も戦後賠償をその後の東南アジア諸国との経済関係を構築する方向で行いました。外交とはそういうものです。
 戦略のない外交は国を滅ぼします。戦後賠償で東南アジア諸国に蒔かれた種は日本経済が復興を遂げてから、ODAに引き継がれました。最初から、純粋に経済的な観点からの援助ではなく、政治がらみの案件が常識になっていました。軍隊をもたない日本としては、援助が最大の武器になったのです。これはもう既に時効だから言うのですが、ODAは現地政治家の私腹を肥やし、その時々の現地政権を支援し、同時にODA関連企業を経由して日本の政治家の政治資金にキックバックされ、今日まで黙認されてきました。ODA関連の日本の企業にとっては公共事業のような役割も果たしました。国内の公共事業ですと、建築・土木・ハコモノに限定されるのですが、ODAであればより広い範囲の企業に税金を還流させることが可能になります。