木曜日の午前中に講演録の最後の推敲を終え、コピーを金井に提出した。金井は、昼休み中に読み終えて、殆ど修正することなく、
「講演者にメールの添付ファイルで、本人校正をお願いするように」
と土岐に指示を出した。土岐は理事長の金子留吉のメールアドレスを聞いて、講演録を送信し、校正を依頼した。その返信があったのは金曜日の午後だった。数か所、手が入れてあった。大学の宣伝のような文言や講演時に話していもしないような挿話もあった。土岐は金井の了承を得て、そのまま講演録を作成し、会員企業に配送した。夕方近くにすべての作業が終了し、講演録を一部、保管用としてキャビネットにファイルした。ついでに終業時間まで十五分ばかりあったので、過去の講演録を見た。着任してからの講演録は土岐が編集しているので、それ以前のファイルを見てみた。着任以前の講演録の末尾には、
〈文責・金井〉
とあった。年度ごとの一覧表を見ると、土岐が着任してからと同様に、企業経営者が多く、ときどき東亜クラブの監督官庁の経済官僚も混じっていた。土岐が着任する1年前の外務官僚の講演が土岐の目を引いた。講演者名は三橋光夫、司会は専務理事の萩本になっていた。土岐はファイルごと取り出して、こっそりと自席で読んでみた。
「講演者にメールの添付ファイルで、本人校正をお願いするように」
と土岐に指示を出した。土岐は理事長の金子留吉のメールアドレスを聞いて、講演録を送信し、校正を依頼した。その返信があったのは金曜日の午後だった。数か所、手が入れてあった。大学の宣伝のような文言や講演時に話していもしないような挿話もあった。土岐は金井の了承を得て、そのまま講演録を作成し、会員企業に配送した。夕方近くにすべての作業が終了し、講演録を一部、保管用としてキャビネットにファイルした。ついでに終業時間まで十五分ばかりあったので、過去の講演録を見た。着任してからの講演録は土岐が編集しているので、それ以前のファイルを見てみた。着任以前の講演録の末尾には、
〈文責・金井〉
とあった。年度ごとの一覧表を見ると、土岐が着任してからと同様に、企業経営者が多く、ときどき東亜クラブの監督官庁の経済官僚も混じっていた。土岐が着任する1年前の外務官僚の講演が土岐の目を引いた。講演者名は三橋光夫、司会は専務理事の萩本になっていた。土岐はファイルごと取り出して、こっそりと自席で読んでみた。


