「専務理事にはきちんと挨拶をしたほうがいい」
というような注意を一回だけ受けたことがあった。土岐の専務理事に対する態度は金井の目にもあまったのかもしれない。それ以上に、その忠告は金井に対する土岐の態度についての暗示であったのかもしれない。
金井に対して決して無礼な言動をとった記憶は土岐にはなかったが、彼に対する尊敬の念がなかったので、敬意を表することをしない土岐の言動の端々に彼を不快にさせるものがあったのかもしれない。
王谷の陰謀については、丸山に連絡を取って、真相を確かめることも土岐は考えた。しかし、かりにすべてが土岐の推察通りであるとしても、それが解明されることになんの意義も見出せなかった。
翌日、土岐は先週末の講演の録音をテープに起こす作業を始めた。実際の講演を聞かずに原稿に起こすのは初めてだった。先週、金井が講演会出席の残業を免除してくれたときは、誰が原稿にするのか疑問だった。ひょっとしたら金井自身が録音を文章に起こすのかと思ったが、雑用はやはり土岐の仕事だった。リアルタイムで講演を聞かずに原稿にするのは少し厄介だ。金井はそのことを承知で、土岐の残業を免除したのかどうか、土岐には分らない。これまで土岐が講演を文章化したのは、多くが企業経営者や経済官僚の話で、教育関係者は初めてだった。土岐が春学期だけ非常勤講師を務めていた東京政経大学の理事長である金子留吉の話は格調が低かった。企業経営者がおカネの話をするのは違和感がないが、教育関係者が終始、お金の話ばかりをすることに土岐は違和感を覚えた。建学の精神や教育方針といった話題が一切なかった。来年度から土岐が受け持っていた春学期の講座は金井が担当することになるが、土岐は理事長の講演を聞いて東京政経大学と縁の切れることの未練が多少薄らいだ。
一通り、講演を文字に起こし、最後に口語を文語に変え、多少脚色し、表現も活字に耐えられるように変えた。土岐が着任したばかりのころ、アジアのある国で、張りぼての龍に眼を入れる儀式の話があり、これを土岐が、
「点睛の儀式」
という造語で表現したことがあった。講演者が言ってなかった言葉だが、校正のチェックをした金井には褒められた。しかし、最後に講演者自身の校正の段階で、この造語は削除された。
というような注意を一回だけ受けたことがあった。土岐の専務理事に対する態度は金井の目にもあまったのかもしれない。それ以上に、その忠告は金井に対する土岐の態度についての暗示であったのかもしれない。
金井に対して決して無礼な言動をとった記憶は土岐にはなかったが、彼に対する尊敬の念がなかったので、敬意を表することをしない土岐の言動の端々に彼を不快にさせるものがあったのかもしれない。
王谷の陰謀については、丸山に連絡を取って、真相を確かめることも土岐は考えた。しかし、かりにすべてが土岐の推察通りであるとしても、それが解明されることになんの意義も見出せなかった。
翌日、土岐は先週末の講演の録音をテープに起こす作業を始めた。実際の講演を聞かずに原稿に起こすのは初めてだった。先週、金井が講演会出席の残業を免除してくれたときは、誰が原稿にするのか疑問だった。ひょっとしたら金井自身が録音を文章に起こすのかと思ったが、雑用はやはり土岐の仕事だった。リアルタイムで講演を聞かずに原稿にするのは少し厄介だ。金井はそのことを承知で、土岐の残業を免除したのかどうか、土岐には分らない。これまで土岐が講演を文章化したのは、多くが企業経営者や経済官僚の話で、教育関係者は初めてだった。土岐が春学期だけ非常勤講師を務めていた東京政経大学の理事長である金子留吉の話は格調が低かった。企業経営者がおカネの話をするのは違和感がないが、教育関係者が終始、お金の話ばかりをすることに土岐は違和感を覚えた。建学の精神や教育方針といった話題が一切なかった。来年度から土岐が受け持っていた春学期の講座は金井が担当することになるが、土岐は理事長の講演を聞いて東京政経大学と縁の切れることの未練が多少薄らいだ。
一通り、講演を文字に起こし、最後に口語を文語に変え、多少脚色し、表現も活字に耐えられるように変えた。土岐が着任したばかりのころ、アジアのある国で、張りぼての龍に眼を入れる儀式の話があり、これを土岐が、
「点睛の儀式」
という造語で表現したことがあった。講演者が言ってなかった言葉だが、校正のチェックをした金井には褒められた。しかし、最後に講演者自身の校正の段階で、この造語は削除された。


