フィジビリティスタディ

 帰宅の電車に揺られながら、シュトゥーバが電化計画が財務的に破綻していることを見抜き、計画の頓挫を主張してくれることを願った。今になって、シュトゥーバの息子に、現地の物価水準からすれば、高額の現金を渡してきたことをあらためて幸いと感じた。ただ、現地の風俗習慣として、現金を直接渡すことは礼を失することになるのではないかという一抹の不安が土岐の脳裏をかすめた。国によっては、現金を直接渡すことは失礼となることもある。土岐は、車窓を流れる東京の風景に眼をやりながら、そうでないことをひたすら願った。土岐には願うこと以外にできることは何もなかった。

十三 内定取り消し

 十月も半ばの翌週末、東亜サロンで土岐が春学期だけ非常勤講師を務めている大学の理事長の講演があった。土岐が日本を離れている間に企画されたようで、急なイベントだった。その週の初めに会員企業にメールで案内を出し、その週末までにメールで出欠を取るという慌ただしさだった。その理事長とは土岐は面識がない。履歴書を見ると、専務理事と同窓で、年齢も近かった。しかし、その専務理事は先約があるとのことで出席せず、事務局長の金井が司会をすることになっていた。その理事長は東南アジアの新興大学との協定に熱心な人物で、学長と二人三脚で交換留学生制度を拡充し、日本における少子化を見越して、人口豊富なアジアの学生を取り込もうとしているという噂だった。
 金曜日の夕方、6時過ぎ受付開始で、食事をしながら、7時から講演開始だった。土岐は、いつもの講演のときのように残業を覚悟したが、
「土岐君は海外出張で大変だったので、今回の講演は私の方でやりますので」
と金井が言ってくれた。しかし土岐は、新設学科の新任の件もあり、一度挨拶をしようと考えていたので、有難いようでもあったが、残念でもあった。文科省への申請は学長の業務ではあるが、採用の辞令を出すのは理事長だったからだ。それに、着任以来、講演の記録は土岐の仕事で、不定期ではあったが、年数回、土岐は講演会に出席し、後日、講演のテープを原稿に起こし、講演録を会員企業に配付していた。
 金曜日の午後5時になって土岐が、東亜サロンの慌ただしさを横目に帰宅しようとしていると、福原が講師料を茶封筒に詰めていた。
「随分と、多いわね」