フィジビリティスタディ

 蒲団のなかで母の料理する音を聞きながら、鈴村が昨夜、岩槻に電話した用件を考えた。成田で鈴村に電話したのは夜の8時過ぎだった。それから鈴村が岩槻に電話して、岩槻が土岐の帰国を知ることになった。そのことだけで、鈴村が夜分遅く、岩槻に電話することは考えられないので、別件があったはずだと思う。どういう別件があったのか、想像がつかなかった。このことに限らず、さまざまなことが、土岐の知らないところで進展しているような、いやな気がしてならなかった。

 翌日の月曜日、出勤する前に、前日分の報告をメール送信した。
 @無事帰国しました。財務分析のレポートは木曜日までに作成する予定です。フィージビリティ・スタディは、プロジェクト・マネージャーの王谷によって、フィージブルであるという結論をプレゼンテーションするように強要されましたが、財務副部長のシュトゥーバからは、その結論に至らしめた諸前提をレポートに盛り込むように求められました。今回のプレゼンテーションでは、立場上、プロジェクトが破綻することを報告できませんでしたが、提出したレポートを読んだシュトゥーバがプロジェクトに反対するアクションを起こしてくれるものと考えています。現地国鉄に提出する報告書は、シュトゥーバが読めば必ずプロジェクトに反対するように書く予定です。ただし、シュトゥーバにどの程度の権限があるのかは不明です。彼に殆ど権限がなければ、プロジェクトを不調に終わらせることはできないかも知れません。現地で使用した経費の請求を含め、これからの報告に関する指示をお願いします。以上@
 メールを送信した後、成功報酬の90万円はシュトゥーバ次第で諦めることになるかも知れないという思いが土岐の脳裏に漂った。
 
 土岐は財務分析資料の入ったUSBメモリスティックを持って、東亜クラブに赴いた。金井に簡単に帰朝報告して、専務理事が来る前に同じおみやげを福原に配った。電話で扶桑総合研究所の砂田に帰国の挨拶をした。それから自席のデスクトップ・パソコンで英文の財務報告書の作成に取り掛かった。
 十時過ぎに専務理事が出勤してきたので、作業をひとまず中断して、帰国の挨拶をした。自席に戻り、再び作業を始めると、昼前になって、専務理事が土岐の机の前にやってきて、
「私には、お土産はないんですか?」