商社マンの饒舌(プロローグ)
朝早くケロシン売りの牛車の鈴の音で寝不足のまま土岐は叩き起こされた。
額や首筋に脂汗がとぐろをまいていた。眠気と不快さが交互に立ち現れる。ベッドの上で、錆びついたスプリングを軋ませながらそのまま7時までゴロゴロしていた。目覚まし時計が鳴る少し前にエアコンのスイッチをいれた。
水量の少ないシャワーを浴びた。浴び終わるころにやっと温い湯が少しでてきた。シャワーの水滴をバスローブで適当に拭きとった。短パンをはく。Tシャツに首を通した。
二階の自室から一階ロビーのカフェテリアに降りていった。
長谷川が寝癖のついた頭髪と寝ぼけ眼でやってきた。
「しばらく。ごぶさた。十五年ぶりか。少し太ったね」
と長谷川は少し前かがみになって声を潜めた。
「あのボーイ。先週末出勤途中で携帯電話、部屋に忘れてきたの思いだして自室まで戻ったんだ。そのときあのボーイが部屋から出てくるのを目撃した。『ひとの部屋で何していたんだ』と詰問すると『掃除です』ととぼけた。『掃除はルームメイドの仕事だ』と問い詰めると『彼女に頼まれたんで』と白々しい嘘をつきやがった」
と壁際のボーイに目をやる。
「カネ目の物品は皆無なんで被害はなかったけど。あのボーイはおれがマネージャーに告げ口することを恐れてる。失業率三十%超えてるこの国じゃ、ボーイの代わりはいくらでもいる。告げ口されたら職を失う。口封じにおれを抹殺したいと思う動機はありそうだ」
「何の話だ?」
と土岐。唐突に話を切り出す長谷川の癖は学生時代と変わらない。
「脅迫のメールを貰ったんだ。差出人不明。メールを見たとき、この国の着任前に、物盗りに入ったホテル従業員と遭遇した邦人がナイフで惨殺された事件を思いだした」
土岐は右耳で聞きながらあたりを見回した。
カフェテリアの窓際に安価な造りのテーブルが三つ。中央にやや大きめのテーブルが四つあった。
土岐と長谷川は窓際の端のテーブルに座っていた。他に客はいなかった。土岐が思い出したように言う。
「依頼のメールにあった脅迫メールというのはそのことか?」
「そうだ」
「事情が良くわからないんで何でもいいから、情報を提供してくれ」
「わかってる」
と長谷川は頭髪をかきむしる。
土岐は顔をそむける。