宇多の資料の注記によると、殺害された今田は、この近くのとんかつ屋がお気に入りで、宿のある山谷から歩いてきて、その帰りにスポーツセンターのトイレを利用することがよくあった。お湯の出る便座があり、トイレットペーパーも常備されている。隅田川の土手にブルーシートで囲いを作って生活しているホームレスの利用も多い。
 今田の遺体は、翌日の春の体育祭の下見に来ていた近くの公立商業高校の非常勤の体育教師が発見した。夕方のことだ。クロスボウの矢が背中から心臓を射ていた。着衣は上は黒いパーカー、下は茶のコールテンだった。いずれも数年間、洗濯した形跡がなかった。
 土岐はトラックを管理している平屋の事務所に立ち寄った。事務所は男子トイレから五十メートルほどの廊下伝いにあった。途中に女子トイレがある。濃い鼠のジャージーを着た初老の事務員が、事務机が十ほどある事務室に一人で座っていた。土岐が受付の小さなガラス窓をスライドさせると無言のまま、面倒くさそうに椅子から立ち上がってやってきた。
「すいません。ここのトラックの利用状況は、どうなってるんでしょうか?」
「ネットで予約状況を公開しているんで、そちらをご覧になれば、わかると思いますが・・・」と薄い頭髪を左の手のひらで頭皮になでつけている。
「今日は誰も利用してないみたいですが、・・・いつもこんな感じで?」
「隣の野球場やテニスコートは予約でいっぱいですが、トラックの方はもっぱら週末に学校の運動会やたまに企業の体育祭で利用がある程度で、とくに平日の午前中は、ご覧のとおり、利用されていないことが多いですね。あと大会が近づくと中高の学校のクラブが利用することもあります。学期中は放課後で、休み中は午前中からということもあります。まあ、学校と言ってもすぐ近くの商業高校で、この高校は統合されてなくなるので」と話がそれてゆく。
「ここのトイレは、・・・いつも開放されてるんですか?」
「トイレだけ開放しているんじゃないですけれど隣の野球場やテニスコートの利用者が、この窓口で利用許可証を提示しなければならないんで、朝八時から夜九時まで開放してます」
と話している間にも何人かのスポーツウエアの男女がトイレの方に歩いてゆく。事務室の奥で書類の整理でもしていれば、いつ誰がトイレを利用したか、気づきようがない。