君のいない世界に、あの日の流星が降る

 私はいつも星座の図が大きく書いてあるページばかり見ていた。
 そんな私に、星弥はいろんな星の話をしてくれた。

 やっぱりまだ思い出話をするには傷が痛い。
 痛くてたまらない。
 星弥の名前が出ないうちに帰りたい。

「バスが来るので、今日は帰ります」

 あとずさりをしていることに気づき、ギュッと踏ん張った。

「いつでもお待ちしております」

 にこやかに樹さんが言ってくれたからホッとする。
 ドアの前でふり向き、見送りに来てくれた樹さんに勇気を振り絞った。

「流星群は……奇跡を運んでくるんですか?」

 あの日、星弥は私にそう言った。
 悲しみのなかずっと忘れていたけれど、今はそれが希望の星のように思えている。
 人差し指を口元に当てると樹さんは言った。

「信じる人にだけしか奇跡は訪れません」

 と。

 私には『まだ無理』と言われているようで、悲しくなった。





 図書館を出ると、雨は本降りになっていた。

 今年ほど梅雨らしい天気が続いている年はないかもしれない。
 次のバスには余裕で間に合うだろう。
 カサを広げようとしたその時、うしろでドアが開いた。
 樹さんが帰るのかと思いふり返ると、空翔が立っていたから驚く。

「え……。いたんだ?」

 私の問いに空翔はカサを取りに行くと、
「お前こそなんでここにいるわけ」
 呆れた顔をしている。

「別に……」

「そ」とひと文字で答えると、雨のなかへ歩き出す空翔。
 慌てて私も横に並ぶ。

「ここによく来るの?」
「いんや。今日は雨だし、部活もないから久しぶりに来ただけ。肩の痛みについてネットで調べてもしっくりくるのがなくってさ」
「そうなんだ。痛いの?」
「そこそこ。てか、月穂こそ理事長の説教、終わったんだ?」

 ぬかるみを踏まないよう歩きながら「違う」と言った。

「理事長じゃなくて松本さんだから。それに説教じゃなかった」
「じゃあ、なんの話だったわけ?」

 横顔の空翔はつまらなさそうに唇を尖らせている。
 機嫌が悪いときに彼がよくする仕草だ。

「別に……ただの世間話だよ」
「生徒会室へ呼び出して普通の話? ありえないだろ、そんなの」
「でも、本当のことだから」

 カサを打ちつける雨の音がやけに強い。
 バス停に着く頃には肩や足元がひどく濡れてしまっていた。
 バスを待つ間も空翔は不機嫌そうだった。

「なあ、なんで?」

 目線は雨に向けたまま尋ねる空翔。
 どうしようか、と迷いながら「あのね」と声を明るくした。

「本当になんでもなかったの。むしろ、松本さんのことを知ることができて――」
「違う」

 話の途中で空翔は強い口調で言った。

「なんで図書館に行ったんだよ」
「え……?」

 意味がわからずに見つめると、空翔は避けるように顔を背けた。

「俺は早く月穂に元気になってもらいたい。なのに、どうして図書館なんかに行くんだよ」
「なにそれ……」

 そう言ったとき、まだ私は笑えていたと思う。
 けれど、空翔は深く息を吐いてから私をにらむように見た。

「立ち直ってほしいのに、思い出の世界に逃げるなよ」
「立ち直るって……なに? それって、星弥のことを忘れるってこと?」

 なんでそんなことを言われなくちゃいけないの?
 忘れたくても忘れられない私の気持ちなんて、なんにも知らないくせに。

「忘れたフリしてんのはそっちだろ。俺が言いたいのは、過去に囚われているのはよくないってこと」
「そんなの、空翔に決められたくない」
「そうかよ」

 バスが雨の向こうから姿を現した。
 ドアが開くとさっさと空翔は前のひとり席にドカッと腰をおろした。

 なんで空翔がそんなに怒るのよ。

 もう話をする気にもなれず、いちばんうしろの座席を選んだ。
 ケンカになりイヤな感じ。
 空翔が怒っている理由がいまだにわからなかった。
 走り出したバスの窓に激しく雨がぶつかってくる。

 そうして、私はまた星弥のことを考える。







 放課後の教室で、さっきから星弥と空翔が椅子に座り話し込んでいる。
 私は宿題を片づけながら話が終わるのを待っているところ。

「マジでムカつくんだけど」

 空翔は何回目かの『ムカつく』を口にした。

「まあ、そう言うなよ」
「だってさ、もうOBなのになんで口出ししてくるわけ? 『練習がなってない』なんて言われたくねえし」

 どうやら昨日の練習中にOBが来て怒られたそうだ。
 朝から空翔はその話ばかりしている。
 星弥が私を見て顔をしかめた。
 『ごめん』って伝えたいのだろう。
 大丈夫だよ、とほほ笑んだと同時に気づく。

 ……ここは夢の世界だ。

 ということは前回の夢の続きってこと?
 見渡すと黒板に七月二日と白い文字で書かれてある。
 つき合いだしてもうすぐ三カ月になろうという時期。

 この日、なにがあったんだっけ……?

「そんなことより、部長なんだから少しは練習に顔出したほうがいいだろ?」

 諭すような口調の星弥に「んだよ」と空翔は不平を口にした。

「本当ならお前が部長になってたはずだろ? 俺様に押しつけておいてよく言うよ」
「すねんなよ。な?」

 空翔の肩に手を回して星弥は言った。
 それでも空翔は唇を尖らせていたけれど、ひょいと立ちあがりリュックを肩にかけた。
「わかったよ。行けばいいんだろ」
「うむ」

 空翔は私のほうへ来ると、
「月穂の彼氏、ちょっと強引なんですけど」
 とボヤいてから教室を出て行った。

 思わず笑ってしまう。
 ああ、この頃はこんな風に笑えていたんだな。
 同時に今日、空翔とケンカしたことを思い出した。

 なんか、罪悪感。

 空翔は心配してくれていたのに、素直に受け止められなかった。
 空翔は私に、ちゃんと思い出にしてほしかったんだよね……。
 時間差で理解することばかり。

「ごめんごめん、お待たせ」

 星弥の声に我に返った。

「ううん。それより大丈夫なの?」

 リュックに荷物をしまいながら尋ねると、星弥は肩をすくめた。

「それぞれの立場があるからさ。先輩だって外野から色々言われてて大変なんだよ。OBの立場じゃないと見えないこともあるからさ。でも、けっこういい人なんだけどね。逆に、空翔は空翔でプレッシャーもあるだろうし」

 どちらの味方もするやさしいところが好きだった。
 二年前に感じた想いを再確認している。

 窓から空を見あげるあごのラインも好き。

 ポケットに手を入れて目を細めるのも好き。
 心が満たされるような感覚を『幸せ』と呼ぶ。
 星弥が教えてくれたことなんだね。

「今日は『夏の大三角形』が見えるかも。『春の大三角形』は終わっちゃったけど」

 星弥が指先で指揮者のように三角形を描いた。

「春の大三角形? 夏のとは違うの?」

 夏の星座の三つを結んだ線を『夏の大三角形』と呼ぶ。
 先月、星弥が教えてくれたこと……って、これは夢の話だ。

 私はこのあとの展開を覚えている。

「説明いたしましょう」

 教壇の前に進むと、星弥は教師よろしくゴホンと咳ばらいをした。
 置いてあるチョークを手に取ると、彼は黒板に大きく七つの星を描いた。

「これが北斗七星」
「はい」

 生徒みたいに答えるのがくすぐったい。

「大変よい返事です。この北斗七星から、伸びる線を『春の大曲線』と言うんだ」

 七番目の星から左へ弧を描くと、その真ん中と左端に星の絵を書いた。

「真ん中がうしかい座の持つアルクトゥールスという星。左端が、おとめ座の持つスピカという星だよ」

 ふたつの星を直線で結んだあと、星弥は下方にもうひとつ星を書き三角形を作った。

「しし座の尾の先にあるデネボラと結べば、春の大三角形の完成」

 下向きの大きな三角形が黒板に浮き上がって見えた。
 こうやって星弥に星の話を聞くのが楽しみだった。
 黒板はあっという間に星空に変わり、夜の空を想像させた。
 晴れた日には、彼の部活が終わるのを待って、星を見ることもあったよね。

 これまで月にしか興味なかった私に、星弥は新しい世界を教えてくれた。

「来年は、一緒に春の大三角形を見よう。」

 星弥の約束がうれしくて、大きくうなずく。

「星弥の『星占い』、またしてほしいな」

 そう言う私に、星弥は黒板を消しながら「ブブー」と言った。

「『星占い』じゃなくて『星読み』だって」
「あ、そうだった」
「それに俺のはオリジナルだから」
「自分で作ったにしては、すごく当たってると思うけど」

 たまに私の星座であるおひつじ座を元にして彼は占いをしてくれた。

『今日は穏やかな気持ちでいればすべてうまくいくでしょう』
『友達に感謝の気持ちを伝えましょう』
『好きな人と図書館に行くとよいでしょう』

 たまに親とケンカしたことを話すと『自分から謝るのがよいでしょう』なんて言われたこともある。

「じゃあさ」と星弥が私の机に腰をおろした。
 見おろす目がやさしい。
「月穂オリジナルの占いを考えようか」
「ええ、私の? なにそれ?」
「そうだな……。『月読み』ってのはどう? 俺の『星読み』は、星と月や惑星も考えるから大変だけど、月穂の占いは月の形から占うわけ。その人の星座と掛け合わせればいくつもの答えが出るよ」
 うれしそうに笑う星弥に、
「ほんと、星弥は占いが好きなんだね」
 と言うと、顔をしかめてしまった。

「違うよ、その逆」
「逆?」
「俺、昔から占いって苦手なんだよ。でも、星に詳しいだろ? そうすると、みんな『星占い』をしてもらいたがるんだよな。だから、オリジナルで『星読み』を作ったわけ」

 意外な告白に目を丸くしてしまう。

「てっきり好きなんだと思ってた」
「俺は、まだまだ謎に包まれているのです」

 ニヤリと笑いながら「だってさ」と星弥は両腕を組んだ。

「テレビの占いとかって、たまに悪いことも言うじゃん? 朝からランキングづけなんてされたくないし、そもそもラッキーアイテムってなんなの?」
「えええ。自分だってやってるのに」

 噴き出しそうになるのをこらえる。