東の空から矢のような線が伸びている。ゆっくりと空をなめるように真上へ光を走らせる。
「流星群……」
続いて、何本もの線が生まれる。
近づくほどにその光は大きくなり、まるで花火が咲いたときのようにあたりが明るくなっている。幾重もの星がふっているみたい。
こんなにすごい光なの?
テレビや雑誌で言っていたことと全然違う。
まぶしくて見ていられないほど強い光は、白くて黄色くて青い。
「これが……奇跡なんだね」
もう一度、空に手を伸ばした。
がんばれば届きそうなほどの光が私にふっている。
「星弥、ありがとう」
どうか伝えて、あふれるこの想いを。
私に夢を見させてくれてありがとう。
気づかせてくれてありがとう。
すごい数の光は、奇跡の最後を締めくくっているみたい。
「ああ……」
爆発するように光を放ちながら空に線を描く流星群は、あまりに美しかった。
あの本を書いた人も、今ごろどこかで奇跡を眺めているのかな……。
「月穂」
私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
視線を下げると、光にさらされた頂上に誰かが立っていた。
草を踏みしめる音が続き、ストロボに照らされたみたいにその姿が見えた。
立っていたのは――星弥だった。
「星弥……。これも、夢なの?」
彼は私の高校と同じ制服を着ていた。
着慣れていない夏服姿の星弥が照れたように笑っている。
病気になる前と同じ体型の彼が笑顔で立っている。
これは……幻?
そばまで来ると星弥は「すごいね」と空を見あげた。
「あの本に書いてあることは本当だった。流星群が奇跡を運んでくれたんだ」
――涙が勝手にこぼれていく。
「月穂が最後まで信じてくれたからだね」
――星弥の姿がぼやけてうまく見えないよ。
「これが、流星群の運んでくれた奇跡なんだよ」
「星弥!」
叫ぶと同時に星弥に抱きついていた。
幻なんかじゃない。星弥が、星弥がここにいる。
「星弥。星弥!」
泣き叫ぶ私の髪を星弥はなでてくれた。
震えるほどの感動が体中を包んでいる。
「泣いちゃダメだよ。せっかく一緒に流星群を見られたんだから。最後は笑顔にならなくちゃ」
そう言うと、星弥は私の両肩に手を置き距離を取った。
「ムリだよ。やっぱり星弥がいないと、私……」
こんなにそばにいるのに、もう会えないの?
本当にこれで最後なの?
「あーあ」
急に星弥がすねた顔をした。
「せっかくのラストシーンなのに、これじゃあ流星群に怒られちゃう」
「星弥……」
流星群が私たちを囲むようにふり注いでいる。
「月穂にはたくさんの人がいてくれる。ひとりじゃない。月穂が心を開けば、ちゃんと受け止めてくれるんだよ」
「……でも」
言いかけた私に、星弥は首を横に振った。
「奇跡は俺が生き返ることじゃない。月穂が俺のいない毎日を生きていくことだよ。うまく歩けなくてもいい。でも、立ち止まるのは終わりにしよう」
そう言ってから星弥はまた空を見あげた。
まばゆい光の向こうで、月を隠していた雲が途切れようとしているのがわかる。
本当は星弥にすがっていたい。
だけど、だけど……私には伝えたいことがある。
「星弥、あなたが好き。初めて話をした日から好きだった」
ずっと言えずにいた。
いつか会えたらちゃんと言おうと思っていた。
「それが聞けて本当に幸せ。月穂、全然言ってくれないだもん」
「だから……」
「だから前を向いて歩いて。つらくなったら空を見あげて。俺はさ、星じゃなく月になることにしたから。それなら月穂も見つけやすいだろ?」
星弥が指さすほうに、わずかな月の輪郭が見え出していた。
「そんなふうに自分で決められるものなの?」
「こんな奇跡が起きるんだもん。言ったもん勝ちだよ」
「なにそれ」
星弥の前で笑うのは久しぶりだった。
そうだった……。
こんなふうに私たちは、いつも楽しかったよね。
「夢、すごかったな」
星弥はやさしい瞳をしている。
まだ降る流星群の光が、星弥の体を包み込んでいるように見えた。
「本当だね」
「出会いから最後の日まで、まるで俺たちのダイジェストみたいだった」
「うん」
「てるてるぼうずも完成できたし、ほんとすごいよ」
ニッと笑う星弥に、私もほほ笑んでいた。
「星弥のてるてるぼうずはかなり不格好だったけどね」
「ああいうの苦手なんだよ」
「私も苦手。だけど、みんなが手伝ってくれたんだよ」
ひとりきりだと思っていた。だけど、そうじゃなかった。
「月穂の月は、今夜は上弦の月か」
星弥があごをあげて言ったあと、照れたように笑った。
「俺もずいぶん月について勉強したんだ」
「そうなんだ。私も星には詳しくなったよ」
さっきまでは姿を隠していた星座がちらほらと光り出している。
流れる星の光が弱まっている。
空全体がどんどん遠くなっていくように思えた。
「そろそろ流星群が終わるよ」
当たり前のように言う星弥に、一気に悲しみが込みあげてくる。
泣いちゃいけないのに。
最後は笑いたいのに……ダメだった。
いきなり強くなんてなれないよ。
そばにいたいよ……。
「おいで」
両手を広げた星弥の胸に飛び込んだ。
わかっている。
もうすぐ星弥は流星群と一緒に行ってしまうんだ。
だったら私は最後に、最後に……。
星弥の胸に手を当て、そっと体を離した。
その顔をまぶたの裏に焼きつける。強く、強く。
思ったことを言葉にするのに勇気なんていらないんだ。
「私ね、星弥に伝えたいことがあるの」
「うん」
うなずく星弥の姿がどんどん夜に溶けていく。
「星弥のことずっと忘れたいって思ってた。こんなにつらいなら忘れてしまいたい、って。でもムリだった」
もう泣かない。
肩で大きく息を吐いて、私は笑みを浮かべた。
だって、好きな人をちゃんと見送るのが私の役目だから。
「星弥のおかげで夢を見ることができた。そこで気づいたのは、私はひとりぼっちじゃなかったってこと。もういなくても星弥はきっと見守ってくれているって思えた」
星弥が「うん」とうなずいてくれた。
「それに私にはたくさんの人がいてくれたの。その人たちが私に力をくれた。だから……星弥のこと、忘れないって決めたの。一生かけてあなたを覚えていこうって決めたの」
「わかった」
星弥が私の両手を握ってくれた。
がんばれ、と言ってくれているんだと思った。
「同じように周りの人のことも思える私になりたい。ううん。なってみせる」
もう星弥の姿は見えない。
つないだ両手の力もどんどん弱くなっていく。
「月穂、ありがとう」
最後に強く握られたあと、星弥の手の感覚は消えた。
もう、星弥には会えないんだと心が受け入れたように思える。
泣きそうな気持ちをこらえ、足を踏ん張った。
負けない、もう負けたくない。
ふいに、あたりの景色が急に明るくなった。
見あげれば、遠くの空に月が銀色の光をまとって浮かんでいた。
一周忌はにぎやかに終わりを告げようとしている。
おばさん手作りの唐揚げやハンバーグはとっくに男子を中心としたメンバーに完食され、今は松本さんのお兄さんが買ってきたお菓子の争奪戦がくり広げられている。
中学の同窓会みたいなメンバーのなかに、私の人生の新しい登場人物が混じっている感じ。
「月穂」
久しぶりに会った希実は、前以上にキレイになっていた。
短かった髪をロングに伸ばし、黒いワンピース姿が年上っぽく見えた。
「今日は呼んでくれてありがとね」
「ううん。あ、友達紹介するね」
麻衣の姿を探すと、空翔とふたりで洗い物をしているところだった。
「麻衣ちゃんでしょ。さっき会ったよ。すごくいい子だね」
「うん。希実はどう?」
「あいかわらず。今日はこんな恰好してるけど、普段は部活ざんまいで青春の『せ』の字もないよ」
カラカラ笑ったあと、希実は「でさ」と顔を近づけてきた。
「例のアレ、持ってきてくれた?」
昨日の夜も散々ラインで言われてから忘れるわけがない。
バッグから『月読みノート』を取り出すと、希実が歓声をあげた。
「懐かしい。もうさ、ずっとやってもらいたかったんだよぉ」
歓声に気づいた深川さんが「どいてよ」とふざけてる男子をかきわけてきた。
「どうも」「どうも」とふたりは挨拶をしている。
もう一度『月読み』ができる日が来るなんて思わなかった。
星弥が残してくれたものを、これからも大切にしていくよ。
ノートをめくると彼の文字が並んでいる。
私が大好きだった人。世界でいちばん大好きだった人。
「希実はね、八月前半が行動するのに最適みたい」
「マジで!? いよいよ私にも幸せがくるかも。ううん、くる。絶対にくる!」
ガッツポーズをする希実に深川さんが拍手を贈った。
「そういえばさ」と、深川さんが私を見た。
「あの日、天文台ではあんまり流星群が見られなかったんでしょう?」
「うん。そうだってね」
翌日の新聞にも、わずかばかりの流星群の写真が掲載されていた程度だった。
「でも、月穂は見られたんだよね?」
「見た。すごくきれいで悲しくて、でもうれしかった」
目を閉じれば、いつでもあの光を思い出せる。
あの夜、私のために、星弥のために、流星群は奇跡を起こしてくれたこと、忘れないよ。
「あたし信じるよ」
「うん」
「じゃああたしのも占ってくれる?」
「よろこんで」
深川さんの『月読み』をする。
真面目だけど、言葉のチョイスが間違えがちな星の元に生まれている彼女。
やっぱり当たってるんだな……。
気づくと深川さんのうしろに列ができていたので驚いてしまう。
月を読むことは、星弥を知ること。
長い人生を星弥はいつでも見守ってくれているんだよね。
おばさんが最後の挨拶をすれば、拍手とともに会は終わりを迎えた。
みんなを見送ってから、残った洗い物を片づけたりゴミを拾った。
「よし、終わり。月穂、帰ろうか」
ゴミ袋を玄関先に置いた麻衣にうなずく。
「じゃあ空翔とここで待ってて。おばさんに挨拶してくる」
おばさんを探しに二階へ向かう。
星弥の部屋の中におばさんは立っていた。
部屋はあの頃となにも変わっていない。
ついこの間、ここでてるてるぼうずを作ったんだよね。
ああ、あれは夢か……。
時間が経てば、あの夢も現実と溶け合っていくみたいにどちらがどちらかわからなくなっている。
それでいい、と思う。
だってあの夢は実際に私たちが経験したことなのだから。
おばさんは私に気づくと、目じりのシワを深くして笑った。
「今日はありがとう。星弥に今、報告していたのよ」
「こちらこそありがとうございました」
頭を下げてから「また来ます」とつけ加えた。
ほころんだ笑顔のおばさんが手招きをしたので近づく。
誰もいないのになぜかおばさんは私の耳に口元を寄せた。
「私も、星弥に会えたの」
「え?」
びっくりして顔を離すと、おばさんはクスクス笑った。
「夢での話よ。不思議な夢だった」
そう言うと、おばさんは星空を見るように天井に目をやった。
「誰もいない山の頂上に私はいてね、たくさんの星がふってくるの。気づくと星弥がそばにいて、『最後に信じてくれてありがとう』って笑うのよ」
ああ、涙があふれてくる。
おばさんの瞳にも涙が光っている。
「あの子ね、ヘンなこと言うの。『これからは月になるんだー』って、ほんと子供のままなんだから」
「きっと、本当に奇跡が起きたんですよ」
そう言った私に、おばさんはしっかりとうなずいてくれた。
「いろいろありがとう。月穂ちゃんのおかげよ」
「私こそ、ありがとうございました」
ふたりで一階へおりると、泣いている私たちを見て、麻衣と空翔は慌てていた。
大丈夫だよ。悲しい涙じゃなく、うれしい涙だから。
外に出ると、雲一つない空に月が浮かんでいた。
楕円形でこれから満ちていく宵月が町を照らしている。
月光をたよりに、私も帰ろう。
星弥が笑っているみたい。
笑みを星弥に返し、永い後悔も一緒に還した。
――帰ろう、返ろう、還ろう。
明日の世界は、今日よりもきっと満ちているから。
【完】