小宮山のボヤキは聞かなかったことにして、早速その手の中から一粒、チョコをつまんで食ってみる。
「へー、うっま!」
初めて食べるオレの知らないチョコはなかなかに美味かった。
「でしょ? これ、食べてみたくてさ!」
得意そうな顔をした小宮山が「美味しいんじゃないかって思ってたんだよね!」なんつって嬉しそうに笑うのだ。
ふーん。
自分が食べてみたかったやつ、オレにくれたのか。
オレが一緒に食べようって誘うのわかってて?
嫌がられているような、そうでもないような。
小宮山の距離の取り方は絶妙に、微妙。
だからこそ、余計にオレは期待をひっこめられない。
たとえば、この食い方だってその期待の表れだ。
オレはいつも、あらかじめ小宮山の手に山盛りチョコを盛っといて、そこからつまんで食うっていうイヤラシイ食い方をしている。
一番最初はホントに事故だった。でも2回目からはわざと。
やるたびに文句言われるんだけど、なんだかんだ言われながらもなぜか結局許してもらえちゃうからやめられない。
今じゃこの食い方が普通になってる。オレの中では。
しかしオレらふたりきりの時間は、長くは続かない。
たいていジャマが入るからである。
「小宮山あ、オレにもそれちょうだい」
冨永が嬉しそーうに椅子を引きずってよってくる。コイツは顔に似合わず甘党で、チョコ食べてると必ずまざりにくるのだ。
伸びてくる手を素早くはたき落として冨永にひとこと言ってやる。
「だあーーっめ、触んな!! これはオレのチョコ!! 食いたきゃ小宮山じゃなくてオレに頼め」
ややこしい食い方してるせいでわかりづらくなってるけど、チョコの持ち主はオレなのだ。勝手に食わせてやるわけにはいかない。
「あっそ。じゃあ加瀬くん、チョコちょうだい」
「イヤ」
冨永の顔がひきつる。
ごうごうと文句言いながら再び手え伸ばしてくる冨永に舌打ちしつつ、ヤツの手を捕まえて袋からジカにチョコを出してやる。
ある程度の量を盛ってやったのはもちろん自分のテリトリーを守るためだ。
気心知れてる冨永といえども、小宮山の手からは食ってほしくない。
「オイ。ありがとうは?」
「オマエねえ・・」
小宮山の手からまあるいチョコを一粒つまみとり、ポイと口に放り込む様子を冨永にタップリとみせつけておく。
イジリたければイジれ。気のすむまで。
何してくれたって、オレはひとつも構わない。
だってオレはーーー小宮山本人にハッキリ『好き』って言えないだけで、自分の気持ちを隠そうだなんてこれっぽっちも思っていないのだから。
今更コイツになんて思われようが、痛くも痒くもない。
ーーーだけど、小宮山は?
こっそりと彼女の表情を窺ってみて、オレは静かに肩を落とした。
毎回毎回、オレは悲しくなるほどキレイに小宮山にスルーされる。小宮山はオレのこういうところに全く反応しないのだ。
自分で言うのもナンだけど、小宮山へのオレのアピールはすんげえ露骨であからさま。アレでわかんないようじゃあ、わかんねーほうがどーかしてる、ってくらいには。
もしゃもしゃと嚙み砕いたチョコが口の中でやわらかく溶けてゆく。
小宮山の顔を見るのが辛くなり、代わりに目の前の小さな手のひらに視線を落とした。
ーーーってことは、だ。
どう考えたって小宮山のコレはあえてのスルーだ。
それはつまり、彼女にはオレの気持ちに応える気がないってこと。
都合よく色々期待しちゃったりもすんだけど、たぶんオレは小宮山になんとも思われてない。
小さなため息を漏らして顔を上げたら、気の毒そうな顔をしてオレを見ている冨永とバッチリ目が合った。
「・・・」
「・・・」
冨永がなんとなく目をそらしてチョコを食べ始める。
あんなに煩いくせに、こういう時には気を使ってなんも言ってこねーんだから、これはこれで結構こたえる。
オレは小宮山が好きだ。
2年になってすぐ、オレは後ろの席の小宮山に恋をした。
花壇の水やりを終えて教室に戻ってみると、加瀬くんが私の席に座って居眠りをしていた。だらんと椅子の背にもたれて腕を組み、頭をがっくりと前に倒して。
口を閉じてたほうが断然大人っぽい加瀬くんのうたたね姿にドキドキと胸を鳴らしつつ机の上の日誌を覗いてみると、それはまだ驚くほどの白さをキープしていた。
なあんだ、全然進んでないじゃないの。
仕方がない、私が書くか・・って眠りこける加瀬くんの手からそろりとシャーペンを引き抜いた。
私たち、今日は一緒に日直をしている。
うちのクラスじゃ日直は出席番号順にまわすことになっていて、『加瀬』『小宮山』って名前が並んでる私たちは2回に1回はペアになる。
いつも賑やかな加瀬くんが寝ちゃってるせいで、放課後の教室はとっても静かだった。耳に響くのはシャーペンの滑る小さな音と、どこかの部活の雑音だけ。
ふと手を止めて、私はすぐ目の前にある加瀬くんの黒い頭を眺めた。
ーーー居心地が、いいんだよなあ。
ホントなら、加瀬くんみたいな男の子は苦手なはずだった。
ズケズケと図々しくて、やたらオシが強く、言い出したら聞かないとこのある加瀬くん。
うちの温和なお兄ちゃんとは全く違うタイプの男の子に新学期早々グイグイ来られて、最初はびっくりした。
だけどびっくりしすぎて腰が引けたのなんてほんの一瞬で、私はあっという間に彼を好きになってしまったのである。
なのに私はその気持ちを彼にひた隠しにしている。
私が『好き』って言えば、その瞬間に互いの恋が実ってしまうからだ。
そうなれば、次は当然「つきあおう」って流れになっちゃうわけでーーー
胸の奥がもやもやと悲しくなってきて、私は逃げるように日誌に視線を落とすと手元のシャーペンをぎゅっと握りなおした。
私は男の子とつきあえない。
チョットーーー個人的な事情があって。
だからこのまま、私は『友達』として彼のそばにいたいのだ。
つかず離れずの今の関係を維持したまんま。
なんて考えてるうちに、まったりとした気怠い雰囲気と初夏のなまぬるーい気温にやられて、私はモノスゴイ眠気に襲われ始めた。
「ああ、ねっむ・・」
椅子の背もたれの上に腕を組んで顎をのっけると、目の前には気持ちよくスウスウいってる加瀬くんの顔がある。
ーーーそれを見ていたら、つい。ほんの出来心だった。
私は彼の頭のすぐ真下に、こっそりと自分の頭を滑り込ませた。
で、そおっと頭上の加瀬くんを仰ぎ見る。
「うっわあ、可愛い寝顔・・」
その近さにドキドキと胸が鳴った。
私はズルイ女なのだ。
加瀬くんが本当に気がついていない時だけ、細心の注意を払って彼に近づき、トキメキとシアワセを少ーしだけお裾分けしてもらうことにしている。
加瀬くんの寝顔に目を細めつつ静かに瞼を閉じると、ふわふわと心地よい眠気にまかれ、あっという間に意識が曖昧に霞んだ。
んで、その後は。
私はもうコッチの世界に戻ってくることができなかった。
すんごいマズイ位置に身を置いちゃったまま、夢の世界へ旅立ってしまったのである。
***
「!!!」
起きて早々、オレは悲鳴を飲み込みつつ思いっきり後ろにのけぞった。
てゆーのも、なぜかオレの顔のすぐ真下、すんげえ至近距離に小宮山の頭があったからなのだ。
よかった、叫ばなくて・・!
バクバクと暴れる胸をおさえつつ、オレはアホみたいに眠りこける大好きな女の子を眺めた。
髪の毛の隙間からちらりと見え隠れする桃色の耳たぶに、緩ーくひらいたぷっくりとした唇。柔らかそうなほっぺも、長いまつげも。彼女を彩るなにもかもがオレを惹きつけてやまない。
ああ、スキ。可愛くてたまらない。
吸い寄せられるように手が伸びそうになったところで、自分にはその資格がないのだということを思い出した。
すると、途端に彼女のことが恨めしくなる。
オレのこと気にも留めてくれないくせに、どーしてこんなふうに眠っちゃえるのだろうか、と。
だってオレの真下にいたよね?
オレら、あんなに近くで寝ててよかったの・・?
ーーーいいわけない。ダメにきまってる。己の立ち位置がモーレツに悲しい。
仕方がないから眠りこける小宮山に無言で念を送っておく。
頼むから。こーゆうのは絶対絶対、オレだけにして。
他の男と昼寝してほしくないし、寝顔なんかもってのほか。
そもそも大前提として、オレ以外のヨソの男をそう易々と信用してはならないのだ。
だってさ。こんなに紳士で、オマエに優しいオレですらーーー
ドキドキと心臓の音がやたら耳に響く。
自分の胸の音聞くだけで後ろめたい。
「・・・」
素早く周囲を見回してだーれもいないことを確かめてから、そおっと顔を倒して小宮山の顔をのぞきこんでみる。
うっわあ、寝顔みちゃったーーー!!
可愛い小宮山の、可愛い寝顔に頬が緩む。
そのままコトリと机に頭をのっけて彼女の顔を眺めていると、ふと、初めて彼女と顔を合わせた日のことを思い出した。
オレが小宮山と出会ったのは今年4月。
新学期初日のことだった。
初めて見る後ろの席の知らない女の子とひと言、ふた言、短い会話を交わして前を向いたオレは、流れるような動作でカバンに右手を突っ込んだ。昼飯の足しにと放り込んできたチョコの大袋を引っ張り出すと、すぐにまた後ろの彼女を振り返る。
オレの一目惚れだった。
んだけど向こうはそうじゃない。
初対面のオレにいきなり手をとられてチョコをバラ撒かれた小宮山の引き攣った顔を、オレは今でもよおく覚えている。たぶんあの時の小宮山はオレに相当引いていた。
マイナススタートは承知の上で、次の席替えまでに彼女の『特別に仲の良い男友達』になること。
どっぷりと恋に落ちてしまったあの日から、それがオレの絶対の目標となった。
ーーーそんな彼女の可愛い寝顔が、今、オレの目と鼻の先にある。
キスしたらバレるかな・・なんて抑えがたい誘惑にかられたりもするけれど、やはりそれは人としてヨロシクナイし、盗むみたいにして唇奪ったって全然嬉しくない。
オレは意識のある小宮山から、きちんと望まれてキスしたい。
オレがいいって、オレが好きだって言わせたい。
かわりに、日誌の上に散らばるツヤツヤした髪の毛の先をちょっとだけつまんでみる。
おかしいな。なんで?
たぶんつきあってるやつはいない。
だから小宮山の一番近くにいる男は絶対にオレ。『特別に仲のいい男友達』って目標は、とうに達成してるハズ。
それなのに。
いつまでたってもオレは次のステージに上がれない。何をしても友達止まりのまま。
小宮山のオレへの扱いは、冨永となにひとつ変わらないのである。
一体どうしたら彼女はオレに振り向いてくれるのだろうかーーー
***
「おきろよ、小宮山。帰ろうぜ」
って加瀬くんに声をかけられて目を覚ました私は、カッと目を見開いたままその場にビシリと固まった。
しまった、寝てた!
うっかりあのまま寝ちゃってた!!
背筋にイヤな汗が滲み、眠気なんか一瞬で吹き飛んでゆく。
加瀬くんのそばをちょっとだけ堪能したら、バレないうちにちゃーんと距離を取り直すつもりだったのに。
私としたことが、睡魔に負けて寝落ちしてしまうとは。
全くもって一生の不覚である。
バカ! アホ! と、自分を罵りながらコッソリと加瀬くんの様子を窺う。
不審に思われたりしていないだろうかーーー
ドコドコと嫌な音をたてる胸を庇いつつ、極力彼にフツーの顔を向ける。
「ゴメンね。日誌は?」
「適当に書いといた」
「そっかあ。アリガト・・」
じいっと顔をみつめてみても、特にこれといって変わった様子はない。
大丈夫大丈夫。たぶんいつも通りだ。バレてない。
ホッと胸をなでおろしながら乱れた髪を手櫛でちゃっちゃと整えていた時だった。
頰杖ついてボーッとしていた加瀬くんが、私の顔に張りついてた髪を一筋、指ですくってスルリと耳にかけたのだ。
「!!!」
彼の指が耳のふちをなぞるように滑っていったその瞬間、ぞぞぞと耳に痺れが走ってポロリと何かがこぼれおちた。
喉の奥から漏れ出たそれは、ため息のような吐息のような。
どことなく苦し気な響きを纏った、小さな甘い声だった。
慌てて口をおさえたけど、もう遅い。
「びびび、びっくりしたあ」
「・・・」
「急に触んないでよ、ヘンな声出ちゃった」
「・・・」
「ね、ねえ、聞いてる?」
「ウン、聞いてる・・」
私だってちょっとマズかったかな、とは思ったのだ。
やっぱりそれなりに恥ずかしくはあったから。
だけどそんなことよりも目の前の加瀬くんの反応のほうが凄すぎて、むしろそっちへ気を取られてしまう。真っ白な色白のお肌がエゲツないほど赤く染まり、顔なんか通り越して、あっという間に首まで真っ赤になってしまった加瀬くん。
その様子をジロジロと眺める私の視線に耐えられなくなったらしい彼が、気まずそうに下を向いた。