ウンて言って、小宮山

そしたら、それまでずーっと黙ってた小宮山のお母さんが泣き出したのだ。ポロポロ涙流して。
それ見てオレは思った。
ああ、よかった。オヤジさんはこんなでも、お母さんのほうはオレらのこと喜んでくれてんだ、って。
きっとオレらのこと認めてくれる、って。
だけどーーー

「よかったね、すみれ。嘘みたいにステキな子じゃないの、アンタの彼氏」
「ウン。私にはもったいない人だってのはわかってる」

小宮山がそう言うと、お母さんはハンッって吐き捨てるように大きく息をついてから、思いっきり顔を歪めた。
んで、耳を疑うようなことを口走る。

「ねえ、なんで!? なんでアンタだけそんないい思いができるの!? ズルイじゃないの!!」

頭にガーンってタライくらったみたいなすんげえ衝撃に、オレは思わずのけぞった。
ーーー祝福じゃなかった!!
お母さん、すげー顔して小宮山のこと睨みつけてる。

「羨ましいわ。あんたも、祐介も、みんなここから出て行けて。素敵な恋もして」
「オマエ、何言ってるんだ・・!!」
オヤジさんが青筋立てて怒鳴ろうとすんだけど・・

「もうムリ、耐えられない! こんなの見てらんないわよ!!」

オヤジさんに怒鳴り返したっていうよりは、たぶん大きな独り言。
そのままお母さんは、泣きながら部屋を出ていった。
小宮山が気まずそうにオレを見る。

「アレ、あんまり気にしないでね」
「ウ、ウン・・」

小宮山が恋愛に尻込みしてた理由がなんとなくわかった。
そりゃ、怖くもなる。
失礼だけど、こんな家族に囲まれて育ったんだ。不仲で不愉快な両親の撒き散らす悲惨に巻き込まれないワケがない。
ムチャクチャ苦労したはずだ。
自信がねえってこぼしてた気持ちが今ならわかる。

チラリと小宮山の横顔を盗み見て、スゲーなって思った。
昔の小宮山がどんなだったかは知らないけど、確かに今の小宮山は、目の前のご両親とは一線を画していた。

小宮山が言ってた。
両親みたいになりたくないって。
自分自身が納得のできる生き方がしたいって。
オレのことも大事にしたい、傷つけたくないんだ、って。

大丈夫。全部、できてる。
オマエの望むように、うまくいってるよ。
それから後は何を言われても、バカみたいに、ただ頭を下げ続けた。

絶対、ここで承諾してもらう。
オレはどうしてもきちんと正式に小宮山が欲しい。

「お願いします。すみれさんをオレにください!」
ってシツコク繰り返して、頭を下げて拝み倒す。

本当はこのセリフ、女の子を物みたいに扱うようでオレはあんまり好きじゃない。
だけどこのオヤジさんのテリトリーから小宮山を攫っていきたい今のオレの気分には、一番しっくりと当てはまる言葉のようにも思えた。

そして、とうとう。

オヤジさんの「勝手にしろ」の一言で、オレらは小宮山家でもなんとか結婚の了承を得た形となったのだった。
とはいえ空気は最悪。お母さんも戻ってこないし、長居するような雰囲気じゃなくて、オレらは早々に小宮山家を後にした。

「ゴメンね、加瀬くん」
マンションを出たとこで、顔面蒼白の小宮山に謝られる。
「大丈夫。なんとかOKもらえたし、来てよかったわ」
「で、でも、あれーーーホントに酷かったでしょ・・」

うん。たしかに酷かった。

声を詰まらせてうつむく小宮山の手をひいて駅に向かった。
「いーのいーの。気にすんな。あーハラへった。なんか食お? オマエ何食いたい?」
「・・酸っぱいもの」
「って何があるっけ・・??」



ベッドサイドの小さな灯りの中、加瀬くんがゆるりゆるりと私の頭をなでる。
黙ったまんま、何度も何度も。

加瀬くんがぽつりとつぶやいた。
「オレ、あったかい家庭、作りたい」って。

私はゴソゴソと加瀬くんの胸に勝手におさまって、相変わらずの心地よさと安心感に、はあって息をついた。

ああ、ホントに幸せ。
だからね、心底こう思う。
「加瀬くんの作る家庭だもん。あったかい家庭にしかならないよ」
「へへへ。そーかな」
加瀬くんが照れくさそうに、ぎゅうっと私を抱きしめた。

「私に居場所くれてアリガト・・」
私は加瀬くんからいろんなモノをもらった。
まだ少し先になるけど新しい生活に新しい戸籍。それから赤ちゃん。

それなのに、私からは加瀬くんにあげられるものがなにもない。
だけど無欲な加瀬くんは「なんもいらねえよ。オレのこと好きでいてくれるだけでいい」なんて言う。

「オレがオヤジになってもじーさんになっても、このままずーっとオレのこと好きでいてくれる?」
じーっと私をみつめるハタチの加瀬くんから、じーさんになった加瀬くんを想像するのはまだちょっと難しかったけれど。
「中身が加瀬くんなら、オヤジでもじーさんでもずっと好きだよ」
「ホント? ハゲても太っても?」
「ハゲても太っても大好きなのは変わらない。てか、加瀬くんこそ私がオバサンになっても、おばーさんになっても、好きでいてくれんの?」
「当ったり前だろ。想像つかねーけど」

視線を絡めて、アハハって笑い合う。
まだムリだ。そんな先のことなんてわかんない。

だけどね、きっといつかそんな日が来る。
その時も今の気持ちのままいられたら・・そしたらどんなにいいだろうね。
ね、加瀬くん。
「なあ、ずっとオレといて?」
「ウン。ずーっとこのまま一緒にいたい・・」
どちらからともなく優しいキスがひとつ、ふたつと重なっていく。
だけどそれがだんだん止まんなくなってきて、ついに加瀬くんがベリッと身体をひっぺがして距離をとった。
「あークソ、これ以上したらガマンできなくなる! やっぱ出産終わるまではダメだよなあ・・」
「ーーーえーっと。そうでもないみたい」
「エ・・まさかできんの!?」

実はできるらしい、ってのをこの間の診察ではじめて知ったのだ。
いくつか注意点もあるけれど、ムチャしなきゃ大丈夫だって。

***
「なんだよそれ、早く言えよ!! 小宮山、体調は!?」
「ダイジョーブ」

「じゃあ・・」

オレは恐る恐る小宮山に手を伸ばした。

久しぶりだった。
ずっとダメだと思ってたし、考えなきゃいけないことも、やんなきゃいけないことも山ほどあって、ムチャクチャ忙しかったから。

「なんかスゲー背徳感・・いいのかな、オレ・・」

だけど、はじめちゃったらやめらんなくて、オレは久しぶりの快楽にズブズブと溺れていった。
んで、その最中にーーー

「すみれサン、かあ・・」

つい、ポロッとこぼれた。
親や圭太が小宮山のことをこんな風に呼んでたのを思い出して。
小宮山んちではオレもそう呼んだが、「ムズ痒い!」つって小宮山には不評だった。

「んでもさ、そのうちオマエも『加瀬』になんだぞ? そしたらもう『小宮山』って呼べなくなる」
「あ、ホントだ」
入籍しちゃったら、小宮山だってオレのこと『加瀬くん』とは呼べなくなるのだ。
「んじゃ、今から『すみれ』と『律』に呼び方変えよーぜ」
「ウン」
「んじゃ、すみれ」
「ふふ、なに?」
「好きだ」

それからオレは、すみれすみれって囁きながら、大事に大事に彼女を抱いた。

「ぜえっったい、オレがオマエを幸せにしてやるよ。辛かったぶんは、オレと一緒に取り返そーぜ」
小宮山、いや、すみれが笑う。
「もうとっくに幸せだよ、アリガト」って。

これといって夢も野望もない。
派手なドラマも事件もない。
オレはごくフツーの人生を、ごくフツーに生きてる。
たいしたことはできないし、オレが守ってやれるのは、せいぜい彼女とおなかの中の子供くらい。
だけど、オレにとってはそれが・・

「律」

ふいにそう呼ばれて、胸が震えた。
ちょっとかすれた小さな声で、すみれの口から初めて紡がれたオレの名前。
胸が震えるのは、オレがすみれを愛してるから。

「泣いてるの?」
すみれの指がオレの目元を滑る。
「どしたの? 大丈夫?」

「大丈夫」

間違いないって思った。
オレが何のために、何を求めて生きるのか。


「シアワセだなって思ってただけ」





加瀬律くん。
私の好きだった男の子。

その人が今、私の目の前で頭からジュースをかぶってズブ濡れになっている。
・・私がやったんだけど。

加瀬くんの隣には私の知らない女の子がいて、彼女は目をまん丸く見開いて加瀬くんを見ている。だけどそのうち彼女の視線が私の方へと上向いてきて、ほんの一瞬だけ、かちりと互いの視線がぶつかった。

この子、私のことどんなふうに思ってるかな。
元カノかなにかだって・・思ってるかなあ。