ウンて言って、小宮山

帰りの新幹線の中で、膝の上にそっと左手をひろげてみる。
オレの薬指に光る新品のユビワ。

「・・・」

しばらくグーパーしてみた後、やっぱりどーにも落ち着かなくて、ついつい腕を組んで左手を隠しちゃう。だけどーーー

思い直してオレはもう一度左手を膝の上に置きなおした。
うん。これでいい。
すんげえ恥ずかしいけど、今更やめるなんて言えない。
だって言い出したの、オレだし。

オレが本気でユビワ買うって言ったら、小宮山は慌ててそれを止めはじめた。
無理してつけてほしくないって。ゴメンって。

右手につけたり、もっと無難な指を選んだりしてもよかったんだけど、どーせなら小宮山がイチバン安心できるトコがいいかなと思ってオレは左手の薬指につけることを選んだ。

週明け、オレの異変はあっという間に仲間内の知るところとなり。

「どーしたんだよ、それ!?」
「オマエ、結婚でもしたの!?」

散々イジられる。
本間さんも微妙な表情でオレを見てた。

「いーの。アレコレ言わないでくれる?」
いろいろあったあの夜から数週間後。オレはまた小宮山の部屋にいた。

ベッドサイドの小さな灯りの中、小宮山がオレの左手を両手でつかんで自分の目の前にかざす。
「ゴメンね、これ。恥ずかしかったらいつでもやめていーよ?」
「いや、やめねえ。なあこれ、うれしい?」
「ウン、すごくうれしい。ありがとう」
小宮山がもぞもぞと近づいてきてぴたっとオレにくっついた。小宮山は甘えたくなるとこんなふうにオレの胸に勝手に収まって、自らだっこのスタンバイをする。

「あ、そうだ。オレもう親睦会行ってねえからな? 行ってた時も合コンやってたのは一部のヤツらで、オレは女子とメシ食ったりしてねえ」
「そうだったんだ・・てっきり女の子に囲まれてゴハン食べてんだと思ってた・・」

後藤の言う通りだった。

「あとさ、オレ引っ越したぜ」
「ひ、引っ越したああ!?」
小宮山がガバっと起き上がってオレを見る。
「うん。もうあのアパート出たからな」
あれからオレは部屋を移った。
引越し先は大学の学生寮。寮は風紀に厳しくて男子寮も女子寮も、家族以外の異性は立ち入り禁止。そんなだから全然人気はないんだけど、オレにとってはむしろ好都合だった。寮のお固いセキュリティが、そのままオレの身の潔白を証明してくれる。

ポカーンてしてた小宮山が、フトンに潜って縮こまった。
「ゴメンね、私が文句言ったから・・」
「いーの。いーの」
「加瀬くん色々ありがとう」
「いーんだヨ」
オレの胸に収まりにくる小宮山をつかまえて目を合わせると、今日もトロリとその顔が溶ける。

「ーーー小宮山は、この顔が一番カワイイ。オレのこと大好きって顔・・」

オレにはこれがたまらない。
オレに向けられる小宮山の好意が、ヤバいクスリかなにかのようにオレの全身を巡り、刺激する。
実際、ホントに何か出てんじゃねーかって思うのだ。オレの脳内に快楽物質的な何かが。

こっぱずかしいユビワも、引っ越しも、一見小宮山のためにしているようであって実はそうじゃない。ぜーんぶオレ自身のため。
自分の幸せを守るためにしたことだ。

そこにガッツリと需要と供給の図式が成り立っていることに、果たして小宮山は気がついているだろうか。



「アレ??」

ゴックンとひとくち飲み下したカフェラテの味に違和感を感じた私は、カップの蓋を外してくんくんとニオイを嗅いでみた。

「これ、味ヘンじゃない?」
「そう? フツーにおいしいけど」
同じの飲んでる友達に聞いてみても特別な反応はない。
「えー、ホントに・・?」
おかしいなと思ってもう一口飲んでみるけれどーーー

うん。やっぱりマズイ。
いつもと全然味が違う。

カップを揺らして、トロリとクリーミーなラテの残量を確認した私は、うぷっと手で口を覆った。

そして昼食後。
午後の講堂は今日ものどか。ポカポカ暖かくて、つい眠くなる。

「あーダメ、眠い」
「すみれ最近寝てばっかじゃん」
「だってこんな気持ちいいのに、起きてらんないよ」
「まあねー」

そんなふうに友達と笑い合う午後はムチャクチャ平和だ。
加瀬くんの浮気騒動以来これといったトラブルもなく、私たちは順調に遠恋を続けていた。
もうすぐ2年目の冬がくる。

そして昨日、私はハタチになった。

平日だった誕生日はバイトだけして終わり、お祝いは加瀬くんの来る週末に持ち越している。
「小宮山さん、なんか顔色悪いよ、大丈夫?」
八木先輩が私の顔を見て、心配そうに眉を下げる。
「最近ずーっとそんなじゃん。どしたの?」
「や、大丈夫です」

実は最近、バイト中に体調が悪くなることが多かった。疲れが溜まってんのかな、くらいにしか思わなかったけど、なんだか今日は妙にムカムカする。お客さんに運ぶ食事のニオイがやたらと鼻につくのだ。

「小宮山さん気持ち悪いの? やっぱヘンよ?」
「だ、大丈夫・・」

どーにかこーにかバイトを終えて、夜道をひとり、アパートへと向かう。
外へ出てシャキッと冷たい空気を吸い込んだら随分気分がよくなった。

はあ。いい気持ち。って思ったのも束の間。
夜道に漂うどこかのおうちの夕ごはんのニオイを嗅いでまたウッとくる。やだな、こんなのまるで妊婦さんみたいじゃーん、って思ったところでハタと足が止まった。

そういえば。
今月、生理きた?

いや、きてない。
1週間? それとも2週間か・・・・とにかく結構遅れてる。

ア、アレ?
まさか、まさかコレってーーー

身体中から一気に血の気がひいた。
すうっと全身が冷えていくような、そんな感覚。

落ち着け。落ち着け。
まずは、確かめてみなければ。
回れ右して来た道を戻り、ダッシュ・・はやめといて、私は競歩みたいな早歩きでドラックストアへと向かったのだった。
そして今、私はトイレの中で、妊娠検査薬のスティックと、それが入ってた箱とを握りしめて放心していた。もう、かれこれ30分くらい。

陽性を示すブルーのラインがくっきり浮きあがった検査薬。
どれだけ待ってみても、ラインが消えてくれる様子はない。
「どうしよう、妊娠しちゃったかも・・」
1人きりのトイレに、震える声が響く。

しかし。なにはともあれ、まずは病院だ。
妊娠の有無をキチンと確かめなければならない。
なんせコトが重大すぎる。加瀬くんに打ち明けるにしたって、無責任なことは言えない。

今日は木曜。
明日もバイトが入ってるから、病院に行けるのは最短で土曜日だ。
んだけど明日の夜には加瀬くんがこっちに来てしまう。それで、週末はずうっとふたりきり・・

ーーーってことは、だ。
私は彼にこの件を上手に黙っとかなきゃならない。

視線を落として膝の上のスティックをじいっとみつめてみる。
これを一旦丸々忘れて、週末をたのしく?
そんなこと、私にできる・・?

ムリだ。こんな特大の秘密を抱えて、加瀬くんの前でフツーにしてられるワケがない。


『ゴメンね、週末会えなくなった』


深夜まで悩み続けた挙句、結局、私はドタキャンを選んだ。
メッセージを送った後しばらく様子をみるも、彼からの返信はない。
寝てる寝てる。
ああ、よかった。スマホってなんて便利。

時刻はすでに2:13

喉元過ぎればなんとやらで、深夜のドタキャンが非常に危険な行為であるということをコロッと忘れていた私は、懲りずに同じ失敗を繰り返してしまったのである。
「すみれ、カフェラテ飲まないの?」
「ウン。今日はやめとく」
「珍しいねえ、好きなのに」

そう、大好きだった。
なのに飲めない。
なぜか舌に感じる味が変わってしまったのだ。
私の身体、一体どうなっちゃったんだろうーーー

上の空で講義を聞いて、気分の悪さと戦いながらバイトをどーにか終わらせる。
アパートへと歩きながら、ゴハンどうしよっかなって考えてみるけど食欲なんてまるでなかった。これからのことを考えると不安でたまらない。
ポストを開けて中のチラシを取り出しながら、こんな時でも普段通り身体は動くもんだなあって、デッカイため息をついた時。

「おい」

「え・・!??」

声のした方を向くと、仁王立ちの加瀬くんが私を睨んでいた。
「ひゃあああーーー!!」
「バ、バカ、オレだって。叫ぶなよ」

それは知ってた。
だからこそ叫んじゃったのだが、それは言えない。

「加瀬くん、なんでここにいるの!?」
「心配で来てみたの! 怖くてじっとしてらんなかった」
オレ、深夜のドタキャンってトラウマなんだよね・・って、暗ーい目をした加瀬くんが私の様子をじっとりと窺う。
「そ、そっかあ、ゴメン。んでアリガト・・」

彼にそう言われて、そういえば・・と浮気騒動の時のことを思い出した。
そうか。あの時も私、夜中にばっか連絡してたんだっけ、と。

「バイトの帰り? 体調は悪くないわけね?」
「・・ウン」
「んじゃ何でドタキャン? 土日になんかあんの?」
「ええっとーーー」

実は今回、加瀬くんにはごく簡単に『週末ダメになった』としか伝えていない。あんまり細々と言い訳する自信がなかったからだ。
土日の予定って言われても、それ用のストーリーなんて何も用意していなかった。
まさか産婦人科に行きたいとも言えずに言い淀んでいると、加瀬くんにスッゴイ目で睨まれる。

「なんで黙ってんだよ、どーゆうこと!?」
「ウ、ウン。えーっと・・」

そんな私に加瀬くんが小さくため息をついた。

「まずは部屋、入れてよ」
「ワカッタ。ーーーあ!」
「なに?」
「や、なんでもナイ・・」

ニッコリと笑顔を張りつけて首を横にふりつつ、その隙に必死で記憶をたぐった。

ーーー検査薬の箱!!
あれ、どこに置いたっけ・・!?

この時の私は自分のことでいっぱいいっぱい。
自分の曖昧で怪しげな言動が彼にどれほどの不安を与えるか・・なんてことには全く思いが至らなかった。