小宮山の通うC大周辺は、すげー田舎で何もない。
大学の近くにちょこっとだけ賑やかなエリアがあって、C大生はだいたいこの辺りにアパートを借りて住んでいる。土地勘ゼロの小宮山もそう。大学から近いところのほうがわかりやすいし楽だから、って。
小宮山は入学してすぐ、アパート近くの定食屋みたいなとこでアルバイトを始めた。彼女がここを選んだのは、日曜が定休日だから。学生客の多い店だからか、週末はがんばらないらしい。
今オレは、その店の向かいのコンビニにいる。
雑誌をめくりながらヒマをつぶしていると、店に入ってきた小宮山がオレをみつけて手をふった。
オレらはかわりばんこにお互いの家を行き来して、週末だけ同棲してるみたいな生活をもう半年以上続けている。
「あーハラへった。早く帰ろ?」
小宮山んちについたら一緒にメシ作って、それ食って、フロ入って。
その後はオレら恋人同士だし、やっぱシッカリ仲良くする。
んで、更にその後は。
ふたりでベッドにもぐりこんで、ダラダラすごす。ベッドサイドのちっちゃなライトだけつけて。
うつ伏せになって顎の下で腕を組んでる小宮山の左手薬指には、去年の彼女の誕生日にオレが買った安物のユビワが光っている。
「へへへ。これ、効果絶大だな」
大学に入ってから、小宮山の周辺は平和そのもの。
今のとこなんのトラブルもない。
「別にこれの効果ってわけじゃないよ。ただなんにもないだけ」
小宮山はそう言うけど、オレは間違いなくコイツのおかげだと思っている。
オレがずーっとつけとけって言ったから、小宮山はバイトの時以外ユビワを外さない。左手にこれしてるだけで男がいるってわかるんだから、こんな便利なものはない。
「効果があるって思うんなら加瀬くんもつけてよ」
小宮山はオレがユビワしてないのが気に入らないのだが、こればっかりはどうしようもないのだ。オレは「アクセサリーなんてこっ恥ずかしくて無理」ってタイプの男である。
「オレはいーんだよ。どうせ女子なんかほとんどいねーんだし」
「だってちょっとはいる! リケジョが!」
「いるけど、ホントにすんげーチョットだぜ?」
オレと同じ科の女子はわずか1割。圧倒的に男過多。
モテるヤツなんて限られてる。
「オマエさあ、オレがこんなのつけてるとこ見たい?」
「見たい!! すんごく!!」
キッパリ言い切って、小宮山が不安そうにオレを見る。
「ねえ、リケジョたちは、加瀬くんに彼女がいるって知ってるの?」
「さあねー。聞かれたら言うけど、自分からは言いにいかねえし」
「そりゃまあ・・そうだよねえ・・」
ぐずぐずと拗ねてしまった小宮山をこっちに向かせる。
「オレはダイジョーブ」
こんな時、小宮山をどーしたらいいか。
「スキ、小宮山」
ワザもコツもいらない。
あちこち触れて、キスして、抱きしめて・・ってするだけ。
そしたら、ほらね。
「私もスキ」
溶けそうな顔した小宮山がオレをみつめる。
オレは、彼女のこのトロけた顔を見られるのが嬉しくてしょーがない。
寝るギリギリまでベッドサイドのライトをつけとくのはこのためだったりする。
「小宮山さん、今日バイトだっけ? 遅番、遠藤さんじゃなかった? 彼氏んとこ行かねーの?」
厨房に現れた私にそう聞いてきたのは、哲学科2年の八木先輩。
バイト先でも私より1年先輩だ。
「遠藤さんと代わったの。加瀬くん、今日は科の親睦会なんで」
話しながら布巾を手に取り、私は空いたばかりのテーブルの片付けに向かった。
店内は満席に近い。今日は初っ端から忙しそうだ。
本当は。
加瀬くんは、私が来るなら親睦会には行かないって言ってくれたんだけど、素直にそうしてって言えなかった。
ヒマなくせに、私も今週は用事があるって言って見栄をはったのだ。
加瀬くんのとこは、ちょいちょい科の親睦会がある。
以前たまたまその親睦会の真っ最中に電話をしてしまったことがあって、その時に聞いてしまったのだ。
電話の向こう側に響く、女の子たちの楽しそうな笑い声を。
科内1割の女子の声かと思いきや、後日加瀬くんに確かめてみて実はそうじゃないことがわかった。あのキャーキャー言ってたのは、他大学の女子たち。
最初は純粋に科内のゴハン会だったのが、回を重ねるごとにどうも合コン的なものに変化していってるらしく、ここのとこ毎回とっかえひっかえ他大学から女子が混ざりに来ているようなのだ。
内情を知った時はガッカリした。だって加瀬くん、それに何の疑問も持たずフツーに出席してるみたいだったから。
で、私は今、内心ヘソを曲げている。
親睦会があるならそちらへどーぞ、って。
パンパンだったお客さんがあらかたハケてから、私は親睦会のことを八木先輩にグチった。よその大学から女の子が来るんです、って。
そしたら・・
「そりゃあ、B大工学部の親睦会なら、行きたがる女子がイッパイいるでしょ」
「そうなんですかね・・」
「だってB大つったらこの近辺じゃ文句なしのハイブランドじゃん」
先輩の言う通り、B大は他とはちょっと偏差値の格が違う。
「それにさあ、モテる科とモテねえ科ってモンもあんだよ。オレなんか、哲学科って言って女子にいい顔されたことなんか一回もナイぜ? よくて『ふーん』か『へー』よ?」
「とか言いつつ、すんごい笑顔じゃないですか」
「あ、オレはね? 哲学科スゲー気に入ってるからモテなくてもいーの。女子ウケがどんなに悪くても構わない」
私のまわりには男女問わず、結構こういうタイプの人が多い。
おっと話が逸れた、って先輩が加瀬くんの件を思い出した。
「あんたさあ、そんな悠長にイジケてて大丈夫? ボーッとしてたらB大生狙いのスゲー美人に彼氏もってかれんじゃねーの?」
「エ!?」
「小宮山さん、肉食女子と張り合って勝つ自信ある?」
「・・ナ、ナイです、全然」
途端に不安になった。
やっぱ「行かないで」って言えばよかった・・!
21時すぎ。バイトを終えて、今更だけど加瀬くんに電話してみる。
しばらくコールした後に、加瀬くんが電話をとった。
『どした?』
加瀬くんの声と一緒に耳に流れ込む飲食店特有の騒音。
やっぱり今日も、電話口から男子が大騒ぎする声が聞こえてくる。それから楽しそうな女の子の声も。
『えっと・・』
加瀬くんもこの輪の中にいるのか・・って思うと、みるみる気持ちが萎んでく。
『ゴメン。LINEしようとして間違えちゃった』
『そーなの?』
『ウン。また連絡する。じゃあね』
通話を切ったとたん、しーんと静か。
音のギャップに、また、胸をやられる。
「はーあ」
デッカイため息が静かすぎる夜道に響いた。
***
「彼女、なんだった?」
「間違えたって」
スマホをしまってから、オレはまたのんびりと枝豆に手を伸ばした。
もりもりと豆を食うオレにこっちでできた友人、後藤が眉をしかめる。
「オマエさあ、毎回顔出してるけど、彼女に後ろめたくない?」
「なんでよ?」
「だってアレ見ろ」
後藤が向こうで他大の女子と盛り上がってる集団を指差す。
「なんかもうほとんど合コンじゃん、最近」
「そりゃまあ、あそこはね?」
だけど、それは一部のヤツらの話であって、オレらはフツーにメシ食って帰るだけ。
「彼女、こんなの知ったらイヤがんぞ、絶対」
「そーかな。そんなカンジはなかったけどなー。こないだどんなか聞かれたから話したけど」
って言ったら後藤が驚く。
「話したの!? 女子がイッパイ来ることも?」
「いっぱい来るって言ったら心配するからチョットって言ってある」
「それってどーなの? 立派な嘘じゃねーかよ」
「嘘っちゃ嘘かもだけど、オレには関係ないもんね。女子とメシ食わねえし」
同じテーブルの、男ばっかのいつものメンツを見渡した。
「だってオレらは合コンしねえじゃん」
「いやいやいや。そんなん彼女にはわかんねえよ。女の子がくるゴハン会に毎回律儀に出席してるって思われるぜ?」
「え」
「さっきのだって、ホントは心配でかけてきたんじゃないの?」
「・・・」
なんとなく背筋が寒くなってくる。
「マズイかな、オレ・・」
「よくはねーよ。けして」
「ーーーオレ、もう帰る」
幹事に金を払って店を飛び出し、慌ただしくスマホを取り出して小宮山に電話をしようとしてた時、後ろから「加瀬くん」って声をかけられてーーー
振り返ってから後悔した。
ああ、やべえ。本間さんじゃん・・
ノースリーブの清楚なワンピースを着た、大人しそうな女の子。
可愛くて、儚げで、ちっちゃい割に胸が大きい・・・・などという男心をくすぐりまくる要素に富んだ彼女は、学科内でも相当にモテるタイプの女の子である。
「もう帰るの?」
「ウ、ウン」
本間さんがふんわりと笑う。
「じゃあ、一緒に帰らない?」
「あーー・・、ゴメン。オレ電話するから本間さんは先帰って?」
普通なら、ココで引いてもらえる。
だけど本間さんの場合はそうはいかない。
「いーよ、全然。待ってるから」
「・・・」
「電話していいよ? しないの?」
ホラね。やっぱりね。
モヤモヤと燻り始める胸の中の不快感を意識の外に追い出して、可愛らしく小首を傾ける彼女にオレは精いっぱいの微笑みを返した。
「あー、ウン。するよ。するんだケドさ・・長くなるかもしんないから待たなくていい」
って、チョイってスマホを掲げて見せてみせる。
が、まだまだこんなもんじゃビクともしない。
引き下がってくれそうな気配なんて微塵もない。
「それって何分? 10分くらい?」
あくまでも柔らかく、可愛らしく。
平然と所要時間を追及されて、これだけでオレはもうスゲー怖い。