「受験勉強始める前はね、このへんのヤツ読んでたの」
小宮山が次々と本を取り出す。
ハイデガー、和辻哲郎、フロム、ハイエク、アーレントに・・福沢諭吉!?
「福沢諭吉って哲学者なの!?」
「さあ。武士じゃないの? よく知らない」
「知らないってオマエ・・」
「みんな哲学者ってわけじゃないよ? この人は心理学者だし、コッチは経済学者」
小宮山が今取り出した本はだいたい幕末から第二次大戦前後くらいの時代に書かれた本ばかりで、ハイデガーは世界大戦の頃の哲学者。その辺りの本が小宮山的に今一番面白いらしい。
自分じゃどうにもならない何か、例えば戦争や、社会制度や、時代の流れみたいなもの? そういうモノにぶち当たった時に、当時の人たちが何見て、何考えて、世界をどんなふうに捉えたか。
本にはそれが書き残されてる、って。
小宮山も同じだったのだろう。
自分じゃどうにもできない環境の中で、必死に考えて、ふりかかる理不尽を自分なりに解釈しようとがんばった。
立ち直ってく過程で、たくさん本を読んだらしい。哲学科はその延長みたいなもんだって小宮山は言う。
「それにね、大学にどんな人が集まってくるかにもスゴイ興味ある。変わった人が多そうだしさ、オモシロイ話ができそうじゃん」って。
「・・・」
また小宮山を遠くに感じる。もうコレ、何回目だかわからない。
小宮山の興味のある世界がオレには全くわからない。
いるかもね。同じテンションで話ができるやつが、哲学科にはたくさん・・
「ねえ、哲学科って男女の比率どれくらい? 男、多いの?」
「え? どうだろ・・ワカンナイ」
ハルキの時に感じたのと似たような不安が胸をよぎる。
オレには絶対できないハナシができちゃう哲学科のオトコーーー
「なんかムチャクチャ不安になってきた・・」
「加瀬くんだって、工学部でリケジョに囲まれんじゃん。私だってスッゴイ不安」
本の箱をぐいっと押しやって、小宮山をつかまえた。
「不安になったら会お」
「ウン」
小宮山がオレの背中に手をまわそうとしてハッと躊躇する。
「加瀬くん、上もちゃんと着てよ。ナマナマしいよ、直視できない!」
「えー、今更??」
そこで小宮山がまたハッと気づく。
「ああ、マズっっ、時間・・!!」
***
そこから共通テストまでは早かった。
共通テストは坂川の公立大学のキャンパスで行われた。
一応全力でがんばったつもり。
解答が出るのを待って、加瀬くんと一緒に自己採点をした。
「オマエ、次でコケなきゃC大、大丈夫じゃねえ?」
「そーかも。いけるかも・・」
加瀬くんもきっとB大、大丈夫。
そして3月のはじめ、私はC大、加瀬くんはB大に無事合格したのだった。
小宮山の通うC大周辺は、すげー田舎で何もない。
大学の近くにちょこっとだけ賑やかなエリアがあって、C大生はだいたいこの辺りにアパートを借りて住んでいる。土地勘ゼロの小宮山もそう。大学から近いところのほうがわかりやすいし楽だから、って。
小宮山は入学してすぐ、アパート近くの定食屋みたいなとこでアルバイトを始めた。彼女がここを選んだのは、日曜が定休日だから。学生客の多い店だからか、週末はがんばらないらしい。
今オレは、その店の向かいのコンビニにいる。
雑誌をめくりながらヒマをつぶしていると、店に入ってきた小宮山がオレをみつけて手をふった。
オレらはかわりばんこにお互いの家を行き来して、週末だけ同棲してるみたいな生活をもう半年以上続けている。
「あーハラへった。早く帰ろ?」
小宮山んちについたら一緒にメシ作って、それ食って、フロ入って。
その後はオレら恋人同士だし、やっぱシッカリ仲良くする。
んで、更にその後は。
ふたりでベッドにもぐりこんで、ダラダラすごす。ベッドサイドのちっちゃなライトだけつけて。
うつ伏せになって顎の下で腕を組んでる小宮山の左手薬指には、去年の彼女の誕生日にオレが買った安物のユビワが光っている。
「へへへ。これ、効果絶大だな」
大学に入ってから、小宮山の周辺は平和そのもの。
今のとこなんのトラブルもない。
「別にこれの効果ってわけじゃないよ。ただなんにもないだけ」
小宮山はそう言うけど、オレは間違いなくコイツのおかげだと思っている。
オレがずーっとつけとけって言ったから、小宮山はバイトの時以外ユビワを外さない。左手にこれしてるだけで男がいるってわかるんだから、こんな便利なものはない。
「効果があるって思うんなら加瀬くんもつけてよ」
小宮山はオレがユビワしてないのが気に入らないのだが、こればっかりはどうしようもないのだ。オレは「アクセサリーなんてこっ恥ずかしくて無理」ってタイプの男である。
「オレはいーんだよ。どうせ女子なんかほとんどいねーんだし」
「だってちょっとはいる! リケジョが!」
「いるけど、ホントにすんげーチョットだぜ?」
オレと同じ科の女子はわずか1割。圧倒的に男過多。
モテるヤツなんて限られてる。
「オマエさあ、オレがこんなのつけてるとこ見たい?」
「見たい!! すんごく!!」
キッパリ言い切って、小宮山が不安そうにオレを見る。
「ねえ、リケジョたちは、加瀬くんに彼女がいるって知ってるの?」
「さあねー。聞かれたら言うけど、自分からは言いにいかねえし」
「そりゃまあ・・そうだよねえ・・」
ぐずぐずと拗ねてしまった小宮山をこっちに向かせる。
「オレはダイジョーブ」
こんな時、小宮山をどーしたらいいか。
「スキ、小宮山」
ワザもコツもいらない。
あちこち触れて、キスして、抱きしめて・・ってするだけ。
そしたら、ほらね。
「私もスキ」
溶けそうな顔した小宮山がオレをみつめる。
オレは、彼女のこのトロけた顔を見られるのが嬉しくてしょーがない。
寝るギリギリまでベッドサイドのライトをつけとくのはこのためだったりする。
「小宮山さん、今日バイトだっけ? 遅番、遠藤さんじゃなかった? 彼氏んとこ行かねーの?」
厨房に現れた私にそう聞いてきたのは、哲学科2年の八木先輩。
バイト先でも私より1年先輩だ。
「遠藤さんと代わったの。加瀬くん、今日は科の親睦会なんで」
話しながら布巾を手に取り、私は空いたばかりのテーブルの片付けに向かった。
店内は満席に近い。今日は初っ端から忙しそうだ。
本当は。
加瀬くんは、私が来るなら親睦会には行かないって言ってくれたんだけど、素直にそうしてって言えなかった。
ヒマなくせに、私も今週は用事があるって言って見栄をはったのだ。
加瀬くんのとこは、ちょいちょい科の親睦会がある。
以前たまたまその親睦会の真っ最中に電話をしてしまったことがあって、その時に聞いてしまったのだ。
電話の向こう側に響く、女の子たちの楽しそうな笑い声を。
科内1割の女子の声かと思いきや、後日加瀬くんに確かめてみて実はそうじゃないことがわかった。あのキャーキャー言ってたのは、他大学の女子たち。
最初は純粋に科内のゴハン会だったのが、回を重ねるごとにどうも合コン的なものに変化していってるらしく、ここのとこ毎回とっかえひっかえ他大学から女子が混ざりに来ているようなのだ。
内情を知った時はガッカリした。だって加瀬くん、それに何の疑問も持たずフツーに出席してるみたいだったから。
で、私は今、内心ヘソを曲げている。
親睦会があるならそちらへどーぞ、って。
パンパンだったお客さんがあらかたハケてから、私は親睦会のことを八木先輩にグチった。よその大学から女の子が来るんです、って。
そしたら・・
「そりゃあ、B大工学部の親睦会なら、行きたがる女子がイッパイいるでしょ」
「そうなんですかね・・」
「だってB大つったらこの近辺じゃ文句なしのハイブランドじゃん」
先輩の言う通り、B大は他とはちょっと偏差値の格が違う。
「それにさあ、モテる科とモテねえ科ってモンもあんだよ。オレなんか、哲学科って言って女子にいい顔されたことなんか一回もナイぜ? よくて『ふーん』か『へー』よ?」
「とか言いつつ、すんごい笑顔じゃないですか」
「あ、オレはね? 哲学科スゲー気に入ってるからモテなくてもいーの。女子ウケがどんなに悪くても構わない」
私のまわりには男女問わず、結構こういうタイプの人が多い。
おっと話が逸れた、って先輩が加瀬くんの件を思い出した。
「あんたさあ、そんな悠長にイジケてて大丈夫? ボーッとしてたらB大生狙いのスゲー美人に彼氏もってかれんじゃねーの?」
「エ!?」
「小宮山さん、肉食女子と張り合って勝つ自信ある?」
「・・ナ、ナイです、全然」
途端に不安になった。
やっぱ「行かないで」って言えばよかった・・!
21時すぎ。バイトを終えて、今更だけど加瀬くんに電話してみる。
しばらくコールした後に、加瀬くんが電話をとった。
『どした?』
加瀬くんの声と一緒に耳に流れ込む飲食店特有の騒音。
やっぱり今日も、電話口から男子が大騒ぎする声が聞こえてくる。それから楽しそうな女の子の声も。
『えっと・・』
加瀬くんもこの輪の中にいるのか・・って思うと、みるみる気持ちが萎んでく。
『ゴメン。LINEしようとして間違えちゃった』
『そーなの?』
『ウン。また連絡する。じゃあね』
通話を切ったとたん、しーんと静か。
音のギャップに、また、胸をやられる。
「はーあ」
デッカイため息が静かすぎる夜道に響いた。
***