電話が終わると、お兄ちゃんは手をふってさっさと会場を出ていってしまった。ボンヤリその後姿を眺めてた加瀬くんがハッとして私を見る。
「やべ。マジメニオツキアイシテマス、って言い忘れた!」
「大丈夫だよ。お兄ちゃん、加瀬くんのこと褒めてたよ。ロボットも凄いって」
「え、マジで? へへへ」
視線が絡まって、お互い笑顔がこぼれる。
「じゃあ、いくか」
「ウン」
「オレ、腹へった」
「加瀬くん、そればっかだね」
「だって、疲れたもんよ。すぐ負けたけど」
バスで市内へ移動して、ホテルに荷物を置いてから街へ出た。
市内の一番大きな通りはびっくりするような賑やかさ。「わあ、都会!」って言いながら街をブラブラして、ご飯食べて、暗くなってからホテルに戻る。
「ケーキどうする? もう食べる?」
「いい。冷蔵庫入れといて」
今日は加瀬くんの18歳の誕生日。
さっきたまたまみつけたケーキ屋さんで、イチゴのショートをふたつ買ってきた。
「それよりフロ入ってよ」
色々待てない加瀬くんに早々とお風呂を促される。
「どーせ先に入りたいんでしょ。さっさとすませてネ?」
***
日付が変わる頃、オレらは大きなベッドに潜り込んで、ダラダラと話をしていた。いろんなことをたっくさん。
「加瀬くん、A大受かったらこの街に住むんだね?」
そーなる。もしもA大に通うなら。
「でもさ、オレ、できたらB大に行きたい」
実はA大よりもB大のほうが、より難関。
だけど、A大よかB大のほうがC大に近いのだ。
「そうなんだ。じゃ、B大がいいなあ」
なんて、さらりと言ってくれる小宮山にオレは小さくため息をもらした。
「おまえね・・簡単にゆーけどB大よ? 偏差値知ってる?」
「加瀬くんならヨユーでしょ。かしこいんだから」
「ま、まあね・・うん、ヨユー・・」
とか言っちゃいながら、実際のところヨユーなんて全くなかった。
B大を狙うならオレだって相当がんばらないと難しい。
だけど。それよりなによりーーー
「オレは小宮山が受かるかどうかが一番心配」
小宮山をぎゅうっと抱きしめる。
オマエ、成績どーなんだよ。
理数が壊滅的って具体的にはどのくらい??
帰ったらコイツの模試の成績、絶対に確認しよう。
・・にしても。
ああ、ヤワラカイ。気持ちイイ。
「へへへ。大学生になったらこーんなふうに週末すごせんだよな? それはそれでオレ、すっげー楽しみ」
ふにゅふにゅした身体につい手が伸びる。
これから始まる受験生活、これに目が眩んじゃったら終わりだな、とも思う。
「もーヤだ。やめて」
「いーじゃん、チョット触るだけだヨ。どーせ帰ったらまた、なーんもできねえんだからさ」
って言ったら、小宮山が文句言うのやめてオレの好きにさせてくれる。
それでつい・・ヨクナイところに手を伸ばしそうになってたところで、小宮山が突然顔を上げてオレを見た。
「あ、そういえばまだ言ってなかった。誕生日おめでとう」
「そーゆうのは日付が変わる前に言ってくれる?」
いつのまにか、オレの18歳の誕生日は終わってた。
「あー、いい誕生日だった」
「寝よっか、そろそろ」
「イヤだ。まだ寝ない」
「・・とか言ってムチャクチャあくび出てんじゃん」
って小宮山が笑う。
くっそう、寝る気なんか全然ないのに。
なのにオレはもう目を開けていられなくなっていた。
意識を失う前に、もっかい小宮山をシッカリ抱えなおす。
腕の中の幸せを確かめるみたいに。
最後に言いたかった「オヤスミ」はもう言葉にならなかった。
「持ってきた?」
「・・持ってきたけど、あんまり見せたくない」
「ダメ! 出せ、早く」
GWが終わってすぐ、オレは小宮山の成績がどんなもんか現状を把握することにした。で、とりあえず4月にやった模試の結果見せろって言って、成績表を持ってこさせたのだ。
合計が330点くらいだった、ってのは本人からもう聞いてる。
なのに、なにをグズグズ出し渋ってんだと思ったら、嫌々差し出された成績表を見てその理由がわかった。
「な、なにコレ・・!?」
「ね? 壊滅的でしょ? 言ったじゃん」
小宮山が気まずそうに目をそらす。
たしかに小宮山の理数はズタボロだった。数・理、併せてやっと80点。
「ムチャクチャ頑張ってもこうなの」
「そ、そう・・」
春休みに必死こいてやったぶん、これでもいつもよりは随分マシなんだって小宮山は言う。
んじゃ、いつもの点数ってーーー
言葉を失うオレだったが、救いもあった。
小宮山、文系科目はどれもイケるのだ。
「国、英なんかオレより取れてる!!」
小宮山の問題は、文・理のバランスが悪すぎること。
私立ならこれでもいんだけど、共通テストを受けるとなれば話は別だ。
「C大受けるのにこれじゃマズイ・・」
とりあえず理数の問題集解きまくろうぜってことにして、放課後一緒に勉強することにした。小宮山が解いて、わかんなかったらオレが教える。
オレはオレで自分の勉強もしつつ。
最初の何日かはロボコン部の部室に通ってみたけど全然ダメだった。誘惑が多すぎて勉強どころじゃなくなる。主にオレが。
次に試した図書室も、話しづらくてイマイチだった。
で、最終的に3組の教室に落ち着いて、オレらは放課後学校に残って毎日一緒に勉強をしている。
小宮山の理数は夏休み前になってもたいして伸びてこなかった。理科はまあまあ。でも数学がとにかくダメ。伸びるどころか、まだ復習に手間取ってるような状態。
「オマエさあ、これ1年の範囲だぞ?」
「えーー!? こんなのやった??」
「やった」
バツばっかりの問題集につっぷして小宮山がデカイため息をつく。
「こんなんじゃやっぱ、C大はムリかもしれない・・」
ヘコみ気味の小宮山は、だいぶ弱気になっている。
このままC大の合格圏内に入れなかったらどーすんだろうって思って聞いてみた。
「オマエ、第二希望の国立大とかあんの?」って。
「ないことはないけど、どの道これじゃあ・・」
「あるのか!! それ、どこ?」
「えーっとね、D大かE大」
「ーーーーーハイ?」
オレは耳を疑った。
「D大!? ウソだろ、オマエ海渡る気!?」
E大なんてD大よりも更に遠方なのだ。
オレは焦った。小宮山が何を基準に大学を選んでいるのかがサッパリわからなくて。
「なんでそんなあっちこっち遠いとこばっか選ぶんだよ! 何をどーしたらそんなコトになるわけ!? 偏差値??」
「あのねえ、哲学科ってどんな教授がいるかが大事みたいで・・」
自分の興味のある分野の研究してる教授がいるとこ狙って入んないと、ツマンナイんだって小宮山が言う。
「だって全然興味ないゼミに入るの嫌じゃん?」
「じゃ、C大も、D大も、E大も、教授で選んだわけ?」
「それと偏差値。んでそれを近い順に並べるとこーなるの」
これでも近いほうらしい。
「で、小宮山は何のゼミに入りたいの?」
「ハイデガー」
「なにそれ?? ハイデガーって何!?」
「ドイツの哲学者」
「・・・」
知ってるようで全然知らなかった。小宮山のこと。
「なあ、勉強時間まだ余裕ある? もうちょいキツめにやんねえ?」
「えええ、これ以上!?」
小宮山の顔がひきつる。
「家でやるぶん増やせよ。もっとイケるだろ」
何が何でも小宮山をC大に入れようって思った。
小宮山がD大かE大に行くって言い出したらエライことになる。
その時突然、オレらふたりだった教室に小野が現れた。小野は今、小宮山のクラスの担任をしている。
「お。エライなー。オマエら残って勉強してんのか?」
って、ズカズカ歩いてきて、小宮山の問題集をのぞく。
んで、ヘコんでる小宮山を遠慮なく笑ってくれちゃったりする。
「なんだよ、バツばっかじゃねーか、小宮山あ」
「はあ」
「にしてもひでーな。1年に混ぜてやろーか?」
「イヤです!」
小宮山が問題集をバシッと閉じる。ほんとにバツばっかだから。
「やめてよ先生、小宮山のヤル気そぐよーなことゆーなよ」
「オマエら仲いいなあ。あ、そうだ。小宮山もロボコン来てたんだろ? 先生のロボット見た?? なかなかだったろ?」
「「・・エ?」」
小野の言葉にふたりそろって硬直した。
「い、いってません」
ポーカーフェイスが得意な小宮山がなんとか取り繕おうとしてがんばる。
「でもオレ、兄貴に会ったぞ? おまえが来てるって言ってたけどなー」
「お、お兄ちゃんに会ったんですか!? どこで??」
「会場の外」
「ええっと・・」ってオレのほう見た小宮山がギョッとする。
「加瀬、その顔どーにかしろよ。今更なんにも言わねーからさ・・」
なんて意味ありげな苦笑いを漏らしつつ、
「んじゃ小宮山、加瀬にしっかり教えてもらえ。そのままじゃ国立はキビシイぞ」
って言って小野は教室を出ていった。
「ゴメン。お兄ちゃん3年の時、担任小野先生だったんだ・・」
「あ、そう」
***
そしてあっという間に夏がきた。
夏休みの間だけ、私は塾に通うことにした。
月曜から土曜までみっちり受講するタイプの短期集中講座。
この講座を受講するにあたって、夏休みが始まる少し前、久しぶりに両親と時間をかけて話をした。
両親に哲学科を受験したいって言ったらやはりいい顔はされなかったけれど、C大受験には大賛成。このあたりじゃやっぱり国公立っていったら親世代のウケが違う。
残る問題は、やっぱり私の学力だった。