ウンて言って、小宮山

それからも小宮山は、毎日、松ヶ浦の図書館に通っているようだった。
新学期が始まる2日前、製作所を出てから図書館に様子を見に行ってみると、彼女はひとりで2階の自習室にいた。
後ろからそーっと手元をのぞいたら、なんと数学の問題集がひろげてある。

ウソだろ、小宮山が数学・・!!

死ぬほど数学のキライなはずの小宮山が、自分の意志でマジメに数学の勉強をしている。
初めて目にする光景に息を飲むオレ。
と同時に小宮山の問題集の悲惨な出来栄えにも息を飲んだ。

こりゃひでえ。いくらなんでもこれはナイ。

他人事ながら不安になるほどバツばっか。
今までサボりにサボってきたツケが一気に回ってきたってカンジだなって思った途端、オレは彼女にモーレツに申し訳なくなった。
小宮山を甘やかして数プリ写させてたのはオレなのだ。

「うわ、びっくりした」

背後の気配を察知してビクッと肩を震わせた小宮山が、ふりむき様にオレを見上げる。  
「いつからいたの? 全然わかんなかった」
って、オレ見て嬉しそうに笑う小宮山に胸がきゅんと疼く。

ホントはオレ、小宮山連れ出してどっか行きたかった。だけど、オレが誘う前に小宮山につかまっちゃう。
「あ。ねえ、加瀬くん、コレ教えて?」
「どれ?」
「ここからここまで」
って見開きの端から端までを全部ペンでなぞってみせるオレの彼女。
「オマエ、まさか全部わかんないの!?」
「エヘヘ。わかんない」

丁寧に解き方教えてやりながら小宮山の持ってきてる問題集をパラパラめくってみると、なんだか・・結構マジメにやっている。

「春休み毎日ここ来てたの?」
「ウン、そう」

どうやら小宮山は、本気で受験勉強をする気らしい。

***
4月。3年の新学期初日。
廊下に貼り出されたクラス分けの名簿に、朝から大量の生徒たちが群がっていた。

「アレ!? すみれ、国公立文系クラスじゃん! なんで? 私立文系で希望出してたよね??」
ナナが目を丸くして、3組の名簿を指差す。
「ウン。実は藤代先生に希望の変更を頼んでたんだ」
「えー、なんで!? またクラス一緒になれるかもって思ってたのに!」

加瀬くんは国公立理系クラス、ナナと栞は私立文系、私は藤代先生のおかげで無事、国公立文系クラスに入れてもらうことができたのだった。

「それにしても、バッラバラになっちゃったね・・」

加瀬くんと渡辺くんが1組。私が3組、桜井くんが4組、ナナが7組、栞と冨永くんが8組だ。

「よかったね、栞は冨永くんと一緒で」
「えへへ」

結局、冨永くんはバレンタインまで焦らされて、チョコと一緒にやっと返事をもらった。ふたりは学年でも指折りの、お似合いのカップルだと私は思っている。
3組での私の席は、窓際の一番うしろだった。
去年の4月と同じ席。
だけど私の前に、もう加瀬くんはいない。

そこへマナが元気よく現れた。
「すみれ、おんなじクラス~~!」って。

「うんうん。スッゴイ嬉しい。マナ、国公立志望だったんだね、知らなかった」
「すみれこそ私立って言ってたじゃん。いつ希望変えたの?」
「バレンタインの後くらい。藤代先生に頼んだの」
ってこの話、もう何回したかわかんない。

「マナ、どこ受けるの?」
「C大の経済」
「うっそ、私もC大!」

マナとはなぜか縁がある。



いよいよロボコンまで1週間を切ったある日のこと。
女子数人でぐるりと輪になり、和気藹々とお弁当のつつみをほどいていたところへ、ふらりと加瀬くんが現れた。
「小宮山あ、今日は一緒にメシ食お?」
教室の入り口から顔をのぞかせる加瀬くんに、すかさずマナがしっしって手をふってみせる。
「だーめ。アンタは1組で食べなさいよ」
「いーじゃねえか。たまには!」
加瀬くんは私のお弁当をささっと包み直すと、勝手にヒョイと取り上げた。

「いこ、小宮山」

お弁当メンバーの輪を抜けて、私は加瀬くんと一緒にロボコン部の部室へと向かった。
だーれもいない部室棟の廊下を、うずうずと落ち着きのない加瀬くんが私の手をひいて歩く。
そして部室へ入ると、ドアも閉まりきらないうちにさっそく彼の手が伸びてきた。

「うあー、小宮山に触んの久しぶり・・!」

加瀬くん、今日はとってもお疲れなのである。

春休みが明けても、加瀬くんはとにかく忙しかった。
思ってた以上に全然会えないし話せない。

寂しくなった私たちは、ひとつ、約束をした。
どっちかがガマンできなくなった時は、なによりも最優先でふたりきりの時間を作ろう、って。んで、元気なほうがそうじゃないほうをたっぷり甘やかすのだ。
というわけで、今日は加瀬くんが私の腕の中にいた。
「遠恋になったらこれよりもっとヒドイのが4年も続くんだよなあ・・」
珍しく、加瀬くんの声が弱々しい。
「月に何回会えんのかな」
「どーだろう。わかんない・・」
胸をえぐられる。
ホントは怖くてたまらない。
こんなふうに近くにいるのが当たり前だったのが、突然バラバラになるんだから。

私の顔をじーって観察していた加瀬くんが、私の頬にぴたりと手をあてた。
「こんな顔するほどなら私立でよくない? オレ、一緒にいたい。私立じゃダメなの?」
「・・ウン」
加瀬くんが悲しそうに私をみつめる。
なんで、って。

「・・行きたい学科が私立にないの」
「学科がない?? オマエ何の学科受けたいの?」

「ええっとーーー」

どーせいつまでも曖昧になんかしておけない。
ちょっとだけ視線を泳がせて言い淀んだ後、私は初めて自分の希望を彼に伝えた。

「哲学科」って。
加瀬くんの目がテンになる。

「テツガクカ?」
「ウン」
「小宮山、テツガクシャになるの?」
「なるわけないじゃん」

うん。これもまた、ごく一般的な反応だ。
誰に言ったって似たりよったりの反応が返ってくる。それはもうすでに身内・友人で検証済みだった。

「哲学科って何すんの? 実学系じゃあないよね?」
「ウン。お兄ちゃんにもオマエは貴族か何かかって言われた」
こういう反応になるのはよくわかるのだ。
だからこの間も、なんとなく躊躇してしまって正直に言えなかった。
「オレ、哲学科なんて初めて聞いた」
「やっぱり?」

A大・B大の近くには、私立大がたくさんある。
それでも、哲学科を設置してる学校はひとつもない。
哲学科に行きたいと思ったら国立を狙うしか道がないのだ。

「ナルホド。それでC大ね・・」

加瀬くんが黙り込む。

***
「哲学科に行きたい」

って照れくさそうに言う小宮山を、また少し遠くに感じてしまう。
オレの知らない間に、進路決めて、受験勉強始めて、クラスだって国公立文系にちゃんと変えてもらって。

「あーあ。小宮山はオレよりもC大をとるワケね? それ決める時、オレのことチョットは考えてくれた?」
素直に拗ねてみた。寂しくて。
そしたら小宮山がすごーく複雑そうな顔をする。
「加瀬くんのこともあわせて、マジメに考えたらこーなるんだし」
「どこがだよ」

オレを抱く腕にぎゅって力をこめた小宮山は、ここで突然、縁起でもないことを言い出した。

「例えばさ、先で私たちがダメになることがあったとしてーーー」
「はあ!? なにソレ!?」
ギョッとして叫んだら、
「だから例えばの話だよ。仮にのハナシね?」
って小宮山が念を押してくる。

「将来加瀬くんに好きな人ができて、別れようってなった場合にさ・・」
「オレが別れる原因作んのかよ」
「私にとっての『最悪の例えば』だから。コレ」
「あっそう」
納得はできないけど、一応話は聞く。

***
「ま、とにかくさ。その時に、加瀬くんの足手まといになりたくないの」
「足手まとい??」
首を傾けてぽっかーんてする加瀬くんに私は頷いた。
「もしも今、私が恋を優先してC大を諦めてさ? 加瀬くんにぶら下がるみたいにして私立を選んじゃったら、いつかそれが加瀬くんの重荷になる日がくるかもしれない」

自分のやりたいことを諦めて男を選んでついてゆき、だけど結局その男に捨てられる・・って状況に陥った時。
私は自分の決断を後悔せずにいられるだろうか。

加瀬くんだってそう。
優しい人だもの。きっと苦しむことになるはずだ。
私への罪の意識と、新しい恋との板挟みになって。

「でもさ、私がC大に行ってる未来を想像してみてよ。たぶん何があっても加瀬くんは自由でいられるハズだよ」

***
淡々とそんなことを話す小宮山に、オレはココロが追いつかなかった。

「んでもさ、『今』のオレらのシアワセはどーなんの? 目の前のシアワセよか、おこるかどーかもわかんない未来の可能性を優先して物事を決めんの?」
オレがそう言うと小宮山はウッと言葉に詰まった。
だけど彼女は、すんげえ迷いながらも、
「それでもやっぱり、個人個人でお互いのベストを選択したほうがいいと思う」
ってキッパリと言い切ったのだ。

正直オレは、小宮山ほどドライになれない。こんなの冷てーなって思っちゃう。
不確かな『先』のことよりも、『今』の気持ちを優先したいって思いのほうが断然強いから。
オレならきっと、別の選択をする。だけどーーー

そおっと手を伸ばして彼女の手をにぎった。

「ねえ、オレのこと好き?」
「すっごい好き」
「オマエ、遠恋できる?」
「ーーーそ、それは、死ぬほど怖いんだけど・・」

そう言う小宮山は本当に本当に不安そうだったから。
それを見てオレはちょっと安心したのだ。

「フン。バカ。ビビリのクセに」