どうなの、これ。
男としてこれほどみっともないことはない。
だけどオレには、そんな小宮山が妙に頼もしく思えてーーー
2回目のお化け屋敷なんか怖くもなんともない。
そもそもオレは、不意打ちにビビっただけで、仕掛けが怖いわけじゃない。だけど、オレが一瞬ヘタレた時にそばにいて、オレのこと気遣ってくれて。
小宮山がそんなふうにしてくれたことが、オレにはすごく嬉しかったのだ。
小宮山がいい。
オレがそばにいてやりたいのも、そばにいてほしいのも。
全部全部、小宮山がいい。
コースを巡って外に出た途端、あっという間に小宮山はオレと距離をとった。友達として適正な距離を。
魔法がとけるみたいに、いつものオレらに戻っちゃう。
帰りの電車は結構混んでいた。
しかも、オレらの周りはなんでか男ばっかり。
迷った挙句、南坂川を乗り過ごして小宮山を船入まで送っていくことにする。そしたら、オレの意図に気づいた小宮山が慌ててオレをホームに下ろそうとしはじめたのだ。
「下りて、加瀬くん。ドア閉まっちゃうから、早く!」
「いーよ、送る。だってオレが下りたら、オマエ後ろの男らに囲まれんぞ?」
眉間にシワを寄せるオレを見て、小宮山がちょっと困ったふうに笑う。
「加瀬くんならいいわけ?」って。
そう言われて、ウッて言葉を飲み込んだ。
オレは今、小宮山のことを胸に閉じ込めるみたいにして、手すりとオレの身体との間に囲い込んでる。
実はオレがこん中で一番ヤラシイ男に見えてたりして。
だけど。それでも、これだけはホント。
「オレが一番安全なオトコだよ?」
「ウン。わかってる」
窮屈な腕の中、少しだけ首を捻って小宮山がオレを見上げる。
「心配してくれてありがと」って。
その時いきなり、がったんって電車が大きく揺れて、オレはとっさに空いてる方の手で小宮山の腰を支えた。
そしたらなんだか、その手を外すのが惜しくなる。
揺れなんか一瞬でおさまっちゃってんのに、いつまでも手をひっこめられない。
「うわ、びっくりした。加瀬くん、ありがと」
こっちを振り向く小宮山と、顔傾けて小宮山の顔のぞき込んじゃってるオレと、思いがけずすんげえ近さで視線が絡んだ。
日常じゃちょっと有り得ない距離感に動揺して、小宮山の瞳が揺れる。
それを見た瞬間、オレはアッサリ方針を変えた。
無害で安全なオトコなんて、オレには嬉しくも楽しくもない。
そんなもんはやっぱヤメにする。
「どーいたしまして」
ってニッコリ微笑みながら、引っ込みがつかなくなってた往生際の悪い腕をそのまま小宮山の腰に巻きつけた。
「エ!?? あ、あのさ、これ・・」
オレの突然の暴挙にギョッとして、オロオロと目線だけで何かを訴えかけてくる小宮山に、
「なあ、オレのこともっと意識してよ」
ってささやいてから腕をほどいた。
決めた。
仲良くオトモダチごっこするのはもうやめる。
もっと本気で小宮山の『恋人』になりにいこう。
「そうそう小宮山、この映画観たくない?」
ダラダラといじってたスマホをポイと放って、冨永くんがカバンから取り出したのは今話題の恋愛映画の招待券。
「あ、それ知ってる。観たいといえば観たい」
「あっそう。なら小宮山にも1枚あげる。オレ、こーゆうの観ねえからさ、西野にやろうと思って持ってきたのよ」
栞が観たがってたから、って冨永くんが言う。
「いいの?? じゃあ貰おうかなあ。ありがと冨永くん」
手をのばしてチケットを受け取ろうとしたら、いきなり加瀬くんが割り込んできて、私を飛び越えて冨永くんの鼻先に手を突き出した。
「それ、オレにちょうだい!」
「げ。オマエこんなの観んの?」
「観る」
キッパリ言い切って、ひらひらと手をふって催促する加瀬くん。
「チョーダイ!」
「そんなに欲しいならやるけどさあ・・」
困惑した表情の冨永くんがチケットを1枚、加瀬くんの手にホイとのっけた。
「足りない。2枚チョーダイ」
「図々しいな、オマエ! あ。でもこれ、さっき小宮山にあげるって言っちゃったんだよね。な?」
って困り顔の冨永くんが私を見る。
「あーっと・・そういうことなら私はいいよ?」
元々何が何でも観たいわけじゃない。私はいいから加瀬くんへどうぞって辞退した。
「・・そう? なんかゴメンね、小宮山」
申し訳無さそうに私にそう言ってから、冨永くんはチケットを2枚とも加瀬くんに渡した。
「やった。アリガト。お礼にこれやるよ」
加瀬くんがチケットと引き換えに冨永くんに握らせたのはカラフルなグミの袋。
「オレ、グミはそんな好きじゃねんだけど・・」
「うるせーな。文句言うなよ、甘党だろが」
やや強引なお礼をすませると、ほっぺをピンクに染めた加瀬くんがくるりと私のほうへ身体を向けた。そして、今手に入れたばかりの招待券を私の手に滑り込ませて、ついでにぎゅうっと手も握る。
「小宮山、これオレといこ?」
「エ!??」
「観たいんだよな? これ」
「ウ、ウン。まあね・・」
「じゃあ明日いこ。土曜だし」
「あ、明日・・!?」
なんとなく冨永くんにチラリと視線を送ると、冨永くんは薄ら笑いを浮かべつつプイと前を向いてしまった。
その後は、加瀬くんにいつものようにゴリゴリ押し切られて、明日いきなり坂川に映画を観に行くことが決まってしまったのだった。
土曜の午後、私は電車に揺られながら坂川に向かっていた。
車窓に広がる青い海。
キラキラと光る澄んだ青を眩しく眺めつつも、私の心はじりじりと不安に苛まれていた。
最近加瀬くんとでかけてばっか。
今日なんか休日に約束までして、こんなのは最早デートの括りだ。
ってか、デートで間違いない。
ーーーいいんだろうか、こんなに近づいちゃって。
実は最近、加瀬くんの様子があからさまにおかしいのだ。
たぶんお化け屋敷の帰りの満員電車・・あの後から。
今まではずっと『気持ちに気がついて』っていうアピールだったのに、それがいきなり『気持ちを受け入れて』に変わっちゃった。
元々露骨だったけど今はもうあんなもんじゃない。ここ最近の加瀬くんの直球っぷりにはモノスゴイものがあった。
ああ、どうしよう。
この調子でガンガン近づいてこられたらーーー
好きって言ってほしくない。
告白を断っちゃったらきっと避けられる。
自分をフった女と仲良くできる男なんているわけがないんだから。
こんなにずーっとゴリゴリそばにいられといて、いきなりフッと姿を消される事態を想像してみて寒気がした。
や、やだ、絶対。
お願い、いなくならないで。
坂川駅のホームに下りると、前のほうの車両に乗ってたらしい加瀬くんが手をふりながらやってくる。「小宮山あ〜」って。
だらしなーく緩んだ笑顔と浮かれた足取りーーーなんなの、あのアホみたいな気楽さは。
くっそう。悩みがないって無敵だな!
その温度差に泣きそうになる。
「どした? 具合悪そう。酔った?」
「んなわけない。電車だよ?」
だあって、なんだか調子が悪そうに見えたからーーーなんて言って加瀬くんが私の頬に手を伸ばす。指先が触れた途端、そこにカッて熱が集まった。
「あ。顔色よくなった」
「こっ、こういうのヤメテ」
嬉しそうにほっぺを撫でまわす図々しい手をポイと放って、私は固く決心した。
今日で最後にしよう。
遊びにいくのも、公園でおやつ食べるのも、もうやめる。
加瀬くんが近づいてくるぶん、私が距離を取らないと。
でないと私たち、友達でいられなくなっちゃう。
駅の上、最上階の5階にある映画館は、入ってみると週末のわりにそれほど混んでいなかった。
上映までにはまだ少し時間があったから、私たちは館内のベンチでヒマをつぶすことにした。ベンチに座ってすぐ加瀬くんが眺めはじめたのは、私たちが今から観ようとしているラブコメ映画のチラシだ。
「加瀬くん、ラブコメとか観んだね。ふふふ」
ポップでラブリーなチラシを指さして笑う私に加瀬くんが口をとがらせる。
「オマエさあ。オレがホントにこーゆうの好きだと思う!?」
「思わないし、似合わない」
だから意外なんじゃないかって笑う私にムッとしながらも、加瀬くんはマジメで真剣な顔をこちらへ向けてきた。
「映画なんかなんだっていんだよ。オレは小宮山とでかけたかっただけ」
「そ、そう・・」
加瀬くんが私の膝の上にチラシをホイとのっける。
「これってデートだよな?」
「エ!?」
「デートって思ってもいいよね?」
じりじりとにじりよってくる加瀬くんは『お友達』としての健全な境界線を堂々とオーバー。いつにもまして距離が近い。
「や、やっぱこれ・・デートなの・・?」
狼狽える私に加瀬くんがキッパリと言い放った。
「普通に考えたらそーだろ? 違うの?」
「オレはそのつもりだった」ってトロリと表情を崩した加瀬くんが、カチコチに固まる私の手をきゅっと握って耳元で「小宮山あ」ってささやいた。
「なあ、こっち向いてよ。オレさ・・」
加瀬くんが何か言おうとして口をひらいたその時。
私は不思議な光景を目にする。
私の目の前で、いきなり加瀬くんがズブ濡れたのだ。
加瀬くんが頭からかぶったのは、たぶんオレンジジュース。
可愛らしいショートボブの女の子が、加瀬くんの頭の上で紙コップを逆さまにひっくり返していた。
「も、森口さん!?」
加瀬くんが彼女を見て顔をひきつらせる。
「こんなところで何してんの!?」
「映画に来たの」
「あっそう。てかコレーーー!! なにしてくれちゃってんの!? 信じらんねえ・・」
オレンジ色の雫を滴らせて呆然とする加瀬くんをよそに、なぜか『森口さん』は清々しい笑顔を彼に向けたのだ。
「あースカッとした。じゃあね、加瀬くん。今度こそバイバイ」
この場にそぐわない落ち着きはらった穏やかな口調と、静かな微笑み。
少し寂しそうな目をした彼女は加瀬くんにキッパリと別れの言葉を告げ、近くでポカンと立ち尽くしていた男の子を連れて颯爽と歩き去った。
初めて見る女の子だった。別の高校の子かもしれない。
彼女の正体はわからない。加瀬くんとの関係だって謎。
たった彼女が今やらかしたコトだってけして褒められたものじゃない・・・・のだけれども。
しゃんと伸びた後姿はやたらとカッコよく、その佇まいはまるで潔い武士のよう。
どこかから「わああ」なんて感嘆の声まで漏れてくる。
なんでこんなことになっちゃてんのか騒動の真相は誰にもわからなかったが、おそらくそんなことは誰も気にしていない。
ぶっちゃけ彼女は素敵だった。
去ってゆく彼女の背中は騒動を目撃したギャラリーの視線をおおいに釘付けにした。