ウンて言って、小宮山

そうこうしているうちにロータリーの端のほうにシルバーのバンが止まった。
それを見て春樹くんが顔を上げる。

「あ、母さん来たわ」

車からおりた女性がこっちに気づいて手をふり、小走りで近づいてくる。
春樹くんのお母さんは、これまたビックリするような美人だった。

「ハルキ、ありがとね。・・ええっとこちらは?」
「オレの同級生。一緒に父さん見ててくれてた」
「小宮山です。ハジメマシテ」
私が挨拶をすると、女優のようなお母さんがムチャクチャきれいな表情で微笑んだ。
「まあ、ありがとう。迷惑かけてごめんなさいね」って。

それから、お母さんと春樹くんは必死で眠っているお父さんをゆり起こした。車まで歩いてもらわないといけないから。

目を覚ましたお父さんは、お母さんを見るとそれはそれは嬉しそうに甘えはじめた。

うわあああ。ステキ・・・

片方が酔っぱらいとはいえ、すんごいレベルの美男美女である。
仲睦まじいふたりの様子にウットリと頬が染まった。

しかし。この後すぐ。

この甘い空気は、一瞬にしてかき消えてしまう。
お父さんが豹変したからである。
少しだけ聞いたことのある、ハルキくんちの不思議な親子関係。
なぜかハルキくんはお父さんの恋敵なのだという。
お父さんに疎まれ、邪険にされるポジション、それが川嶋家での春樹くんの定位置らしい。

聞くところによれば、お父さんに楯突いたことなど一度もない春樹くんは、なーんも言えずに、いいようにいたぶられてるって話だった。
少し前までは。

だけど、今の春樹くんはそうじゃないらしい。見たところ、互角・・いや、アルコールが入ってないぶん春樹くんが優勢。互角以上に渡り合えてる。
突如始まったイケメンふたりによる親子ゲンカは、しばらくののちドローに終わった。

「オマエ、生意気なこと言うよーになったじゃねえか・・」
怒りに燃えるお父さんと、オロオロと目を丸くするお母さんとが春樹くんをまじまじとみつめる。
「も、もういいわよ。後は母さん一人で大丈夫」
「あっそ。じゃ、オレはもう学校に行く」
カバンを拾ってさっさと立ち去ろうとする春樹くんの背中にお父さんが声をかけた。
「なあ、その子、オマエの彼女?」
呂律のまわりきらない声でお父さんが私を顎でしゃくる。

「さーね。アンタには関係ねーだろ」

ムスッとする春樹くんをお父さんが笑った。
「彼女じゃねえか。パッとしねーもんなあ。どーせならもっとハデでキレーな子選ぶよなあ」って。

お父さんの言葉が、ぐっさーって胸を刺す。
突然の個人攻撃に固まる私の横で、春樹くんが堂々とウソを叫んだ。

「この子、オレの彼女!」
「へー。イマイチだな」
「んなことねーわ、すっげーカワイイわ! ケチつけんなよ!!」

怒りの滲んだ声でそう叫んでから、春樹くんが私の腰に腕をまわした。
「いこ、すみれ」
春樹くんに急かされてくるりと身体の向きを変えるとーーー

なんと私たちの目の前には加瀬くんがいた。

「!!!」

穴があくほど私の顔に視線を注ぎつつも、呆然と立ち尽くす加瀬くん。
彼の存在に気づいた途端、春樹くんが加瀬くんの背中に腕をまわして強制的に回れ右をさせた。
そして私たちふたりの腰を抱いたまま、春樹くんはまっすぐに駅を目指したのである。



ワケがわからなかった。
目の前で何が起きているのか。
なんでオレまでハルキに腰を抱かれているのかーーー

時を遡ること数十分前。
オレはぎゅうぎゅうの電車に揺られて、学校へと向かっていた。
途中イヤホンにLINEの受信音が響く。送ってきたのは小宮山。
『春樹くんのお父さんが駅で酔い潰れてる』
『お母さんが迎えに来るまで、春樹くんと一緒にお父さんを見てようと思う』
『ちょっと遅刻する。ゴメン』
て、簡単なメッセージが何個か届いてた。

「・・・」

律儀な彼女はケンカしてても、こうやってちゃんとオレに連絡してくれる。ハルキ絡みってのが気に入らないけど、事情が事情だ。仕方ねえ。
オレ、全然大丈夫。

だけどそのまま学校へ行く気にはなれなくて、オレは門島を乗り過ごして小宮山のいる船入に向かった。
船入駅を出てぐるりと周囲を見渡すと、ロータリーに小宮山とハルキの姿があった。
だけど何かおかしい。様子がヘンだ。

なにあれーーーケンカ??

オレに背中向けてるハルキが、地面にヘタレてるオッサンに叫ぶ。
小宮山のこと『オレの彼女』って、『すみれ』って呼び捨てにして。
それからハルキは小宮山の腰に腕を回して、堂々と彼女を抱きよせた。
そしてその直後。

「!??」

なぜかオレまでがハルキに拉致られたのである。

人気のまばらなホームに出たところでハルキはオレらを解放して、緊張の糸が切れたみたいに、膝に手をついてガックリとうなだれた。小宮山も妙に疲れた顔してため息なんかついてる。
オレだけが、一切この状況がわからない。

「なあ、今の何!?」
オレはまず、ハルキに詰め寄った。
「オレの彼女って何!?」
「ああ、ゴメンね、加瀬くん。助かったわ、黙っててくれて」
「イミわかんねーこと言うな! さっきのアレなんだよ!」
ハルキの返事を待たずに小宮山に向き直ったオレは、小宮山の腕をつかんでまあるく見開かれた目をのぞきこんだ。

「オマエはいつコイツの彼女になったの?」
「あ、いや、えっと・・」
「オレ、なんも聞いてねえ!!」
「まってまって、ちゃんと話すから」

小宮山にそう言われてハッとなる。

ちゃんと話すって、何を・・・・?

オレは小宮山の言葉に怖気づいた。
このタイミングで打ち明けられる話って、一体何!?

「い・・いや、いい。やっぱ聞きたくない」
臆病風に吹かれたオレは、耳を塞いでなんにも聞かない方向へシフトチェンジ。
「えええ、なんで!?」
「なんでもクソも絶っっ対聞きたくねえ。ヤなもんはヤだ」

「か、加瀬くん、あのねえ・・」
焦って何か言おうとする小宮山をオレはムリヤリ遮った。
「ヤだっつってんだろ!! 聞かねえからな、絶対!!」

だって別れ話だと思ったから。
オレの知らないどこかのタイミングで、小宮山がハルキのものになっちゃったんだと思った。
それを今から告白される、そう思った。

だけど絶対に別れたくないオレは必死で小宮山に訴えた。
「イヤだ。オレ絶っっ対、別れねえ!!」
ここが公共の場であることも忘れてガバっと彼女に抱きついて、5歳児のようなレベルの低い駄々をこねる。

「ーーーとにかく、イヤだッッ!!」
「あ、あのね・・だからあーーー」
そんなオレに、ハルキがおずおずと声をかけてきた。

「加瀬くん・・チョットいい?」

いいわけない。
今ハルキと話す余裕なんかどこにもない。
ちなみにオレには、滲んだ涙をぬぐう余裕もなかった。
「今、小宮山と話してんだろ!? オマエは後!」
ハルキの顔が視界に入った途端、悔しくて余計に鼻がツーンてしはじめる。じわーっと目尻に盛り上がった涙がついにぽたぽたとこぼれはじめ、オレの惨状にギョッとなったハルキが慌てて腕をつかんできた。

「バカ、泣くな。さっきのアレ、ウソだから!」
「・・・・・・エ?」

「あれはデタラメ」
「・・・・・・ん?」

オレは真っ白な頭に「?」を飛ばしつつ、ずずっと鼻をすすった。

***
ゴシゴシと涙を拭う加瀬くんに、春樹くんが事情を説明しようと口を開く。

「ゴメン。さっきオレの父親がさ・・」

しかしそこから先が続かず、ぐっと言い淀んだまま、彼は苦し気に言葉を飲み込んだ。

ーーーそりゃ言いづらいだろう。
お父さんが私をバカにしたことを、私の目の前で私の彼氏に話すなんてハードルが高すぎる。

「いいよ、春樹くん。私が話す」
春樹くんのかわりに、私から加瀬くんにさっきの出来事を説明した。
「ーーってわけで、春樹くんが私に気を使ってくれた結果がアレだったの」
「オマエ、あのオッサンにそんなコト言われたの!?」
「ウン」
「失礼なヤツだな!! なんなのおまえのオヤジ!?」

お父さんの代わりとばかりに春樹くんをジロリと睨みつけてから、加瀬くんはもう一度私に視線を戻して恐る恐る確認をとった。

「じゃあ、小宮山はオレの彼女のまんまなの?」
「ウン。もちろん」

「よ、よかったああ・・」
そんなこんなでなんとかコトがおさまった頃、私たちから少し距離を取って立っていた春樹くんがぽつりと口をひらいたのだ。

「すみれちゃん、父さんがヒドイこと言ってゴメン。でもオレはあんなコト思ってない。だってーーー」

なにか言いかけた春樹くんの小さな声は、突如構内に響き渡りはじめた予告音に掻き消された。
サラサラのキレイな髪をなびかせて、春樹くんが寂しそうに笑う。
それから春樹くんは、入ってきたばかりの下りの電車にぴょんと飛び乗った。
学校へは向かわない、逆方向の電車に。

「加瀬くんもゴメンね。じゃ、バイバイ」
「春樹くん、学校は!?」
「今日はサボる」

ガーッて閉まってくドアの向こうから春樹くんが手をふる。
どこか清々しい顔をして。