実はたまに春樹くんがポロリと漏らす弱音がある。
「オレはさ、結局誰にも好きになってもらえない」
それは周りがどんなに「違うよ」って言ってあげても、けして本人の心には届かない類の、頑なな思い込みだった。
「オレは絶対に人に嫌われる」
私や春樹くんみたいなタイプは、例に漏れずとにかく自己肯定感が低い。
だけどこの問題をうまくクリアできないことには、ある程度より前には進めなくなるのだ。少なくとも私はそうだった。
それを春樹くんに伝えたくて、でも伝えることができないままに、どんどん時間は過ぎてゆきーーー
ついにカフェでのアルバイトも残すところ後一日となった。
明日がいよいよ最終日だ。
バイトを終えて裏口から外へ出ると、そこにはなぜか、いるはずのない加瀬くんがいた。
「午後のシフトって言ってなかったっけ?」
「ゆうべ急に交代頼まれたんだ」
アルバイトを始めてから少し日焼けした加瀬くん。
「んじゃ、帰ろーぜ」ってニコニコと手を繋がれたタイミングで、私は恐る恐る口を開いた。
「加瀬くん、お願いがあるんだけど・・」
「なに?」
「まず絶対に別れるって言わないって約束して」
「えーー・・、なにソレ・・」
嫌~な顔をしはじめる加瀬くんの手を握りしめて頼み込む。
「お願い、まずウンて言って!」
「・・どーせハルキだろ。絶対そーだろ」
「ねえ、ウンは?」
「・・・」
返事を渋る加瀬くんにゴリ押して、無理矢理「ウン」を取り付けた私はさっそく本題に入った。
「春樹くんと話したい。一回だけでいいから」
「やっぱりね!」
***
なんとなく覚悟はしてた。
小宮山がハルキの様子にずーっとヤキモキしてるの知ってたから。
小宮山におされてついウンて言っちゃったけど、オレはすんげえ嫌だった。
だってハルキに小宮山を貸し出したとして、無事に返してもらえる保証なんてどこにもないのだ。
「じゃあオレとも約束してよ。絶対オレんとこ戻ってきて。ハルキにゴーダツされねえって約束してよ」
泣きそうなオレに小宮山がケロッとして言う。
「へへへ。それは大丈夫。加瀬くんも一緒に話せばいんだよ。3人で」
って。
「オ、オレも一緒・・?」
「そう。一緒に」
「小宮山・・アタマいーね?」
「まあね!」
つないだ手をきゅっと握りしめた小宮山が、スゲー得意そうな顔してオレを見る。
ああクソ、もう仕方ねえ。
「なあ、下りって何分? アイツもう帰った?」
小宮山がスマホを取り出して時間を確認する。
「んーん。まだだと思う」
「なら今からアイツ捕まえて話そうぜ。オマエ、都合は? 時間ある?」
「私は大丈夫。ありがと、加瀬くん。じゃあ春樹くん探そうか!」
春樹くんは、改札へと上がる長いエスカレーターの下に立っていた。
加瀬くんがズカズカ歩いてって、春樹くんに声をかける。
「しょーがねえから一回だけ小宮山貸してやるよ」って。
「ただしオレも一緒だけど。それでもいい?」
「うん、いいよ」
私と春樹くんのお昼を買ってから、私たちは駅3階にある展望デッキに向かった。ここからは坂川の海が一望できる。
デッキの混み具合はまあまあ。設置してあるテーブルのひとつを確保して、加瀬くんがドカッと座った。
加瀬くん、春樹くん、私が、まあるく輪になって座る。こんな機会でもなきゃまず揃うことのないメンツだ。
気まずい組み合わせに、場がしーんと静まった。
「と、とりあえずゴハン食べよーよ。おなかすいた」
間が持たなくて、わざとらしくおにぎりの包みを破る私に、加瀬くんがため息をついた。
おまえは呑気だね、って。
んなワケない。まったく、誤解もいいとこである。
食事をはじめてからも、場の空気はすこぶる重かった。こんなんじゃ何をどう話していいかわからない。
どうしようかなあと思っていたところに春樹くんが口を開いた。
「ねえ、なんでオレのこと誘ってくれたの? しかも加瀬くんまでオレのために」
「オマエのためええ!? んなワケねーだろが。バカなの!?」
ムッとする春樹くんと、元々機嫌のよくない加瀬くんが口喧嘩をはじめてしまう。
ああ、始まった。加瀬くんが喧嘩売っちゃった。
だけどこーゆう空気のほうがいっそありがたい。ナイスフォローであるといえなくもない。
ぼちぼちと二人の言い争いがおさまってきた頃、私はようやく口を開いた。
「あのね、どうしてもひとつ気になることがある・・」
人っていつのまにか自分にいろんなレッテルを貼って生きてる。
ブスとかバカとかネクラとか。色々。
別にそれが悪いってわけじゃない。価値観なんて人それぞれだから。
だけどもしもそれが本人にとっての枷となり、すんごい苦しみや生き辛さを生んでいたとしたら。
そんなもんは、早いとこひっぺがして捨ててしまったほうがいい。そのほうが全然ラクに生きられるから。
自分をとりまく人間関係や生活環境の中で、自分自身を狭めてしまうような思い込みに囚われてしまうと、人はもう、その囲いの中でしか生きられなくなる。
春樹くんは自分のことが好きじゃない。
そう思い込んじゃった詳しいいきさつはわかんないけど、『自分は人から好かれない』ってかたーく思い込んでる。
「それ、ホントかなあ」
「ウソじゃねえよ、ホントだよ。オレは人から好かれない」
「そんなことない。だって私、春樹くんのこと好きだよ。大切な友達だって思ってる」
春樹くんの信じる自分についての『事実』。
それが実は嘘っぱちのマガイモノだったとしても、春樹くん自身はなかなかそれに気づけない。自分が当たり前だと思い込んでることを、私たちは改めて疑ってみたりしないからだ。
例えば、こんなふうに指摘されても、まあピンとこない。
だいたいチョット首ひねって、スルーして終わりだ。
だからこそ、あえて疑ってみてほしいと思うのだ。
春樹くんが『誰にも好かれない』なんて悲しいことが、そんなのが本当に本当の春樹くんの真実なのか、って。
春樹くん自身が気にしてないなら構わない。
だけど、自分のことをそんなふうに言っちゃう春樹くんは、とってもとっても苦しそうだったから。
だから、ずーっと気になってた。
そんなに苦しいことを放置したままじゃ、おそらく上手に前へは進めない。
***
オレは頬杖ついてふたりが話すのを聞いていた。
小宮山んちは、とにかく親がダメ。
親に「バカ」「クズ」って怒鳴られて育った小宮山は、やっぱ自分のことを「バカ」「クズ」って思い込んで育っちゃった。
親に投げられた「バカ」と「クズ」が、小さな小宮山に深刻なダメージを与えたであろうことは想像にかたくない。
ロクな親じゃねーなって思うけど、小宮山の不運はどうしようもない。
子供は親を選べないんだから。
中学の頃、引きこもり寸前までオチてた小宮山が立ち直った方法。
小宮山が言うには、ポイントはふたつ。
1.自分を苦しめる不必要な思い込みをポイすることと、
2.ポイした後の自己像の再構築。
小宮山はまず、親に刻まれた「バカ」を捨てることにした。これが小宮山の言う不必要な思い込みのポイ(1)。
んだけど「それをポイしたからって自分の中の『バカ』の要素がゼロになるわけじゃない」とも小宮山は言う。
大切なのは、バカさのレベルを測るのが『自分自身であること』だって。
誰かに勝手に決められるんじゃなくて、自分で決める。ここんとこが小宮山の言う再構築(2)にあたる部分。
小宮山は「救いようのないバカ」っていう父親からの扱いを無視して、「チョットはバカだけど、まあ普通」ってレベルに自己評価を勝手に格上げしたらしい。
そしたら、あんなに怖くて辛かった父親のイビリから自分の心を守れるようになったんだ、って言う。
小宮山はそうやって心の枷から自由になった。