そんなことを考えていたら、いつの間にか背後がしーんと静かになっている。
「アレ?? どうしたの?」
加瀬くんは私の肩に顎をのっけたまま、会議用テーブルに置きっぱなしになってる雑誌を凝視していた。
私が宿題サボってだらだら眺めてたやつだ。
女子にしか需要のなさそうな雑誌なのに、いったいなぜ??
「もしかして興味ある? これ見たいの?」
って雑誌に手を伸ばそうとする私をぎゅっと睨んで加瀬くんが指差したのは、表紙を飾るイケメン俳優〇〇〇〇だった。
「このハルキに似てるやつ!! オマエ、やっぱこいつのファン!?」
「ーーーエ!??」
誓って言うけど、たまたまだ。
だけど私が「そうじゃない」って否定するよりも先に、加瀬くんがグズグズと的外れな不安を漏らし始めてしまう。
「くっそう、いつ見てもハルキそっくり!! オマエもこーゆう顔が好き!?」
じっとりと重たい視線を送られて私は慌てた。
「違う! 言っとくけどコレ、表紙見て買ったわけじゃないからね? ホントだよ?」
「・・・・ふうーん」
いかにも信じてないって雰囲気をドロドロと漂わせて、加瀬くんはムスッと口を閉ざしてしまう。
怒ってんのかなあって思ったら、そうじゃなかった。
意外にも加瀬くんはめったに見せない暗ーい顔してションボリとうつむいている。おまけに彼のみつめる視線の先には、いまだに春樹くんにそっくりな〇〇〇〇がいて・・
「ホンッットに違うんだってば。なんでコレ買ったかって言ったら、私が読みたかったのはねーーー」
雑誌に手を伸ばそうとする私をぎゅううっと抱きしめて、加瀬くんがボソッと漏らす。
「オレが後でも選んでくれてた・・?」って。
「いきなりなんのハナシ??」
「ハルキが先だったら、オマエ、あっちとつきあってたんじゃねえかなって」
「ああ、そういうイミ・・」
なんじゃそら。
誤解もいいトコだ。そんなわけない。
だけど加瀬くんを不安にさせてるのは絶対に私なのである。
軋むような胸の痛みとともに、私はとてもとても重要なことを思い出した。
「ーーーあ!!」
急に叫んだ私に加瀬くんがビクッと肩を震わせる。
「耳元で叫ぶなよ。なに!?」
「忘れてたけど、報告がある!!」
「あのね、春樹くんの件、もう終わったよ」
「なんで? 何が終わり?」
「春樹くんにもう話しかけないでって言ったの。あれから一言も口きいてないし、なんならもう目も合わない」
私がそう言うと、加瀬くんは「えっっ!!」って叫んで硬直した。
「ウソだろ・・オマエ、あーんな八方美人なのにそんなことが言えんの!?」
「・・まあね!」
言い方ムカつくけど、間違いじゃない。
「アイツ大丈夫・・? ・・なワケねえか。そっか。へえ・・ふうん」
ブツブツと上の空の加瀬くんに、私はくるりと身体の向きを変えて改めて訴えた。
「後でも先でも加瀬くんがいい。絶対に」
「ホント?」
「ホント!」
きゅっと下唇を噛んで照れ臭そうに頬を染めた加瀬くんがほっぺをピタリとくっつけてボソボソと囁く。
「んじゃあ、今からムチャクチャキスするけど・・いい?」
「ウン、全っ然いい。大好き・・」
窓を締め切った部室は、急激に暑さを増していく。
だけど私たちがそのサウナみたいな部室を出たのは、それよりもまだ随分と後のことだった。
その翌日も、私はあの空き部室で加瀬くんを待つことにした。
部室に入ってすぐ、室内にこもった熱気を逃がすために片っ端から窓を開けていると、背後でガラリとドアの開く音がする。
そこに立っていたのはなんと春樹くんだった。
「あっつ。ココ、蒸し風呂じゃん」
シャツの襟に指をひっかけてパタパタと襟元を扇いでいる春樹くんは、しばらく目も合わせてなかったとは思えないくらい、ごく普通。
「どどど、どーしたの春樹くん。なんでここに!?」
「すみれちゃんの後ついてきちゃった」
へへへって可愛らしく笑ってみせる春樹くんに、私は思わず頭を抱えた。
「・・春樹くん、あのねえーーー」
「わかってる。でも用事があんの!」
口を開きかけた私を制しながら、春樹くんは適当にそこらへんの椅子をひいてすとんと腰かけた。
「ねえ。すみれちゃんの秘密をオレに教えて」
「秘密うう?? なにそれ」
「立ち直り方、知ってんでしょ? それ、教えてよ」
マジメな顔してじっと私をみつめてくる春樹くんに精一杯のポーカーフェイスを装いつつ、ブラインドの紐を握りしめて私は必死で考えた。
今ここで、春樹くんと前みたいに話し始めちゃったらどうなるかを。
いいコトなんてひとつもない。
最悪だ。きっと、誰にとっても。
だけど。
マズイってわかってんのにどうしても無視しきれない。
立ち直りたいって願う切実さも、どうしたらいいかわかんなくて途方に暮れる心細さも、全部全部、知っている。
すんごいわかるから、それだけにほっとけない。
私は最後の窓を開け放ちつつ、心の中で加瀬くんに謝った。
『ゴメン、加瀬くん。ちょっとだけ。愛も恋も一切関係ない、地味な話をするだけだから・・』って。
「お昼までだからね? 秘密なんかないけど、私に話せることは全部話す」
そう言って私は会議用テーブルをはさんで春樹くんの向かいに腰を下ろした。
「ありがと、すみれちゃん」
ホッと息をついた春樹くんが話し出す。
「オレだってさ、ある程度はわかってんだ。自分の状況」
アルコール中毒者を抱える家族には、中毒者本人の問題だけでなく、それを支える家族の側にも同じくらい重大な問題が潜んでいる。
所謂、共依存の問題だ。
私が教えるまでもなく、春樹くんは十分それについて知っていた。
それもそのはず。今時ちょっとその気になれば知識なんていくらでも手に入れられる。『共依存』なんてワードは、アルコール依存症について調べようと思ったら、きっと真っ先に上がってくる概念だろう。
実は私の家族が抱える問題も、根っこの部分は春樹くんちと同じ。
共依存状態からの脱却が立ち直りの要となる。
立ち直りたいと思うなら、まず共依存の沼から抜け出さないとダメなのだ。
でないと、家の中だけでなく外の世界でも同じことを繰り返してしまうから。
同じニオイを漂わせる相手をみつけて同じような共依存関係を築き上げ、飽きもせず同じことを繰り返す。
だからずーっと辛いし、ずーっとうまくいかない。
『連鎖』ってのはたぶんそういうこと。
イヤなら自分のトコで断ち切るしかない。
まずはそんなことを少しだけ話してみた。
そしたら春樹くんが恨めしそうにジロリと私を見る。
「だからオレじゃダメなのか。オレじゃすみれちゃんの足ひっぱるだけだもんね?」
「いや・・別に足ひっぱるとか、そーゆうコトじゃ・・」
自虐的な微笑みを浮かべていた春樹くんが、今度は冷えた目をして私の顔を窺う。
「ねえ、もしかして加瀬くん選んだのって打算?」
「そんなわけないでしょ! 好きだからだよ」
「ホントかなあ。だってアイツ、すみれちゃんにとっちゃスゲー都合のいい男じゃん。オレらに欠けてるモノを当たり前みたいに持ってる」
「ーーーそうなんだよね。キラッキラしてるんだよねえ、加瀬くんって・・」
私には、ただ、彼がまぶしいのだ。
彼氏って形でそばにいてくれるようになった今でも、加瀬くんはずーっと私の憧れの男の子のまま。
けして打算などではない。
が、しかし。ドキドキと頬を染める私を、春樹くんはフンって鼻で笑った。
「そんなのアイツのオコボレがほしくてつきあってるだけじゃねーか。加瀬くんの尻にぶら下がってるだけだろ」
「オ、オコボレ・・!? ぶら下がるってーーーひっど!!」
相変わらず口の悪い春樹くんの言葉はいちいち私の胸をえぐった。こんなふうにダメージ受けちゃうってことは、もしかしたら無意識にそういう側面があるのかもしれない。だけどね・・
「ヘンな意味にはとらないで。加瀬くんが好きなのはホントにホントのことだから」
私がそう言うのを、春樹くんは曖昧に頷きながら聞いていた。なんとなく、ここじゃないどこかをみつめながら。
そして突然。
ぎゅうっと目を閉じて、悔しそうに顔を歪めた春樹くんが、テーブルにガンって両肘をついて頭を抱え込んだのだ。
んで、ホントにホントに悔しそうに「くっそおお。いいなあ、加瀬くんは・・」っておなかの底から声を絞り出す。
「オレも加瀬くんと同じトコに立ちたい。アイツと対等に肩並べたい・・!!」
ぎりぎりと悔しさを滲ませる春樹くん。
「んでオレも・・加瀬くんやすみれちゃんみたいにシアワセそうに笑いたい・・」
春樹くんが続ける。
「オレ、大好きな子がいんの。すっげえ好きな子」
チラ、って視線をよこしてくる春樹くんになんとなく背筋がのびた。
「もし、いつかさ? オレがちゃーんと立ち直れたら、その時はオレ、その子に胸張って『好き』って言いたい。フラれてもいいから」
「ふ、ふうん・・」
「このハナシ、覚えといて。すみれちゃん」
春樹くんの匂わせる『好きな子』の話はさておき。
決意に満ちた表情を見せる春樹くんに私は密かに胸を震わせていた。
きっと今が春樹くんの分岐点だ。
間違いない。
胸がぎゅううっと苦しくなって、自分のことみたいにドキドキしてくる。
だって今でもハッキリ覚えてる。
遠い景色に憧れて、そこに辿り着きたいって切望してた頃のこと。
すんごいビビりながら最初の一歩を踏み出した日のことを。
「私も知ってるよ、その気持ち・・」
思わずぽろりとひとつぶ、涙がこぼれた。
「ありがと、すみれちゃん。ねえ、オレさ・・」
って春樹くんがテーブルの向こう側から身を乗り出して、私の頬に手を伸ばしたその時だった。
突然、部室のドアががらりと開いたのだ。
ひょっこりと現れた加瀬くんが「小宮山あ・・」って何か言いかけてギョッとして口をつぐむ。私も春樹くんも石みたいにカチコチに固まった。
しーんと静まり返る部室に、気まずい緊張がビシバシと走った。
***
「オマエら何してんの?」
オレに気づいて、弾かれたように二人がハッと顔を上げる。
理科の講習はいきなり自習になった。担当の田辺先生が体調不良で休んだからだ。
んでオレはごっそり配られたプリントを抱えて小宮山が待ってる部室に向かった。自習だからどこでやったってわかんない。せっかくだからここでやろうって。
だけど。なにこれ。
ズカズカ歩いてって、まずは小宮山の顔へ伸ばされたまんまになってるハルキの手をばしーんと叩き落とす。
「ハルキくん、この手は何!? んでまた・・なんでオマエがここにいんだよ!」
ワナワナと怒りに震えるオレを、ハルキが下からキッと見据えた。
「誤解すんなよ? オレが勝手にココに入ったの! すみれちゃんはなんも悪くないからな!」
ゴシゴシと慌てて涙を拭う小宮山を大事そうに背中に庇うハルキに腹が立ちすぎて、ホントなら口がよくまわるハズのオレがひとっこともしゃべれない。
オレはテーブルをぐるりとまわりこみ、小宮山のすぐそばにドカッと腰をおろした。
今度こそ、きっちりハナシをつけてやる。
なにがなんでもコイツを追い払う。絶対に。
オレは正面からヤツに向かい合った。