ウンて言って、小宮山

私たちは、上りも下りも全部乗り過ごして春樹くんを待った。

「あ!」

そうこうするうちにホームに春樹くんが入ってきて、加瀬くんの目は春樹くんに釘づけ。春樹くんがいつものように陸橋の下で電車を待ち始めたのを確認してから、加瀬くんは私のほうをちょこっとだけ振り返った。
「ここで待ってて?」
「ウン」
くるりと向きを変えて歩き出す加瀬くんの背中を見送りながら、改めてスゴイなって思った。

自分のほしいものが何で、そのために何をするのか。

いつでもどんな時でも、それがハッキリとわかる加瀬くんには迷いがない。
気持ちのままに、真っ直ぐ歩いて行けちゃう加瀬くんの背中はすごくすごくカッコよかった。

ドキドキと苦しくなる胸を押さえて、私はふたりの話が終わるのを待った。
・・・
・・んだけど、加瀬くんが全っ然帰って来ない。

話が終わんないのだ。
腕組みしてこっちに背中向けてる加瀬くんに動く気配はまだ微塵もない。
手え出すなってひとこと言うのに、あんな時間かかるもん??
首をひねりつつ、なおも待った。
そのうち冨永くんが改札を抜けて、手をふりながらこっちへやってきた。
「よお、小宮山あ。加瀬は? もう帰ったの?」
「いや、それが・・今あそこにいる」
ってふたりを指差して教えると、冨永くんはそっちへ顔を向けてギョッとした。
「アイツなにしてんの!?」
「春樹くんに文句言ってる」
「嘘だろ、アイツもう文句言いに行ったの!? スゲーなあ・・」

もう、ってなんだ。
もう、って。
事情に精通してそうな、この口ぶり。

加瀬くんのことが気になるらしい冨永くんは「オレも一緒に待つ」って言って動かなくなった。

しばらくじいっとふたりの様子を窺っていた冨永くんが、ポツリともらす。
「なあ小宮山、加瀬のこと好きでいてやって」って。

もちろんそのつもり。
できることならこのままずうっと加瀬くんに束縛されておきたい。

「私さ、ホントに加瀬くんしか好きじゃないよ」
「そっか」

おそらく加瀬くんにタレこんだのは冨永くんだ。
私のこと疑ってたに違いない冨永くんは、私の言葉にすごーくホッとした顔をした。
「ならよかった。オレはさ、ハルキよりも加瀬にシアワセでいてほしいわけ」って言って。
そして、ついに加瀬くんが戻ってきた。
「どうだった? ハルキなんつってた!?」
冨永くんがわあわあと一気に色々聞きはじめる。
だけど加瀬くんの表情は冴えなかった。

「ハナシ、つかなかったわ・・」

加瀬くんからげんなりと大きなため息がこぼれる。
「オレにどーこー言われる筋合いはねえって」
「エ??」
春樹くんは加瀬くんの苦情を丸ごと無視してはねつけたらしい。

加瀬くんがうかない顔で私を見る。
「てかアレ、ほんとにハルキ?? 柔らかーい雰囲気のイケメンつったの誰だよ。ひとっつも柔らかくねえよ、アイツ!」



それから少しして夏休みが始まった。

とはいえ、最初の10日間は夏期特別講習という名の講習がある。担当の先生によっては宿題まで出る。一応自由参加というテイではあるけれど、ほとんど強制のこの講習が毎日2限分もあるのだ。
だからホントの夏休みが始まるのはこれが終わってから。

私は前半5日を英語、後半5日を世界史選択にしていた。
4組のドア付近に貼り出された英語クラスの座席表を確認していると、あいうえお順に割りふられた席順の私のひとつ前に「川嶋」さんの名前。
「まさかこれって・・」
イヤな予感がして座席表の前から動けなくなってるところへ、加瀬くんが現れた。加瀬くんの選択は数学と理科総合。私とはひとつもかぶらない。

「おはよ。小宮山、オマエ4組?」
って座席表を眺めはじめた加瀬くんが黙り込む。
「ねえ、この学年、川嶋って何人いんの?」
結局それは、春樹くんだった。

休み時間に後ろを振り向いてきた春樹くんは、私とも加瀬くんとも何事もなかったかのように、ごくごく普通に会話をはじめてしまう。

「春樹くん、もう話せないって言ったよね?」
「だってオレはヤだ!」
「それでもダメなの! 加瀬くんにも言われたでしょ?」

「・・加瀬くんてなかなかイイ根性してるよね」
加瀬くんの名前が出た途端、苦虫を噛み潰したようなイヤ〜な表情を浮かべる春樹くん。
「オレらが全然話せなくなったの、アイツのせいなんでしょ?」

あの日、門島駅のホームで春樹くんと対峙した加瀬くん。
ガミガミと文句を言ってはみたものの、あまりの手ごたえのなさに加瀬くんはしばしボーゼンとした。その後、私たちの間に介入するって宣言した加瀬くんは、見えないところで発生していた『偶然の遭遇』を器用に叩き潰しはじめたのだ。片っ端から。
加瀬くんの介入は効果てきめんで、あれから私たちは本当に一度も顔を合わせていない。

「すみれちゃん、もしかして素直に加瀬くんの言うこと聞くつもり?」
「当たり前じゃん。彼氏だよ?」

「それ、遠回しにオレに死ねって言ってんだよね?」
「バカなこと言わないで」

春樹くんだってホントはわかってるはずだ。
私たちは一緒になんていられない。
春樹くんがどんなに駄々をこねたところで、どうにもなんないのだ。
しんみりと、潮が引くみたいに春樹くんの顔から表情が消えていく。

「ホントにもうダメなの?」
「ウン」

「本気でオレに関わるなって言ってんだね・・」
「・・そうだよ」

つきあってたわけじゃない。
ほんの少し、同じ時間を共有してただけ。

「すみれちゃんがいなくなっちゃったら、オレ、どうしたらいいかな・・」

文字通り、まんま捨て猫のような目でみつめられて、強烈な罪悪感が湧き上がった。
衝動に駆られて、思わずその手を取ってしまいそうになる。
ザワザワと激しく波打つ胸の内を隠して、私はそっと春樹くんから目を逸らした。

自分の幸せよりも手を伸ばしてくる誰かの幸せを優先してあげなきゃいけないんじゃないか、っていう抗い難い強迫観念。

実はこれが、私たちが漂わせてる特別なニオイの正体だ。
誰かにすがりつきたい者と、それを受け入れてすがりつかせる者。
そういう者同士が出会って何かがカチリと嵌り合うと、まるで恋に落ちるみたいに強烈に、一気に距離が縮まっていく。
今、私が春樹くんに手を差し伸べてしまえば、間違いなく私たちもそうなってしまう。
中学の頃の私なら、もしかして・・って思わなくもない。
だけど、私はもうあの頃の私じゃない。

今の私にはもうわかる。
自分の欲しいものが何か。
絶対に手放したくないものは何なのか。

私は。
自分の欲しいものだけに、まっすぐ手を伸ばすことにした。



「春樹くん、もう私に話しかけないで」



顔をうつむかせたまま、春樹くんが静かに私に背を向けた。
今度こそ、私は完全に春樹くんを突き放した。
彼が後ろを振り返ってくることは、きっともうないだろう。

少し離れた席から「小宮山~」って冨永くんと栞が手招きしてることに気がついて、私は席を立った。

「なあなあ、講習終わったらカキ氷食いに行かねえ?」
「駅前のやつ。食べに行こうよう」

***
講習の後、冨永に誘われて駅前にカキ氷を食いに行った。
冨永と西野と、オレと小宮山の4人で。

小宮山と西野は店の中のベンチにいる。
オレと冨永は席が足りなくて店の外。
炎天下の中、木陰で食うカキ氷はすげー美味かった。なんせ暑い。

「なあ、ハルキどうだった? アイツらどんなかんじ?」

英語クラスの講習が気になって仕方ないくせに、休み時間になってもオレはカッコつけて様子を見に行かなかった。ハルキに弱気になってるって思われたくなくて。
カップにストローをザクザク突き刺しながら、冨永がうーんって唸る。
「アイツらスゲー真面目な顔してなんかしゃべってたよ」
「ふーん」
「んで、小宮山になんか言われてハルキがしょげてたぜ」
「しょげてたあ?? あんな図々しいヤツが!?」
「おう。痛々しいぐらいに」
半信半疑のオレに冨永が迷いなくうなずく。だって見てたから、って。

オレが何言ってもびくともしなかったくせに、小宮山にはしょげんのか。
オレにはアイツらのことが全然わからない。
こやって様子を聞いてみても、サッパリだ。
「アイツらなんなの? ハルキって小宮山とどーゆう関係?」
「同中の知り合いだって」
「ふーん」

白けた氷をジャカジャカと突き崩してシロップに沈める。
カップの中が真っ赤な海になったところで顔を上げて店の中に目をやると、青い氷をすくって口に運ぶ小宮山の横顔が正面に見えた。何話してんだかわかんないけど西野と楽しそうに笑ってる。

水っぽいシロップをちびちびすすりながら、オレは小宮山の横顔ばかり見ていた。

シアワセって言ってた。
オレといるのが一番安心するって。
そりゃあそう。
だってオレ優しいし。小宮山のことすんげえ大事にしてる。
数プリの面倒だって、卒業するまでずーっとみてやるつもり。

だからーーー

オレは来年の夏も小宮山と一緒にここでカキ氷を食う。絶対に。

密かに胸に誓って、溶けた氷を一気に煽った。