ウンて言って、小宮山

「なあ、一緒に行っていい? ダメ?」
「ダ、ダメじゃないけどさあ・・」

加瀬くんがグズグズと下を向く私の手をとった。で、「ダメじゃないならいーよね?」ってがっちり手を繋いじゃう。

「加瀬くん、これじゃあもうつきあってるみたいじゃん・・」
「いんだよこれで!」

繋いだ手にぎゅーって力を込めて、加瀬くんが私を睨む。
「今更逃げられると思ったら大間違いだぞ。オレの純情散々弄んでくれたオトシマエ、きっちりつけてもらうからな!」
って言われて私はギョッとした。
「も、弄ぶ!? そんなことしてない!」
「いーや、してる! オレのこと煽りまくって散々振り回してくれたろーが! なのにオレのことフろーとしてさ。オマエ、ヒドすぎ」

しかし私には全く身に覚えがなかった。
「そんなことしてない!! 煽ってなんかない!!」
繋がれた手を握り返して、私は険しい顔で加瀬くんを見上げた。だって本当にそんなつもりはなかったからだ。
弄んだりなんてしてない。加瀬くんを振り回して楽しむ余裕なんて私にはひとっっつもないんだから。

「ヘンな言いがかりつけないでよ」
「言いがかりなんかじゃねえ!!」

その直後、私は青筋立てた加瀬くんに人気のなさそうな怪しげな暗がりに引きずり込まれてしまう。
「あ」って思ったときにはもう、きつーく抱きしめられていてーーー
「ほらね? こんなの期待すんなってほうがムリ!!」

加瀬くんが言うのだ。
今だってそう。オレが何してもこんなふうに全部許すだろ、って。
そのたびにドキドキと頬を染めて、腕の中でトロンて崩れて。
可愛い顔してオレを振り回す小宮山は悪魔のように残酷だ、と。

「なっっ・・なにそれ・・!?」

だってそーだろ、って頬を撫でられて、ぞわりと背筋に震えが走った。
「見ろよこれ。今だってもうグズッグズじゃねーか。これが煽りでなくてなんなの!?」
ぐりぐりと首筋にアタマを埋められて、「ひゃああああ」って悲鳴が漏れた。

「エロい声だすなよ。これ以上オレを煽るな」

・・とか言いながら。

背中を撫でていた手がお尻のほうまで下りてゆく。ヤラシイ手をガシって掴んで制止しつつ、私は怒りに震えた。
冗談じゃない。自分の行いを棚に上げて何を言う。

「ーーー今の言葉、そっくりそのまま加瀬くんに返す!! 煽ってんのはむしろ加瀬くんのほうでしょ!!」

そしてそのまま私たちは、どっちが煽った煽らないのくだらない喧嘩に突入。

「絶ッッ対に、加瀬くんが悪い!」
「いーや、違う。小宮山だ!」

私たちの小競り合いは思った以上に長引いた。
日陰にいるとはいっても、ド真夏の午後だ。やっぱり暑い。
ゼイゼイと息の荒い加瀬くんが私を抱えたまま、すとんと地面にお尻をついた。

「・・アホらし。こんなん、もういーわ」
「そだね。実りがなさすぎる」
背中をコンクリブロックに預けて息をついた加瀬くんが、チラッと腕の中の私に視線を落とす。
「暑いだろ。離れないの?」
「・・加瀬くんこそ」

「・・・」
「・・・」

ムチャクチャ暑くて、ふたりとも汗だく。だけどそれでも離れたいとは思わなかった。
喧嘩の最中も、今も、私たちはずうっと互いの腕の中にいる。

「ホラね? オレらはもう、こーしてたほうが自然なの!!」
加瀬くんが私を抱く腕に力をこめる。
「友達のフリするほうがよっぽど不自然だって思わねえ?」

「ーーーうん。そうだね」

私もそー思うって素直にそれに頷けば・・

「マジで!? じゃあもうウンって言って!! 頼むから!!」

すんごい勢いで頭をおこした加瀬くんが、今日2回目の告白を開始した。
キツーく抱きしめられて息が止まりそうになるほど『好き』を連呼されているうちに、私は彼に手を伸ばしたくてたまらなくなった。
もう友達なんてイヤだ。彼女にしてって縋りつきたい。

ああ、そうか。

きっともう、怖いよりも好きが上回っちゃってるんだーーー
「ねえ、加瀬くん・・」

加瀬くんの胸を押して、二人の間に少しだけスペースを作った。
でないと近すぎて、彼と目を合わせることができなかったから。

「あのね・・ちょっとだけ時間ちょうだい。ちゃんと返事するから」
「それ、いい返事?」
「ウン。いい返事する・・」

「オ、オマエ、今なんつった!?」
加瀬くんの切れ長の目が限界ギリギリまで大きく見開かれた。
「も、もういっかい、いって・・?」
「ちゃんとウンって言うからもうちょっとだけ待って、って言ったの」

「!!!」

肩の上でブルブル震えてる加瀬くんの手をすりぬけて、私はもう一度、勝手に加瀬くんの胸におさまった。
だってまだくっついてたい。もっとぎゅっと抱きしめてほしかった。
背中に腕を回してしがみついたら、呆然と放心してた加瀬くんがハッと我に返った。
そして私をぎゅうぎゅう抱きしめながら掠れた声を絞り出す。

「オマエ今、自分からオレに抱かれにきたよね!?」
「うん。ダメ?」
「〜〜〜ダメじゃねーよ、全然!! んだけど、こんなのーーー」

不意打ちが過ぎんだよ!って大騒ぎする加瀬くんを尻目に、私はその腕の中をじっくりと堪能した。

だってここ、強烈に気持ちがいい。

奇跡みたいだ、って思うのだ。
こんな場所ほかにはない。

こうしてると不安が薄らいでく。
怖いって思ってることも、もしかしたら大丈夫かな、なんて思えてくる。

「はあ。シアワセ・・」
「く、くっそう。オレのことフったら許さねえからな!」

うん。わかってる。
ちゃんと返事するから。

だから、もう少しだけ待ってて。



本屋中央のディスプレイスペースは、夏の風情に溢れていた。
ずらりと吊るされたガラスの風鈴に目を奪われて、涼しげな色合いの短冊をつまんでちょっとだけゆらしてみる。ちりーんていうあの音を期待して。

「それ、ムリヤリふってもいい音しないんだぞ」
「そーみたいだね」

残念だなって手を離した時、すうっと私の耳元に顔をよせてきた加瀬くんがひそひそとささやいた。
「いっこ買ってやろうか?」って。

その瞬間。

胸がぎゅうううん、って絞られた。
聞き慣れたいつもの声のハズなのに、耳に残る甘い響きにクラクラと頭が痺れる。

「な・・・・!??」

なにこれ、どーした!? 
どーなった??

「かかか、加瀬くん、声変わった・・!?」
「変わるワケねーだろ。オレもう高2だぜ?」
変声期はとっくに過ぎた、と真面目な答えを返される。
「それよりオマエ、顔真っ赤!!」
加瀬くんがニヤ~って顔をユルませながら、カッカと火照り続ける私の耳たぶをつっつく。

「なんだよ、小宮山あ。まさかオレに照れてんの!?」

そうみたい。
とにかく猛烈に顔が火照る。

楽しそうにアレコレと声をかけてくる加瀬くんに言葉を返す余裕もなく、だんまりと立ちすくむ私に彼が首をかしげた。
「どうしちゃったの小宮山、大丈夫?」
大丈夫、とは言い難かった。なぜなら私に起こった異変はそれだけではなかったからである。
私はパシパシと瞬きを繰り返し、加瀬くんの真っ白いお顔をしげしげと眺めた。

「なんでかな。加瀬くんがもんんんのすごいイケメンに見える・・」
「おっまえ・・オレのことバカにしてんの!?」
「違うよ。そーじゃない。これ、本気」

だってホントにそう見えるのだ。
顔だけじゃない。
声も、仕草も、彼の発するなにもかもがいちいち胸に突き刺さる。

ひた隠しにしていた私の恋心は隠す必要がなくなった途端、ガバガバ溢れて止まらなくなった。もしかしたら、ずーっと我慢していた反動もあるかもしない。

「どうしよう。もうフツーじゃあいられない・・」
と、頼りなくつぶやく私を、加瀬くんが切なそうに見下ろした。
「なあ、もうウンて言ってよ。好きって言って?」

***
オレがそう言うと、小宮山は赤い顔をしたまま眉間にシワをよせた。

「そ、それはもうチョットまって。も少し考えるから」
「なにを考えんだよ? それ必要?」
「必要」

オレにはよくわからない。小宮山が何を迷っているのか。
風鈴の前を離れて歩き出す小宮山の横にならぶ。
「なんで今すぐOKじゃダメなの?」
「だ、だからさ、それは心の準備がきちんと終わってから・・」
「心の準備ってなんだよ?? わっかんねえなあ」
全然噛み合わないやりとりの最中、突然ピタッと立ち止まった小宮山が、一歩、二歩と足を後ろへ戻す。
首だけ傾けてひとつ前の書棚の奥を覗いた彼女は、あわあわと身体の向きを変え本格的に覗き見の体制を整えた。

「なんだよ、どうかした?」
「いや、えっと・・あれ、様子おかしくない?」
小宮山が指差すほうを見てみると、うちの制服を着た男子生徒がこっちに背中を向けて立っている。
肩にひっかけてるサブバッグの内側の持ち手だけが不自然にずらされているのと、そいつの醸し出すただならぬ雰囲気とで、たぶん万引きだなって思った。
でも、おそらくコイツは慣れてない。
迷いと罪悪感とが背中から滲み出てる。

隣で息をつめてる小宮山に、
「どうする? 店員呼ぶ?」
って言ったら、小宮山は断固として首を横にふった。
「それはダメ!」

オレはそんな小宮山の様子にちょっと驚いたのだ。

「オマエ、あいつのこと知ってんの?」
「え? ああ、顔が見えないとわかんないか・・あれ、春樹くんだよ」
「ウソだろ、あれハルキ!?」
「ウン」
オレのほうなんか見もしないで、ハルキだけを凝視しながら小宮山が頷く。

「あ」

突然小宮山が小さく息をのみ、オレは急いでハルキに視線を戻した。
「ーーーよかった、やんなかった・・」
どうやら未遂。小宮山がホッと息をつく。

けれどハルキは動かない。
平積みの本を凝視したまま微動だにしないのだ。
「あれ、またやるぞ」
「だね。どうしよう・・」
心配そうな顔をしてハルキをみつめる小宮山の顔が更に曇った。
そしてオレらが見守る中、またもハルキが動く。
たぶん今度は本気。ここからでもハルキの背中に今までとは違う緊張が走ったのがわかった。

その瞬間。

隣にいた小宮山がいきなりハルキへ向かって走りはじめたのだ。

え・・・・なんで!?

オレは一歩も動けず立ち尽くしたまま、ただただ呆然とふたりの様子を眺めることしかできない。
小宮山がすんでのところでハルキの腕を抑え込み、ヤツの万引きはなんとか未遂に終わったようだった。

小宮山と何か話していたハルキが急にヘナヘナとその場に崩れ落ちる。
そしたら一緒にしゃがみこんだ小宮山が、気遣わしげにハルキの背中をさすってやりはじめたのだ。

なにコレ!?
オレ、何見せられてんの・・?

胸がじくじくと痛んだ。
寄り添うふたりを見てるうちにスゲー悲しくなってくる。
小宮山のこと、あいつにとられちゃったみたいな気がして。

なんでかわからないけどあのふたりをこんなふうに一緒にしちゃダメな気がした。
うまくは言えないのだが、あいつらの醸し出す雰囲気に何か特別なものを感じてしまって。
しばらくしてハルキが立ち上がり、ふたりがまた何か話しはじめたのだけれど、さすがにオレのところまで声は届いてこない。
オレにわかるのは小宮山の顔がやったら赤いことと、二人の雰囲気が絶妙にしっくりイイ感じ、ってことくらい。
さっきまでオレに赤面してたはずの小宮山が今はハルキに頬染めちゃってるんだから、オレはもう気が気じゃなかった。
そんな時、固唾を飲んでふたりを見守ってるオレのほうを、チョットだけハルキがふりむいたのだ。沈んで弱りきった青白い顔が一瞬だけオレの視界を掠めてく。

うわ、すげえーーー

あんな暗い顔してても、ハルキはやっぱとんでもないイケメンだった。

小宮山も好きかな、あーゆう顔・・なんてチラッと考えちゃってる自分に気がついて、オレは慌ててその思考を頭から追い出した。

ハルキと別れて戻ってきた小宮山は、なぜかドンヨリと曇った暗ーい顔をしていた。

「ゴメンね。止めなきゃって思ったらつい・・」

万引きしようとしてたのはハルキであって小宮山じゃない。
なのに、止めに入っただけの小宮山がどうしてこんなにゲッソリと落ち込んでいるのか。
痛々しいほどしょげかえってる彼女にオレは何も言えなかった。

気を取り直して、オレは彼女に「本見る?」って声をかけてみたのだ。
そしたら小宮山は「んーん、もういい。加瀬くんの行きたいところに行こ」って言いだした。

「いーの?? だってオマエ、ここ来てからまだなーんもしてねえじゃん」
「もういい。またにする。別のとこに行こ?」
「え・・んじゃーーー」

オレがたこ焼きが食いたいって言ったら、小宮山はくしゃって顔を崩して泣きそうな顔して笑った。
いいよ、たこ焼き食べに行こう、って。
ハルキと別れてから、小宮山の様子が明らかに変わった。
口数が減った。元気がないし、表情も暗い。

絶対に、おかしい。

ボーッとしてる小宮山に、オレはあらためて聞いてみたのだ。
ふたりはどういう関係なのか、って。

そしたら、
「どーもこーも、1回遊んだことがあるだけだよ」
って小宮山は言うんだけど、アレは絶対にそんなもんじゃない。

「そんなんよか、もっとずっと親しそうに見えたけど・・?」

そういえばマナが言ってたっけ。
あいつらは絶対に相性がいい。醸し出す雰囲気が似てるんだって。

それがどーゆうことなのかが、今のオレにはよくわかった。
なんだか『特別』な感じがするのだ。
あのふたりこそがベストの、正解の組み合わせだって思わされる何かがある。

初めてふたりを見たオレがそう思うんだから、きっとあいつらだってお互いに特別な何かを感じてるハズ。
小宮山はハルキのこと一体どんなふうに思ってんだろうーーー

浮かれてた心は一気に萎んで、オレはもう不安と猜疑心とでいっぱい。
そしたらオレの疑わし気な眼差しに気づいた小宮山が中学時代の話をはじめたのだ。