「これ、ほしい?」
って目の前にかざされたのは、半分に割られた真っ白い消しゴムだった。
「忘れたんだろ、消しゴム。小宮山がほしーなら、コレあげる」
休み時間が始まった途端にぐるんと後ろを向いてきたのは、前の席の男の子。
名前を、加瀬律くん、という。
『ほしーなら』なんて言ってても、加瀬くんはのんびりと答えを待ったりするタイプではない。私が「ちょうだい」って言うよりも前に、もう手え掴んじゃう。
彼にはちょっと、せっかちなところがあるのだ。
私に消しゴムを握らせると彼は満足そうに薄っすらと頬を染め、元気よくまた前を向いた。
淡ーいピンクに色づいたほっぺは、男の子のくせに桃のようにピチピチと瑞々しい。色白の綺麗なオハダは加瀬くんのチャームポイントでもある。
「ありがとう」と間に合わなかったお礼を背中にささやけば、照れくさそうな顔をした彼がちょこっとだけ後ろをふりむいてくる。
「イイヨ。オレ、いっぱいもってるから」
「いっぱい持ってる? 消しゴムを??」
「オ、オウ。まーね。持ってる。腐るほど・・・」
「ふうーーん・・・」
そう言われて手の中の消しゴムに視線を落としてみるが、真新しい断面はまさに『今が割りたてホヤホヤです』と言わんばかり。
そこはかとなく漂いはじめる気マズ恥ずかしい空気に、私たちの視線はそれぞれ右と左にウロウロと泳いだのであった。
加瀬くんは、2年になってから同じクラスになった男の子だ。
性格そのまんまの意志の強そうな目をした、色白黒髪の背の高い男の子。
新学期の初日、加瀬くんは「お近づきのシルシに」って、私の手のひらに山盛りのチョコをくれようとして、それを盛大に机にバラまいた。
彼とはそれ以来のつきあいになる。
加瀬くんが前を向くと、さっきから私たちのやりとりを黙って見ていた隣の席の冨永くんが、ホクホクと顔を綻ばせながら声をかけてくる。
「へーえ、小宮山。加瀬に消しゴムもらったの。ヨカッタね?」
「あ、ウン」
「ちょっと見せてよ・・なにこれ、やけにキレーじゃん! そういやコイツ昨日まで豆みたいなショボい消しゴム使ってたもんね? 小宮山あ、コレ、新品だぜえええ」
・・と、見せつけるようにくるくると消しゴムをまわしてみせる。
「加瀬、やっさしーー! いっつも小宮山にだけ特別だネ? ね、小宮山?」
一見、私に話しかけてるふうであるが、そうじゃない。ほとんど加瀬くんの背中に向かってしゃべってる。
「加瀬、ロコツーーー」
「加瀬、わかりやすーーーー」
「加瀬、かーーわいい」
「ね? 小宮山」
実はこれ、冨永くんのお気に入りの遊びの一つ、加瀬くんイジリである。
後ろから山ほどひやかして加瀬くんをイライラさせたら、後は椅子にふんぞりかえって彼が食いついてくるのを待つだけ。
そしたらやっぱりーーー
「うるせーな、毎回シツコイんだよ! なんなのオマエ!?」
あんまり我慢しない性格の加瀬くんが眉を吊り上げて後ろを振り向いてくる。
そう、これがたまらなく面白いらしいのだ。
高2になってから、私の毎日はこんなかんじ。
***
オレが消しゴムわけてやった翌日、小宮山がチョコの小袋をいくつかつけて新品の消しゴムを返してきた。チョコがオレの好物だって思ってる小宮山は、こーゆう時、必ずチョコをおまけにつけてくるのだ。
3限が終わった後の休み時間に、さっきもらったばかりのチョコをチラつかせてオレはドキドキと彼女を誘った。「小宮山、これ食わねえ?」って。
「ウン、食べる!」
こうやって誘えば小宮山は絶対にオレのことを断ったりしない。
だけど、「じゃあ、手え出して?」って言ったらそれには必ず難色を示される。
「えええ、またそれか・・」
乗り気じゃない小宮山の手を勝手につかんでザザッとチョコを流し込むと、手のひらにどっさり盛られたチョコをみつめて小宮山が複雑な顔をする。
「あのねえ。美味しいし、嬉しいんだけどーーー」
優しい性格の小宮山が慎重に言葉を選ぶ。
「本格的に暑くなる前に、こーゆうのやめたいんだよね。もう」
「じゃあ、チョコじゃなくてグミならいい?」
「・・そーいうことじゃあ、ないんだよねえ・・・・」
小宮山のボヤキは聞かなかったことにして、早速その手の中から一粒、チョコをつまんで食ってみる。
「へー、うっま!」
初めて食べるオレの知らないチョコはなかなかに美味かった。
「でしょ? これ、食べてみたくてさ!」
得意そうな顔をした小宮山が「美味しいんじゃないかって思ってたんだよね!」なんつって嬉しそうに笑うのだ。
ふーん。
自分が食べてみたかったやつ、オレにくれたのか。
オレが一緒に食べようって誘うのわかってて?
嫌がられているような、そうでもないような。
小宮山の距離の取り方は絶妙に、微妙。
だからこそ、余計にオレは期待をひっこめられない。
たとえば、この食い方だってその期待の表れだ。
オレはいつも、あらかじめ小宮山の手に山盛りチョコを盛っといて、そこからつまんで食うっていうイヤラシイ食い方をしている。
一番最初はホントに事故だった。でも2回目からはわざと。
やるたびに文句言われるんだけど、なんだかんだ言われながらもなぜか結局許してもらえちゃうからやめられない。
今じゃこの食い方が普通になってる。オレの中では。
しかしオレらふたりきりの時間は、長くは続かない。
たいていジャマが入るからである。
「小宮山あ、オレにもそれちょうだい」
冨永が嬉しそーうに椅子を引きずってよってくる。コイツは顔に似合わず甘党で、チョコ食べてると必ずまざりにくるのだ。
伸びてくる手を素早くはたき落として冨永にひとこと言ってやる。
「だあーーっめ、触んな!! これはオレのチョコ!! 食いたきゃ小宮山じゃなくてオレに頼め」
ややこしい食い方してるせいでわかりづらくなってるけど、チョコの持ち主はオレなのだ。勝手に食わせてやるわけにはいかない。
「あっそ。じゃあ加瀬くん、チョコちょうだい」
「イヤ」
冨永の顔がひきつる。
ごうごうと文句言いながら再び手え伸ばしてくる冨永に舌打ちしつつ、ヤツの手を捕まえて袋からジカにチョコを出してやる。
ある程度の量を盛ってやったのはもちろん自分のテリトリーを守るためだ。
気心知れてる冨永といえども、小宮山の手からは食ってほしくない。
「オイ。ありがとうは?」
「オマエねえ・・」
小宮山の手からまあるいチョコを一粒つまみとり、ポイと口に放り込む様子を冨永にタップリとみせつけておく。
イジリたければイジれ。気のすむまで。
何してくれたって、オレはひとつも構わない。
だってオレはーーー小宮山本人にハッキリ『好き』って言えないだけで、自分の気持ちを隠そうだなんてこれっぽっちも思っていないのだから。
今更コイツになんて思われようが、痛くも痒くもない。
ーーーだけど、小宮山は?
こっそりと彼女の表情を窺ってみて、オレは静かに肩を落とした。
毎回毎回、オレは悲しくなるほどキレイに小宮山にスルーされる。小宮山はオレのこういうところに全く反応しないのだ。
自分で言うのもナンだけど、小宮山へのオレのアピールはすんげえ露骨であからさま。アレでわかんないようじゃあ、わかんねーほうがどーかしてる、ってくらいには。
もしゃもしゃと嚙み砕いたチョコが口の中でやわらかく溶けてゆく。
小宮山の顔を見るのが辛くなり、代わりに目の前の小さな手のひらに視線を落とした。
ーーーってことは、だ。
どう考えたって小宮山のコレはあえてのスルーだ。
それはつまり、彼女にはオレの気持ちに応える気がないってこと。
都合よく色々期待しちゃったりもすんだけど、たぶんオレは小宮山になんとも思われてない。
小さなため息を漏らして顔を上げたら、気の毒そうな顔をしてオレを見ている冨永とバッチリ目が合った。
「・・・」
「・・・」
冨永がなんとなく目をそらしてチョコを食べ始める。
あんなに煩いくせに、こういう時には気を使ってなんも言ってこねーんだから、これはこれで結構こたえる。
オレは小宮山が好きだ。
2年になってすぐ、オレは後ろの席の小宮山に恋をした。