文化祭が終わってからというもの。
あの占いが原因なのか、それとも近藤くんがインハイで優勝してしまったせいなのか、妙に近藤くんとふたりで会う時間が減ってしまった。
「ごめんな、今日も稽古が終わらなくって」
「ううん。仕方ないよ、次の大会あるんでしょう?」
次は地区の新人大会に出場するから、近藤くんだけでなく、剣道部の一年は剣道場に最終下校時刻ギリギリまで稽古を重ねている。
竹刀の激しい音を聞いていたら、「寂しいから部活なんて放っておいて」なんて可愛げないことを言える訳がない。
私がやんわりと頷くと、近藤くんは心底眉を寄せながら、頭を下げてきた。
「本当にごめん……佐久馬、またおかしなことがあったら、俺の都合なんか無視して、ちゃんと言えよ?」
「うん、ありがとう。ちゃんと頼るから」
「本当だからな? 佐久馬は、勝手に自己中毒起こすんだから、絶対に相談しろよ?」
「わかってるってば。近藤くんも、稽古のほうに集中してね? 五体満足じゃないと、次の大会に出られないでしょう?」
「おう……また、スポドリの差し入れ、してくれると嬉しいんだけど」
そのひと言に、少しだけ顔が赤くなる。
また試合を見に行ってもいいって言われたことが嬉しくて、私は近藤くんが剣道場に戻るまで、何度も首を縦に振っていた。
「わかった、また持っていく! 練習、頑張ってね!」
「おう」
手を挙げて戻っていく近藤くんを、私はほんわかとしながら見送った。
やっぱり、近藤くんが好きだなあ……。
そうしみじみ思いながら、私はひとりで家路を急ぐことにした。晩秋になったら、園芸場は休息日になる。鬼瓦先生曰く、春まで園芸場は水やりしたり雑草抜きしたりしないらしい。そうすることで、多年草の根っこを休ませるらしい。
文化祭が終わったら、私はほとんど部活に来なかった先輩たちから、部長の座を譲ってもらった。唯一のアクティブ部員として、ほとんど幽霊部員しかいない園芸部をどうにかして盛り立てないといけないらしいけれど、晩秋からはやることがほぼない。
どうしたもんかなあと思いながら、校門を通ろうとしたとき。
「あ、一年女子。部長になったんだって?」
いきなり声をかけられて、私はぎょっとして振り返ると、冬服にカーディガンを羽織って、挑発的な目でこちらを見てくる先輩の姿があった……瀬利先輩だ。
もう三年生は引退して引継ぎを済ませてしまったはずだし、部長になったら部長会議に出席しないといけなくなるけど、天文部の部長は今回は部員が思いのほか辞めなかった関係で篠山くんではなかったはずだ。
……なんで私が園芸部の部長になったって知っているんだろう。そもそも、なんで私が一年生だってすぐわかるのかな。瀬利先輩は私のこと、全然知らないはずなのに。
「あの、失礼ですがどちらでしょうか?」
とっさに当たり障りのない質問を投げかけてみると、瀬利先輩はケラケラと笑う。屈託なく笑う様は、こちらを試しているようにも思えない。
「ああ、そっか。知んないんだっけ? あたしは瀬利かごめ。文系の三年。この間まで天文部の部長やってたんだけど、引退したんだわ」
「はあ……」
ここまでは私の記憶通りだけど。だから、どうして私のことを知っているの。油断なく瀬利先輩を観察していたら、彼女はしみじみとした口調で言葉を続けた。
「ちょっと顔を貸して欲しくってさあ……いい?」
「いいもなにも……」
今日はちょうどお母さんが休みの日だから、私の食事当番ではないけれど。私は知っているけど瀬利先輩は私のことを知らないはずなのに、なんで瀬利先輩が私に声をかけてきて、あまつさえデートしないといけなくなっているんだろう。
私が困り果てた顔をしているのに気付いたのか、瀬利先輩は人好きのする顔をして笑いかけてきた。
「まあ、赤の他人同士だけど、共通項はあるしさ。近所のファミレスのドリンクバーでも借りてさあ」
「はあ……それなら」
「おっし、決まり決まり。行こう行こう」
そのまま背中を押されてしまった。
ちょっと待って。これ本当にどういう状況なの。私は現状をちっとも飲み込めないまま、瀬利先輩にファミレスまで連れさらわれることとなったのだ。
****
ファミレスのドリンクバーで、ひとまず烏龍茶だけ入れて席に着いたら、メロンソーダを入れた瀬利先輩はそれをのんびりとストローで吸いはじめた。
「うーんと、一年は園芸部の部長、だっけ?」
「あ、はい……あの、天文部の元部長さんが私にいったいなんの用で?」
「まずは、うちの一年の氷室が文化祭のときに失礼したみたいだから、謝罪かな。あの子も占いに傾倒してるのはいいんだけど、人に迷惑かけるなとあれほど言ってるのに、まさか爆弾発言かますとは思ってもいなくってねえ。本当にうちの一年がごめんね」
「え? ああ……」
文化祭のときに私に謎の予言をしていった黒ローブの女の子が頭をよぎり、納得した。あの子もずいぶんと難儀なことをしでかしてくれたものだ。
私はひとまず手をぶんぶんと横に振る。
「いえ、気にしてませんから。私の彼氏も、彼女に対して失礼なことを言ってしまいましたし。私たち、普通に付き合ってますし、別に占いくらいで気まずくなりませんから」
「あ、そっかそっか。一年には彼氏がいるのか。へー、今は?」
「もうすぐ試合なんで、学校に残って稽古中です」
「ああ、そっか。運動部の。格好いいね! まあ、余談はここまでで、本題に入ろうか」
本当に、瀬利先輩は話が右に行ったり左に行ったりして、脈絡がない。しかも私を呼び出した意図が全くわからないと訝しがっていた途端にこれだ。
化粧もしていないにもかかわらず、長い睫毛で目力ばっちりの瀬利先輩が、口角をきゅっと上げる。多分それだけで皆たじろいてしまう。私だって、息を飲む以外にどうすればいいのかわからない。
「あの……?」
「天文部にさ、唯一のアクティブ男子部員の篠山光太郎っているんだけどさ」
「はい……?」
「一年女子に、光太郎を献上したいんだわ」
「…………はあ……?」
私は今、いったいなにを言われたんだ。そう思って、瀬利先輩のセリフを頭の中でリピートさせる。
……てっきり、「光太郎と仲良くするの止めて」とか、「彼氏いるんだったら光太郎に近付くな」とかだったら、「わかりました、今後近付きません」だけで済んだのに。
なんで私が篠山くんをもらう話に発展しているんだろう……?
とりあえず私はぶんぶんぶんと首を振る。
「あの、私。彼氏いますから。いきなりその男子と付き合えと言われても、困ります……?」
「いや、別に彼氏と別れなくってもいいんだよ? ただ光太郎をもらって欲しいだけで」
「なんでですか……! 困りますよ……! 堂々と二股しろと言っているようなもんじゃないですか……!」
「だってさあ、光太郎があたしのためにいろいろやってくれていると思ったら、可哀想になってさあ」
「……はあ」
いったい瀬利先輩はさっきからなにを言おうとしているんだろう。というより、本題に入ってから、私は彼女としゃべっているような気がしない。一方的にまくし立てている瀬利先輩の話を聞いているというのが正しいような気がするんだけど。
私が訝しがっているのをわかっているのかいないのか、瀬利先輩はまたも自分語りをはじめた。
「なんでか知らないけどさ。天文部って問題ある子しかアクティブ部員にならないんだよね。問題ない子は全然来ないし。恵美も彼氏いるせいか全然来ないしね」
「はあ……」
「光太郎は問題ある子たちの話を聞いて、その子たちの悩みを解決してあげているんだけどね、解決してあげたら、どうにもその子たちは光太郎に惚れちゃうんだわ。弱っているところに優しくされるとコロッと行く奴? それになって」
それは前のときにさんざん見た。よくもまあ、ここまで問題起こるなと傍から見ていて、私もそれが原因で諦めようとしていたんだから。
瀬利先輩は続ける。
「それのせいで、天文部はすっごいギスギスしてるの。光太郎がひとりの子を助けてあげたら、ひとり助けられない子ができる。だからその子も助けようとすると、前に助けられた子が拗ねる。問題を解決したら、新しい問題が浮上して、結果として天文部はギスギスしてくる。わかる?」
「あの……その話がどうして私が光太郎くん? その人をもらうことになるのか、全然わからないんですが……」
「ああ、そっか。これだけじゃわからないか。光太郎は、どうにかして全員助けようとしたら、あるアプリに辿り着いたんだわ。それが【悠久の放課後エデン】」
そう言いながら、瀬利先輩はスマホを取り出すと、なにやらアプリを起動させてその表示を見せてくれた。
ゲームみたいなイラストやロゴが表示されたと思ったら、アプリの説明文までスクロールする。
【悠久の放課後エデン
こちらは一定数の悩み、痛み、苦しみを持ったサークルの心を解きほぐし、幸せへと導くものです】
少し読んでみると、それはあまりにもカルトの説明文みたいで、怖くって正気でこんなのを信じているのかわからず、私は思わず鞄から財布を取り出すと、ドリンクバー代を並べていた。
「あの、私はこれで……」
「ああ、ここだけ読んだら本当にカルトだよねえ。じゃあ、続き」
瀬利先輩は私が逃げ出そうとするのを無視して、スマホをスクロールさせると、信じられないものが見えてきた。
【現在の表示サークル:木瀬基高校天文部】
その文字の下で、可愛らしいイラストの女の子たちが次々と表示されはじめたのだ。
一番上にはモデル立ちしている美人。その髪型といい、挑発的な体型といい、明らかに目の前にいる瀬利先輩だ。
他にもツインテールの守ってあげたくなるような雰囲気の女の子、黒ローブのミステリアスな女の子、三つ編みの大人しそうな女の子……どの子もどの子も、明らかに見覚えのあると思ったら、ゲームセンターで見かけた天文部の子たちばかりがここに表示されているのだ。
「な、んですか……これ……」
「そういうアプリなんだよ。記入したサークルの問題を解決するために、サークルメンバーをアプリに登録して、アプリ内で個人個人の問題を解決させる。で、ある一定条件を満たしたら、サークルの問題が全くない世界が完成するんだよ」
「サークルの問題が全くないって……」
「たくさん人数いたら、ひとりふたりどうしても、そもそも問題なんてない子が存在する。そりゃ全員病んでたら、サークルそのものが機能しなくなるからねえ。それこそ、恵美とか一年……いや、由良みたいなね」
それに私は絶句した。
……ちょっと待って。なんで瀬利先輩が私の名前を知っているの。そもそも、これはいったいどういうこと?
突然聞かされたことがちっとも信じられなくって、私は顔を強ばらせたまま、瀬利先輩を見ていた。瀬利先輩はいつもの気怠げな調子で、ちょっと首を傾げてこちらを見るばかりだ。
「全員問題ない世界をつくるには、条件として恵美や由良にも問題を起こしてもらって、それを光太郎が解決する必要がある。恵美の場合は彼氏と別れさせて、その傷付いている恵美を助けることで、条件を満たしたけれど。問題は由良のほうだねえ……由良はなにかあったらすぐに光太郎から離れてしまう。だって由良は光太郎に依存する理由がないからねえ……あたしたちと違って」
「……っ」
「幸せなんだからいいじゃん。その問題ない世界をつくるのに協力してくれてもさ。光太郎も疲労困憊なんだよ。何周も何周も繰り返したからね、そろそろ終わらせてあげたいんだよ。あたしもあいつがずっと思い悩んでいるのはつらいからね」
なにを言っているの。
そう声に出してしまえばそれでおしまいなのに、何故か私は言葉が出なかった。
人が今、普通に幸せに平和に暮らしているのに。皆を助けるために、好きでもない人のところに行けって、そう言ってるの?
瀬利先輩がなにを抱えているのか、私は知らない。
篠山くんが女の子たちを助けるために、なにをやっていたのか、私はちっとも知らない。
ただ。恵美ちゃんを彼氏と別れさせようとしたっていうのを、今はっきりと聞いた。
恵美ちゃんはいい子だし、彼氏さんもいい人だ。誰かを幸せにするために、どうしてふたりが別れないといけないんだ。
私だってそうだ。どうして誰かを幸せにするためにという大義名分の中、不幸にされようとしているんだ。
だんだんと込み上げてきたのは、吐き気じゃない……このよくわからない状況についての憤りとか、怒りだ。
「……ざけないでください」
「ん、なあに?」
「ふざけないでください! どうして私が篠山くんをもらわないといけないんですか!?」
「え、由良。どこ怒るとこあるんだよ?」
「怒るに決まってるじゃないですか!? なんですか、この滅茶苦茶な説明は……!」
私の好きだった人は、私のことが好きじゃなかった。
かつて彼のことを好きだった私の心は砕け散ってしまって、彼女の泣き声すら聞こえなくなってしまった。
全部聞かされた今の私は、怒りに打ち震えている。
誰かを助けるついでに、私は不幸にされた。
皆を助けると言っておきながら、私は泣きながら死んでしまった……あのときのよろしくは「ようやく全員助けられる」というほっとしただけの言葉で、私の心情なんかどうでもよかった、ついでだったというのに、どうして怒らないでいられるのか。
私の激高に、怪訝な視線が投げかけられるけれど、そんなものは全て無視した。
「私は天文部と関係ありません! 好き勝手言うのは止めてください!」
「だって、お前も記憶があるんだろう?」
「知りません! 私の気持ちを勝手に決め付けないでください!」
「えー……今回がラストチャンスなんだよ。あたしたちのために、あいつが疲れるのは、これ以上見たくないんだよ」
またこれだ。
瀬利先輩の言葉に、私はますます苛立ちが募った。
ここに「皆のため」「篠山くんのため」があっても、私の気持ちなんてなにひとつ吟味されちゃいない。私は「皆」には含まれていない。
「私には関係のない話です! 帰ります、お金はここに置いておきますんで!」
「おい、由良……!」
「さようなら! もう二度と会いませんけど!」
我ながら失礼なことを言って、そのまま勢いよくファミレスを飛び出してしまった。
はあ……私は頬を伝う温度で、ようやく自分が泣いていることに気が付いた。
前の私は、あまりにも不毛な恋をしていた。その恋を終わらせるのが嫌で、何度も何度もあがいて、抵抗して、とうとう告白して、こんな仕打ちを受けるなんて。本当に、前の私が可哀想過ぎた。
そして恵美ちゃん。普通に彼氏さんと幸せに過ごしているんだから、皆が幸せになるために不幸にしないといけないとかいう訳のわからないことに巻き込まないでほしい。もう放っておいて欲しい。
私は歩きながら、さっき瀬利先輩の見せてくれたアプリの名前を思い返し、そのアプリの内容について検索をかけはじめた。
公式サイトには、先程瀬利先輩から見せられた宗教じみた説明しか書かれていなかった。このアプリ、普通の人だったら、まずしないんだろうな。だって説明文が怪し過ぎるんだもの。
大型アプリサイトではインストールすることができない。多分、この手のサイトに登録するには、アプリの内容が怪し過ぎるからだろう。
検索を続けてみたら、このアプリのレビューサイトや考察サイトが見つかった。
【ハーレム製造アプリ】
【癒やされる、これのおかげでうちの会社も安泰】
【本当にこれだけ幸せでいいのかって思う】
男性陣から概ね好評なようだけれど、女性陣や一部の男性陣からは非難囂々となっている。
【勝手に人を不幸認識しないで欲しい】
【なんでハーレム要員にされないといけないの。ここ日本だから、一夫多妻制じゃないから】
【私をここから出して】
どうにもこのアプリは、知る人ぞ知るって感じで、表だって有名なアプリではないらしい。そりゃそうか。こんなアプリが表立って宣伝されてしまったら、男対女の戦いがはじまってしまうし、不毛過ぎる。
そしてこのアプリの対処法も出てきた。
【一見対処がないように見えるけれど、このサークルの中に組み込まれた場合、規定数越えてしまったらもうサークルの中に入れられない】
【規定数って?】
【何度も何度も周回させられるの。それにアプリを使っている人間だって、何周もしてたら息切れしちゃうから、相手を疲れさせるか、規定数周回させて、もうこれ以上は周回できませんってロックかけてしまったら、逃げられる】
【でも覚えていないんでしょう?】
【こればっかりは、アプリ使用者が設定をトチるのを待つしかない】
どうにも、私が前のときの記憶を持ち越してしまったのは、完全に篠山くんがミスったことが原因らしい。本当に運とか確率の問題だ。
嘘か本当かわからない内容だけれど、これを全部嘘とか冗談で済ますには気持ち悪いことが多過ぎた。今だって「人の人生をなんだと思っているんだ」と気持ち悪くて仕方ないけど、原因が特定できたら、そこまで得体の知れない恐怖はない。
頑張って逃げよう。なによりも、「これが自分たちのためなんだ」と思い込んでしまっている子たちが可哀想だ。
だって、全員を平等に大事にするなんてこと、たくさんいたらできるわけない。
一夫多妻制が普通の国の人たちだったらともかく、今の日本で、そんなことできる人がいるわけないじゃない。
あの占いが原因なのか、それとも近藤くんがインハイで優勝してしまったせいなのか、妙に近藤くんとふたりで会う時間が減ってしまった。
「ごめんな、今日も稽古が終わらなくって」
「ううん。仕方ないよ、次の大会あるんでしょう?」
次は地区の新人大会に出場するから、近藤くんだけでなく、剣道部の一年は剣道場に最終下校時刻ギリギリまで稽古を重ねている。
竹刀の激しい音を聞いていたら、「寂しいから部活なんて放っておいて」なんて可愛げないことを言える訳がない。
私がやんわりと頷くと、近藤くんは心底眉を寄せながら、頭を下げてきた。
「本当にごめん……佐久馬、またおかしなことがあったら、俺の都合なんか無視して、ちゃんと言えよ?」
「うん、ありがとう。ちゃんと頼るから」
「本当だからな? 佐久馬は、勝手に自己中毒起こすんだから、絶対に相談しろよ?」
「わかってるってば。近藤くんも、稽古のほうに集中してね? 五体満足じゃないと、次の大会に出られないでしょう?」
「おう……また、スポドリの差し入れ、してくれると嬉しいんだけど」
そのひと言に、少しだけ顔が赤くなる。
また試合を見に行ってもいいって言われたことが嬉しくて、私は近藤くんが剣道場に戻るまで、何度も首を縦に振っていた。
「わかった、また持っていく! 練習、頑張ってね!」
「おう」
手を挙げて戻っていく近藤くんを、私はほんわかとしながら見送った。
やっぱり、近藤くんが好きだなあ……。
そうしみじみ思いながら、私はひとりで家路を急ぐことにした。晩秋になったら、園芸場は休息日になる。鬼瓦先生曰く、春まで園芸場は水やりしたり雑草抜きしたりしないらしい。そうすることで、多年草の根っこを休ませるらしい。
文化祭が終わったら、私はほとんど部活に来なかった先輩たちから、部長の座を譲ってもらった。唯一のアクティブ部員として、ほとんど幽霊部員しかいない園芸部をどうにかして盛り立てないといけないらしいけれど、晩秋からはやることがほぼない。
どうしたもんかなあと思いながら、校門を通ろうとしたとき。
「あ、一年女子。部長になったんだって?」
いきなり声をかけられて、私はぎょっとして振り返ると、冬服にカーディガンを羽織って、挑発的な目でこちらを見てくる先輩の姿があった……瀬利先輩だ。
もう三年生は引退して引継ぎを済ませてしまったはずだし、部長になったら部長会議に出席しないといけなくなるけど、天文部の部長は今回は部員が思いのほか辞めなかった関係で篠山くんではなかったはずだ。
……なんで私が園芸部の部長になったって知っているんだろう。そもそも、なんで私が一年生だってすぐわかるのかな。瀬利先輩は私のこと、全然知らないはずなのに。
「あの、失礼ですがどちらでしょうか?」
とっさに当たり障りのない質問を投げかけてみると、瀬利先輩はケラケラと笑う。屈託なく笑う様は、こちらを試しているようにも思えない。
「ああ、そっか。知んないんだっけ? あたしは瀬利かごめ。文系の三年。この間まで天文部の部長やってたんだけど、引退したんだわ」
「はあ……」
ここまでは私の記憶通りだけど。だから、どうして私のことを知っているの。油断なく瀬利先輩を観察していたら、彼女はしみじみとした口調で言葉を続けた。
「ちょっと顔を貸して欲しくってさあ……いい?」
「いいもなにも……」
今日はちょうどお母さんが休みの日だから、私の食事当番ではないけれど。私は知っているけど瀬利先輩は私のことを知らないはずなのに、なんで瀬利先輩が私に声をかけてきて、あまつさえデートしないといけなくなっているんだろう。
私が困り果てた顔をしているのに気付いたのか、瀬利先輩は人好きのする顔をして笑いかけてきた。
「まあ、赤の他人同士だけど、共通項はあるしさ。近所のファミレスのドリンクバーでも借りてさあ」
「はあ……それなら」
「おっし、決まり決まり。行こう行こう」
そのまま背中を押されてしまった。
ちょっと待って。これ本当にどういう状況なの。私は現状をちっとも飲み込めないまま、瀬利先輩にファミレスまで連れさらわれることとなったのだ。
****
ファミレスのドリンクバーで、ひとまず烏龍茶だけ入れて席に着いたら、メロンソーダを入れた瀬利先輩はそれをのんびりとストローで吸いはじめた。
「うーんと、一年は園芸部の部長、だっけ?」
「あ、はい……あの、天文部の元部長さんが私にいったいなんの用で?」
「まずは、うちの一年の氷室が文化祭のときに失礼したみたいだから、謝罪かな。あの子も占いに傾倒してるのはいいんだけど、人に迷惑かけるなとあれほど言ってるのに、まさか爆弾発言かますとは思ってもいなくってねえ。本当にうちの一年がごめんね」
「え? ああ……」
文化祭のときに私に謎の予言をしていった黒ローブの女の子が頭をよぎり、納得した。あの子もずいぶんと難儀なことをしでかしてくれたものだ。
私はひとまず手をぶんぶんと横に振る。
「いえ、気にしてませんから。私の彼氏も、彼女に対して失礼なことを言ってしまいましたし。私たち、普通に付き合ってますし、別に占いくらいで気まずくなりませんから」
「あ、そっかそっか。一年には彼氏がいるのか。へー、今は?」
「もうすぐ試合なんで、学校に残って稽古中です」
「ああ、そっか。運動部の。格好いいね! まあ、余談はここまでで、本題に入ろうか」
本当に、瀬利先輩は話が右に行ったり左に行ったりして、脈絡がない。しかも私を呼び出した意図が全くわからないと訝しがっていた途端にこれだ。
化粧もしていないにもかかわらず、長い睫毛で目力ばっちりの瀬利先輩が、口角をきゅっと上げる。多分それだけで皆たじろいてしまう。私だって、息を飲む以外にどうすればいいのかわからない。
「あの……?」
「天文部にさ、唯一のアクティブ男子部員の篠山光太郎っているんだけどさ」
「はい……?」
「一年女子に、光太郎を献上したいんだわ」
「…………はあ……?」
私は今、いったいなにを言われたんだ。そう思って、瀬利先輩のセリフを頭の中でリピートさせる。
……てっきり、「光太郎と仲良くするの止めて」とか、「彼氏いるんだったら光太郎に近付くな」とかだったら、「わかりました、今後近付きません」だけで済んだのに。
なんで私が篠山くんをもらう話に発展しているんだろう……?
とりあえず私はぶんぶんぶんと首を振る。
「あの、私。彼氏いますから。いきなりその男子と付き合えと言われても、困ります……?」
「いや、別に彼氏と別れなくってもいいんだよ? ただ光太郎をもらって欲しいだけで」
「なんでですか……! 困りますよ……! 堂々と二股しろと言っているようなもんじゃないですか……!」
「だってさあ、光太郎があたしのためにいろいろやってくれていると思ったら、可哀想になってさあ」
「……はあ」
いったい瀬利先輩はさっきからなにを言おうとしているんだろう。というより、本題に入ってから、私は彼女としゃべっているような気がしない。一方的にまくし立てている瀬利先輩の話を聞いているというのが正しいような気がするんだけど。
私が訝しがっているのをわかっているのかいないのか、瀬利先輩はまたも自分語りをはじめた。
「なんでか知らないけどさ。天文部って問題ある子しかアクティブ部員にならないんだよね。問題ない子は全然来ないし。恵美も彼氏いるせいか全然来ないしね」
「はあ……」
「光太郎は問題ある子たちの話を聞いて、その子たちの悩みを解決してあげているんだけどね、解決してあげたら、どうにもその子たちは光太郎に惚れちゃうんだわ。弱っているところに優しくされるとコロッと行く奴? それになって」
それは前のときにさんざん見た。よくもまあ、ここまで問題起こるなと傍から見ていて、私もそれが原因で諦めようとしていたんだから。
瀬利先輩は続ける。
「それのせいで、天文部はすっごいギスギスしてるの。光太郎がひとりの子を助けてあげたら、ひとり助けられない子ができる。だからその子も助けようとすると、前に助けられた子が拗ねる。問題を解決したら、新しい問題が浮上して、結果として天文部はギスギスしてくる。わかる?」
「あの……その話がどうして私が光太郎くん? その人をもらうことになるのか、全然わからないんですが……」
「ああ、そっか。これだけじゃわからないか。光太郎は、どうにかして全員助けようとしたら、あるアプリに辿り着いたんだわ。それが【悠久の放課後エデン】」
そう言いながら、瀬利先輩はスマホを取り出すと、なにやらアプリを起動させてその表示を見せてくれた。
ゲームみたいなイラストやロゴが表示されたと思ったら、アプリの説明文までスクロールする。
【悠久の放課後エデン
こちらは一定数の悩み、痛み、苦しみを持ったサークルの心を解きほぐし、幸せへと導くものです】
少し読んでみると、それはあまりにもカルトの説明文みたいで、怖くって正気でこんなのを信じているのかわからず、私は思わず鞄から財布を取り出すと、ドリンクバー代を並べていた。
「あの、私はこれで……」
「ああ、ここだけ読んだら本当にカルトだよねえ。じゃあ、続き」
瀬利先輩は私が逃げ出そうとするのを無視して、スマホをスクロールさせると、信じられないものが見えてきた。
【現在の表示サークル:木瀬基高校天文部】
その文字の下で、可愛らしいイラストの女の子たちが次々と表示されはじめたのだ。
一番上にはモデル立ちしている美人。その髪型といい、挑発的な体型といい、明らかに目の前にいる瀬利先輩だ。
他にもツインテールの守ってあげたくなるような雰囲気の女の子、黒ローブのミステリアスな女の子、三つ編みの大人しそうな女の子……どの子もどの子も、明らかに見覚えのあると思ったら、ゲームセンターで見かけた天文部の子たちばかりがここに表示されているのだ。
「な、んですか……これ……」
「そういうアプリなんだよ。記入したサークルの問題を解決するために、サークルメンバーをアプリに登録して、アプリ内で個人個人の問題を解決させる。で、ある一定条件を満たしたら、サークルの問題が全くない世界が完成するんだよ」
「サークルの問題が全くないって……」
「たくさん人数いたら、ひとりふたりどうしても、そもそも問題なんてない子が存在する。そりゃ全員病んでたら、サークルそのものが機能しなくなるからねえ。それこそ、恵美とか一年……いや、由良みたいなね」
それに私は絶句した。
……ちょっと待って。なんで瀬利先輩が私の名前を知っているの。そもそも、これはいったいどういうこと?
突然聞かされたことがちっとも信じられなくって、私は顔を強ばらせたまま、瀬利先輩を見ていた。瀬利先輩はいつもの気怠げな調子で、ちょっと首を傾げてこちらを見るばかりだ。
「全員問題ない世界をつくるには、条件として恵美や由良にも問題を起こしてもらって、それを光太郎が解決する必要がある。恵美の場合は彼氏と別れさせて、その傷付いている恵美を助けることで、条件を満たしたけれど。問題は由良のほうだねえ……由良はなにかあったらすぐに光太郎から離れてしまう。だって由良は光太郎に依存する理由がないからねえ……あたしたちと違って」
「……っ」
「幸せなんだからいいじゃん。その問題ない世界をつくるのに協力してくれてもさ。光太郎も疲労困憊なんだよ。何周も何周も繰り返したからね、そろそろ終わらせてあげたいんだよ。あたしもあいつがずっと思い悩んでいるのはつらいからね」
なにを言っているの。
そう声に出してしまえばそれでおしまいなのに、何故か私は言葉が出なかった。
人が今、普通に幸せに平和に暮らしているのに。皆を助けるために、好きでもない人のところに行けって、そう言ってるの?
瀬利先輩がなにを抱えているのか、私は知らない。
篠山くんが女の子たちを助けるために、なにをやっていたのか、私はちっとも知らない。
ただ。恵美ちゃんを彼氏と別れさせようとしたっていうのを、今はっきりと聞いた。
恵美ちゃんはいい子だし、彼氏さんもいい人だ。誰かを幸せにするために、どうしてふたりが別れないといけないんだ。
私だってそうだ。どうして誰かを幸せにするためにという大義名分の中、不幸にされようとしているんだ。
だんだんと込み上げてきたのは、吐き気じゃない……このよくわからない状況についての憤りとか、怒りだ。
「……ざけないでください」
「ん、なあに?」
「ふざけないでください! どうして私が篠山くんをもらわないといけないんですか!?」
「え、由良。どこ怒るとこあるんだよ?」
「怒るに決まってるじゃないですか!? なんですか、この滅茶苦茶な説明は……!」
私の好きだった人は、私のことが好きじゃなかった。
かつて彼のことを好きだった私の心は砕け散ってしまって、彼女の泣き声すら聞こえなくなってしまった。
全部聞かされた今の私は、怒りに打ち震えている。
誰かを助けるついでに、私は不幸にされた。
皆を助けると言っておきながら、私は泣きながら死んでしまった……あのときのよろしくは「ようやく全員助けられる」というほっとしただけの言葉で、私の心情なんかどうでもよかった、ついでだったというのに、どうして怒らないでいられるのか。
私の激高に、怪訝な視線が投げかけられるけれど、そんなものは全て無視した。
「私は天文部と関係ありません! 好き勝手言うのは止めてください!」
「だって、お前も記憶があるんだろう?」
「知りません! 私の気持ちを勝手に決め付けないでください!」
「えー……今回がラストチャンスなんだよ。あたしたちのために、あいつが疲れるのは、これ以上見たくないんだよ」
またこれだ。
瀬利先輩の言葉に、私はますます苛立ちが募った。
ここに「皆のため」「篠山くんのため」があっても、私の気持ちなんてなにひとつ吟味されちゃいない。私は「皆」には含まれていない。
「私には関係のない話です! 帰ります、お金はここに置いておきますんで!」
「おい、由良……!」
「さようなら! もう二度と会いませんけど!」
我ながら失礼なことを言って、そのまま勢いよくファミレスを飛び出してしまった。
はあ……私は頬を伝う温度で、ようやく自分が泣いていることに気が付いた。
前の私は、あまりにも不毛な恋をしていた。その恋を終わらせるのが嫌で、何度も何度もあがいて、抵抗して、とうとう告白して、こんな仕打ちを受けるなんて。本当に、前の私が可哀想過ぎた。
そして恵美ちゃん。普通に彼氏さんと幸せに過ごしているんだから、皆が幸せになるために不幸にしないといけないとかいう訳のわからないことに巻き込まないでほしい。もう放っておいて欲しい。
私は歩きながら、さっき瀬利先輩の見せてくれたアプリの名前を思い返し、そのアプリの内容について検索をかけはじめた。
公式サイトには、先程瀬利先輩から見せられた宗教じみた説明しか書かれていなかった。このアプリ、普通の人だったら、まずしないんだろうな。だって説明文が怪し過ぎるんだもの。
大型アプリサイトではインストールすることができない。多分、この手のサイトに登録するには、アプリの内容が怪し過ぎるからだろう。
検索を続けてみたら、このアプリのレビューサイトや考察サイトが見つかった。
【ハーレム製造アプリ】
【癒やされる、これのおかげでうちの会社も安泰】
【本当にこれだけ幸せでいいのかって思う】
男性陣から概ね好評なようだけれど、女性陣や一部の男性陣からは非難囂々となっている。
【勝手に人を不幸認識しないで欲しい】
【なんでハーレム要員にされないといけないの。ここ日本だから、一夫多妻制じゃないから】
【私をここから出して】
どうにもこのアプリは、知る人ぞ知るって感じで、表だって有名なアプリではないらしい。そりゃそうか。こんなアプリが表立って宣伝されてしまったら、男対女の戦いがはじまってしまうし、不毛過ぎる。
そしてこのアプリの対処法も出てきた。
【一見対処がないように見えるけれど、このサークルの中に組み込まれた場合、規定数越えてしまったらもうサークルの中に入れられない】
【規定数って?】
【何度も何度も周回させられるの。それにアプリを使っている人間だって、何周もしてたら息切れしちゃうから、相手を疲れさせるか、規定数周回させて、もうこれ以上は周回できませんってロックかけてしまったら、逃げられる】
【でも覚えていないんでしょう?】
【こればっかりは、アプリ使用者が設定をトチるのを待つしかない】
どうにも、私が前のときの記憶を持ち越してしまったのは、完全に篠山くんがミスったことが原因らしい。本当に運とか確率の問題だ。
嘘か本当かわからない内容だけれど、これを全部嘘とか冗談で済ますには気持ち悪いことが多過ぎた。今だって「人の人生をなんだと思っているんだ」と気持ち悪くて仕方ないけど、原因が特定できたら、そこまで得体の知れない恐怖はない。
頑張って逃げよう。なによりも、「これが自分たちのためなんだ」と思い込んでしまっている子たちが可哀想だ。
だって、全員を平等に大事にするなんてこと、たくさんいたらできるわけない。
一夫多妻制が普通の国の人たちだったらともかく、今の日本で、そんなことできる人がいるわけないじゃない。