秋になったら、日が落ちるのも早くなってきた。
 一生懸命準備をしていたら、あっという間に空は赤くなってしまっていた。
 私は近藤くんの自転車に荷物を入れてもらって、いつものように一緒に帰っていた。

「もうちょっとで文化祭だね。見たい展示とか、演目とかある? 演劇部の舞台はちょっとだけ見てみたいなあと思ってるけど」
「あー、有名な恋愛小説の舞台化、だっけ? ああいうの佐久馬も興味あんの?」
「恋愛小説だから興味あるとかじゃなくって、単純に聞いたことある話がどんな風な絵になるんだろうと思って」
「ふうん。まあ当日の当番だって、お前しかまともに部に出てないからって、お前がずっと展示の見張りをする訳じゃねえし、見たいもんあるんだったら、事前に言っとけよ。剣道部のほうにも口利きしとくから」
「ありがとう」

 ふたりでしゃべりながら歩いているとき。ふいに自転車を押していた近藤くんが、キィーと音を鳴らした。

「なあ、佐久馬」
「なに?」
「お前また、なんか隠してねえか?」

 それに、私がギクリとする。
 私はそこまで顔に嘘が出るタイプじゃないと思うし、近藤くんはそこまで察する力があるとは思わないけど。いつだって彼は、私の隠し事を暴いてしまう。
 でもどうしよう。私は篠山くんのことをどうやって話せばいいのかわからない。
 私には死ぬ前の記憶があって、そのときに死んだ経緯に彼がかかわっている……それだけでも既に話がファンタジー過ぎて言いづらいって言うのに、私が死んだ経緯が失恋だなんて。もう私は篠山くんのことをなんとも思ってないのに、彼のことを忘れられないイコールまだ気があると思われたくない。
 近藤くんは私をじーっと見るのに、私は目を伏せる。

「……あのね、これだけは信じてね。私、近藤くんが好きです」
「お、おう?」

 それにどっと首まで顔を赤くさせるのは、相変わらずの近藤くんだ。
 そんな彼をしみじみと好きだなあと思いながら、私は言葉を探す。
 誤解なんてされたくない。させたくない。近藤くんに、かつての私みたいな「好きって気持ちをいいように使われた」思いなんて、させたくない。

「前にちょっとだけ話した、手ひどい失恋した相手と、ちょっとだけ顔を合わせちゃったから。前みたいに、その人のことを考えただけで吐き気が止まらないってことはなくなったんだよ。それは本当。でもその人は私が失恋したのをわかってないみたいで、昔みたいに接してくるから、怖くなって逃げ出したっていう、それだけ」

 口にしてみれば、本当に篠山くんのどこが好きだったのか、前の自分が信じられなくなってくる。
 だって、口にしてみればしてみるほど、私のことがどうでもよかったから、目の前で死んだ女子に無神経に距離を詰めるんだよなあと思う。普通だったら気まずくなって距離を取る場面で、友達や知り合いとは言いづらいほどに距離を詰めてきたら、普通に怖いし傷付く。
 でもそのたびに、前の自分が悲鳴を上げるのもわかる。
 自分の初恋を無残に踏み荒らさないでと、前の自分が泣いているように思えるから。
 前の私と今の私は、完全に分離してしまったんだなと、前の私のことを他人事のように眺めていないと、今の私にはつら過ぎる。
 そう思ってシュン。となっていたとき、近藤くんが「ふん」と鼻息を立てた。

「なんだそれ。そいつうちの学校の奴……あのゲーセンでいた奴だったのか?」
「えっと……うん。会わないでいようと思ったらまず会わないから、あんまり心配しないでいいよ?」
「でも会って気分悪くなってんだろう? なんかそいつに、変なこと言われたりされたりしてないか?」

 そう言って私を心配そうに見てきたのに、首をぶんぶんと振る。名前だって教えてないんだから、下手に近付かない限り、大丈夫だとは思う……うん。

「大丈夫。心配かけてごめん」
「まあ、佐久馬は勝手にひとりで抱え込んで自己中毒起こしてるから、言ってくれたのはよかった」
「私、そこまで自己中毒起こしてた……!?」
「無自覚ってマジで質悪いなあ……普通、トラウマになってる相手に会ったからって、吐きそうなくらいに顔面蒼白になったりしないからな!? ほんっとうになんもないならいいけど、体壊すくらいに気分悪くなってんのに、そいつに絶対一対一で会おうなんてすんなよ」
「……うん」

 近藤くんに無意味に心配かけてしまったけれど……本当になにもないと信じてもらえてよかった。
 でも……どうすればいいんだろう。
 会わないで、このまんま距離を開けて他人のままでいてっていうのが、私の要望だけれど。篠山くんは私にコンタクトを取りたがっているように思える。
 無視してるのが、一番だよね。きっと。でも……。
 ずっと存在自体は気付いていても、無視し続けたのが原因なんじゃ、と思っている。恵美ちゃんと彼氏さんに降りかかった災難は、本来篠山くんはどんなに女子との距離感を間違えているとはいっても、それは部室内、身内内での話。それ以外の人たちに誤解させるような真似はしないはずだし、あれはわざと誤解させて波風を立てたような気がしてならない。
 私をおびき寄せる、ただそれだけのために恵美ちゃんが傷付けられたんだったら、もう見て見ぬふりはできない。少ししゃべっただけの篠山くんがなにを考えているのかは、こっちも完璧に把握しきれているなんておこがましいことは思えないけど。
 私がただ会わないだけ、ただ近藤くんと平穏にお付き合いを続けたいだけで、それ以上の要望はない。でも……。
 もし篠山くんが恵美ちゃんにやったみたいに、私の大事な人たちを傷つけるようなことをするようだったら、私はどうすればいいんだろう。それとも私の考えの飛躍し過ぎ、近藤くんの言う通りにただ自己中毒起こしているだけだったらいいんだけど……。
 二学期に入ってから続いている、変な胸騒ぎが治まってくれることを、今の私は祈ることしかできなかった。

****

 私が胸騒ぎを覚えている中、とうとう文化祭がはじまった。
 園芸部には他の部の展示の見物のついで、演劇部や合唱部の演目がはじまる前の暇つぶしにやってくる人が多いから、配布の種さえ受け取ったらさっさと出て行く人も多く、展示の見張り番の役目もそこまで難しくはない。
 私と近藤くんがふたりで種を配っている中、剣道部の男子が「交替だぞー、早く嫁さんとデート行ってこい行ってこい」と科学室を追い出されるのに、私たちは顔を見合わせた。

「あー……うちの連中がごめん」
「ううん。あ、近藤くんは見たい演目とか展示とかある? 私は演劇部の演目が見れたらいいなと思ってるけど、近藤くんが行ってみたいところがあるんだったらそっち優先するし」
「んー……そうだなあ。じゃあ屋台見てきたい。佐久馬は食べたいもんある?」
「じゃあたこ焼き! 大阪出身の先輩たちが食材から厳選したって言ってたから、どんなんか食べたい」
「マジか。じゃあ行くか?」
「うん」

 ふたりでそんなやり取りをしながら、人が多い中手を繋いで歩きはじめる。
 これだけ人が多かったら、手を繋いでもいちいちからかってくる人たちがいないから楽だ。私たちはふたりで旧校舎を出て、校庭のほうに並んでいる屋台の並びに出て行った。
 ほとんどは展示するような成果や見せるような演目のない文化部や、卒業までの思い出づくりに立候補した三年生たちによる出店で、たこ焼きやお好み焼き、焼きそばなんかのわかりやすいものから、トルコアイスや綿菓子、飴細工なんかの見て楽しむようなものまで、結構皆が思い思いの出店をしているのが目に入る。
 私たちは三年生のたこ焼き屋でたこ焼きを買うと、それをベンチスペースで食べていた。

「すげえ、結構本格的なんだな。もっとガリッとしたもの想像してた」
「そうだよねえ、大阪だと八割くらいは自宅でたこ焼きつくれるから、下手な味出したら怒られるんだって」
「マジか。え、たこ焼き焼く型って、普通に売ってるもんなの?」
「たこ焼きマシーンが普通に家にあるって聞いたことあるけど」
「マジかあ……」

 思っている以上においしかったたこ焼きを、ふたりではふはふしながら食べていたところで、女の子たちが甲高い声を上げているのが耳に入る。

「ねえ、今回の天文部やばいらしいよ!」
「え? うちの天文部なんてあったっけ?」
「あったんだって」

 それに私はギクリとして、たこ焼きを刺していた爪楊枝をポキンと折ってしまう。

「おい、佐久馬。大丈夫か?」
「……うん、大丈夫。どうしよう。手づかみで食べるのは熱いし、爪楊枝か割り箸かもらえるか交渉して……」
「もう俺食べ終わったから、俺の使えよ」
「えっ……」
「そこ照れるところかよ」

 私が顔を火照らせているのを無視して、近藤くんが自分の使っていた爪楊枝を私のたこ焼きに刺してくれる中でも、女の子たちの甲高い声が続く。

「うん、天文部。今年は占い小屋やっているんだってさ。その占いがびっくりするほど当たるの!」
「えー……今時コールドリーディングとかあるじゃん。占いイコール統計学とも」
「それは夢がなさ過ぎだよ。もっと『ラッキーアイテムが赤!』みたいな雑誌の巻末占いみたいなのを想像してたんだけどさあ、何月何日にこんな出来事が、みたいなのがピタッと当たったんだよねえ。最初は物見遊山だった子たちも、だんだん鵜呑みにして、今は長蛇の列だよぉ」
「へえ、それだったらちょっとは興味あるかな」

 ……ええ? 私はその内容に耳を疑った。だって占いなんて出展、私が知っている限りやったことはない。……前のときとは勝手が違うとは言っても、ここまで根本が違うなんて初めてだ。
 まるでなにがなんでも私を誘き寄せたいみたいな感じで、すごく怖い。私は急いでたこ焼きを食べ終えてしまうと、近藤くんに「ちょっとアプリ触ってもいい?」と聞くと、当然ながら怪訝な顔をされてしまった。

「そりゃ別にいいけど。なに、他の奴と予定入ってた? なら俺は園芸部の展示の当番に戻ってるけど」
「ううん、確認だけしておきたいから。それ終わったら演劇部のほうに行こう」

 私はそう言って、急いで恵美ちゃんにアプリのメッセを送った。

【天文部、ずいぶん噂になってるね。占い屋さんやるってはじめて聞いたよ】

 恵美ちゃんは彼氏と仲直りしてからは、天文部の幽霊部員に戻ってしまい、今日の文化祭も彼氏さんと回っているはずだけど。天文部の出展内容知ってたのかな。そう思っていたら、すぐに恵美ちゃんから返信が来た。

【ああ、言ってなかったっけ? 辞めたって思ってた部活の子が、篠山にやりたいって言って星占いするとか言い出したんだよ。子供だましみたいな展示だからそんなに人来ないだろうって踏んでたけど、ずいぶん混雑してるから人員整理のために狩り出されてんの。彼氏に謝って当番交替までデートできません。ぐすん】

 その内容に、私はますます呆気に取られた。
 ……たしかに、私はほとんどしゃべったことのない子だったけど、占い好きな子は天文部にいたと思う。でもその子は、篠山くんと瀬利先輩の仲が噂されるようになってから部活を辞めてしまってたと思ってたけど、今回は辞めてない……?
 なんでだろう。なにが起こってるんだろう。ますます気になったけれど、同時にますます得体が知れなくなってしまった天文部に近付きたくなくなってしまった。
 私がスマホをスカートに突っ込んだとき、ふいにふにっと眉間をつねられ、思わず顔を上げたら近藤くんがこちらを見下ろしていた。

「どした? また変なことでも考え込んでたか?」
「……ううん、なんでもない」
「お前、そう言ってまたひとりで悩むのやめとけよ? 本当にヤバいって思ったらちゃんと言えよ」
「うん。ありがとう……あ、演劇部。もうそろそろ体育館に入らないといい席取れないかも」
「マジか。そんなに人気ある話なのか?」
「そこそこじゃないかな」

 私はそう言いながら、ふたりでまた手を繋いで演劇部の演目へと急いで行った。
 なにが起こっているのかわからないし、得体が知れな過ぎて怖い。篠山くんがなにをしたいのかわからなくって、私はますます怖くなっている中。
 ふいに辺りがざわついていることに気が付いた。
 なんだろうと思って声のほうに視線を移してみると、そこには黒ローブを被った女の子が歩いているのが見えた。まるで演劇部みたいだけれど、今回の演目が現代劇だったから、こんなあからさまにファンタジーな格好の人はいないはず。……そうだ、まるでわかりやすい占い師の格好なんだ。
 その子は私と近藤くんの近くでピタッと足を止めて、私を指差してきた。

「悪いことは言わない。あなたは運命の相手を間違えている」
「はい?」

 聞き覚えのある甲高い声が、あまりにも失礼なことを言うのに、私はイラッとした。でも、この声をどこで聞いたのか思い出せないと私が考え込んでいたところで、近藤くんが努めて冷静な声で、その子に声を上げた。

「……お前、人の彼女になに失礼なこと言ってんだよ」
「運命は決まっているの。少なくともあなたじゃない」
「あのなあ。そもそもその運命決めてるのは誰だよ。人が運命をとやかく言ってんじゃねえよ」
「運命を決めているのは私じゃない。星がなんでも教えてくれるの」
「……俺は無宗教だから知んねえ」

 噛み合わない会話に、近藤くんがだんだんと声がイラついている中、私はようやくその声の主に当たりを付けた。
 そうだ。ゲームセンターにもいた……天文部の占い好きの子だ。
 前のときは辞めたのに、今回は篠山くんの噂を聞いても辞めなかったんだ……。
 彼女は近藤くんとしゃべっても埒があかないと判断したのか、彼をスルーして私のほうに視線を向けてきた。

「あなたの運命の相手は別にいる。そちらに行かなかったら、いずれ災いがあなたに降り注ぐ」

 そうきっぱりとした口調で言うと、そのまんまマントを翻して、そのまま元来た道を立ち去ってしまった。
 それに周りがざわついている。

「すげえな天文部。過激な演説して」
「占い当たるって言ってたけど、お芝居までやって客寄せしてんだねえ」

 皆は概ね、天文部の占いの宣伝芝居なんだろうくらいに捉えているみたいだけれど。私は彼女が言っていることの意味を考え込んでしまった。

「おい、佐久馬。いい加減なこと言ってるだけだから、マジで鵜呑みにすんなの?」
「うん……大丈夫」

 私はカタカタと震えていた。
 篠山くんがなにを考えているのかわからない。なにがなんでも私を連れてきたいみたいだけれど、はっきり言ってますます行きたくない。
 私の気持ちをまるで無視するのに、ますます前の自分が悲鳴を上げる。

 私の恋心を殺さないで。
 私が好きだった人を殺さないで。
 私の好きだった人は、いったいどこに行ってしまったの。

 ……今の私もだけれど、前の私も、今の篠山くんを好きになることは、絶対にないのに。