文化祭の準備期間がはじまった。
 授業を受けているのはもっぱら体育会系の部や出展のない部に限られ、出展する部やクラスはたちまち人がいなくなって閑散としてくる。
 私も唯一のアクティブ園芸部員として、鬼瓦先生が連れてきてくれた剣道部の助っ人と一緒に園芸部の出展の準備をしていた。アクティブじゃない先輩たちはもうすぐ引退してしまうらしいし、私はもうちょっとしたら部員確保のために奔走しないといけないのかもしれないと、それだけは頭が痛い。
 暗幕を貼り、その上に両面テープでぺたぺたと写真を貼る。今年の春先から秋までの園芸場の様子だ。そのうちの一点は、この前に園芸場の畑で芋掘りをした光景だ。掘った芋は、剣道部のいらない竹刀をくべて、焼き芋にして食べた。

「高いとこは俺らが貼るから、お前は出展用の植木鉢と配布の種の準備しとけ」
「うん。ありがとう」

 鬼瓦先生と顧問が撮ってくれた写真の中から、いかにも園芸部っぽいという写真を選んで近藤くんたちに貼ってもらい、私は言われたとおりに園芸場で水まきして咲かせた花の植木鉢を並べ、配布の種を育て方のガイドと一緒に百均で買ってきた袋に詰めていた。
 普段はいかにも科学室っぽい教室も、暗幕と植木鉢のおかげで、なんとなく園芸部っぽく見えてきた……もっとも、普段から本当に園芸部っていったいという活動しかしてないから、園芸部っぽいってニュアンスも謎なんだけれど。
 私はそうこうしていると、手伝ってくれている剣道部員が「あっ、やべえ」と悲鳴を上げた。

「どうかしましたか?」

 手伝ってもらっている手前、園芸部のほうで実行委員への発注をミスっているんだったら私が走らないといけない。私が恐る恐る聞くと、剣道部員が「いやあ」と両面テープの芯を見せてくれる。

「もう両面テープないんだけど、新しいのある?」
「ええっと……」

 普段科学室の一部の引き出しは園芸部の備品を入れさせてもらっている。私はそこを開けて備品を漁ってみるけど、もう両面テープはないみたい。
 私はぶんぶんと首を振りながら、財布を取る。

「ごめんなさい、もうないみたいなんで、すぐ買いに走ってきます。他に必要な備品ありますか?」
「ええっと、ガムテープももうそろそろ切れそう。近藤、嫁さんが買い出し行ってくれるって、欲しいもんある?」

 嫁さん……剣道部員からは、私と近藤くんの仲は生暖かく見守られている。あからさまにからかってくる感じじゃなく、こういうときどき揶揄ってくる程度だから、嫌がられてはいないんだと思う。うん。
 私が勝手に照れている間に、近藤くんも顔をどっと火照らせて「うちのんからかわんでくださいっ!」と言って、一瞬教室を沸かせたあと、ちらっと私が作業していた机を見た。
 種を袋に入れる際に、種がこぼれないようにと仮止めノリで留めていたけれど、それがもうすぐなくなりそうなのに気が付いたらしい。

「佐久馬、ノリも切れそうだけど。あんまり重かったら俺もついてくけど、ひとりでいけるか?」
「うーんと、テープにガムテにノリ……大丈夫だと思う! それじゃ、すぐ買ってくるから!」
「気をつけてな」

 そう言われて皆に送られ、私も走って購買部へと急ぐ。ついでに自販機で飲み物でも買っていこうか。剣道部の皆がなにを好きか、聞いておけばよかったなあと後悔しつつ、走っていると。
 天文部のほうの準備に目が留まりそうになり、私は慌てて目を逸らした。
 ……今度、一度篠山くんと話をしようとは思っていたけど、私の思い込みかもしれないし、先走ってはいけない。あっちが本当に前の記憶があるのかどうか、確認してからじゃないと、私がただの危ない人になってしまう。
 私はそう自分に言い聞かせて、そのまま階段を降りようとしたとき。
 廊下に足下に丸いものが転がってきたことに気付いて、思わず立ち止まる。
 それは、いつか園芸場で見たのと同じ。天文部の展示用オブジェだ……さすがにこれは、見て見ぬふりをしたらまずいんじゃないかな。ただでさえ天文部の展示はプラネタリウムくらいしかないいい加減なもので、プラネタリウムをしてないときは、オブジェ頼みの情けない展示なのだから。せめてオブジェが揃ってなかったら格好がつかない。
 私はそう自分に言い訳して、ひょいと拾い上げた。オレンジ色のそれは、多分火星のオブジェだ。
 少しだけ息を吸って吐いて、私は声をかけた。

「すみませーん、これ、転がってきたんですけどー」
「ああ、ありがとう。あれ、君って」

 出てきたのは案の定、篠山くんだった。ジャージ姿の彼を見たのは、恐らく私が死んだときの合宿以来だろう。
 ひょいとオレンジ色のオブジェを差し出すと「うわ、本当ありがとう、助かった!」と声を上げる篠山くんを、私はじっと観察する。
 あまりにも普通で、これだけだったら、前のときの記憶があるのかどうかわからない。でもこれ以上観察していても不自然だから、私もそろそろ買い出しに行かないと。

「それじゃ、私も購買部行かないといけないんで」
「えっ、君も購買部行くの? 俺も用事あるんだけど」
「はあ……なら、ついでに買ってきましょうか?」
「いいよ、どうせ領収書書いてもらわないとだから。それじゃ、俺ちょっと購買部行ってくるから」

 他の部員にそう声をかけると、篠山くんは私と一緒に天文部を後にした。私は去り際に天文部の展示準備の様子をちらっと見る。
「行ってらっしゃーい」と手を振っている子たちには皆、見覚えがあった。ゲームセンターにも一緒に来ていたはずの子たちだ。恵美ちゃんもたしか部の展示の手伝いするって言ってたけど、いないってことは実行委員会のほうに回ったんだろうか。
 なにがどう違うのかわからないけど、前のときは篠山くんが瀬利先輩との噂が流れたときに辞めちゃった子たちが、皆辞めなかったんだ……。私はそれに困惑しながら、篠山くんと付かず離れずの距離を保って、一緒に階段を降りていった。

****

 購買部は案の定というべきか、大混雑に見舞われていた。
 文字通り商品が飛ぶように売れ、押し合いへし合いの揉み合いでなかなかレジまで進めない。

「えっと、木下の友達だよね。なに買うの? レシート別にして買ってこようか?」
「大丈夫です。どうせ私も、領収書切らないと駄目なんで」
「あれ? 君の部も人いないの? 俺もほとんど強制的に一年で部長就任なんだけど」

 あまりにも自然に会話が続くのに、本当に引きずられて前のときのようなテンポでしゃべりそうになるのを、私はつっかえつっかえ言葉を飲み込むことで、それを阻止する。
 今と前は、全然違う。ただ……。
 前のときに見た、瀬利先輩とのキスシーンが、今しゃべっている彼と結びつかないから困ってしまう。まるで、前のときに見たあれは、私の勘違いだったんじゃないかと錯覚しそうになる。
 それに私は内心かぶりを振る。
 今の私は、もう近藤くんとお付き合いしている。近藤くんが誤解するような真似はしちゃ駄目だ。実際問題、恵美ちゃんはもうちょっとであんなにいい人の彼氏さんを誤解させてしまったせいで、破局しかけた。……たしか、彼氏さんがわかってくれたおかげで、その危機は去ったはずなんだけれど。
 私は脳内でどうにか考えをまとめると、やんわりと口を開いた。

「お互い大変みたいですね、アクティブ部員が全然いなくって」

 私たち似ていますね、みたいな風に話を進めてしまったら、勝手に連帯感をもたれてしまい、篠山くんのペースで振り回されてしまう。彼は人たらしでおだて上手なのは、前のときにさんざん思い知っているから、相手にイニチアシブを持っていかれてしまったらいけない。
 自分をそう戒めて、私はそう言葉を打ち切る。
 押し合いへし合いになりながらも、どうにかレジに辿り着いたので、欲しい商品を叫ぶと、店員さんがすぐに両面テープにガムテープ、仮止めノリを出してくれた。私はすぐに支払って購買部を出ようと財布を開けたとき。
 財布の小銭が開けた勢いでパーンと辺りに散らばってしまった。って、嘘。こんな後ろに長蛇の列になっているところで、お金をぶちまけたの……!?
 後ろから舌打ちが聞こえる中、私は「すみません、すみません……っ!!」と声を上げながら、ぶちまけた小銭を拾い集めはじめた。ちょうど私の隣のレジに辿り着いた篠山くんも、さっさと目的の品を買い、領収書を切ってもらいはじめたところで、私に声をかけてきた。

「大丈夫? 小銭拾うの手伝おうか?」
「け、結構です! すぐ終わるんで!」
「でも後ろ」

 そう言いながら私の制止の言葉も聞かずに、一緒に小銭を拾いはじめた。
 私のミスとはいえど、なんでこんなにタイミングよく、小銭が飛び散るんだろう。私はどうにか自分が拾えるだけ小銭を拾い終え、あとは篠山くんの足下に落ちたぶんをもらえば終わりと、どうにか立ち上がろうとしたとき。篠山くんの口元がちらっと目に入った。
 彼の口角は、きゅっと上がっていた。……ちょっと待って。どこに笑う場面があったの。
 まさかまさかと思っていたけれど、なんの証拠もない疑惑が、胸の中を占めていく。
 彼は、私が死ぬ前の記憶をやっぱり持っているんじゃあ。そんなの私の思い込みかもしれないって思っているけれど、状況証拠だけが、どんどんと積み重なっていく。
 そんなことある訳ないとは思っている。でもそんなことある訳ないと言い切れるだけの証拠もないんだ。
 そうこうしている間に、こちらをじっと待ってくれていた店員さんに頭を下げながら支払いを終え、ようやく混雑していた購買部から逃げ出すことができた。
 元来た道を戻ろうとする中、「えっと」と篠山くんから声をかけてきた。

「木下の友達だったら、言いにくいじゃない。君をなんて呼べばいいの」

 そう軽く声をかけてきたのに、私は喉がヒュンと鳴るのがわかった。
 なんで友達と同じ部活の人ってだけで、名前を教えないといけないの。
 身持ちが固いとは自分でも思っているけれど、友達の知り合いってだけの人に名前を教えるのは怖いって、思わないんだろうか。
 私はただ、笑顔をつくって買った荷物を抱き締めた。盾にするには心細いけれど、逃げないとととっさに思う。

「……恵美ちゃんにでも聞いてください」

 私はそれだけ言うと、一目散に階段を駆け上がっていた。
 篠山くんはなにか言いたげな顔をしていたけれど、それ以上追及することなく、私を見送る。
 ……なにか決定的なことを言っていた訳じゃない。私が死ぬ前の出来事をほのめかした訳でもない。でも。
 私は息を切らしながら階段を昇り終え、その場に息切れでしゃがみ込んでしまった。
 篠山くんはやっぱり。前の時のことを覚えている。彼の距離感の取り方は、付き合っているのか付き合ってないのかわからないもので、身内として一緒にいるときは、私もこの人はいったいどうしたいんだろうと思ったものの、最終的には仕方ないと諦めてしまっていたけど。距離を取った今だとわかる。
 あの距離の詰め方を、会ったばかりの人間にはしないでしょ。初めて出会ったときの近藤くんとのことを思い返し、私は小さく首を縦に振る。
 最初暴言を吐かれて泣いてしまったけれど、あれくらい距離感の詰め方を失敗したり、逆に距離を開けてよそよそしくなったりするものだと思う。
 あの距離感は、いくらなんでもおかしい。