文化祭の準備として、それぞれ出展する部や委員、サークルがそれぞれ欲しいだけの暗幕や器具、器材を発注する。
 私はジャージ姿になって科学室の窓縁近くに椅子を置いて、高さと長さを測っていた。それを机で近藤くんが長さをメモしている。

「高さは3.2m。横幅は……ここからここまでだったら6mかな」
「じゃあ一番近い暗幕はBを二枚だな……つうか、お前がわざわざジャージに着替えて測らなくっても俺がやんだろ」
「うーん、部活のときはジャージのほうが性に合っているというか」
「危ないだろ」

 下でメモを取りながら唇を尖らせている近藤くんの言葉に、私は笑った。でも高いところに乗ってメジャーで高さを測るとき、近藤くんが台に乗ったら天井に頭をぶつけそうだから、私が台に乗って測ったほうが都合がよさそう。
 実行委員会に申請する暗幕のサイズや数を確認してから、ようやく私は椅子から降りた。

「それで、文化祭の展示だけど」
「うん。育った成果として、鬼瓦先生が園芸場の野菜や花を貸し出してくれるみたいだから、それを並べるし、私も春先につくったジャムを展示しようと思う。あと配布品ね。これはもうちょっとだけ可愛くならないかなあと思ってる」
「一昨年は園芸場で育ててたツタの苗を配ってたんだろ? 今年どうすんの」
「うちの園芸場の花の種を配る予定だけど、せめて育て方ガイドでも書こうかなあと思ってる。それを印刷して、その紙袋の中に種を入れるの」

 春に咲く花の種をランダムにわしづかみにして入れ、その種を適当にプランターや鉢に植えたら花が咲くというのは、園芸の通販サイトでよく見るものだ。
 どれもこれも最初にいい土に撒いて、水やりさえ欠かさずにやっていればちゃんと花が咲く育てやすいものだけれど、ズボラな人は水やりを忘れてすぐに枯らしちゃうからなあ。
 私の提案に、近藤くんは「はあ~……」と声を上げた。

「いろいろ考えんのな」
「うん。でも私ひとりだったら面倒くさくってやろうと思いつかなかったよ。剣道部の人たちをこき使うっていうのも、ただでさえアクティブ部員私しかいないのに申し訳なさ過ぎるし」
「まあなあ。園芸部、マジでお前以外来ないのな?」
「顧問の先生も、今年の部長が誰なのかすら忘れてるくらいだしねえ」

 剣道部も今は朝の稽古こそあるものの、大会自体はしばらくお休みだから、こうやって園芸部の手伝いをしてもらっている。
 私も近藤くんと一緒にいられる時間が増えて、ちょっとだけ嬉しい。
 なによりも、ひとりになる時間が本当に少ないのが嬉しかった……ひとりでいたら、ずっと篠山くんについて考えてしまうから、思い悩まないほうがいい。
 私が「こんなん書きたい」「種を入れるのは百均のシンプルな奴」とあれこれ提案するのを、近藤くんはふんふんと話を聞いてくれ、それを書き出したら、どうにか配布品の準備も整いそうだ。

「なあ、佐久馬」
「え、なに?」
「お前。なんか無理してねえか?」

 その何気ないひと言に、ギクリとした。

「……どうして?」
「いや、俺といるのがつらいとかそういうんじゃないからな。一応、俺、お前と付き合ってるつもりだし」
「うん」
「……お前、なんか明る過ぎる。普段からよくここまでネガネガしく物考えんなあってこと言い出すのに、今日はネガネガしいことひとっ言も言ってねえから、言えなくなるほど参ってんのかと思ってさ」

 ああ……この人は本当に。私は思わずうな垂れてしまう。
 近藤くんは大雑把だし、ざっくばらんだから、私が普通にしていれば気付かれないと思っていた。
 でも普通にしているのを「変」って突っ込まれるとは思わなかったなあ。
 私はもやもやする気持ちを抱えたまま、ぽつんと言う。

「……友達が、ちょっと彼氏と別れかけたから、そのことに引きずられてへこんでたのかもね」
「ん? それってお前が落ち込むほどのことか?」
「落ち込むよ! だって一番仲いい友達の話だし……」
「それで俺ともいつかは別れるかもとか思った……って、そりゃないか。佐久馬は自分に起こったことで延々自分を責めるタイプで、被害妄想で落ち込むタイプじゃねえしなあ」

 そこまで言われちゃうんだ……否定は全然できないけど。
 近藤くんは筆記用具をひとまず鞄に突っ込んでから、私を椅子まで引っ張って座らせる。

「自分のせいとか思ったのか? なにがあったのか知らねえけど」
「……うん」
「うーん、お前もほんっとに難儀な性格してるよなあ」

 そう言って私の頭をてちてちと撫ではじめたので、私は慌てて近藤くんを見る。近藤くんは愉快そうで、だんだんと顔が近付いてきた。それに私は固まる。
 頭にどうしてもこびりついて離れない、篠山くんと瀬利先輩の生々しいキスシーン。
 ……もう私は篠山くんが好きじゃない。もう篠山くんが誰と付き合っても私には関係ない。だから、お願いだから私のファーストキスの邪魔をしないでよ。
 またも喉からなにかがせり上がってきそうになったとき、近藤くんは私の眉間を指でツンと摘まんできた。

「……前も言ったろ。もう俺の匂いだけ覚えとけ。お前が言いたくねえって言うなら聞かないし、言いたくなったからいつだって聞いてやるから。だから、そんな顔すんな」
「ご、ごめん……」
「だから、自分が悪くもねえのに謝んなってば」

 そう言って、私の顔を引き寄せてきた。くっ付いた唇はカサカサしていて、今度リップクリームをプレゼントしようと思った。
 キスは、私が塗っていたリップクリームと、近藤くんが飲んでいただろう烏龍茶の味がして、その匂いが鼻を通っていった。
 ……もう、喉からなにもせり上がってこなかった。
 近藤くんが私が小刻みに震えている中、何度も背中をさすってくれた。
 そのことにほっとし、私もしばらく彼の腕の中に収まっていた。
 ……大丈夫、もう怖くない。でもこの気味の悪い状態に、いい加減に目を背けるのは止めないといけないかもしれない。

「近藤くん……」
「……んだよ」

 ようやく唇が離れたとき、近藤くんの顔は真っ赤になっていた。この人はいっつもそうだ。自分から恥ずかしいことをするのに、終わってからすぐに照れる。でも私もすぐに熱が伝染するから、きっとおあいこなんだ。

「……ありがとうね」
「おう」

 いつものぶっきらぼうな言葉が、今は私を強くしてくれる。
 私が、今好きな人はたったひとりだ。
 たしかに私が前に好きになった人はいたけれど、もう戻れないんだ。
 篠山くんに、前のことを覚えているのかを聞こう。もし覚えてなかったんだったらそれまでだし、覚えているんだったら私のことを諦めてもらうしかない。
 彼は彼の今を生きていて、私は私の今を生きている。もう、交わることはない。