わんわんと、電子音が鳴り響く。
 止めなきゃ……そう思うのに、手足が動かない。身体もずっしり重いし、なにこれ……

「あ、おはようございます。ももちゃん」

 なんとかまぶたを持ち上げ、霞む視界で焦点を合わせたら、だ。長身の男に覆い被さられ、左手首を指圧されているという図。
 きゃー! 不審者ー!
 と普通なら泣き叫ぶ場面だけど、私のキャラではない上、見下ろしてくる真顔には見覚えがありすぎた。

「んぁ……おはよう、ございます……ってか、なんで店長……?」
「いきなりすんません、脈測ってました。気分はどうっすか?」
「気分……ちょっと頭が痛い以外は、特に……?」
「そっか。時間になっても来ないから、心配で抜けてきちゃいました」
「時間……えっちょっ、店長、いま何時ですか!?」
「5月6日木曜日、午後7時18分、天気は晴れ。今日はみずがめ座流星群が見られるらしいっすよ」
「へぇそうなんだぁ……じゃなくて! うわーうわー! 遅刻にも程がある! ごめんなさーい!」

 ベッドから飛び起き、転がり落ちる勢いで土下座を繰り出す。だけどお叱りの言葉が飛んでくることはなく。

「いや、ももちゃんが無事ならそれで。あ、ちょっと失礼して。スヌーズ消しときますね」
「へ?」

 間抜けな声と共に見上げた先では、ベッド上でのたうち回るスマホを黙らせてくれる、親切な真顔のパツキンお兄さんがいるだけだった。

「シュウの兄貴ぃ〜!」
「はい、はい。元気そうでよかった。でも念のため、今日はこのままお休みしてくださいね」
「そんな! 自分働けます! どうぞこき使ってください、馬車馬のごとく!」
「や、ももちゃん高校に上がったばっかでしょ。環境も変わって疲れも溜まってるだろうし、無理して出てこいとか言えないっすよ。お店のほうはみんなとやっとくんで、気にしないでください」

 神様だな、知ってたけど。
 バイト先の店長ことシュウさん(28)は、人は見かけによらない典型例だ。
 明るい短髪に、ピアス、仕事放棄した表情筋。その辺の不良も一目で逃げ出す身長190センチの巨人が、詰襟に袴というまさかの書生さんスタイルで、颯爽と闊歩している。
 職業不詳でしょ? 安心して、駅前でラーメンの湯切りしてる。
 そして話せばわかるように、背は高いが腰は低い紳士だ。これで彼女いないとか嘘でしょ、という呟きに対する返答は、「え、だって必要ないですし」とな。
 でもね、ブレッブレの手元でチャーシューを花型に飾り切りしていた。シュウさんがキョドってるときの癖だ。すげぇ。ほんとはモテたいんだね。かわいい。
 それはともかく。日頃お世話になりっぱなしの人に迷惑をかけて、私も引き下がるわけには──「こういうのは、持ちつ持たれつだからね」──うぉおい先手を取られた! 持たれまくってる、あなたのおっきな手のひらに持たれまくってんですよ、実際は!

「じゃあ僕おいとましますから、戸締まりちゃんとしてくださいね。玄関の鍵開いてたよ。女の子なんだから、気をつけないと」
「はひ……ずみまぜん……」

 ズズ……と鼻水を啜りながら、せめて見送りだけでもと立ち上がる。
 ギシギシ軋む関節に鞭打って、シュウさんの広い広い背中に続こうとしたときのこと。じ……と見つめられたかと思えば、首をかしげられた。

「あれ、ももちゃん……背ぇ伸びました?」
「え、そうかな。自分じゃわかんないや……」
「うん……やっぱり。めっちゃ伸びてる。声も……低くなってるような。風邪引いたにしては違和感あるし……なんかこう……男の子になっちゃったみたいっすよね」
「あーたしかに、なんちて。ははは、そんなバナナ~」

 からから笑い飛ばしながらベッド横の姿見を振り返って、1、2、3秒。

「へっ…………はっ?」

 鏡の中には、いなかった。私とよく似た誰か以外は。

「……んぎゃああああああ!!?」

 アパート2階の角部屋から、断末魔が響き渡る。

「誰よこの男ォオオオオオ!!!」

 腹の底から叩き出した、魂の、シャウトだった。