自転車の前に回り、健二くんの視界に入りこむ。

まあるくなった瞳は、まるで、あの日の満月のようで自然と頬がほぐれた。


よかった。笑えた。……よかった。



「今はそうでもないかも」



今は。

今だから、きっと。


健二くんは言葉を失い、頬をひきつせた。

わたしも気を抜いたら、全部、がらがらと音を立てて崩れてしまう。それでも赤く塗った唇の乾きをごまかすようにぴったりとくっつけてほころばせた。

反対に、健二くんは唇を強く噛んだ。


ポタリ、とひとつ、目の前を不透明な雫が落っこちる。



「……っ、真子さ、ごめ、」



わたしはかぶりを振った。

ううん。そうじゃない。謝らないで。

いい思い出ばかりではないかもしれない。だけど苦しいだけで終わるのはやだよ。


好きで、大好きな、その大きな手をぎゅっと握る。

わたしときみの赤い糸は、固結びじゃないから大丈夫だよ。



「ありがとう」



精一杯ほほえんでみせた。


今までのこと全部、悔いることじゃない。

うれしかった。楽しかった。

本の世界よりもずっと焦がれていた。


現実って、やっぱり、すごいね。

こうやって触れるのも、言葉にするのも、うまくいかない。

痛くて、苦しいよ。



手のひらの温度が名残惜しい。

薬指の先からそうっと離す。

はじめて結んだときはあんなにむずかしかったのに、ほどくのはこんなにもあっけない。



「さよなら」



ちょうど目に留まった欠けた光はあまりまぶしくない。




『つ、月が、綺麗……ですね!』


あの日がいちばん綺麗だった。





<END>