破く。記事を、誌面を、新聞を。息切れをして、苛立ちのまま、最後に鏡を叩き割った。
中田愛弓が活躍の幅を広げる度に好き勝手を言うメディアを見ると、今でも無償に腹が立つ。グラビアアイドルの彼女しか見てこなかった連中に、愛弓の演技の何が分かる!子役だった頃の彼女はずっと、演技を続けていた。
今でも、度々脅迫被害を受けたあの時の彼女の姿を思い出す。瑞羽ちゃんは勘違いしているが、決定打となった脅迫があの瑞羽ちゃんによる殺害予告だったというだけで、それ以外にもSNSでは何通もの脅迫が届いていた。
彼女はその度に傷ついて、とっくに砕けた心のまま、それでも、『メトロトレミー』のため、キャスティングしてくれた人達の期待に応えるため、何度も立ち上がって。
でも、そんな彼女を再起不能になるまで粉々にしたのは、きっと私だった。
XXX
「あ、見て!瑞羽ちゃん。あの牛、金色でふわふわだよ」
「私みたいにですか?」
「いや、そんなこと言ってないって」
瑞羽ちゃんがジト目を向けてくる。
今日、私達はアリバイ作りのため、横浜動物園ズーラシアに来ていた。
「アリバイ作りの写真撮ったんだからもう帰りましょう」といった瑞羽ちゃんを、無理やり引き連れてきた形だ。だから私は、不機嫌な彼女をなだめる彼氏の役目を担わなくてはならないのだった。いや、それでも金色にふわふわなだけで、自分の事だと思うのは自意識過剰だとは思うけど。
檻の中に目を向けると、牛が水を飲みながら口をもちゃもちゃと動かしていた。
「…昔、オソノイが私の髪を見て、金毛の羊みたいだと言ってくれたことがあるんです」
「素敵な褒め言葉だね」
「ええ」ヴェニスの商人に似たような褒め言葉があった気がする。横の少女に目を向けると、なるほど。確かに羊っぽい。
「そして次のセリフは、私はイアソンだってわけ?」
「…ごめんなさい。あまりよくわかりません」
私は愛弓の舞台勉強に付き添っていた都合上、古典には人より理解があるが、一般的な女子高生の知っている神話などほとんどないだろう。どうやらオソノイちゃんは、それほどキザではなかったらしい。
「イアソンの物語は、それはそれは悲劇でね」
「私、あんまり興味ありげな顔して聞けませんけどいいですか?」
「…冷たくない?」
瑞羽ちゃんは説明には興味がないようでスマホを見るでもなく、牛をじっと見つめていた。
「オソノイ以外から勉強の事は聞きたくないんです」
「勉強…てこともないと思うけど、その…もうオソノイちゃんと離れるわけでしょ?」
驚いた。彼女の中で、オソノイちゃんの存在がそんなに大きいとは。
「あ、プライドとか、引きずってるとかじゃなくて、オソノイからならまだ勉強の話も聞いてられるというだけです」
めちゃくちゃ愛が重いのかと思ったら、ただ不真面目なだけだった。しかし、話を逸らす良い機会だと考え、違う話題を振ってみる。
「瑞羽ちゃんってさ、本当に勉強嫌いだよね」
「好きな人なんて、いないでしょう。」
「そりゃあ、そうなんだけどさ。にしてもだよ」
「…オソノイから授業を受けるのが好きだったのも、あります」
話を聞くと授業内容を一切聞かずにテスト前にオソノイちゃんと勉強会を開くことで、焦らせて勉強会の頻度を上げたいらしい。なんて迷惑なんだ。
「オソノイちゃんってさ、瑞羽ちゃんに甘いよね」
「私だって、オソノイに流行のこととか教えてますから。彼女、高校に入るまでLINEもやってなかったんですよ!」
「それ、瑞羽ちゃんが勝手に押し付けてるだけなんじゃ…」
「うるさーい。ほら、紅葉さんの話が説教臭いから、牛も寝ちゃいましたよ」
んな理不尽な。
ずっと眠った牛を見ていても仕方がないし、檻の前を離れる。しかし私は、瑞羽ちゃんが小さく牛に手を振っていたことを見逃さなかった。
鳥のコーナーに近づくと、ピーヒャラピーピー騒がしくなってくる。
瑞羽ちゃんは、鳥には興味がないのか歩みを止めずに質問を始めた。どうやら彼女にとっては鳥の鳴き声はBGMに過ぎないらしい。
「紅葉さんは、その、愛弓さんとどうして一緒にいられたんですか?」
「え?いや、私の場合幼馴染だったからなぁ」
瑞羽ちゃんは度々私と愛弓の関係を問いただしてくるが、それは彼女が私を心配しているのではなく、先に破局した私達の例を見て、自身を鑑みているゆえの行いである。
「その、オソノイは流行が苦手で、私は勉強が苦手っていう事実が、私達を結びつけていたんじゃないかなって」
「ああ、補い合う関係みたいなのに憧れてたんだ」
「そうですね。お互いがお互いを必要としていて、いなければ生きていけないみたいな」
「…それは共依存っていうんじゃないかな」
「でも、結局オソノイは私なんかいなくても生きていけるんですけどね」
横浜にいるというのに、今でも瑞羽ちゃんはオソノイちゃんから連絡がないことを気にしていて、何度も携帯を眺めている。
彼女がずーんと暗くなったから、私は励ますように声を上げる。
「それを言うならさ、私だって、愛弓がずっと私がいなきゃ駄目な人間だと思ってたのに、離れた途端成功したからね!」
私と愛弓はいつも一緒で、どちらかといえば活発だった私と、誰にでも優しく接することができて、優等生タイプだった愛弓のコンビは一見ちぐはぐだったと思う。愛弓はいつも舞台一筋で、小学生の頃には既に愛弓が好きだった私は、舞台に関すること以外の全てをしてあげるつもりでいた。
いや、より正確にいえば、私は彼女が舞台に関すること以外出来ないものだと、頭の中で勝手に決めつけて勝手に手を焼いていた。
実際には、私と離れた途端に彼女は多方面で活躍するんだけどね。
「やっぱり、紅葉さんって自分勝手ですよね。動物園だって、無理に連れてくるし…」
確かにそう言われてみれば、愛弓に過保護だったことは反省したつもりだったが、あの頃と何も変わっていないのかもしれない。
「ごめん…やっぱり、もう帰るかい?」
「いや、いいです。言われっぱなしも悔しいので、私も紅葉さんに似てる動物を探します!」
そういうと、彼女は速歩きを始める。
ああ、可愛いなあ。
ふと気づくと、沖宮青葵からメッセージが届いていた。
[小園井音の病状が悪化した。播川瑞羽には、まだ話すな]
「あ、見て下さい紅葉さん、あのカンガルーとか、紅葉さんに似てませんか?」
「確かに、まつげはあれくらい長いけどさ」
「そんなこと言ってませんよ!」
ごめんね、瑞羽ちゃん。瑞羽ちゃんには、もうちょっとだけここにいて欲しいんだ。
時期がずれていたのか、カンガルーのお腹には何もいなかった。
中田愛弓が活躍の幅を広げる度に好き勝手を言うメディアを見ると、今でも無償に腹が立つ。グラビアアイドルの彼女しか見てこなかった連中に、愛弓の演技の何が分かる!子役だった頃の彼女はずっと、演技を続けていた。
今でも、度々脅迫被害を受けたあの時の彼女の姿を思い出す。瑞羽ちゃんは勘違いしているが、決定打となった脅迫があの瑞羽ちゃんによる殺害予告だったというだけで、それ以外にもSNSでは何通もの脅迫が届いていた。
彼女はその度に傷ついて、とっくに砕けた心のまま、それでも、『メトロトレミー』のため、キャスティングしてくれた人達の期待に応えるため、何度も立ち上がって。
でも、そんな彼女を再起不能になるまで粉々にしたのは、きっと私だった。
XXX
「あ、見て!瑞羽ちゃん。あの牛、金色でふわふわだよ」
「私みたいにですか?」
「いや、そんなこと言ってないって」
瑞羽ちゃんがジト目を向けてくる。
今日、私達はアリバイ作りのため、横浜動物園ズーラシアに来ていた。
「アリバイ作りの写真撮ったんだからもう帰りましょう」といった瑞羽ちゃんを、無理やり引き連れてきた形だ。だから私は、不機嫌な彼女をなだめる彼氏の役目を担わなくてはならないのだった。いや、それでも金色にふわふわなだけで、自分の事だと思うのは自意識過剰だとは思うけど。
檻の中に目を向けると、牛が水を飲みながら口をもちゃもちゃと動かしていた。
「…昔、オソノイが私の髪を見て、金毛の羊みたいだと言ってくれたことがあるんです」
「素敵な褒め言葉だね」
「ええ」ヴェニスの商人に似たような褒め言葉があった気がする。横の少女に目を向けると、なるほど。確かに羊っぽい。
「そして次のセリフは、私はイアソンだってわけ?」
「…ごめんなさい。あまりよくわかりません」
私は愛弓の舞台勉強に付き添っていた都合上、古典には人より理解があるが、一般的な女子高生の知っている神話などほとんどないだろう。どうやらオソノイちゃんは、それほどキザではなかったらしい。
「イアソンの物語は、それはそれは悲劇でね」
「私、あんまり興味ありげな顔して聞けませんけどいいですか?」
「…冷たくない?」
瑞羽ちゃんは説明には興味がないようでスマホを見るでもなく、牛をじっと見つめていた。
「オソノイ以外から勉強の事は聞きたくないんです」
「勉強…てこともないと思うけど、その…もうオソノイちゃんと離れるわけでしょ?」
驚いた。彼女の中で、オソノイちゃんの存在がそんなに大きいとは。
「あ、プライドとか、引きずってるとかじゃなくて、オソノイからならまだ勉強の話も聞いてられるというだけです」
めちゃくちゃ愛が重いのかと思ったら、ただ不真面目なだけだった。しかし、話を逸らす良い機会だと考え、違う話題を振ってみる。
「瑞羽ちゃんってさ、本当に勉強嫌いだよね」
「好きな人なんて、いないでしょう。」
「そりゃあ、そうなんだけどさ。にしてもだよ」
「…オソノイから授業を受けるのが好きだったのも、あります」
話を聞くと授業内容を一切聞かずにテスト前にオソノイちゃんと勉強会を開くことで、焦らせて勉強会の頻度を上げたいらしい。なんて迷惑なんだ。
「オソノイちゃんってさ、瑞羽ちゃんに甘いよね」
「私だって、オソノイに流行のこととか教えてますから。彼女、高校に入るまでLINEもやってなかったんですよ!」
「それ、瑞羽ちゃんが勝手に押し付けてるだけなんじゃ…」
「うるさーい。ほら、紅葉さんの話が説教臭いから、牛も寝ちゃいましたよ」
んな理不尽な。
ずっと眠った牛を見ていても仕方がないし、檻の前を離れる。しかし私は、瑞羽ちゃんが小さく牛に手を振っていたことを見逃さなかった。
鳥のコーナーに近づくと、ピーヒャラピーピー騒がしくなってくる。
瑞羽ちゃんは、鳥には興味がないのか歩みを止めずに質問を始めた。どうやら彼女にとっては鳥の鳴き声はBGMに過ぎないらしい。
「紅葉さんは、その、愛弓さんとどうして一緒にいられたんですか?」
「え?いや、私の場合幼馴染だったからなぁ」
瑞羽ちゃんは度々私と愛弓の関係を問いただしてくるが、それは彼女が私を心配しているのではなく、先に破局した私達の例を見て、自身を鑑みているゆえの行いである。
「その、オソノイは流行が苦手で、私は勉強が苦手っていう事実が、私達を結びつけていたんじゃないかなって」
「ああ、補い合う関係みたいなのに憧れてたんだ」
「そうですね。お互いがお互いを必要としていて、いなければ生きていけないみたいな」
「…それは共依存っていうんじゃないかな」
「でも、結局オソノイは私なんかいなくても生きていけるんですけどね」
横浜にいるというのに、今でも瑞羽ちゃんはオソノイちゃんから連絡がないことを気にしていて、何度も携帯を眺めている。
彼女がずーんと暗くなったから、私は励ますように声を上げる。
「それを言うならさ、私だって、愛弓がずっと私がいなきゃ駄目な人間だと思ってたのに、離れた途端成功したからね!」
私と愛弓はいつも一緒で、どちらかといえば活発だった私と、誰にでも優しく接することができて、優等生タイプだった愛弓のコンビは一見ちぐはぐだったと思う。愛弓はいつも舞台一筋で、小学生の頃には既に愛弓が好きだった私は、舞台に関すること以外の全てをしてあげるつもりでいた。
いや、より正確にいえば、私は彼女が舞台に関すること以外出来ないものだと、頭の中で勝手に決めつけて勝手に手を焼いていた。
実際には、私と離れた途端に彼女は多方面で活躍するんだけどね。
「やっぱり、紅葉さんって自分勝手ですよね。動物園だって、無理に連れてくるし…」
確かにそう言われてみれば、愛弓に過保護だったことは反省したつもりだったが、あの頃と何も変わっていないのかもしれない。
「ごめん…やっぱり、もう帰るかい?」
「いや、いいです。言われっぱなしも悔しいので、私も紅葉さんに似てる動物を探します!」
そういうと、彼女は速歩きを始める。
ああ、可愛いなあ。
ふと気づくと、沖宮青葵からメッセージが届いていた。
[小園井音の病状が悪化した。播川瑞羽には、まだ話すな]
「あ、見て下さい紅葉さん、あのカンガルーとか、紅葉さんに似てませんか?」
「確かに、まつげはあれくらい長いけどさ」
「そんなこと言ってませんよ!」
ごめんね、瑞羽ちゃん。瑞羽ちゃんには、もうちょっとだけここにいて欲しいんだ。
時期がずれていたのか、カンガルーのお腹には何もいなかった。